みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

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 金がすっかりなくなった。¥18,000はあったのに。そのうち、¥12,000はイベントの払い戻し、¥5,000は施しで、¥1,000はなんだかわからない。またも酒に溺れてしまってた。学習するということがわかってないのだろう。なんとか食料品の備蓄はしたものの、洗濯をするとか、郵便をだす金がない。来月は文学イベントで、作品をあつめて出店する予定だった。もし、今月中に輸送を済ませないといけないとしたら厄介だ。あとは水道料金が払えないと来てる。まあ、そいつは28日の〆切りだった。なんとか1日まで待ってくれるかも知れない。金がないと、凋れた花みたいに気力が削がれ、なにも書く気も、学ぶ気も起きなくなる。やれるのはいま、こうしてるみたいに、夕方に起きて、夜ぴってずっといいわけがましいひとり語りをすることだけだ。
 いったい、何にもひとびとがおれのまえを過ぎ去ったかをおもう。女たち、男たち、詩人、そうじゃないひとびと、無職、アル中、淫売、やくざ、手配師、口入れ屋、――なにもかもが通り過ぎてあとには、何人かの詩人たちが残った。おれはかれらをいまひとつ好きになれない。かれらの人柄、そいつはわるくない。だが、書くものはひどすぎた。おれはもう詩を書くのをやめてしまってた。短歌ですらつくってはない。なんとか、作家になろうと無駄玉を撃ってるだけのことだ。未来への幻視にはなにも映らない。すっかり、くたびれてしまったじぶんの過古についてタイピングするだけだ。なにもかもがまるで進歩にないという恐怖、じぶんをいまにでもふたつに引き裂いて、焼いて喰ってしまいたいという怨めしい感情たち。おれにはなにもできなかった。おれにはなにも書けなかった。ただ呑んで喰って眠っただけだ。
 いつだったか、10年まえ、阪急オアシス名塩の、夜更けのフードコートでおれはポケット壜を片手にして、小説を書こうとしてた。でも、書きあがったのはみじかい散文詩だった。たとえば、こんなふうに――。

 《仲間内のでのささやかな愉しみもこの場所にはない。根菜を切っては煮込み、切っては煮込む。薄味のスープとなけなしの塩胡椒、そしてチリソースとマヨネーズの空き瓶。ぼくはといえば、いまだに過古から離れられない。空想はいつも現在の餓えを見えないように、ぼくを守ろうとしてる。でなけりゃ、ありもしない幸運について幻視させるだけだ。未来が怖い、怖いとふるえ、またもう1枚の鏡をわる。そしてぼく唾を吐きかける。ながい失業手当時代、ぼくは多くの精神病院を転戦した。逸脱行為に手を染めるどころか、頭から突っ込んだ。障碍手帳の等級はあがり、いまや2級だ。だれか褒めてくれ、そして、できるかぎり遠くへと葬ってくれ給え。なかんずく、ガラスで覆われた土地が好ましい。フェンスで囲い、立ち入り禁止の立て札もかけて、もはやだれも近寄らないようにして欲しい。燃える納屋のなかで、仔馬が立ちあがろうとしてる。たったいま小さな熾きがぼくに告げる。こんな光景をかつてより、望んでいたのかも知れない。》

 もちろんのこと、こんな断片のなかから学びとれるものなんかなにもない。でも、古疵に愛着を憶えたみたいにおれはこのテキストをいまだに削除できずにいるんだ。とても滑稽に見えるかも知れないけれど。いつだったか、いまはもう絶縁した友人にこれを見せたことがある。やつはいった、――「虚構のなかから現実を見つけ出そうとしてるね」。やつは皮肉めいた笑いを浮かべ、口の端をゆがめた。まだおれたちは、かろうじて20代だった。やつのいったことをおれは最近まですっかり忘れてたし、ましてや真剣に考察してみるということもなかった。けれども、最近のようにひとりいる時間ばかりで、他人となんのかかわりも持たない空間のなかにいて、その言葉は魔法みたいにおれの頭蓋のなかを照らした。なんだかじぶんが現実によって裏切られ、引き裂かれ、虚構のなかへ逃げ込み、そこに現実をつくろうと、むだな足掻きをつづけてるようにおもわれたからだ。そしてそれは想像力の欠如ということじゃないかって、いまではそうおもう。そして湿気た気分になる。
 ナガヤスという友人だった男は、自殺を図った。やつの母親から聞いた。いまではなんの熱意も意志もなく、ボウフラみたいに生きてると聞かされた。やつはじぶんの子供ですら愛情を持ってないという。やつをそんな状態にしたのは、まぎれもなくおれだったし、少しばかり疼くものがあったにせよ、いまはもうできることはなかった。かつはおれを虚仮にしたし、おれはやつの悪行をあらいざらいぶちまけた。いまはどこに棲んでるのかもわからない。ひとついえることは、おれはおれの書くもの以上に残忍であったし、いまも生贄を探してるということだ。脇腹が痛む。ひどい傷みだ。もしかしたらなかの金属バーが歪んだか、ずれたしたのかも知れない。外科にいくべきか、近場の内科で済ましてしまうか。――口座にキャッシュバックで¥203が入ってた。おれは酒を求めて外へでた。激痛が走る。恐る恐る地下道を降りて、スーパーへいった。酒を買って、帰る。内側から抉られるみたいな傷みで、おれは震えあがった。室に帰ってシャツを脱ぎ、幹部を確かめた。ひだりの肋骨から上腹部のあたりに痛みのポイントが見つかった。それから平行移動して脇腹にも極点がある。触ると痛む。
 おれはセンチなやろうだ。こんなときだってのにやつのことを懐いだす。はじめて声を掛けてきたのはやつのほうだった。おれに赤いTシャツを手渡し、金髪の男に渡してくれといった。男がだれなのか、われにはわからなかった。けっきょくシャツを職員室に預けた。それからおれとやつは隣同士になった。おれは教科書を見せてやってた。やつはおれの耳をまじまじと眺めていった。
   ええ、耳のかたちしてんな、ピアスせえへんか?
 学校の帰り、おれたちふたりで、「古賀ちゃん」という居酒屋にいった。おれは酔って政治問題について一席ぶった。ふたりで2千円づつ払って、やつの家に泊まった。室のなかには大量のリキュールと、ガラム・ミディアムが1ケースあった。やつがいった。
   音楽同好会が学校にあるんやけど、入らへんか?
  覘いてみるよ。
 同好会にはナガヤスのほかにふたりしかいなかった。ひとりはひとつうえの男で、こいつはいつか眼があったとかで、おれに搦んで来た、くそったれだった。やつはFコードも押さえられなかった。もうひとりはひとつ下の女。かれらは帽子のなかのゴキブリみたいに、気がつくといなくなってた。あとはおれたち、ふたりが戯れに楽器が弾いてるだけになった。おれがギターを、やつがおもちゃの鍵盤をそれぞれやって、即興演奏をしてた。おれとやつが仲違いしたのは'12年の8月の西大寺でだった。やつはおれの絵で個展をやりたいといって来た。奈良は遠い。勝手にやってくれればいいものを、展示の方法とか、告知ポスターだので、おれを呼びつけた。そしておれの提案を悉く否定して、おれの持って来た資料用のクロッキーに直筆で、勝手な題名までつけた。題して「The out sider art」。まったくひでえものだった。
 そしてやつは椿井市場の事務所に業務用の扇風機を運ぶとき、揉めごとを起こした。いつも走ってる道が、工事で通行止めになってた。やつはそうと気づかずに足止めを喰い、工事の関係者に喰ってかかった。
   工事止めろ!
   責任者呼べや!
 それから警備員を罵り、いい返されるとやつは真っ赤になって飛び込んでった。警備員を地面に叩きのめし、居直った。非番の警官を名乗る男が通りがかった。やつはおれにいった。――おまえ、運転しろ!
  どうした? 
   おれ、免許ない。捕まったら困る。
 なんだって?――駅から横断歩道を歩いて警官が歩いて来る。おれは慌てて、ロウで発進した。やつは何度も後部を見ながら、追っ手ないのを確かめ、おれにいった。
   こういうことが週に1回はある、けど、あの警備員は仕事に責任感がなかった。
 じぶんが起こした出来事から逃げるやつのいう責任感とはなにかをおれはおもった。けっきょくおれは個展から手を引くことにいた。こんなやつと繋がってたら、こっちまであぶない。朝になっておれは神戸に帰った。そして一連の出来事をブログの記事として発表した。やつからは引っ切りなしに電話が来た。おれは無視した。Cメールでおれはいった。――おれは対等に話がしたいんだ!
 やつはもいった。――生活保護者と対等なわけないやんか!――これで少なくとも、われわれの関係の正体がわかった。やつにとっておれは友人ではない。そうだったときもあるが、現在そうじゃない。おれはただのカモだ。あの夏から、8年が経った。そしておなじ8月。いえることはなにもない。花は時折、毒草よりも質がわるい。だれかがどっかでそう書いてた。いまはなんだか、理解できそうな気がする。
 あのとき、父はやつの味方をした。返却された絵には傷物にされたやつもあった。おれは一切意志を曲げるつもりはなかった。やつのことをサツに売った。けっきょく、買収された警備員が事件にしたくないといって、ことは終わった。夏になると、この顛末を懐いだす。ただ、それがどうしたっていうんだ? ヘイ、兄弟?