みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

夜でなく、夢でもない。

 

      *

 屈辱の痼りを解きほぐしてくれるような他者がいない。積年の悪夢、そして中年の危機がわたしを追いかけている。なんだって、そんなていたらくに墜ちてしまったのか。じぶんの手を汚してまで生きてきたせいか、もはや他人のおもいを汲みとってやる情というものが非情へと変わる。わたしは臆病者、そして闖入者である。アルコールなしの生活をようやく1年過ごした。それはわたしが死ぬための準備だ。
 さっきまで障碍者支援センターの担当者が坐っていたスツールに腰掛ける。そしていままでやってきた表現の世界についておもいを巡らした。わたしは無名の作家だったし、歌人だった。せまい世界のなかでしか通用しないものを書き綴ってきた。あらゆる新人賞とは無縁だったし、結社や同人にも無関心だった。ひとと和合することがなりよりも苦手だった。
 もうじき夜が来る。早いことことを済ませようとおもった。しかし、まだこの世界に未練があり、そしてじぶんの創りあげたものが愛おしかった。決してだれにも好まれない被造物の塊りのなかで、ただひたすらに言葉だけが踊っている。わたしにはなんら使命はない。ただじぶんを肯定できない憂さを晴らそうと、虚勢を張ってものを書くだけだ。電話が鳴る。わたしはでない。目的を喪った躰が拒絶するからだ。
 とうとう罠に嵌まったらしい。くだらない感傷の染みついた指で、またもキーを叩いている。これじゃあ、切りがない。いままでの交流に終止符を打つべく、手紙をしたためる。1通、2通、3通、やがて26通もの手紙を書いた。虚しいばかりだった。しょせんひとはみずからが創りだしたもののなかでしか生きられない。呼び鈴が啼いた。扉をひらくと警官がふたり立っていた。
      区役所からの通報で来ました。
      あなたですか、自殺すると電話したのは。
 そんな電話はまだしていないし、まるで憶えがないことだ。                    いいえ、そんな電話してませんよ。
     嘘はよくないですよ、楢崎さん。
     こちらではもう確認がとれてるんでね。
    いったい、どこに確認を?
     それはいえません。
     さあ早く、下の車に乗ってください。
    はあ、わかりました。
    ちょっと待ってください。
 財布と鍵を持って階下へむかった。パトランプの消えたパトカーが1台駐まっていた。男たちはわたしの背中を支えるように手をかけている。そしていっぽうがドアをあけ、いっぽうがわたしを押し込んだ。やがてふたりは前部
坐席にいき、エンジンをかけてスタートを切らせた。たどり着いたのは埋立地で、そこには1台の机と、PCがある。そして書きかけの文章が表示されてあった。まぎれもない、それはわたしの遺書だった。
      さて、作家さん、あんたの死に際を看取ってやるんだ。
      書けよ、あんたの最後のおもいをな。
      ほら、早く坐れ!
 ひとりの警官が銃を抜いた。初めて見る。ニューナンブM60の銃口だ。ところで、ニューナンブM60は、《新中央工業(現・ミネベアミツミ)社製の回転式拳銃。'60年より日本の警察官用拳銃として調達が開始され、その主力拳銃として大量に配備されたほか、麻薬取締官や海上保安官にも配備された。生産は'90年代に終了したが、現在でも依然として多数が運用されている》。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。
 わたしはすっかり観念してしまっていた。痺れるような感触を背中にして、椅子に坐り、PCのキータッチを確かめる。いい感触だ。深いキー・ストロークがなんともいい。わたしはいともたやすく遺書を書いた。それはこんなものだった。

      *

 これがひとに読まれているということはわたしが死んだということだ。もちろん、この紙片は法的拘束力のない、ただのざれごとに過ぎない。しかし、わたしはわたしの存在について少しでも始末をつけておくためにこれを遺す。
 わたしの人生は、索莫そのものだったといっていい。多くの犯罪、多くの暴力、多くの卑語・猥語、無知の露呈、過剰な発言は幼少期に発露した疎外、暴力、無愛の賜であり、尚且つわたしの虚無を隠蔽するための行為だった。いまやわたしは長年の愛着障碍、アルコール嗜癖、浪費と蒐集によって葬られようとしている。わたしは愛を知らず、友を知らず、そして精神的な充足もなく、ほとんど多くをその場限りの刹那的な消費と表現で補って来た。しかし、それももはや終わることにただただ喜びを感じるだけだ。想像して欲しい、家族愛も周囲の理解もなく、ただじぶんの問題にふりまされた挙げ句、アルコールの魔の手に掴まれた、無知な男がじぶんや他人できることはただべつの問題をつくりだし、それを口実にすることでつねに本質から逃れることだ。じぶんを注目に置こうと無益で無残な花を散らすことだ。満足な知力も、基礎学力もなく、学歴もなく、人間関係も不在ななか、できることはただつくることだった。みなにわたしの虚無を識ってもらうために、気づいてもらうために。わたしはただ寂しかった、心から充たされたかった、愛に触れたかった、できることはなにもなかった。家庭内の孤立と、社会での孤立、片思いと失恋、社会人としての逸脱、みな望まぬものが襲来した。親の無責任な多産がわたしを経済的に追いつめ、肉体をも締めあげた。そして徒手空拳のまま、社会へと送られ、わたしはわたしらしくないところをたださ迷った。多くのひとがわたしに怒りと軽蔑、嘲笑を捧げた。心は蝕まれ、怒りと憎悪で充たされた。本来、学びたかったことも遠ざかり、なんども煮え湯を飲まされた。そしてその憎悪が28歳で爆発した。心は手遅れだった。いまとなってはなにもかもがむなしい。みながわたしをきらった、みなが去ってしまった。といってもかれらはわたしの作品など、わたしの虚無など欠片も識らないが。
 個人的な憎悪にはもう用はない。ただこの展望を失った道の半ばで、わたしはこんな男でも救われたいと願うだけだ。13歳からずっと抱えていた空想をきのう断捨離した。だれかがわたしを観ているという空想だ。あるいは思考を読んでいるというものを。いつも特定のだれかをおもい浮かべたものだ。しかし、それはわたしという無色の、乖離した自我に、他者という色を塗ることだった。ひとりでいるとき、ずっとあたまのなかには他人がいるとおもいこんでいた。学校のだれかとか、職場で一緒だったやつらとか、わたしはかれらかの女らを愉しませようと演技していた。ずっと、ずっと、ずっとね。ほんとはわたしの心のうちを識ってもらいたかった。わたしに興味を抱いて欲しかった。わたしもけきょくは「心は淋しい狩人」だったのだ。
 わかりあえないもののなかにいて、ただ声を奪われて、わたしは舞台に立っていた。長い芝居だった。もはや、すべてのことがどうでもいい。古い野心が胸から両手から零れ落ちてゆく。こうなるとわかっているのなら、少しでも清潔で、勤勉で、過ぎ去るものに笑みを送ってやればよかった、もちろんアルコール抜きで、だ。

      *

 書き終えるころには朝が近かった。だが警官たちは微動にしない。拳銃はわたしを狙いつづけたし、わたしはまたもじぶんの世界に陶酔していた。じぶんの創りだすものに酔っていた。
      よし、それでいいだろう。
      最後の晩餐といこうじゃないか。
 われわれはまたしてもパトカーに乗った。そして明け方の街を疾走した。
      なあ、あんた、ずいぶんと落ち着いてるじゃないか?
      おれたちがあんたの希死念慮をどうやってキャッチしたか、知りたくないのか?
    わりと、どうでもいいね。
    もう死ぬんだから。
    でも、まるで死が先回りをしてるようだね?
 ふたりは目配せをして嗤い合った。胸糞がわるくなる。
   もちろん、おれたちの正体は死そのものだからな。
   いままでに大物小物にかかわらず、死を願ったやつらを殺して喰って生きてきたんだ。
   おれたちは人類の心のなかに棲んでいる。もちろん、きみのなかにも、きみの愛しいひとたちのなかにもだ。
 やつらは制帽を脱いだ。顔がなかった。黒い霧の塊りが漂っているに過ぎない。わたしは慄然とした。でも、それをおもてにはださなかった。だせなかった。この車はいったい、どこにむかうのだろう。最後の晩餐とはなにか。いろいろと疑問は尽きなかったものの、なにから話せばいいのかわからなくなっている。
   まずは酒にしようぜ。
   もう1年も禁酒だったんだろ?
 終夜営業のリカーショップで車が駐められた。おれはたったひとりで酒を買った。電気ブランとシロック・ウォッカだ。口のなかが唾液でいっぱいになる。飲酒の欲求で脳髄がはち切れそうだ。たしかに1年は長かった。しかし、実際に酒を手にとってみれば、そんなもの一瞬のように感じられる。
   なにが喰いたい?──いや、そんなことはわかってる。
  この時間は鮨屋なんか開いてないよ。
   心配御無用!──いい店があるんだ。
 運転しているやつがなにかのボタンを押した。すると、車体がゆっくりと浮上し、そのまま空を貫いた。心臓が倍になったような感覚が襲う。腕時計の針がみるみる上昇する。そして強い衝撃で、わたしは気を喪った。気づくと、車から降ろされ、わたしはかつてのように『江戸前握り えびす』のまえで立っていた。黒い霧がわたしをとりまいていった。「金はおれたちがだす。あんたは好きなだけ喰えばいい」と。店は開店していた。わたしは入る。そして1時間ばかり喰い尽くした。気づくと霧はその姿を警官に変え、おれをまた車に乗せた。そしてそのままアパートにもどった。室まで連行されながら、わたしはだんだんと死ぬのが厭になってしまっていた。
   作家さんよ、死ぬ気をしっかり持って生きろよな!
   そうだ、おれたちが憑いてるんだからな!
 これはわるい冗談にちがいない。だいたい死がなぜひとのかたちをして喋ったりするんだ? そんなものに必然性があるものか。わたしは腹が立って来た。室のなかには尊厳死のために用意した、ヘリウム・ガスがある。チューブや、イグジット・バッグもある。やつらはおれに酒を差し出す。とりあえず、電気ブランをロックでやった。死にかこまれて宴に興じた。そしてシロック・ウォッカだ。葡萄からつくられたフランス産の酒だ。大変美味だった。睡眠薬を2週間分嚥んだ。バッグをかぶる。チューブを差し込む。紐で首を縛り、ベッドに横になる。死がわたしのモジュラー・シンセをしずかに鳴らす。もうひとりの死がガスのバルブをひらく。やがて意識が遠のき、酸素がなくなり、わたしは死ぬ。死ぬ。死ぬ。
   もういいだろう!
   そうだな。
   照明をつけて!
   カーット!!
 死ではない、なにかの声がひびいた。わたしが眼をあけて起きあがると、見も知らない劇場にいた。とても古い建物で、内装はひどいものだった。罅や汚れ、黴や、死の臭いがした。明るい照明のなかから男たちがやって来た。
   いい演技、いい人生だったよぉ。
  え、そうですか?
   ホントホント、いままでいろんな死を監督してきたけど、これはモノホンだねぇ。
  ありがとうございます。
   おい、ミホちゃん!
   メイク室に案内して!
 「はぁい!」という声がして、そのミホちゃんがやって来た。ハタチ前後の女の子で、なんだか愉しそうだ。駈け足でやって来て、わたしをメイク室に連れて行った。そしてわたしの顔から死に顔を拭い、衣装を替え、別室に連れてゆく。長い廊下を、真っ白な廊下を歩いていったさきは第3スタジオと書かれていた。なかを覘くと数千ものひとびとが犇めいている。ミホちゃんがわたしにアコーディオンを手渡す。
   みなさん、もう演奏準備に入ってますから。
  え?
   楢崎さんもみなさんと一緒に演奏してください。
  おれ、アコーディオンなんて触ったこともないんだけど。
   大丈夫、ここ、地獄ですから。
 そういうと、ミホちゃんはいなくなった。というか、消えた。なんやねん、これ。なにが大丈夫やねん。わたしは老若男女とともに列に加わった。指で鍵盤を叩く。まるでじぶんの思念に従うように楽器はわたしの思い描くとおりの音を奏でている。なんてこった。やがて全員の思念が一致してひとつの音楽になる。わたしは──いや、おれはもう虚飾を脱ぎ捨てて、一心に弾く。美しすぎる情景がスタジオに広がる。でもこれは夢じゃない。おれの頭に仕込まれたキーボードとPCにひとつの物語が書き込まれてゆく。なにもかもまったくあざやかな色をして回転する。ミラーボールと心臓がまぐあい、そして同一化する。いままでになかった演技論、映像論が生まれる。カメラがパンニングを繰り返す。法衣を来た撮影隊が特殊効果を醸す。われわれは決してひとりではないんだ。『崩壊概論』も『敗者の祈祷書』もいまや必要にない。まばゆいばかりの光りがスタジオを包み、死のもっとも明るい場所で疾走する。いまや、おれに見えるのはかつての人生ではない。現実の死だ。そして自我が消え、超自我へと変わるだろう。みながみな量子としてぶつかりあい、あらゆる悲しみを突き破って、エネルギーの点に変わる。おれの夢、おれの所有物、おれの作品、おれの日記、おれの室、おれの死体、おれに科せられたあらゆる裁き、そんなもの、もはや、どうだっていい・・・・・・。

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