初出『パーシー・アカデミー』誌 1963年 12月号
クウォーター・パークの酒場でめずらしく呑んでいた
かれは室でしか呑まない男だった
もう若くない顔で時折
笑うそぶりを見せる
その口もとは
神経がやられたようにゆがんでさえいた
かれはいった、「すべては無意味なのかも知れない」と
そしてつけ足した、「ぼくの父がいったように」
最後に話の目的を明かした「もし金にならなければ」
職探しにあぶれ、
救済支援も打ち切られ、
せっかくの長篇小説もモノにならなかったという、
そして長い電話のすえに父にそう宣告されたとのことらしい
クォーツ・ヒルの職安通りで
かれと最後に遇ったのは10月の第2木曜日だったとおもう
救命艇に潜り込もうとするかれを咎めて、
「酒を呑ませる」といったら、
かれに断られた
アル中のくせによとおもった
かれが命を絶ったと聞いたのは知人の文藝仲間からだ
わたしはなにもいえなかった
すべてが無意味であることによって
アラン・マッケル/1940年、サウス・ダコタ生まれ。