みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

ダン・ファンテ「天使はポケットに何も持っていない」1998年

ダン・ファンテ「天使はポケットに何も持っていない」1998年

Dan Fante - "Chump Change" Sun dog Press '1998

 

天使はポケットに何も持っていない (Modern&Classic)

天使はポケットに何も持っていない (Modern&Classic)

 
Chump Change: A Novel

Chump Change: A Novel

 

 


  人生が俺に愛想をつかしてしまったのだ。


 おれがアルコール中毒と診断されてひさしい。'10年の3月、西成区萩之茶屋──通称釜ヶ崎でおれは喰いつめてた。というのも去る年の暮れ、おれは羽曳野市にある丹比荘病院精神科を追いだされ、西成区役所の精神保健福祉に助けを求めた。相談員は少しばかり理解を示し、いっときはアルコール症専門病院への提案もなされたが、CWが父に電話をかけ、おれは実家に帰ることになった。年明け、ひとり息子に無理解な父からの厳命で、仕事をみつけた。ひとつはシャンプーだかの箱詰め、もうひとつはヤマト運輸の仕分けだ。防寒着もないなか、ふるいカブに乗って仕事へいく。おれは堪りかねて金を少し借りた。それで上津台のイオン・モールへいき、アウトレット品のダウンを買った。深緑の、なかなかいいやつだった。
 そいつを着て家に帰る。親父がいった。──給料でたんなら金を寄越せ。そんなものを買う金があるのなら、全額寄越せ。さもなくばでていけ!──おれはでていき、さらに金を借りて、大阪へいった。安宿に泊まりながら、仕事を探そうとした。出会い系のサクラや、ポルノ男優、挙句はゲイ専門の酒場──エイズに関するパンフレットが大量に置いてあり、黒い寝台つきの面接室を慌てて逃げた。けっきょく仕事は見つからず、おれは酒を呑み、金を減らし、身体を毀した。ひどい痛風で足は浮腫み、股関節まで激痛に魘された。冬は春になった。ふたたびおれは西成区役所の精神保健福祉に助けを求めた。今度は病院行きが決まった。入院予定日まで安宿に待機して、それから和泉までいった。
 迎えた病院のCWはおなじ苗字の、なかなかきれいな女だった。おれはいった、──おれはアルコール中毒だと。かの女はいった、──じぶんでそう認めるひとは珍しいと。おれは二ヶ月、その病院にいき、そのあいだ二回も院内飲酒で捕まって牢屋へと入れられた。懲罰的手段。おかしなことにその病院の本棚には「自由こそ治療だ―イタリア精神病院解体のレポート」という本や、カーヴァーの「英雄を謳うまい」があったっけ。おれは別の病院へ移されるまえに図書館で借りた本を読もうとした。すると、看護人がいった、──それをきょう返しに行くと。おれはいった、──だってまだ数日ここにいるじゃないか。やつは容赦しなかった。その本はダン・ファンテという男が書いたもので、主人公もアル中だった。
 おれがはじめてその本を見たのは三田図書館でのことだった。いつのことかは憶えていない。ただそこによくいった。特に週末は。朝の6時から親父が作業を始めてた。草刈り、家の改築、車のタイヤ交換、間伐、穴掘り、──いつもいつもなにかやってた。おれはそいつに狩りだされるのが幼少からいやだった。休みの日は寝ていたい。なぜ姉や妹たちのようにのんびり過ごせないのか。おれは父の命令が下るまえに、カブで走りだした。そして図書館で過ごした。父親がいかに厄介な存在であるかをおれは痛いほど知ってる。敬意などいうものが、ただの屁でしかないと知ったときの虚無感。あるいは燃えながら立ついっぽんの枇杷の木。おれは本を読むことでなんとか、みずからの分岐しつづける感情に整合性を与えようと、文脈を与えようと四苦八苦してた。夜に帰れば父から罵られ、異分子としてしか存在できない自身を呪った。なにもかもが索漠とした過古の夢や願いのなかで滅び、そもそも家族との相互理解や語らいなどはじめからないということに痛めつけられてた。
 いつか断酒体験の合宿のとき、おれはみなのまえでいった。「付随する問題の大小にかかわらず、依存症は依存症である」と。医者や看護人たちはその科白を歓迎した。でもいった当人にはそれがただのでっちあげで、その意味がわかってなかった。付随する問題は年々大きなり、ついには破滅した。

 

 ダン・ファンテの父は、ジョン・ファンテだ。イタリア移民の2世として生を享け、コロラドの田舎からわずかな金で、カリフォリニアへ。「偉大なる」作家を志した。小説作品「デイゴ・レッド」、「バンディーニ家よ、春を待て」、「満ちてる生」、「塵に訊け!」を生みだした。そののちに映画業界へ流れ、作家の夢は喪われていった。晩年は糖尿病を患い、腕も足も切り落とされた。やがて盲い、妻の手によって最后の作品「バンカーヒルの夢」を著した。ダンはまるで父の人生から喪われ、抜け落ちてしまった夢を拾うみたいに小説を、詩を、戯曲を書いた。そして'15年に'71歳で死んだ。
 小説「天使はポケットに何も持っていない」は、父が危篤に陥り、その息子が精神病棟から退院したところで幕を開ける。主人公ブルーノ・ダンテの好物は、酒精強化ワイン「マッドドッグ20-20」。幸いなことにこの銘柄は日本に輸入されてはいない。だから主人公のまねをしてるうちにアル中になって、ステーキナイフを腹に突っ込むこともない。ブルーノは、危篤の報せを受け、離婚寸前の妻とともにニューヨークから故郷ロサンゼルスへ飛び立つ。機内でマスを掻いたり、病院では待合室の他人を撲り飛ばしたり、酒によってむちゃくちゃをやる。ブルーノは父の愛犬ブルテリアロッコと出逢い、次第にその犬に愛着らしいものを抱く。父の死を看取ったあと、ブルーノは犬とともに弟の車に乗り、妻のクレジットカードを持って放浪にでかける。 その途上で出会う吃りの少女エイミー、かの女は淫売だ。やせっぽちで魅力はないとブルーノはいう。それでもなぜかふたりは逃避行じみたひとときを過ごす。父の葬儀をあとにしてブルーノは中古車屋でダークブルーのダートを買う。そしてエイミーとのいざこざ。

 

 「あんたが悪いのよ! あ、あんたは親父さんに愛されてたのに、そ、その愛し方が気に入らないって、親父さんまで、や、やっつけてしまったのよ!」

 

 ロッコの病状がわるくなっていくなか、ブルーノは求人からセールスの仕事をみつける。ロッコをどうするか、金が少なくなっていくなか、どうやりこなすか。面接を終えてモーテルにもどると、エイミーはいなくなってた。詩のような書き置きを残して。
 ブルーノは金持ち女にデート相手をセールスする。酔っ払いの大女相手にだ。かの女と契約を結び、一戦を交える。その翌日、ブルーノは父の夢を見、父の存在や死についてあらためて考える。《俺は父を愛していながら、そのことにまったく気づいていなかった》。おれは親父を愛してはないだろうし、これからもおなじことだ。精神病理を抱えたわが家系について、いまや憎しみすらもない。祖父はアル中の乱暴者で、父はアダルトチルドレンだろうし、おれに至っては自閉症だ。家庭を維持さえしてればそれでよかった前時代とはちがい、いまやひとりひとりが負わなければいけない領域はどんどん拡大してる。よき労働者、よき父親、よき男、そんなものを呼称されるぐらいならおれは遁世したほうがましだと半分おもってる。もう半分は過ぎ去った価値観への憐れみだけだ。おれはいつになったくそくだらない男像や、父親像から脱却できるのか。それはけっきょくおれが男になるしかないだろう。父親になるしかないだろう。不在の過古から、実存の現実へと突っ切ってしまわないかぎりは、幻想は幻想のまんまだ。どこまでもつきまとう。
 ふとブルーノは高校時代に「ブルックリン最終出口」を買った古本屋をおもいだして車を走らせる。その店で父の書いた「風に訊け」と再会する。古本屋でのくだり、店員とのやりとりは物語の、ちょっとしたヤマで、心を奮ってくれる。父親との擬似的な再会がブルーノになにを齎したのかがわかるのは、もう少しばかりあとのことだ。やつは契約した大女ミセス・クーパーに、スペイン男ふたりをあてがわせた。

 

 おれにだって本はだせたかもしれない。父はそれを成し遂げていた。どうしておれはだせなかったのか? それはおれがあっさりと諦めてしまい、とことん失敗して転落していくだけの勇気をまったく持ち合わせていなかっただけだ。親父は死んでしまい、おれもまた死んでしまった。悲しみと真実だけがおれの魂に宿ってる。

 

 ブルーノはけっきょくセールをやめた。上司のバークハートとはうまくやりおおせた。作家、そして詩人として生きる決心をつけ、車をだす。ロッコはもはや瀕死だった。金も乏しいなか、医者に診せ、アルコールの離脱症状に呻吟する。そしてキャンディーバーを喰いながら、その糖分でアルコールを我慢しながら、一篇の詩を書く。LAについての詩だ。《おれは父親のためにこの詩を書いたのだ。もっと書こうとじぶんに誓いを立てた》。
 おれはいぜんに書いたふたつの小説のなかで主人公に詩を書かせてる。もちろんのこと、そいつはこっからのイタダキだった。この作品は、過度に感情的で、情熱のある眼差しが読み手と語り手をひとつにさせる。清濁併せ呑み、憎愛を込めて、故郷の街を、家族を、かつての夢=文学を描き切った傑作の長篇だ。アルコールの問題を当事者から描くという面でも、もちろんぶちっぎりで、ダンがどうして酒も薬も断ち切って創作の世界に没入できたかがわかってくる。

 おれはといえば、このまえ10日のあいだ禁酒しただけだ。軽く膵炎を起し、酒をやめると誓った。けれども仕事にありつき、金がでると呑んでしまった。ただただかつてよりも狡猾で、計画的な呑み方が身についたというだけである。おれはけっきょく和泉の病院も追われ、転院したあと、西成の救貧院へ流れた。そこで1年。またも酒がばれ、故郷に帰された。そして小説を書き、’11年の秋、ようやくこの町に来たというわけだ。そしてもうじきこの町をでるというわけだ。
 近年、ジョン・ファンテ作品の再評価が目覚ましいが、ダンの作品ももっと知られて欲しい。いつだったか、books Curliesの店長にこの本を紹介したら、「ブコウスキーよりもこっちのほうが好み」といってた。しかし残念ながら絶版のため、入荷できないということだった。お行儀のよい文学にはうんざりだというやつらには、この本がなかなかよい選択肢ではないかとおもってる。ちなみに映画化されるという話を聞いたが、ブコウスキーの「ハム・オン・ライ」同様、たいした情報は出てこなかった。詩集については一冊持ってる。いつか翻訳してやろうとおもってる。──じゃあな。田舎の親御さんによろしく伝えておいてくれ!

 

Kissed by a Fat Waitress: New Poems

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Made in Fante, portrait de Dan Fante écrivain - Documentaire