みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

おれの徒然〈11〉「もう、いやだよ」篇

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 希死念慮がぶり返している。春になるといつも、どうにも心身の安定がむつかしい。一昨日、届いたフィルムをさっそくだめにしてしまった。おれの手はあまりにも不器用で、フィルムの装填さえできない。歌誌が終わって、どっと疲れたのもある。酒が切れたのもだ。夢を見た。またしてもいまの住居を喪う夢である。こういった夢はなにを意味しているのか。どうだっていい。とにかく2時には眠った。10時に電話。そして11時過ぎて起きた。いまは茹で卵をつくっている。なにかと気が焦る。きのうの夜にblogを更新したものの、だれも★を入れてくれない。だれにも読まれていない。午後から肛門外科に受診だ。切れ痔がぶり返している。排泄のときはいつも血がでる。やってられない。治っているあいだに手術を受けりゃよかった。また検査して、様子見だ。でも治まったころには忘れてしまうだろう。おれはいつも忘れるんだ。

 

 

 物質的恍惚や陶酔は幸福を産まないことに気づかされる。室には多くの本やレコードがあるのに、それについて語り合う友人がいない。恋人はいまだにいない。もうじき40の鰥夫で、人生にもそろそろ陰りが見えて来た。できることと、できないこと、やりたいけれど、やれないことが見えて来た。多くの失意と欲望に遊ばれ、いまや臥所もない。身を曝して、それでも遮蔽物を探す羽目になっている。汚い室で、なんの対話もなく生きつづけることは苦しい。
 わが師は「文学をつづけろ」という。でも、その方法がわからない。そろそろ書けなくなって来た。きのうの夜、歌詞の断片を書いたが、それは文学ではない。短歌がじぶんにふさわしい生き方だとはいえない。たしかに作品とおれは不可分だ。しかし暮らしのなかには明らかに歌人でないおれもいる。そいつは惨めな人生をつづけているものの、継続の意思は乏しい。肉親ですら愛さないおれを、愛してくれる他人などいるのかとおもう。ライブ出演で出逢いを獲ようともおもった。去年、「DxQ」という小さなハコで1回やった。おれには弾き語りができなかった。練習不足もあるし、基礎的な不勉強もあった。それに客がいないに等しかった。次は電子音楽でもっと好いハコにでたいけど、機材が足りない。ルーパーとアナログディレイと打楽器だ。正直、いまは気分が乗らない。来月、ルーパーを買えたらいいとおもうだけで、物事に打ち込むには意思が弱すぎるんだ。モップスに「もう、いやだよ」という歌があるけれど、あれが聞えて来そうだ。

 

 ”ため息が雲になる”──キングブラザーズはそう歌う。おれもそうおもう。破滅と恢復との往復に疲れて、身を滅ぼしてしまった気分。あらゆる過去、あらゆる呼び名とともに明滅している信号機のまえで夜を忘れた猫が午睡をする時間。おれは惰眠を貪って来た。その咎を受け止められずにいる。時間は短い。アルバムのデモを2枚、EPのデモを1枚、あとは電子音楽を3枚分録音できたらいい。あとは絵でも描いて余生を過ごしたい。エネルギッシュな時代は過ぎた。去ってしまったものを呼び寄せる方法はない。
 現在は過去のじぶんに対しての仕打ちの結果だ。きのうもきょうもギターに触れていない。そういったことの積み重ねがいまをつくっている。40前後の孤立者たちにいいたいのは早めにじぶんの死について考えを深めろということだ。死が際立つほどに、やるべきことが見えてくる。といっても、これを書いているおれの気分はロウで、しばらくは変わりそうにない。いったい、どうすればいいのか。25日までは文なしで、希望はない。だれか、おれをパーティに招待してないだろうか?──生きる意味について過大評価していたのかも知れない。べつにすぐに死のうって気分じゃないが、文学を離れ、音楽面でそれなりにできなかったら、また考え直す必要もでてくるだろうな。 

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 ところで買ったばかりの本、早川義夫『女ともだち』をいくらか読んでみたのだけれど、このひとの文章は読んでいて楽しさというものがまるでない。本人が倖せであるということしか感受できない。それは作者の問題ではなく、おれ自身の幸福感覚のなさがに起因するんだとおもう。もはや妻を娶るとか、子供持つとか、そんな年齢を過ぎてしまったものとしては、だれの悲しみも雑音に過ぎないからだ。

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