みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

経験 [2016/01]

わがうちを去るものかつて分かちえし光りのいくたすでになかりき 指伝うしずくよもはや昔しなる出会いのときを忘れたましめ 過古のひとばかりを追いしわれはいま忘れられゆくひととなりたし かのひとにうずきはやまずひとひらの手紙の一語かきそんじたり 救…

夢と雨の日曜日 [2018/06]

* 老木のごとき時間を過したる夕暮れまえのぼくのためらい きみをまだ好きだといいてかりそめの証しを立てぬ流木の幹 涙という一語のために濡れながら驟雨の駅舎見あげるばかり いっぽんの釘打ちひとりさむざむと弟だったころをおもいぬ 薪をわる手斧のひと…

放浪詩篇の夜 [2018/05]

* ときとしてきみのなまえを口遊む葡萄の果肉干乾びるなか 汗の染む放浪詩篇かのひとの跡へむかってうち棄てたりし 屠らるる敗馬のうちの光りたれまなこの奥の少年のぼく 唇に注がれたりぬ午后の陽のまれなる色のきみのまなざし 立ちどまる猫や光りの一滴を…

手師の惜別 [2018/04]

* 河縁の春のよすがも綻びて一銭五厘の娘となりぬ 火を燈し六角星のぬばたまに攫われていくパレスチナかな 日本語の律いっせいに狂いたる夏の匂いの向日葵畑 雲射抜く機体を見あげ一滴の汗する望郷詩篇の書 更ける夜の公衆電話一頭の鯨夢見ん声また声 流民…

主題歌(2015)

「広告募集」の看板がつづく田舎道 起伏の激しさに咽を焦がしながら かつて父の自動車で走り回った いまでもあのあたりを歩けばおもいだす いとしいひとたち、 あるいはいとしかったものたちをおもいだす それは一九八四年のピープ・ショウ あるいは二〇一五…

天使の渾名

* 神に似し虹鱒捌くはらわたに出産以前のかがやきばかり 生田川上流に秋を読みただ雨を聴く水に宿れる永久ということ 校庭の白樫の木老いたれてもはやだれもぼくを呼ばない それでもまだ青年の日を悔やんでる、眼つむれば無人の回転木馬 北にむかって濁れる…

われのリリオム

* リリオム ならず者のところへもくるか? もし愛したら──(モルナール「リリオム」) * 天籟を授かりしかなゆかこという少女愛しし十二のぼくは 裏庭を濡らす霧雨にすらかのひとのかげを重ねたりにけり 初恋に死すことならず三叉路の真んなかにただネオン…

愛が、愛がわれわれをひきはなす(今月の歌篇)

* とっぷりと暮れるときには会えていたころよものみな遠ざかるなか あれがただ青麦みたいに見えるからふりかざされるまえに答える 沈黙に守られながらいたいといいてももろびとのやかましさ 光り降る二月の夜だってことを抱きながらふるえるわれよ 若かりし…

たぶん永久に

濡れた、 さいごの花束も、 ふりあげられた拳も、 ぜんぶがぜんぶ、 水によって引きずりだされてしまい、 いまやそれがなんであったかを識るのはむつかしい 海のむこうがわで大きく彎曲した虹鱒がクリークにむかって艪を漕ぐ それでも壊れた、 はじめてのほ…

定時制時代の卒業文集より

「告げる」平成15年生活体験文集「水脈」より/3年 中田満帆 エフトゥシェンコは「早すぎる自叙伝」のなかで、「詩人の自叙伝、それは彼の詩作品を言う。残りは註釈に過ぎない」と書いた、──らしい。”じぶんは詩人”と名乗るつもりはまったくないが、それに…

断食芸人の日記帖2019/Jan

01/01 さんざん眠って2時過ぎに外出。パッチ代わりにコンプレッションを着る。3時になって出屋敷。裏庭に足場をつくるところまでやる。そしてまた父の吝嗇自慢を聞かされる。ほとんどおなじ話の繰り返しだ。なんとも無残な気分にさせられる。次は4日だ。帰途…