みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

宿営地(*the repeat)

   *

 ようやくたどり着いたとき、その家にはひとつの扉しか残されてなかった。黒い扉が立ってて、そのむこうには焼けぼっくりが広がり、おれたちの何人かは膝を折って、呆然とそれを見つめるか、うつむくしかなかった。おれはかまわずに扉をあけた。扉を支えてた薄い柱が炭化したまま立ち、扉のほうは倒れてしまった。うしろには砂漠しかなかった。渇いた咽を立ちのぼった煙が燻す。ここには花も水もない。おれたちは諦めて、歩きだした。足許に硬い感触があった。焼けただれた酒壜が数本、半透明の輝きを残して固まってた。カティ・サークか、それともシロック・ウォッカなのか、いまではもうわからない。
   これからどうする?
 スズケンと呼ばれる男がいった。企みはもともと、この男のものだった。おれたちの山はこいつから始まったといっていい。調布から女を脅して連れ去って、車のなかでことに及んだ。女は地元の組織の末端で、ヤサイの運び屋をやってるうちのひとりだった。女から金とヤサイと訪問リストを盗んで、おれたちは高飛びを決めるつもりで、集められた、まったく無関係の雑兵たちだった。金に困り果てて、てめえの孤独でマスを掻いてたおれには、その案件はまったくの吉報のようで、どぶ板のうえでかがやく鮭の筋子みたいなものだった。だのにおれたちが集まったときにはすでに、通りすがりの半グレやろうから、組織に話がバレてたんだ。前金はたったの5千円。女はまだ生きてる。乗り棄てた車のなかで眠ってるはずだ。殺しはまずい。サツは本気だすだろうし、組織だっておんなじだ。それにおれは殺しだけはいやだった。その一線だけは越えたくない。たとえじぶんの身が危険だろうと。おれはそうみんないって、納得させた。――けれども、やはりそれがよくなかったのかも知れない。おれとおなじく集められたオグラという若い男がスズケンの背中を蹴りあげた。
   なにしやがる!
 瓦礫のうえを転がったスズケンがオグラを睨みつけるが、もはや最初に会ったときのぎらつきはなくなって、怯えの色が眼にある。オグラはなにもいわずにスズケンをいたぶる。両の手で襟首を掴んで、やつのからだを焼けた地面にバウンドさせてる。おれと、そしてもうひとりのシブという男は、ただそれを眺めてた。おれたち4人、もはや極まってしまったんだ。
   おい、助けてくれ。
 息も絶え絶えにスズケンがいった。――金もヤサイもリストもくれてやるから!――おれたちはだれも応えない。シブはやつの眉間を狙って唾を嘔いた。――こいつをやつらに引き渡そうよ。――どうやって? もはや、全員の顔はわれてる。それに組織の本拠はスズケンしか知らない。けっきょく金とヤサイを三等分して、リストはどうしたものか、おれが持つことになった。おれたちはとりあえず、車を拾った。オグラが車をピックして、運転手を惹きつけ、隠れてるおれたちがそいつを引き摺りおろして、眠らせる。ただそれだけ。おれは玉川上水まで車を回し、そこでスズケンに電話をさせた。なにもかも、あいつにおっ被せるために。

   *

 ロープの代わりに後部座席にあったLANケーブルでスズケンの手足を縛った。調布の連中はこちらにむかってるはずだ。オグラがスズケンにたっぷりとヤサイを与え、酩酊させた。しばらくは動けまい。おれたちは車をはなれ、歩いた。久我山の駅にむかってだ。それから電車に乗って、吉祥寺で解散することにした。オグラはパスポートがないといって歎いた。東北にいくといった。シブはタイにいくといった。以前にも仕事でとちっていったらしい。みんながばらばらになってから、おれは身の振り方を考えた。これから長距離バスにでも乗って、でたらめに旅をするのもいい。おれは新宿でバスの予約をした。バスが来るのは23時だ。いまは7時。それまでの時間、なるべく大人しく、隠れてるほかはない。
 おれは上品ぶった「le chingasos」という酒場に潜った。寂れたビルの6階にその店はあった。おれは入るなり、窓の位置を確かめた。ここからなら、バスの操車場が見下ろせる。店員は太った女と、痩せたマネキンだった。真っ白い女のマネキンで、真っ白い陰部に裂けめがあった。そして真っ白い液体がどろりと流れでてる。
  スコッチ・アンド・ミルクを。――おれは注文した。
   じぶんで注ぎな。――女はろくにこっちも見ずに抜かした。
  わかったよ。
 おれは棚から酒をとり、冷蔵庫から牛乳をだしていい加減に搔き混ぜた。なんて店だ。窓際の席に坐って、酒を呑んでた。太った女は受話器を握って、しきりになにか訴えてる。なにかに脅えてるように見えるがおれにはよくわからない。床のうえを蜘蛛が這ってる。見たことのない蜘蛛だ。足が11本も生えてる。おれは踏みつぶそうとする。でも、力が入らない。おれの手が床を触ろうとする。その距離、77メートルもある。金色の豚。耳の奥から呻る水のような禽獣たち。絡み合った裸体がのしかかる絵画。具象と抽象を交差して、エドワード・ホッパーを夢想する分割販売された静恵たち、AからBへ、または林蔵から賢司へうらGaelひとみ、心臓が肥大してもはやバスに乗れないという幻想。やがて黒服の男たちが雨のなかからやって来る。おれは撃たれる。だってリストはおれのポケットに入ったまんまだからだ。ブローニングが吼える。おもったより美人だ。500階段を右折する、地栗鼠のようなひとびと、あるは人間そっくり筏。来る、来る、来る、来る。殺す、殺す、殺す、殺す。ファック、ファック、ダック、――愛とはセックスの書きまちがい、かつてハーラン・エリスンがいったこと、書いたことのすべて。第三次世界大戦がはじまる。毒入りのガソリンを呑む男たちが見える。謀略。部隊のはじっこで銃口を見つめる射手、舞台のはじっこでスリップを弾く衣装係、カフェ・ミュラーが始める。ピナ・バウシュが舞踏する。すべてはそのあいまの出来事に過ぎない。スリップが弾かれる。涙。嗚咽する鯨。白菜の虫を殺すおれのまなざし。なおも止まらない人生、――足許を包む歓喜のファーレ!
 「まったく、強情なやつだ」――だれかがいる。
 「こいつには神経ってもんがないのか?」――だれかがおれの右腕を踏みつけにしてる。
 「――でもリストがあるんだ、もう否定できない」――おまえはだれだ!
 「調布から玉川か、――ちんけな逃走劇だね」――男の顔がどうしても認識できない。
 「さて、殺すか?」――やめろ!
 そっからさきは憶えてない。おれが眼醒めたときにはだれもいなかった。リストはない、金とヤサイだけがあった。暗がりのなか、なんとか灯りをつけ、ジンジャーとCをコップに注ぐ。そいつを呑み乾して金をカウンターにおく。じぶんの足がゴムになってしまったみたいな感触がずっとつきまとうなか、歩き始めた。ビルの地階から砂漠が始まってる。新宿の荒野をあまたの扉が乱雑に群れを成してる。おれはそのなかのひとつをあけて、向こう側へと進む。そして、ようやくたどり着いたとき、そこには扉しか残されてなかった。黒い扉が立ってて、そのむこうには焼けぼっくりが広がり、おれたちの何人かは膝を折って、呆然とそれを見つめるか、うつむくしかなかった。おれはかまわずに扉をあけた。扉を支えてた薄い柱が炭化したまま立ち、扉のほうは倒れてしまった。うしろには砂漠しかなかった。渇いた咽を立ちのぼった煙が燻す。ここには花も水もない。おれたちは諦めて、歩きだした。足許に硬い感触があった。焼けただれた酒壜が数本、半透明の輝きを残して固まってた。カティ・サークか、それともシロック・ウォッカなのか、いまではもうわからない。

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