みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

アルコールはもはや、

 

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 アルコールはもはや、かつてのように気持ちのよいものでなくなった。かならず連続飲酒と悪酔いが待ってる。つぎの朝には起きることもできない。だのにやめることができないでいた。あたらしい仕事が決まった11月20日の朝、おれは寝過ごしてしまった。バスは8時10分に出発する。だのに時計は8時26分を指してた。おれは電話をかけた。人足寄せの男に話した。
 「バスを逃してしまったんです」
 「ロータリーでバスがわからなかったんですか?」
 「ええ」
 「わかりました。――じゃあ、交通費持つので岡場までいってもらえますか?」
 「ええ、いきますよ」
 おれは湯浴みした。そして着替えると慌てて、地下鉄にむかった。¥680払い、新神戸から岡場までの切符を買った。9時に谷上に着いたものの、三田方面の列車は20分まで来ない。ベンチに坐って朝餉にカレーパンを喰う。おもったよりもひとは多かった。やがて列車に乗って、ゆられる。車窓の眺めはどにょりとしてた。小雨が降って、靄がかかった窓を知らない町が過ぎていく。やがて岡場に着いた。改札をでる。この土地に来るのはいつぶりだろうか。公衆電話を探してそとを歩いた。生憎とロータリーのやつは故障中の紙が貼られてた。デパートへの階段をあがった。それからストリート・ピアノで映画「ベティ・ブルー」のテーマを弾いてみた。時間がない。ほんとうに時間がなかった。北区役所分所がちかいのをおもいだして、むかった。入り口の奥まったところに、公衆電話があった。
 「もしもし、いま岡場です」
 「どこにいます?」
 「役所のなかです」
 「え?」
 「電話を探してたんです」
 「じゃあ、改札でたところで会いましょう」
 おれは切って、改札まで歩いた。デパートはイオンになり、テナントにエディオンが入ってる。改札向かいのスーパーでは服を売ってる。支柱に20円置いてる。やがて担当者が来た。身ぎれいで洒落好きといった感じだった。凝った柄の上着に、シャツ、ズボン、目立つ時計。そして車はフィアット500だった。内装もしゃれてる。おれはかれの車で工場へいった。ここには23歳のときにも仕事でいった。お歳暮の見本品の仕分けだった。あれから13年も経ってる。
 「弁当はありますか?」
 「ええ」
 「まずはこの2階にいってタイムシートの記載をお願いします」
 工場のそばにある建物をあがった。錆びだらけの階段を急ぎ、室のなかでタイムシートに時間となまえを書いた。給与の振込先を報せるための書類をもらった。それから薄いジャンパーを着、そとに降りた。
 「軍手、ありますか?」
 「ありますよ」
 「じゃあ、とりにいきましょう」
 またしても階段をあがった。鞄から軍手をとって降りた。倉庫に入ると、いやに寒かった。冷たい空気のなかをふたりして歩き、それから作業場に入った。もう1時間ぐらい遅れてる。担当者が挨拶をする。おれは頭をさげて、作業に入った。まずはピッキングだ。冷凍倉庫のなかから、伝票の品を持って来るだけだ。ひとりの老人がおれに仕事内容を教授する。倉庫はたまらなく寒い。借りもののコートを着て、おれは働いた。1時間ほど、それをやって、あとは使用済みの凾を折りたたんで、カゴ車に積む作業に移った。そいつはなかなか終わらなかった。12時35分になってようやく終わった。腹が減った。運のわるいことにおれが昼餉のために買ったのはハムだけだった。ハム工場でハムを喰う。それから便所を探してあたりを歩いた。見つからなかった。仕方なしに倉庫街の食堂へいこうと歩いた。どこにあるのかなんて、もうわからなかった。けっきょく野球場のゲートのかげで済ました。それからエナジードリンクを自販機で買った。小銭がなくなった。帰って、仕事にもどった。
 やることといったら、ずっと段ボール凾の折りたたみと積みあげだった。おれの頭のなかでずっとandymnoriの歌が流れてる。歌いづらい歌だった。おれはずっとずっと節回しが、リズムが憶えられないでいた。やがて3時30分の休憩。それが終わってもどるときだった。おれはジャンパーを忘れた。引き返す。今度は軍手を忘れた。リーダー格の人間にいって、取ってくるのを赦してもらった。そして工場をでるとき、おれは通用口がわからなくなってしまった。
 「なにしてるんや?」
 作業員がおれにいった。
 「出入り口がわからないんです」
 男は倉庫のほうを差した。
 「いや、そとにでるところです」
 「あそこだ」
 おれは歩いてった。紐でゲートをあけた。そして通用口にいく。慌てて軍手をとって、作業場に引き返した。ほかの男がおれの仕事をやってる。気まずくおもうも、おれは作業にもどった。なんどか積み方がわるいといわれながら、仕事を終えた。そとにでる。休憩室にあがる。ジャンパーを脱ぎ、紙の帽子を脱ぎ、ロッカーの荷物をだした。それから降りてバスを見た。右端に三宮いきのがある。乗って最前席に坐った。暮れていく冬の姿。まあ、港湾労働に較べればマシなほうだろう。保冷室はキツいが、長時間いるわけじゃない。あと2千ふらいしかない。帰りに食料でも買っておくのがいいだろう。だって27日まで、金はでないんだから。バスが動きだした。北にむかって進む。あたらしいコンビニエンス・ストアができてる。ふるいほうのコンビニも健在だ。道は高速に入った。願わくば18時まえについてATMの受付時間に間に合うことだ。
 時間を見ながら到着を待った。「生田川で渋滞」という電光掲示が過ぎる。バスはトンネルに入った。三宮にでると道路はつまってきた。何台ものバスが犇めいてる。やきもきしながら坐ってると、バスはミント神戸につづく歩道橋のまえで停まった。降りた。歩道橋を渡った。ATMで持ち金をいれた。岡場駅で拾った20円も含めて。
 おれはそのまま大安亭まで歩いた。業務スーパーで昼餉のためにカップ麺を買い、帰った。日暮れた通りを疲れきったからだで歩き、アパートにもどった。開けっ放しのドア。点けままの灯り。おれは湯浴みに服を脱いだ。熱々のシャワーを浴びてるときだった。電話が鳴りだした。鳴るにまかせて湯を浴びつづけた。終わって、タオルをかぶって電話を見た。たぶん人足寄せの男だ。そう決めつけて電話した。
 「もしもし、楢崎ですが」
 「ああ、ずっと電話してたんですよ」
 「はあ、すみません」
 「バス、何時に到着しました?」
 「17時50分です」
 「ロータリーのところですか?」
 「いいえ、帰りはちがう場所でした」
 「そうですか。それとうかがいたいんですが、きょうって途中退出されました?」
 「軍手をとりに控え室にもどったことはありますが、許可をとってです」
 「そうでしたか、先方さんから無断で途中抜けたと聞いてましてね」
 「そうですか」
 「それでですね、あしたからの勤務はなしということで」
 「ええ」
 「あちらさんもうちはきびしいところやといってるので。ちょっと今回は適性ではないとうのが結論だときつくいわれまして」
 「わかりました」
 「もしね、楢崎さんさえよければ似たような案件があるんですが、灘方面で、午から6時間ほどの仕事なんですが」
 「ああ、でもいま交通費の持ち合わせがないんです」
 「そうでした。交通費でしたね。給与と合わせて払うので銀行口座、いまいいですか?」
 ほとんど感情の変化もなかった。おれは事実を事実として受け入れた。もっといえばどうでもよかった。おれはすっかり社会性のない生きものになってしまったんだから。口座を教え、おれは残金¥990の使い道を考えた。またしても酒を呑むほかにないようだった。きよう抗酒剤を嚥んだというのに。滑稽な、異端の鳥みたいにおれは嘴をあけて、次の餌を待つほかにできることはなさそうだった。暮れた窓のなかで、滑稽な水掻きのように腕をふりました。右の拳が壁に当たって、すりむいた。生きることはむずかしい、特にじぶんに備わった以上のものを求められてるときなんか。おれは腹ばいになって、なにも考えずにいた。それから起きてクレジオの「物質的恍惚」を読みはじめた。この本はむつかしくはない。でも、いまのおれが読むにはぶ厚すぎた。買って読みたい。もし金があるのならば。じぶんに与えられた天性の懶惰、そして非適応性、それらの両腕に組み拉かれておれはまたしても徒寝のなかで眠った。夢には女すら登場しなかった。おれは「女が欲しい」が口癖になってる。でも、それを本心から求めるときはもうすでに過ぎ去ってた。ただじぶんがひとりぼっちでいることに飽きあきしてるだけだった。やがて入るだろう金と、つぎの仕事のために夕餉は喰わなかった。

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