みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

ビートルジュースの喇叭呑み


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 おもえばあのときはひどく酔っていた。──もちろん、そんなことはいいわけにならない。──けれども道中ずっと呑んでいたのはたしかだった。──おれは過去から逃れようとする一匹の鼡でしかない。──そしてかの女は遠くの土地で、きっとおれを軽蔑しているだろうとおもった。──でも、──かの女こそがわが藝術のミューズであり、──ファム・ファタールなんだ。──かの女がおれを拒絶したからこそ、──おれは詩をより多く書いたし、曲も書けた。──もしも、──もしもかの女がおれに好意的で、「いい友達でいましょう」などといわれていたら、──おれはいまごろ骨抜きになってなにも書けなかったにちがいない。──かの女の意思がどうであれ、──かの女がおれのイメージの原点であったことはあきらかな事実だった・・・・・・。
 おれはあの日は朝から酔っていた。そして列車に乗った。神戸線から福知山線へ。尼崎から西宮名塩へ。そこでバスに乗って、北六甲台を目指す。西宮のやぼったい雲の許、どうしたものか、手前の養老院のまえで降りてしまった。酔ったまま、養老院で道を訊く。女たちがやさしく教えてくれて、おれはまたバスに乗った。バスが丘の上をゆく。おれは停車ボタンを押した。降りたおれをバスが追い越す。小さな砂塵が舞い上がる。そのなかを進み、理髪店のまえで停まった。そしてドアをあけた。テレビで見たことのある男がいた。福知山の事故で母を失った男だ。いまでは理髪店の主をしていた。
  こんにちは、ナカタといいますが、
  いまさらながらお悔やみをいいに来たんです。
 男は戸惑った顔でおれを見た。当然のことながらだ。
    小学生のころ、この店で髪を切ってもらってたんです、それで。
      そうでしたか。
    いちどあなたのお母さまに剃ってもらってるとき、
    動かないでといわれたのに、動いてしまって、
    切ってしまったこともありました。
    あのひとはとてもやさしいひとだと記憶に残っています。
      それはありがとうございます。
 かれは引き攣った顔で答えた。おれはまわれ右ででて、北六甲台小学校にむかう。おれはずっと成人記念に呼ばれなかったのを怨んでいた。ほんとうなら、そこでかの女──佑衣子とも再会できたはずなのに。おれは担任を怨んだ。佑衣子との接点を破壊した男を。小学校の終わりちかく、かの女がおれにくれた、自己紹介のカードにおれは悪ふざけの替え歌を書き、そいつをやつが取り上げたんだ。そして「だれにもらったのか」を執拗に問い糾した。やがておれはかの女だといい、やつは、──浜崎はかの女を教卓に呼びつけた。おれの眼のまえで、かの女がなにかいわれている。でも聞き取れない。恥ずかしさと怒りでいっぱいになったおれはけっきょくいない存在にされてしまった。おれのカードだけが棄てられてしまったんだ。
 いつかの夜、おれは小学校に電話をかけ、浜崎をだせとわめき散らした。いまとなってはどうだっていい。それでもそのまま校舎に入って、職員室にいった。校長らしい小男がせっせとマスを掻いていた。剥きだしになった男根が凋れた茄子みたいだ。
    これは失礼。
      あなたは?
    卒業生で、作家です。
      サッカー?
 まあ、そんなところです。
      なんのようですか?
 吊りズボンを直しながら小男がいった。ほかの教師たちはみな授業中だ。やつはなにごともなかったかのようにこちらへむかって来た。
    ‘97年の卒業なんですが、浜崎先生っていまどうしてます。
      あの方なら、数年まえに亡くなりましたよ。
      九州で。
    あ、──そうですか。
    わたし、タイムカプセルの掘り起こしに呼ばれなくて、
    心配してたんですよ。
 やつはなにもいわなかった。おれはまたもまわれ右だ。ほかにいくところもなかったから、寺島京成の家にいってやろうとおもった。やつはおれから借りた子門真人のレコードを疵物にして返して来た塵野郎だった。やつの家のまえには車が3つも駐まっていた。やつを叩きのめしたい気分だったが、できなかった、呼び鈴も鳴らさずに歩いてゆくと、村上佑衣子の家があった。ここには1年まえにも浪越彬と通ったことがあった。あれから1年、まったく早いものだった。あれから数ヶ月でバー・ロウライフの仕事は辞め、夜勤の倉庫で金をつくり、東京や青森、新潟へいったんだ。けれども、いつだってかの女のことが頭にあった。どうやっても忘れられないものがおれのなかにあった。まさに軛のようにかの女についてのおもいや、記憶がおれを縛りつけている。こんなにも溢れるおもいをどうすることもできなかったからおもわず、呼び鈴を鳴らしてしまった。酔って莫迦をやっているのは明らかだった。
  もしもし、佑衣子さんの同級生のものですが。
   佑衣子はいませんよ、わたしはかの女の祖母です。  
  それでもいいんです。
  かの女に謝りたいことがあるんです。
 あとは訳がわからなくなった。玄関のまえで土下座をしたり、挙げ句には怒声をあげた。「みんなして、おれのことを莫迦にしてんだろう」とかなんとか、正直にいえばまったく憶えてない。もったいないことに。憶えていればもっと書くことがあったのに。やがて近所らしい太った男がやって来た。
   うるさい!
    黙れ、おれは佑衣子にいってるんだ!
      佑衣子はおらへんのや!
      警察呼ぶぞ!
    おお、呼べよ!
 パトカーがすぐにやって来た。酔いどれたおれは黙って乗り込んだ。警官どもはおれのアルコールに気づきもしない。車は有馬警察署ではなく、西宮警察にむかって走る。ずいぶんと遠い道程だ。やがて警察署に着いた。おれの始末がストーカー規制法に反すると決定されても、ずっと軟禁された。おれはなんどもジューズを呑んだ。ビートルジュースが飲みたかった。ところがどの自販機にもそれがないと来る。まったく泣ける話になりそうだった。おれは犯行理由を、「むかし、かの女にいじめられてた、謝って欲しかった」といった。なんともお粗末だ。──おれは過去から逃れようとする一匹の鼡でしかない。噫。──そしてかの女は遠くの土地で、きっとおれを軽蔑しているだろうとおもった。──でも、──かの女こそがわが藝術のミューズであり、──ファム・ファタールなんだ。──かの女がおれを拒絶したからこそ、──おれは詩をより多く書いたし、曲も書けた。警官どもは怒るでも叱るでもなく、おれと一緒にテーブルを囲み、なにもいわないでいた。犯罪の臭いがどうしたものか、しなかった。これまでいろんなことでサツに捕まって来たものの、いまのはどうしてか、ずいぶんとのんびりしてしまっていた。弛緩した場面がひたすらつづく映画、緊張を失った芝居のごとく、人生がつづいてゆく。
 夜も更けてから、お偉い方がいった、──「きみを家まで送る」と。なんとも贅沢な処遇だった。だって、とてもこの警察署から家まではもどれなかたから。若いのと、老いたのとがおれを高速まで使って送った。帰り際、若い警官がいった。──「きみは作家なんだって? 本はでてるの?」と。
    キンドルでだしてますよ。
      じゃあ、チェックしておくね。
 最初から最後までおれが酔ってることに、だれも気づかなかった。おれは冷たい扉のむこうにある、わが室に入った。それからまた酒を買って、呑み直した。まったく、恥ずかしいかぎりだった。これでまた佑衣子には貸しができた。おれはもうかの女のことを書くまいとおもった。それでもそれからの4年のあいだ、いったい、どれだけかの女のことを書いてきたのか、わからない。この掌篇にしたってそうだ。おれのなかでひるがえる宇宙──それが佑衣子だった。燃えるような男の内奥を照らしてくれる幻想、少年性、そのものがかの女だった。繰り返すキックと、直線的なベースのリズム、南無阿弥陀仏を唱える方法、ありとあらゆる索莫のなかを現れては消える影、それもみんな佑衣子の仕込んだ罠だった。おれは辞のなかで瞑目する。それがかの女へのサインだ。
 はじめてきみを見てから、きみがずっと好きだ。きみの短い黒髪、そして膨らみ過ぎた乳房も、遠い静かな故郷の歌のように、なにもかもうそに染まってしまうまえに、もう1度、おれを罵ってくれ。ただそれだけの夢のような小説を描こうと疾駆する馬たちが、8番レースの終わりで、しみじみと落馬を起こそうと足掻くのだよ。

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