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'02年だったとおもう。国語の授業で短歌をつくることになった。当時車谷長吉などを読み耽っていたじぶんは業がどうのとかいう気どったものを提出した。そのあと、高校生歌集というものに教師からを参加を求められ、1首のみだした。反応はなかった。姉が嘲笑したかぎりである。それでも寺山修司の影響を受けて、短歌をつくりはじめた。'04年になって、わたしは師匠の森忠明に「田園に死す」の模倣を送った。すぐにかれから電話が来た。つぎは生活体験発表という学校イベントに参加を求められ、自作の短歌を交えて自己を語った。当時はすでに「新アララギ」で手ほどきを受けていた。寺山のほか、平井弘、村木道彦や塚本邦雄、浜田康敬が好きだった。
自責することの甘美を知りながらわれを責めつつ風のなかゆく
雨降れるひとひは室のくらがりにガラスのコップのみが美し
'17年からようやく投稿するようになった。歌篇「ジューク・ボックスの時代に」でほんの2首が研究に入選した。そのあともわずか2首が載るようになった。それからはずっと歌集をつくるためだけに短歌をつくった。'19年にようやく12篇ができ、足並みがそろった。
花車老いたれる陽よしめやかにいつか語れる憾みを持たず
外套のボタン喪う日も暮れるいったいぼくがなにをしたんだ
歌集「星蝕詠嘆集」の発刊につながった。完成するとさまざまな歌誌に送った。反応は貧しかったが、角川「短歌」がとりあげてくれた。
福士りか氏が《寺山の影響が感じられるものの、作者の感性が生かされており、平仮名の使い方も効果的である。繊細で、余韻の残るやわらかさがある》と書いてくださっている。師匠の森忠明からは「一貫したテーマに欠ける」という指摘もあるが、それさえ克服すればなんとかなにそうにおもってる。わたしは次の賞が終わったら、そこに手を入れるつもりだ。
石を探す石を探す石を探すさりとて埒もない河原の真午
発つ霧へふいにマッチをかざしたるわれは異国のひとかも知れず