みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

孤立のままに

 

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 花のない8月のひと日、その鬱憤、その連れあいよ、いまままさに拓こうとする不運の裂けめから、やがておれのなかに闖入してくる、さまざまな現実。そっからどうにか、眼をそらそうかと気を揉むだけの夜だ。おれは腹を空かしてタイピングしてた。手許にはイタリア移民の倅が書いたアメリカの小説がある。挫折のなかで老い、かつての夢を見失った男の物語だ。かれは正直質がわるい。考えることはみな救済されるべき自身と、罰せられるべき他者のことだらけ。あまりに素直に嘔きだされる、かれの悪態におれは笑った。でも、おれだって質がわるい。小説の主人公みたいに、家族もなければこの室だって借りものでしかない。いまや、肉親ですら遠く、おれは父以外の母や姉妹がどこに棲んでるのかも知らないと来てる。そして食費や公共料金の引き落としにもことを欠き、おまけケツを拭く紙さえ乏しいと来てる。こういったときには主語や副詞を忘れるぐらいに書きまくるしかなかった。やっとことで36を迎え、これからだとおもったら、またしても停滞だ。
 「詩を書くように小説を書く」といった短篇作家がいた。なまえが懐いだせない。しかし「あんたの短歌のように小説を書け」とおれにいった童話作家なら知ってる。かれの望むもの、そしてヴィジョン、それがおれには伝わって来ない。輪郭のない物質で後頭部を打撃されたみたいな気分になる。きょうはかれに3度も電話をかけたがでなかった。いやな予感がする。先月末にかれから、「給付金が入ったら歌集を2部注文する」といわれてた。かれの土地ではすでに96%、給付済みだ。それなのに続報が来ない。おれは表にでていって、炊きだしにならぶしかないのかも知れない。けれども、この疫病流行期に至って、施しの手なんかあるのか。
 おもい祟って、過古がおれを蚕食する。未来についての幻視はない。ただいやな過古があって、いやな現実がある。ほんとうのところは、なにも変わってないのではとおもわせる熱い夜。じぶんが身持ちのわるいできそこないだという事実、早熟の天才などではない事実、晩熟であるという事実、そしてとっくにだれにも相手にされないという事実、そのほかもろもろの事実、これらを受け入れるのに36年もかかった。10代は家からでられないかった。20代はでたものの行き場がなかった。30代の前半は、焦りと嫉妬と劣等感と怒りでなにもかもを塗り込めてしまってた。電話はなにもいわない。物語は終わった。おれは地階へいった。斜向かいのアパートのまえで屯して、騒いでるやからにいった。――なにをしてるんだ?
   関係ないやろ?
  ここで騒ぎを起こすなといってるんだ。
   なんやねん、おまえ?
  やめないと、通報するからな。
 3人のばかども。空吹かしぐらいしか能がないくそったれ。そこには水あかりも風あかりもない。ただやつらに搦んでるうちにじぶんがとても歳をとってるみたいな気分になった。老いぼれて、だれからも疎まれる男の気分。おれは通報もせずに室にもどると、湯浴みして、凾積みされたじぶんの本を眺めた。積みあげられたくその山だ。おれはいったい、短歌をつくるときなにをおもっていたのか、おれの短歌の特徴とはなにか、よさとはなにかを考えた。これといったものはなかった。じぶんのなかに理論めいたものがない。いままで詩論は書いてきたが、歌論はいちども試みたこともない。いつも場当たりで、偶然にまかせて書き撲ってるだけだ。どれがいい歌で、どれがだめな歌なのか、それさえも他人まかせで、じぶんで考察したことがほとんどない。
 やがて外の騒ぎがやんだ。ばかどもは帰っていったんだ。おれは「タクシードライバー」の映画音楽をかけた。安いステレオから音色にまかせ、また書きものをはじめた。ほかにできることなどなかった。14歳からずっとおれはひとりぼっちで書いて来たんだ。いまさら、書くことに卑屈になる必要はないじゃないか。おれは神と名のつくものは一切信じてないし、死後の名声だとか、来世での倖せというのにも興味はない。これまでやれることをやって来たのに、それがまったく、くその役にも立たないということをおもってしまう。おれはネット公開されてる荷風の作品を読んてみた。「ひかげの花」。まったく血肉を感じさせない、洗浄された文体、その時代に型どおりの人間たち、ただの通俗小説にしか見えなかった。おれは重吉とかいう男みたいに女から与えられて生きたことはないし、《女の歓心を得るためにはどんな屈辱をも忍び得られる男である事を自覚していた》――そんなやろうを鼻くそほども讃える気にはなかった。なんだか、裁判所から架空の訓示を受け取ったみたいな気分だ。


 ものがみな去り、おれは取り残される。去年、港湾労働をしてから、まともに仕事をしてない。年末にイベント設営の仕事をやったものの、3日めには宿酔いで首だ。わざわざ市民広場駅にいってから、深江までいかされたのに交通費もなかった。おれはおもわず、電話口の営業に「誠意を見せろよ!」と喰ってかかった。年が明けて、いろんなところの面接を受けた。なかには障碍者の作業所もあった。退屈そうな場所だった。湊川公園駅からちかかったものの辞退した。そのあと家電屋の在庫係に決まったものの、あまりに退屈、そして窮屈な地下での作業に厭気が差したのか、どうなのか。なんだか、その場にいるのが怖くなって逃げだしてしまった。
 さらにそのあと、西元町の港湾労働が決まったものの、3回めで宿酔いがバレて、帰されてしまった。現場のリーダーがいった、「もし、簡単な仕事があればまわすよ」。いやな徴候だ。おれはいまだに電話をかけてたりなんかしてない。次ぎに家具屋の検品の仕事をもらって来たものの、仕事の前日に口座の金がなくなった。電気料金の引き落としだった。おれは「発熱があるから待機する」と告げた。7日経って、電話が来た。おれは「ただの風邪だった」といい、現場にいこうとした。朝6時半に起きる必要があった。気づけば12時だった。相手方からなんの連絡もない。おれは黙ってあきらめた。仕事を探すのもやめた。
 なにがどうよくないのかはわかってる。おれは規則が守れないし、礼儀や慣例といったものに従えない。現実の変化にもうまく対応できてない。歳だけとって、あとはなにも残ってなんかない。呑む金も、喰う金もなく、室のなかをうろつき、じぶんを隔離する。書くことでいくらか、現実の外皮から身を守る。おれにとって書くことは防衛反応なのだろう。だが、おれが求めてるのは心理小説なんかじゃない。疵や臭いや、摩擦があって、アクションのある小説なんだ。
 花はどれもしたたかだ。時には打算的とも受け取れる。――生田町公園への道すがら、ひとりかぼやく。公園のベンチに坐って夜の遊具たちを眺めた。かれらかの女らはどうしたものか、喋らない。なぜかおれに話しかけて来ない。おれはこんなにも対話に飢えてるのに。電話もギターも黙ったままだ。ただ例外として、公園まえのくず置き場じゃあ、棄てられた家具や、ぬいぐるみたちが、どうしたものか、人語でおれに対話をねだって来るんだ。――ちがうか?
 
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