みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

おれの徒然〈01〉


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 おれはどうにも詩の朗読というものが苦手で、そのうち片桐ユズル氏が西宮でやってるアレキサンダー・メソッドでも受けようとおもってる。片桐氏はオーラル派の詩人で、VA『ほんやら洞の詩人たち』というLPにも参加してる。それでもやはり気が乗らないので、AI学習でじぶんの声を使って、テキスト読み上げで、朗読音源をつくろうとおもった。いろいろサイトを見たのだが、どれも高価で手が出ない。というわけで、「OnSay.ai」のβ版でじぶんの声を録音した。ところが現時点でテキストの読み上げには対応してない。β版とはそういうことか。なんの役にも立たない。肝心の技術やプラットフォームはまだできてないようだ。

 今月頭に買った、復刻版『書を捨てよ、町へ出よう』を読了。造本に拘った一冊だが、取り立てていまの時代に通用する内容ではなかった。全体的に浅彫りで、テーマ性に欠ける。特典の栞に『青森県にせむし男』がないのはやはり「せむし」がひっかかったのだろう。わざわざ巻末に「差別」云々のくだらない但し書きがあるのが、なんとも苦々しい。寺山の云った〈奇形の祝祭性〉というものを、〈見世物の復権〉というものをなんと心得てるのやら。理解してるとは甚だ云いがたい。時代性や文脈を読めない人間が多数派なんだ。次に清泉堂にあった『時代の射手』を読むか。それとも『ドキュメンタリー「家出」』か、森先生に薦められてた『地平線のパロール』でも読もう。

 きのうはけっきょく図書館にいかなかった。ツェランでも読んで、次の詩集にそなえたかった。詩集の中核となる長篇詩を書きたかった。寺山修司『李庚順』、森忠明『母捨記』、田村隆一『言葉のない世界』のような詩を書きたい。『李庚順』について検索したら、昭和精吾の朗読CDが売ってた。寺山死後、'99年の録音というのが残念だが、金が入ったら買おう。記事を書く。夕餉に餃子をスープにして喰った。blogの閲覧数は35で、ようやく恢復というか、大逆転という趣き。