謹啓
魂が
衰えたとき
形式が
現れる──チャールズ・ブコウスキー「芸術」
年賀状、ありがとう。すごく励みになった。どっかにきみの本名を書いてしまったみたいで大変すまない。校正がちゃんとできてない。箇所を教えてくれれば訂正するよ。わたしはプロとは呼べないな、これじゃあ。ずっときみに手紙を書こうとおもってながら幾年も経ってしまった。そのあいだ入退院を繰り返し、罰を受けることも多かった。
去年は港湾労働(青果物の検品や箱詰め)とイベント設営(あいみょんのコンサートとか)の仕事をしたけれど、いまは職もなく、金も乏しい。そんななかであたらしい1年が始まった。年末から風邪も引いてる。いままでの度重なる災禍から抜けだすために今年から積極的に断酒することにした。いままで酒のせいで居場所を失ったり、酒乱に走ったり、ひとを罵ったり、傷つけてきたからだ。今年はとにかく正常さを少しでも手に入れることがわたしの目標だ。当面は週払いの仕事をし、それから障碍者就労支援A型で働き、就職してからフリーランスを目指そうとおもってる。甘い考えだというのはわかってる。現実はあまりにもむごい働きをするものだということも。
本心では表現活動への野心でいっぱいだけれど、いまはどうすることもできない。小説は5作すべて落選した、歌集「星蝕詠嘆集」はたった4部しか売れなかった。まだ36部も残ってる。これは負債でしかない。少しでも売るには短歌結社というものに参加して横の繋がりをつくるか、文学フリマに出品するか、Amazonに出品するかだ。いまのところ、2番めに賭けてる。でも、それにはほかの作品の増刷も必須だ。金がそのとき、あればいいのだけれど。
文藝だけじゃなくて絵なり、漫画なりも描きたいのだけれど技術不足だ。絵画教室でデッサンからやり直したいとおもってる。一昨日、短篇漫画のネームをいっぽん描いたものの、まだペン入れしてない。する自信がない。
きみのいうように絵本がつくれればいいかも知れない。たとえばエドワード・ゴーリーみたいな奇妙なものを。それをpixivのBOOTHで販売すればいいのかも知れない。写真もやってはいるが、機材が旧ソ連のスメナ・シンボルというコンパクト・カメラしかない。音楽のほうはもう、諦めたのがいいに決まってる。才能の裏づけもないし、じぶんの鳴らす音も、好む音もすっかり古びてしまったから。それでも音楽を習いたいという欲求はなかなか消えない。ちなみに歌ものは'14年から始めた。それまでは打ち込むによるインストや、サウンド・アートしかつくってなかった。きみのいう「曲と詩はバラバラ」というのが、どういうことなのか、わからないのが歯がゆい。それがどういった音楽を指すのかもわからないから。
積み重なった負債を返しながら、できるだけのことをしなくちゃならない。それにからだを直さなくちゃならない。足は踵が変形してしまい、非情に痛むし、胸は3年まえに漏斗胸の手術を受けたものの、まだ金属バーを除去してない、それに重度アル中だ。もし酒に依存しなければわたしの転落劇はなかったろう。さまざまな罪や負債をつくることはなかった。わたしは10代以前から酒を呑んできて、さまざまな感情や、思考をアルコールのなかへ叩き込んできた。かつてSNSで元同級生らを罵り、かれらかの女ら全員にきらわれてしまったこともある。初恋のひとにも「ひとを傷つけるひとはきらい!」とブロックされてしまった。それから6年たったいま、ようやくじぶんの後始末を自身でやろうとしてるんだ。アルコールの対価はあまりにも大きい。そもそも自閉症スペクトラムで、心の傷を持った男が酒なんか呑んじゃいけない。
とにかくは働きながら負債を返しつつ、どうにかやりくりして小銭を貯めて文学フリマを目指すのが道かも知れない。できればPCだって買い替えたいし、デッサン教室にも通いたい。ただこの通りの年齢だ。夢を見るのはむつかしいことになってしまった。他者の人生はあまりにも美しすぎた。どんどん才能を持った若いひとたちが自己実現していく。そのなかでなにものにもなれないおれ、という韜晦に浸ってしまう。そんななかに存って詩はあまりにも無力なもの。
そういえば去年、全国の個人詩誌に配布するために無料詩集を計画していたけど、いまのところ頓挫だ。いったい、詩壇という狭い世界のなかでどうやってじぶんを売り込めばいいのか。──じぶん語りを長々と書き散らしてしまったけれど、きみが幸福であればいいと願ってるよ。ほんとうさ。
おれは喋りすぎだ、すまない。レイモンド・チャンドラー曰く「臆病者は喋りすぎるか、まったく喋らないかだ」そうだ。じぶんに都合のよいことばかり、吹聴してるみたいでいまさらながら恥ずかしい。もう少し相手を慮って書きたいけど、いまはこのとおり余裕がないんだ。Twitterとかブログとか読んでくれていてほんとうにありがとう。この世界にひとりでも読んでくれるひとがいるという事実にありがとう。きみがいまどうしてるのかはわからないが、わたしはこのありさまというわけです。
まだ作られてもいないキャデラックについて思う
ことのまぎれもない詩心。みずからを思わず反省させられる、
医者の指先──レイモンド・カーヴァー「キャデラックと詩心」
敬白
2020/01/02 なかたみつほ