腹が減った。きょうから禁酒のためにノックビン散薬を呑んでる。「短歌研究」及び「角川短歌」、どちらも脱肛した。できあがったということだ。角川は題名以外すんなりといったが、研究は何度も駄目だしを喰らい、ようやく出来た頃には最初の主題はほとんど残っちゃいなかった。まあ、よくあることだ。「古今和歌集」と寺山修司「月蝕書簡」を読みながら書いた。研究での主題は、初恋からの決別だった。最期にはおれのおもいとかの女の家庭生活になった。角川はこれといって主題はない。書きまくったなかから撰んだ。題名も研究とはちがい、すんなりつけることができた。
おれが短歌をはじめてつくったのは、17歳のときだ。国語の授業でだ。おれは一首、「全高校生短歌」とかいう冊子に載った。《潤う姿のきみおもう》という下の句だったとおもう。それから2年半、おれは寺山修司の作品を模倣した。そいつを森忠明に送った。かれから電話が来た。あとから聞いた話では、そのへたな短歌を読んで、本気で弟子にするつもりになったらしい。そんなところだ。しきりにかれはおれを「歌人」という。けれどもじぶんとしては短歌はいちばんじゃない。いまは小説と音楽のほうが上位だ。そういえばしばらくオイルサーディンを喰ってない。──さて脱肛したので、肛門を治そうとおもう。いい方法はないか?
「短歌研究」のための没歌篇
ぼくを撃つゆかこのひとりもうひとり紅茶を呑んで微笑んでゐる
遠ざかる青春さらばゆかこという夢を与えし十二の空よ
死がやがてやさしく包むだろうといい路上に積荷置き去りにする
放たれし拒絶のことば冬の夜のひとりのときのアマリリスかな
雨の降ればそぞろに歩き鼻を突くペンキの匂い黴の臭みは
ひらく夜ひとりぼっちに棲むままに暮れてゆかんか詩を口遊む
遠きゆかこの姿いつのまに冬の銀河に放たれていく
飛ばざるもの妬み苛む夜いつか無人のつばさゆかこともに呼ぶこともなし
さようならはつ恋われの飛ぶ空をゆかこみたいに流れる時は