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指で以て詩を確かめる未明にてレモンピールを浮かべたそらよ
夢のなかに愛しきものはありはせず河の流れが頭を伝う
荒れ地にて花を植えたり詩語などつつしみながら丘を下れり
待っている 果樹園にただ燈火が点るゆうべをおもい焦がれて
草萌ゆる夏の光りのただなかに忘れられいし石碑の供物
もはやひとに与えるべきものあらず石蹴りながら夜を望みぬ
観覧車まわりながらにめぐりゐてわがおもいでを掻き乱す夜
恙なき式日ありぬ少女らが舞を踊ったひざかりの土地
夏の貨車やがて停まりぬ遠くにてガラスの荊いま解かるる
逆噴水眺めながらに滅亡す友人たちのゐない世界で
時が死ぬ暁知らず故知らず心のなかのきみが見えない
めぐりたる星の羅針が定まらぬきみの両手の運命線よ
声あらば吼えよという声がして一瞬夢のなか立ち止まる
探してる きみの匂いがまだ残る路上の果ての未舗装道路
過去ばかりわれを苛む夜遙か孤立無援の花咲き誇る
梨の樹が死せし未明よ夏枯れる男のなかの季節がゆれる
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〇歌論のためのノート
行為としての詠み/歌を詠むという行為は雑駁な感情の発露であってはいけない。みずからの内部に発生した世界そのものを詠むべきだ。そこへきみの内的象徴、内的季節というものを詠み込んでゆくなかで自然な歌というものが立ち現れてゆく。そして行為であるからには対象が要る。社会か、それとも身近なだれかか、相手の詠み人を設定することで歌は強度を増す。歌とは一種の挑発行為だ。しかしゲンスブールがいうように「挑発に人間性を忘れてはいけない」。そして書いた以上は他者や時代と共有し、次のステップへ進むしかない。