みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

きみに読む物語はない。

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   *

 きみがどこでどうしてるかなんて、おれにはわからない。ただ多くの物事が中止や延期にやられ、たった1年の見通しすらも立たないということだ。だれかが呼び鈴を鳴らしてくれることを待ちわびながら、ここにいる。果たしていつになれば、檻の犬みてえな生活から抜けだせるのか。昔、エレファントカシマシが「遁生」という曲で、《これから先は死ぬるまで表へ出ないで暮らす人》と歌ったが、おれはそうはいかない。きみもそうはいかない。やりたいことがあって、やらなきゃならないこともある。将来への希望とか、死に於ける心構えとか、そういったこと以前に積みだされた課題があるはずだ。だからこそ、おれは書くし、きみは読むというわけである。――とりあえずは死蔵してる本を読みながら、タイピングすること、あるいはギターを弾いてみることだけしかない。SNSはもういい。世事・俗事にかまけていてはなにもできやしないからだ。
 水道工事が始まろうとしてる。来週25日からだ。またしても明けて暮れるまで室のなかで、たっぷりと苦しめられるというわけだ。自粛のさなかなのだから仕方がない。けっきょく仕事はぜんぶだめだった。いまではどんな週払い、日払いの仕事でさえも、くそったれなアプリが必要で、それには常時ネット接続されたスマートフォンがいる。残念ながらおれのはプリペイドだし、ネットに1日¥1000もかかってしまう。これじゃあ、喰っていけないんだ。そこでもはや、そんな仕事に頼るのはよそうということになる。しかし社会の復旧はおもったよりも、時間がかかるらしく、あるところでは2年という。それじゃあ、乾上がってしまう。おそろしいことだ。まったくべつのことを考えて、現実を遠ざけるしかないのか。
 きのうはひさしぶりに詩を書いた。通知を見るかぎり、9人が読んだ。まあまあだろう。おれは残金のないなかで5月を待ってる。つげ義春の日記を読み、斎藤潤一郎の「死都調布 南米紀行」を読んだ。前者は身につまされた。後者はスカッとした。きのうの夜になってまた詩を書いた。すでに書かれたイメージをつくり直したようなものだ。これには「戒飭」とだけ、題をつけた。決定ではない。けっきょくすぐに書きあげてしまった。少しばかりパッチェンを意識した。かれはロマンチック過ぎた。

   *

「戒飭」

 まったくのたわごとみたいな死にかこまれて、
 きみのまなざしがねがえって、
 もはやついてくるものさえなく
 閂をされたおもづらが
 門にならぶ
 
 ベールの女はついに来なかった
 だというのに列は澱みたいにつづき、
 ぼくは立ち去る
 かの女の膚に歯形さえ、
 残せないままに
 
 いえることは否
 すべてに否
 なにもかもがまったくざれごとみたいに過ぎ去り、
 地獄から来た、いっぴきの犬が、
 まちがったひとにむかって吼えつづけるから、
 ぼくはきみのまぶちに沿って山麓バイパスを降り、
 永遠の帰途へと尾をふった。

   *

 だが、おれはもっとごまかしの利かない方法で詩を書きたい。通りで自動車事故が起こったとか、でも救急車も来ないとか、舟が沈んだとか、観光客が財布を掏られ、撲られたとか、警官同士が勤務中にオマンコしてただとか、そういったことを伝える新聞記事のようにまったくごまかしのいかない詩を書きたい。副詞や助詞の入れ替えやら、名詞と暗喩の混合だとか、ともかく文学的なインチキで詩を書くのはもう飽き飽きだ。肉体と幻想のあいだで悶えてるわけにはいかないということだ。道路情報みたいに詩や小説を書きたいといったら、きみはどんな貌をするだろうか。
 飢えた猫が養老院の脇を歩く。ごみ箱によじ登って啼く。きょうも薄曇り。きのうの深夜にひきつづいて、長篇私小説「裏庭日記/孤独のわけまえ」の第2稿を考えてる。とにかく、物語臭さ、小説らしさを消し去りたい。そうおもってる。きのう、書いたのはこんな断片だった。

 《信じられない暑さだった。タール紙で覆った屋根のうえに木枠を打ちつけ、薄い緑やら、ピンクのまぬけた板瓦を差し込んでいく。それが朝から晩まで、暮れても明けても家の仕事が、父の仕事がそのころ、おれを縛りつけていた。おれはやつが死ぬこと、そしてじぶんが永遠にとでもおもえるような仕打ちから解き放たれることをひねもす願っていたものだ。
 夏は容赦ない。おれは長い髪をかきあげながら作業に従った。もはや気力もなく、逃げ場のないわが家。もともとあった屋根を潰してできた室で、角材を伐り、釘を打ち、電動ドライバーでねじを締めあげる。あるいは廃材の釘抜きをして指から血を流す。おれも父もどうかしていた。――おい、こら!
 父の手がおれの頭を掴み、そのまま移動する。ちいさな丸椅子におれを押しつけると、散髪が始まった。鋏でめちゃくちゃにやつはおれの肩まであった髪を剪ってしまったのだ。おれは抵抗もできないほどに熱に魘されていた。それはやつだっておなじだったかも知れない。ともかくおれの頭はとても人前にだせないようにされてしまった。これからどうすればいいのか。見当もつかないでベッドでうなだれる。母はおれの頭を見ていった。――どうしたの?
 なにが起こったのかはじぶんでもわからなかった。どうして力づくでも抵抗しなかったのか。けっきょく、床屋にいくしかない。おれはタオルを頭に巻き、音楽雑誌を手に這入った。撰んでおいた、好きでもないミュージシャンの髪型にしてくれといった。えらく、みじかく剪られたもので撰べるものは少なかった。おれが免許とカブを手に入れるまで、逃げだせるまで、家での仕打ちはつづいた。
 父は偏執狂にちがいない。姉や妹たちはおれをせせら笑った。いまではトーチカみたいな汚らしい家で、造りすぎた室を持てあましてひとり、棲んでいる。無意味な増改築だった。隣人たちが眼を背ける。やがて母は家を棄てた。やつを見棄てた。そしておれは街の生活をどうにかこうにかしているわけだ。姉や妹たちがどこでどうしているかなんて、おれにはもはやどうでもよかった。かの女たちのことなんかお呼びにつかないから。》

 もっと父の偏執狂について事実を積み重ねるべきだろう。家というものの本質を描きたい。長い文章を書いてておもうのは、じぶんはじぶんの理想通りには決して動けないということだ。必ず乖離してしまう。このすきまを埋めようと、あらゆる文章アプローチを空想する。きみは笑うかも知れない。おれがまだこんなにも低い孤高のなかで埋もれてるのを。笑うがいい。笑って済ましていればいい。これだってほんの幕間狂言に過ぎなのだから。――じゃあ、生きていたら洋酒を呑みにでかけよう。たぶん、しばらくはここで名づけられないもののために書いてることだろう。

 

生活

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つげ義春日記 (講談社文芸文庫)

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  • 作者:つげ 義春
  • 発売日: 2020/03/12
  • メディア: 文庫