The Caretaker's An Empty Bliss Beyond This World
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ふとおもいついてhang offと検索する。どうやら「ためらう」という意味らしい。まえにもmind outや、piss outといった辞を詩のタイトルにしたことがある。当てずっぽうでも、存在してる言葉だ。きょうで9月は終わり。くそったれな増税まえに、再発されたThe Caretaker / An empty bliss beyond this Worldを注文した。ひさしぶりの贅沢だ。金はほとんど残ってない。来月の歌集出版は計画縮小となるだろう。せいぜいのところ、50部確保できればいいところというわけだ。
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精神科医・堀有伸の「日本的ナルシシズムの罪」を読み終えた。いくつかおもいあたる記述を発見。たとえば《想像上の一体感を維持するためにコミュニティが攻撃対象にしやすいのは、やはりタテ社会の論理から外れた人や、その中で低位に位置する人たち》という箇所。または《未熟な自我を抱えたまま、想像の上でも現実としても社会に同一化できない、つまり居場所のない若者の場合、金銭的なことだけが関心事項となってしまうケースがある》。おれはじぶんが顧みられない現実から逃れようとして、「他者が見ている」という空想を繰り返してしまう。いま、かれらかの女らがおれを見ていたらどうおもうだろうかと空想する。それは理想と現実が乖離した状態での麻薬みたいなものだ。そしておれは《想像上の一体感を維持するために》スケープゴートとなり、家庭でも、学校でも、職場でも、最下位に置かれてきた。それを甘受してきた。成熟したナルシシズムへの助言がこの本にはある。
精神、心理の問題は医者にかかったところで癒えはしない。カウンセリングだけもだめだ。けっきょくは手当たり次第に文献を当たり、じぶんの問題を腑分けする必要があるということに、ふたたび気づかされる。
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市川雷蔵主演、森一生監督「ある殺し屋の鍵」を観た。前作に較べると脇役に魅力を感じない。話そのものも、主人公の脇の甘さ、油断がやたら目立つ出来。終始、物足りなさを感じた。なんとも煮え切らない映画。決定的な敗北もなければ、勝利もなし。主人公は殺しのテクニックには精通しているのだが、それ以外はまったくだめで、依頼人に殺されかかり、どうしたわけか、黒幕を殺すはめになり、そして、1カ所に、それもコイン・ロッカーに預けた金を発見されてしまうという情けなさ。かっこいいようで、実際は間抜けている。不測の事態というものをまったく考慮していないのだ。それでいて涼しい顔を決め込んでいる主人公のナルシストぶりが愚かしく見える。
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きょうは「CQB」のボーカルを再々録音。ミックスしてみたが、いけ好かない。もっと練習がいるだろう。どうにもじぶんの声の低音部が気になってしょうがない。くぐもった、ぶっかこうな声に聞こえるんだ。フィルターを幾重にも重ね、低音部を削って、コーラスも録った。以前、いったいどんな効果をコーラスに施したのかがわからない。再現できない。もどかしいおもい。けっきょくまた練習してから再録するということにした。
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あしたから忙しい10月。面接、金属バーの除去手術、歌集だ。金の工面、節約生活、筋トレだ。おれは過古のなかで思考するのをやめて、ファミリー・マートへいった。布引交差点でひさびさにドキリとしてしまう女に出会した。一瞬顔を背ける。そして歩きだす。ああいった女とどうやって出会えるのか。おれはもう肉体労働から足を洗おうとおもう。オフィス街にでも繰りだして、あたらしい暮らしを、暮らしたいからだ。
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