みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

おれの徒然〈23〉「くたばれ歌会」篇

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 きのうの21時から歌会ということで配信したものの、けっきょくだれも短歌を詠まないという事態。ほぼ全員が詩人だ。詩はかったるい。他人の詩を読むのは苦行に近かった。恥ずかしい歌会だったとおもう。おれは歌人との繋がりが乏しい、そしてそれを告白して歩いているようで気まずかった。

 ビーレビに歌篇『ルードボーイたち』を投稿。でも、おれなんかお役御免だった。なんども寝た。7時半に起きる。朝餉。すぐに朝餉、11時過ぎまで眠った。ビーレビ、またも「おまるたろう」と名乗る人物がコメントを入れている。

 わびしい独身者のかっこつけモノローグ(Vシネ風)といった趣ですけど、
 詩としての崇高さが足りない。
 「オナニーをしても 独り」みたいな歌をさいごに入れてほしかった。

 ホットパンツ違法改造ケツまる出しおもわず一句詠む夏はきぬ
 汚丸太郎

 こういった人間にはなにかいうべきなのだろうが、おれは疲れ切ってしまっている。ネット上でくだらないやりとりをしたくないし、そのために魂しいを切り崩すような真似はもう厭だった。それでも返しのコメントを考えてみた。

 前回の「懐メロ」の次は「Vシネ」ですか。それがあなたにとってひとを腐す最強の武器なのだろうが、低劣な印象づけでしかない。「詩の崇高さ」とはなにを差すかがわからない。そしてそれがどう「オナニー」と繋がるのかもわからない。これまでの作品で、勃起や射精について詠ったこともあるし、それが今作にはないというだけだ。なお、「XXして欲しい」というが、じぶんが観たいとおもう世界はじぶんでつくるしかないというのがわたしのなかの定理である。だからわたしは書いて来たし、「じぶんだったら」を作品で示して来たつもりだ。

 それでも、おれは返信を投稿しないことにした。レスバなんて野暮なことは避けたかったし、森先生から《ネットでゴチャゴチャやるな》といわれているのもある。とにかく疲れた。こういったひとを虚仮にするのが得意なだけのカーカーたちに餌を与えることはしたくなかった。というわけで、終わりだ。詩人とはとにかく厭な人種で、じぶんさえよければそれでいいのだ。たまにXのアカウント名で、なまえ+(詩人)という手合いがいる。作品といえるものはなくて、あるのはネット上の書き込みだけだ。あるいはnoteなんかて作品名+【詩】なんてのもいる。詩であることが、なにか特別であるかのようにかれらはいうが、なんのことはない。ケツの穴に白粉をふっているだけだ。内容と呼べるものがない。詩人あるいは詩であることによって、なにかを免れようとしているようにしか、おれには見えない。

 とにかくネット詩はゲームセットだ。希に好い詩もあるが、ほんとうにごくごく希だ。探すのは骨が折れる。おれがコメントつけている最新の作品を見るといい。ふたつの詩がよかった。かれらが詩を出版するのかがわからない。かれらにおれができることもあるかも知れない。ただもうこのあたりで降りるのが正解のようだ。おれにとって文藝は歌誌『帆(han)』だけでいいとおもう。歌集も未刊行歌集をまとめたら、もう終わりでいいかも知れない。生きているうちにだすのは少なくたっていい。

 

www.breview.org

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 まちがっても死後の名声なんてものを信じない。生きているうちにやれることをやっておく、それだけでいい。そして見返りは生きているうちに欲しい。おれにとって詩は終わった。現実の再現ぐらいのものしか書けなくなってしまったからだ。短歌のほうがよっぽど自由に見える。日常の祝祭化ができるのは定型詩文だけだ。歌会については「くたばれ」としかいえない。そんなものは旧守的な寄り合いでしかない。合評で伸びるひともいるだろうが、おれはそうじゃない。いつもいつも「おれだったら」を実現してゆくだけでいい。ビーレビのコメントがきっかけ始まった歌会を、ビーレビの投稿をきっかけにおさらばするのは実に滑稽な過程だが、これでいいとおもう。しばらくは詩人という人種のいないところでものを考えたいからだ。

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