みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

拳闘士の休息《無修正版》

 

 試合開始はいつも午前3時だった
 父にアメリカ産の安ウォトカを奪われたそのとき
 無職のおれはやつを罵りながら
 追いまわし
 眼鏡をしたつらの左側をぶん撲った
 おれの拳で眼鏡が毀れ
 おれの拳は眼鏡の縁で切れ、血がシャーツに滴り、
 おれはまた親父を罵った
 返せ!
 酒を返せ!
 おれの人生を返せ!
 おまえが勝手に棄てたおれの絵を、おれの本を、おれのギターを!
 凋れた草のような母たちが、姉と妹たちがやって来て、
 アル中のおれをぢっと眺めてる
 おれはかの女らにも叫ぶ
 おまえらはおれを助けなかったと
 おれが親父になにをされようがやらされようが助けなかった!
 だれがおまえらの冷房機を、室外機をと叫んだ
 おれは姉にいった、──おれはおまえのタイヤ交換をしたよな?
 じぶんの仕事を遅刻させてやったのにありがとうもなかったよな?
 照明器具の倉庫をおれは首になってた
 おれは姉のつらを撲った
 おれの拳がなんとも華麗に決まったその瞬間
 いちばんめの妹から階段のしたに突き落とされた
 おれの裂傷した後頭部からまたしてもくそいまいましい血が飛び散った
 不条理にもおれには血がおれを嗤ってるみたいにみえてならなかった
 気がつくとおれは暗がりに立ってて警官ふたりとむかいあってた
 おれは──といった、ポリ公はきらいだと
 かれらはじぶんたちの仕事を刺激されて少しばかし悦んだ
 しかしおれはそれ以上かれらを悦ばす気にならなかった
 だから、さっさと寝るふりを決め込んだんだ
 そして明くる日おれは町へと流れてった
 そして三年経ったある日夜間高校時代のやつが電話してきた
 おれの絵をオフィスに展示したいといってきた
 おれは、──かまわないといった
 ただし展示料はとると
 するとやつは絵を売ろうといった
 おれはいやいや諒解した
 それでも絵をまとめて送り
 展示案やポスターを仕上げて
 神戸から西大寺くんだりまでいってやった
 やつはポスターを気に入らないといった
 場所である、椿井市場が目立ってないといい、
 "bargain sale"という個展名に難癖をつけた
 後日ふたたび西大寺のオフィスに訪ねると
 資料用の素描に"The Outsider Art"と直かに書かれ
 市場の各所に貼ってあった
 そいつはいままでみたこともない悪意だった
 おれはポスターを造りなおしてた
 やつは興味を示さなかった
 「アウトサイダー・アート」
 それは手垢つきの過古だった
 それはすでに体制のものだった
 おれは真夏の市場でひとり汗をかき通しだった
 夜になっておれとやつは工業用扇風機を載せたトラックで通行どめに遭った
 やつは警備員を面罵して──ここを通せとわめき散らした
 責任者呼べ!──おれはハンチングに隠しきれない恥ずかしさでいっぱい
 やつが警備員に呶鳴った──そんなんだから、そんな仕事しかできねえんだよ!
 警備員は小さく「このばかがッ」といった
 するとやつは真っ赤になってかれに飛び込んでった
 地面に叩きつけたれたかれが「警察を呼んでくれ!」と悲鳴した
 おれはやつを撲るべきだったかも知れない
 しかしそいつはまるで屁をひってから
 肛門管をしめるようなもんだった
 きっと「拳闘士の休息」っていうやつだ
 トム・ジョーンズはイリノイ生まれの作家
 やがてひとびとがあつまりはじめて
 そのなかには非番の警官もいた
 それでもやつはひるまずにわめきつづけてた
 それでもやがて警官が横断歩道のむこうから歩いてきたとき
 おれに運転しろといった──なぜ?
 「免許ないから、ばれたら困る」
 おれはエンジンをかけ、サイドブレーキを解き、
 警官がたどり着く寸前にロウ・ギアに入れて発進した
 角をいくつもまがり、追っ手がないのを確かめさせてやつはいった
 こんなことが週に何回もある、でもあの警備員は仕事に責任感がなかった
 そのとき口にはできない感情をおれは自身に感じとってた
 ふたりで扇風機を事務所の壁につけようと疾苦しながら
 やつはいった──おまえの学習障碍なんて甘えだ
 おれはいった──杖や車椅子は滅ぼすべきというわけ?
 ハーパーを呑んでからやつの室まで眠りにいった
 そこには喰うものも、呑むものもなかった
 本棚の目立つところに「超訳・ニーチェの言葉」があった
 そのばかげた本でいっぺんにすべてを諒解した
 このくそったれは超人にでもなったつもりなんだ
 そしてみんながそうなるべきなんだって信じてるんだって
 そして友情はおれを必要としてないというのがわかって
 憎悪を爆発させることにたやすく傾いてしまった
 あるとき公園を若者たちが騒ぎまわってた
 男たちと女たちの嬌声に耐えきれず
 アパートを降りたおれはそのなかのひとりに狙いを定め
 パンチを繰りだしたがやつらの足元はすばしっこく
 ひとり残らずに逃げられてしまった
 そこでようやくおれは気がついた
 バンテージを忘れて
 重量も超えて
 いることを
 そして最悪のことにもはや若者ですらないということを

 

 *注釈 詩画集『世界の果ての駅舎』に収録の際、《そして明くる日おれは町へと流れてった》で切るように森忠明先生にいわれたのだが、ここでは完全なものを投稿した。