みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

歌集準備稿(1)

 

ヘンリー・ミラー全集


    *


 わがための墓はあらずや幼な子の両手にあふる桔梗あるのみ


 いつぽんの麦残されて荒れ野あり わが加害 わが反逆


 暴力をわれに授けし父老いる 赦さるることなきわれの頭蓋よ


 青すぎる御空のなかをからす飛ぶ 去りぬおもいを飛びぬけながら


 葉桜もちかくなるかな道のうえ鳩の骸をふいに眺むる


 平鰤の刺身を友にして夜は輝くばかり女のように


 ひだまりのなかで瞑目する晌たしらしさにだまされていて


 蛇泳ぎ毒撒く父のうしろにてもっともやさしいときを失う


 母性といえば空箱おもうくらいの朝が来てひとりのギター爪弾くばかり


 父権といえばわれを受け入れるもの ただしく去勢されてゆくわれも


 愛語なきまま暮れゆく晩年よ古帽子のごときものかな


 望むのは不在の灯り われのみを温めて慰めるものなり


 ぼくもまた充たされながら誤解する花のなまえの由来について


 中古るのガットギターが吊さるる解剖美術図鑑の上を

 
 街歩む青葱色の外套に過去のすべてをまきあげてゆく

 
 装丁家校閲係印刷工作者の悪夢いま売りにでる

 
 銃後にて向日葵が咲く戦いのむなしさなどを嚙みしめるのみ

  
 胡葱のような素足でバレイする少女のひとり暗闇に声


 忘るたび立ち現るる初恋のひとのうしろをしばらく見つむ


 午睡するわが胸寂しいま深く棺のなかをゆられるばかり


 春菓子の匂いのなかに過去を見る男の頭蓋いま回転す


 花どきの督促状や森をでるかつてのように裁かれながら


 旅枕玻璃戸のなかに父母たちの悪霊ばかり見し夜よ


 くれないのまんこ閃く花の蜜滴りながらやさしく嗤う


 天秤のうえを切なくゆれる石わが魂しいの代わりなりたり


 草原に馬が一頭走るなかソーダ水の泡が消えゆく


 時沈む軍国兵士募集広告日当¥52,000より


   *


死はいずれ


   *


 葡萄の実が爆発する夜 ふいにわが腿のうらにて蜘蛛が這うかな


 数え切れない亡霊とともにフランクル読みし夜


 翳る土地 窪みのなかに立ちながら長い真昼と呼吸を合わす


 悪しき血がわれを流ると大父の言葉を以て出るかな 家を


 瘤のある人参ならぶ店先にわれはたたずむ人参のごと


 地下鉄にゆられる少女ためいきがやがて河になり馬になる


 封鎖されし公園金網越しの出会いもなくやがて消えゆく雲井小公園


 岸辺にてきみがいるならわれはただ永久に語れり虚構の歌を


 真夜中の菜の花畑が帯電す 手を伸ばしてはいけないところ


 死んだものさえも愛しくなりぬ五月のみどり駈けぬけてゆき


 脅かすきみの眸のなかに棲む小人のようなぼくの分身


 梨熟れる十五の歳のあやまちを仮面に変えて歩く夜なり


 大根の葉っぱを茹でる過去たちと和解せぬまま一生を得る


 沈む石 ものみなやがて忘れゆくわがためにあれ固茹で卵


 浴場もとっぷり暮れる五月の日われはひとりの刃を研ぎぬ


 散骨のような莇が咲き誇る冥府の午後の世界線かな


 燕子花ふるえるような輪郭を見せているわれにずっと


 聞えてましたか ぼくがいままで翅のように呼吸していたときのすべてが


 たとえれば閉鎖病棟 受話器もて叫びつづける女がいたり


 初夏のことばのかぎり愛を問う死を待つような静かな通り


 心ばかりの花さえも剪られ一瞬のさむざむしさ


 花を剪る花を剪る花を剪るそう告げて行方知れずの男

 
   *


異端審問


   *


 うちなびく草が毛布のごとくありわれは眠れりみなしごのごと


 あかときの列車のなかに押し込まる自殺志願のひとの横顔


 墓石や墓碑銘あらず名もあらず埋葬以前に打ち棄てられて


 かすかなる疵が疼くときわれはかぜを求める 神戸巡礼


 保護室の扉はおもい 春の日のれいこくなる看護人たち


 うばたまの夢が波打つ岸辺にて流木ひとつ持ちて帰らん


 「殺せ 殺せ きみの愛するものをみな」うそぶきながら狂女昇天


 ゆうやみの異端審問裁かるるきみの縛られた足がきれい


   *


暗黒祭りの準備


   *


 呼び声のなきままひとり残されて葱を切るのみ黄昏のビギン


 アカシアの雨が洗って去ってゆく不在のなかの花々たちを


 夫にも父にもなれず雨季を待つひと恋うるときも過ぎて


 アル中の真昼の頭蓋涸れてゆく預金残高はなし


 この夜のほとりに立ってかりそめのぼくが鳥となって飛ぶころ


 転生の寂しき初夏よかげの濃い子供のひとり丘へ駈け入る


 教会の裏手でひとり酒を呑む正午の鐘のゆすぶるなかで


 胸厚き青年われを超越す もはや肉体のみに淫することもなく


 夢がまだ仮説に過ぎぬ夜を見たなんだか熱いぼくのふくらはぎ

 
 海岸をうしろむきに牛歩むやがて来る屠殺へのむなしき抗い


 手に掴む麦の秋かなぬばたまの村の暗黒祭りの準備
 

   *


因果律


   *


 葡萄食む子供の眸潤むなりわれは孤立を少し癒すか


 荼毘に付すわが青春の一切をたとえ赦すものあれど


 水中花もやがて腐れるゆらめきのなかに消えゆくみずみずしさは


 死はいずこ 濡れ縁側に残された花一輪と鋏のかげ


 みどりなすひとの世のせつな枯れてゆく仏壇問屋の一群ありぬ


 サフランの因果ばかりか摘みびとのたったひとりがきょうも消えぬる


   *


深夜高速


   *


 地図上を旅する蟻よ思想なき犯意のなかのわれらが国家


 期してまだ挑むことさえできぬまま遠くの海の潮騒やまず


 鳥籠のかげが寂しくほぐれゆく夕暮れどきの落胆ばかり


 不貞知らずままに老いゆく旧暦の四月が暮れゆく


 望まれぬ枝を間引いて立ちあがるかれの微笑のゆえなど知らず


 眠りなき男の心理伏射する姿勢のままで吊るされながら

 
 けだもののように雨降るチリコンカン煮ゆる鍋はいつも赤い


 深夜高速回転する月の光りあらばきみを愛しくおもう


   *


センチメンタル

   *


 感傷の色を数えるだれがまだぼくを信じているかとおもい


 遠ざかるおもかげばかり道化師の化粧が落ちる春の終焉


 わがうちにそそり立つ木に名づけ得るなまえはありや雨季も終わりぬ


 過去という他国のなかに埋もれる楡の若木よ疵を癒すな

 
 家という呪縛のなかで育ち来る枇杷の木さえももはや切られて


 野性なきゆえに一生蔑される男のなかの地平が荒るる


 陽当たりにトマト罐ひとついまだ未来を信じる切なさ


 かげさえも遠ざかるなり週末の女のひとり翅をふるわす


 やわらかき胸してきみを訪ねゆく河面に夕陽落ちたる頃に


 この夜の上流だれもいない室いつかの唄をまだくりかえす

   *


植物図鑑


   *


 水色の水充ちたればささやかな宴をともす深夜の酒席


 心あらずも美しくあれ如雨露の水が降りそそぐごと


 詩画集のなかに埋もれてゆく景色まだ一切を諦められず


 全裸なる青年像が立ちすくむ兵庫県庁跡の夕やみ


 願うものなきまま訪うひとりのみ五月の夜の二宮神社


 なんだっていい 犬笛の聞えないところまでいきましょう


 大父に拒まれて猶邂逅を求めてやまず遠き西脇


 それがもしや足許で藻掻いてる蝶ならば救え


 車すら棺の隠語 カリーナの嫉妬の一語いま燃えさかる


 小蠅飛ぶ悲歌を学ばんとする空間に羽音寂し


 やがてみな遠くなりたり老いたれて植物図鑑に記録されたり


   *


舟に棲む 


   *

 
 桜桃の枝葉の匂い 復讐はもどり道など断じていらず


 からっぽの世界のなかで愛されて虚しさなどを具象する夜


 駅いずれ世界の果てに残されて地下道孤児の群れに流れる


 死の舞踏 たとえば百合の花を喰い頓死最中足がふるえる


 おれはまだ夜の雷光 一瞬のすべてにおもい砕かるるまま


 からたちの花がすべてだ ゆうこさん あなたの顔をおもいだす度


 初恋に火事の匂いがする夜半 だれがぼくなど呼ぶものか


 貝殻をあつめてひとり少年が砂を歩いて砂に変化す


 猟師赤面する木の畝にひらかれた秘部を見いだして


 嵯峨野にて道見失う官吏たち放浪詩篇を打ち棄てたり


 ゆれる樹の果実ばかりが眩しいといい炎天の日傘過ぎゆく


 夢うつつ労働争議願いては油汚れをしばらく洗う


 小豆色の古帽かむり天国を賛美するひと貧しいばかり


 舟に棲む かぜにゆられて語ることすべてに水の匂いが充ちて


   *


よすが

   *


 われのみがひととはぐれて歩きだす初夏の光りの匂いのなかで


 それまでがうそのようだとかの女がいうわれら互いに疑りながら


 手に触れる温度のようにやわらかくそして悲しい現象学


 初夏の狐のように反抗の眼をしてやまずわれらの欺瞞


 ひらかれし夏への扉 たとえれば洗濯台に忘れる革砥


 れもん色の車が走る 冷凍の鰤を一匹連れ去りながら


 バス停の女生徒ひとりふりかえる鳥の一羽がわれには見えず


 水に病める子供ばかりの風景を愛しながらもひとりは去りぬ


 すがるものなくてひとりの昼餉する冷めきった鮭の桃色


 たちつてとタ行ばかりが戦いのむなしさに沁む午前2時なり


 なにしろきみの心臓の転移は全身に及ぶよ天皇機関説


 蠅叩き 蠅のかわりにわれを打つ父親地獄の夜の水風呂


 永遠に生きるよすがも見当たらぬみどりの鳥の羽がひらめく


   *


かすむかげばかり

   *


 記録図譜あるいは願い燃えあぐる荒れ野の果ての儚い夢よ


 夏の日の真昼の幽霊 足許を照らす陽射しが猶も寂しく


 対向する光りのなかをさまざまな過去が揺れてるわたしの現実


 からす飛ぶ一瞬われに芽生え来る憎しみなどをきみに与うる


 声遠くする 小さな子供がどこかで飛んでゐる


 生霊の眠れる真昼 枇杷を切る 薪となるべき木々の一生


 葡萄園歩く暦ようつくしく狂えるならば祝福となす


 かすむかげばかり みなおもいでになりたる朝は


   *


観衆妄想


   *


 この闇がぼくに赦せるものをみな運び揚げてはゆれる舟たち


 夏来る山脈遠くかすみつつ胸のなかにて熟れる韜晦


 さようなら彼方のひとよいつの日か花の匂いに眼醒めるときは


 窓際の一羽のからす ほんとうは隠しごとなどしたくはなかった
 

 うごかない禽獣 はるか荒れ地にて麦藁帽子が飛んでゆくなり


 だれもいない室でだれかが泣いているという通報があり


 夜つづく 交通情報不通なり たったひとつの卵が割れた


 シラブルを落として来る夏の日よだれのなまえを逆さに綴る?


 子鼠の標本 だれが愛しいと告白せずにいられぬ夜は


 不在票投函さるる昼の雨 ぼくが存在しないという証明


 たったひとりのわれを失う金曜の夜の祭りの群衆のなか


   *


ミートマツダ


   *


 きょうもまたさよならする両手 幽かなひとのかげまだ残る


 車蜻蛉・アンドロメダよ銀河するおれの永遠曝す午後2時


 男めら鍬降り下ろす麦畑に一羽の希望墜落したり


 少年のマントひらめく夜がまだ若い顔して帽子をかむる


 もの憂げな猫の眼球運動す 藪の彼方で輝きながら


 涙 大人になったぼくをまだ信じられない紫陽花の花


 拓かれし荒れ野のなかの刈り人はみな遂に帰らず


 ゆうぐれのミートマツダよ店員の虚数かぞえる主人の非在


 暮れる陽よみどりのなかに沈みゆくわが一切を忘れ給しめ


 ひとびとはどこへゆくのか花鋏錆びつつわれを待てる夜


   *

 
大人になる予感


   *


 紫陽花暗し夏のまえぶれおれの手が汚れながらに握る花びら


 声あればふりむくときよ顔がまたちがったように見えるゆうぐれ


 しぐれゆく街の時間よまざまざとひとの内部を照らす雨粒


 かすかなる木魂のなかに森存りて耳を澄まして斧に手をやる


 だれもいない遊園地にて遠ざかるおもいでもはやわれにあらずや


 この夜がぼくのものではないならばいまやすべてを闇に捧げる


 心ならずきみの眸を見つめてもなにもできない教室の窓


 みながみなわれを拒んでみずいろの水のなかにて消ゆるゆうやみ


 終わる雨季──あるいはぼくよ刹那にて多くのものを傷つけて来た


 雲流る地平よ愛に渇きおり両手をかざすさみしさなどと


   *

 

茄子肥ゆる


   *

 

 戦つづく骸のなかのおもいではピースサインのかく存るゆうべ


 流れては消ゆるものこそ尊しと河辺の花をちぎって游ぶ


 彼方より流れ星かな一筋のなみだのようなきらめきありぬ


 舟を漕ぐ みどりいろなる水の上あらたな風がうろを敲いた


 茄子肥ゆる 季節のときよ一瞬の光りのなかで遊ぶ子供ら


 橘樹の萌ゆる木立よ 回答はあらずやわれが死ぬるときとて


 あやめ散る 言葉以前のおもいなど忘れゆくのか神罰として


 解かれし靴紐ありぬ黄昏の素足の痕を追いかけてゆく


 わがための光りあらずやトーストの焦げ目ばかりがつづく朝どき


 夢遙か地平のなかに埋もれる ぼくが不在であるという論証


 炎天の少年ひとり笛を吹く祭囃子が近づくなかで


 きみがいまきみのふりして立ち止まる鏡地獄のまえの閂


   *


青林檎

   *


 水無月のつるべ落としを眺めやる一羽の鳥のような憐れみ


 やがて知る花のなまえを葬ればとりわけ夜が明るくなりぬ


 ふりむきざまにきみをなぐさむ窓さえも光り失う午後の憧憬


 たとえれば葡萄の果肉 季節とはわれを分割する鏡


 文月に生まれしわれは夏ぎらい 水に還らぬおもいの幾多

 
 見も知らぬ手紙のなかに空洞のうろがひろがる時雨のなかで


 夏来たり雲に合図を送りたり少女のひとり片手をあぐる


 詞書を書くよるべもあらずしみじみと水をかぶりし射光のはざま


 あすを知らず生きるべきかな蜜蠟を靴に塗りたる日曜の夜


 青蘆のひろがる真昼この世すら棲家にならぬものたちもゐて


 かすむ陽よ葎のなかに逃れては取り残さるるぼくの姿よ


 青みどろひろがる池が迫り来る夢譚のなかのわれの足許


 未明にてかりんの花が咲き誇る 人間たちの知らない場所で


 夏期手当なくてひとりの午後を過ぐ賃貸更新料も払えず


 青林檎転がる土地よきみに似た少女がいまだ帰らぬ道


   *


茱萸のおもいで

   *


 シトロンの跳ねる真昼よ世に倦みていまだ知らないかの女の笑顔


 草笛も吹けぬままにて老いゆけば地平に愛はひとつもあらじ


 告げるべきおもいもなくて火に焚べる童貞の日の詩篇や恋を


 熱帯魚泳ぐ夏の日水濁る 詞がすべて止まったときに


 もどり道 藜の杖にひとが立ついまだ生まれぬだれかのために


 わくら葉の葉脈見つる束の間よ見失うかなわが臥所など


 麦を打つ からくれないのコカ・コーラ流し込んでは休むひととき


 アカシアの花が咲いたよ告げに来る少年ひとりだれもが知らず


 茱萸を喰う夏の暗転しりとりの最後の詞云えずにゐたり


 からす麦残る大地よ大鳥の羽ばたくところいまはあらずや


 夏至来る もはやもどれぬ道をいま去りつつわれの晩年おもう


 麦秋や萌ゆるみどりのただなかに片手なくしたぬいぐるみゐる


 長々し夏の陽射しが罪を問う ぼくの両手の汚れはとれず


 夏草を剪るを切なく眺めおりいまだ絶えない光りをかばう


   *


七夕の光り


   *


 七夕の光りもわずかちりぢりに地上の愛を手放すふたり


 車座の僧侶の群れが笑いだす回転式の御堂の昏さ


 たしかさがわれらをわかつ夏の夜の燃ゆる竈に本を棄てたり


 ゆくたびにちがった顔がわれとなる やがて消えゆくわれの星蝕


 時雨てはわが妹の半身を濡らす神あり 呪わば奪え


 妹の髪が逆巻く夏の夜 水汲みながらお伽を伝う


 妹の枕話よ永久というまがいものなど滅ぼしたりぬ


 生きて猶やさしくなれぬゆえにいま水疱瘡のおもいで語る


 遠き日の姉の再婚・金色の沼をば欲すわれの愛憎


 暮れる陽をもてあましたり一日は囃子のごとく過ぎてゆきたり


 ともにゆくつれあいあらず瀆神の発芽物質を持ち歩くなり


 茗荷刻む 夜は暑さのなかにありやがて心に固着するかな


   *


神の末裔


   *


 懐かしきわが家の枇杷よ伐られつつ繁る青葉をいまだ忘れじ


 子供らに示す麦穂の明るさはたとえば金の皮衣なり


 遠ざかるおもかげばかり胸を掻く溢れんばかりの漆の汁よ


 梨の木が育ちながら反逆す 夏の陽さえも惑う午後にて


 ゆくたびに街遠ざかる陽炎の周波数ではだれものが迷子


 恍惚を伴なう痛み胸を焼く食道炎のみじかい夜半


 蓮の花ひらく一瞬怯まずに祖父の墓前で手袋投げる


 曼珠沙華彼岸の果てに咲き誇るわれの起源を奪い去るため


 此岸にて花をちらした兵隊がやがて冥れる安らかなれと


 追われては然りとおもえ 異端なる鳥が羽搏く夏のカンヴァス


 眠り姫の物語を中断す 決して眼醒めぬ毒を望めば


 いまはただ花いちめんのふるさとに不在のわれを探して歩く


 死者の書を捲るばかりか天掟を逃れて生きる術見あたらず


 定めなどなくて流るはいつぞやの水にはあらず月照らしたり


 邦ごもる葉桜ゆれる夏の陽よ神の末裔たりずかわれら


   *


亡霊蒐集家


   *


 鶫すら遠ざかるなりかげはみな冷たい頬に聖痕残す


 悲しけれ河を漂う夢にすら游びあらずや陽はかげりたる


 ぼくを裁く砂漠地帯の官吏らがミートボールに洗礼をす


 ささやかなはなむけならん祭り火のむこうにきみが立つてゐました


 莇色のワンピースのみが残された物干し竿の淡いさみしさ


 夏蝶の翅が街色して遙か頭上をかすむ一瞬の午後


 星かなた芽生えるときよそろそろと梯子を降りる工夫の痛苦


 みなやがて飛び去る夢を見し真午取り残さるるわれと寝台


 メフィストのいざないばかり魚屋で鰤の短冊しばらく見つむ


 死がうずく網戸のむこうきみの手がゆれるみたいなまぼろしがゐて


 なみだ花たとえばきみの乳房にて流る汗など愛しくおもう


 葦ゆれて足がなくともかまわない亡霊蒐集家の家路


 蝉すら黙する夏や心もて蒸留したり飴売りのかげ 


   *


鰺を焼く

 
   *


 願いには意味などなくて立ち止まる駐輪場が増設された


 水運ぶ人夫のひとりすれちがう道路改修工事の真午


 からす飛ぶみながちがった顔をして歩道橋にて立ちどまるなり


 アカシアの花のなかにて眠るとき人身事故の報せを聴けり


 鰺を焼く竃の焔たぶんまだわりきれもせず過古をば憾む


 夏蜜柑転がしながら暮れを待つ海岸線は終日無人


 われを包む都市計画よ遠ざかる図書館・役所・解体現場


 もしきみがぼくに呼吸をあわせれば実をつけるだろうゆれる木苺


 手を濡らす澤の流れよ永遠を疑りながら愛をもわかつ


 骨を断つクレーンの機動聴きながらあすあることをいまだ信ぜず


 運ばるるラジオの声よいましがたきみの再誕検閲に遭う


 葦を踏むたしからしさのないなかで高架道路がときを啄む


   *

 

アマガミ


   *


 たそがれに語ることなしあしたには忘れてしまう空気の色も


 友なくば花を植わえというきみのまなこのなかにわれあらず


 星の降る夜はありぬや金色の糸巻き鳴れりねごとのごとく


 経験は莇の色の万華鏡 回転しつつ未来を孕む


 プラスチック甘噛みをする子供らがやがて膨張する暑さ


 代理人不在の朝よ訴状にて悪魔の業を援用したり


 ときはるか光りのなかに滲むころわれまたひとり竈を点す


 望みたる世界はついぞ訪れずランナーたちの胸筋ゆるる


   *

 

野焼き

   *


 そしてまた去りゆくひとりかたわらに野良すらおらず藪を抜けたり


 夕やみにとける仕草よわれらいま互いの腕を掴みそこねる


 世はなべて悲しい光り笑みながらやがて散りゆく野辺送りなり


 野焼きする意識の流れしたためる夏の化身の夜の呼び声


 あきらめてあやめの花を剪る寄る辺やがて夕立つわが誕生日なり


 莇散る冥府の終わり夢がまだ生きてゐるという傍証もなく


 雨あがり水鉄砲を乱射する男の子なるむごたらしさよ


 浮子ひとつ漂う夏よわがための救いあらずや海ひとつ


 はつ恋をおもいいづれば夕ぐれのカリオンばかり耳をはなれず


 ひとりゐてあらゆる肖顔呼びかけるたわむれなどもいまは寂しく


 息を断つふりしていつもからかった少女たちすらいまは老いたり


 病める子のかげが待合室を過ぐ心療内科の午後の暗がり


 黒電話したたる暑さ 公園の土鳩の一羽片足がない


   *


世界が夏になったとき


   *


 みずからの両手を捧ぐあえかなる南空のむこうガラスがわれる


 夏跨ぐ句跨ぎ暑し森閑のなかを歩みて望む才覚


 彼方より星降る夜よバス停に天使のひとり堕落してゐる


 熱病魘されながら夢のなか玉蜀黍の皮を剥きたり


 だれぞやのマスク落ちたり疫病の時代の愛の餞であれ


 ひとつぶの葡萄の種子を拾いたる熱波に曝す少年の指


 消えかかるおもいの幾多踏み切りに停止ボタンが設置されたり


 種子芽吹く季節のときよ手負いなる小鳩の一羽いま眠るなり


 射精すらむなしくなりぬ夜のこと牡蠣のごとくに黙る海鳴り


 夏草やものみなやがて忘れ去るみどりいろしたぼくのTシャツ 


   *


もしかするといなくなったのはぼくか


   *


 清らかな家政学科よ乙女らの制服少し汚れてゐたり


 国燃ゆるニュース静かに流れたり受付台のうえの画面よ


 送り火をかぞえる夜よ魂しいが焔のなかへ消えゆくかぎり


 いまさらにきみをおもうに両足のアーチ崩れが傷むさみしさ


 青ざめる森よ夏にはふさわしく失踪者など連れてなびかん


 終わりとて永久の真午よ分度器のめもりをひとつあぐるのみかな


 時として花が落ちたる地獄門潜る男のなかの沈黙


 きみが手を汚す姿を幻視する丘の静かな墓地の彼方で


 歌誌を編む ゆうぐれどきの手稿にて犀が一頭上の句を踏む


 ひとが過ぐ本町通り季語さえも忘れてひさし進入禁止


 水さえも怒りの譬喩に変化する豪雨警報鳴り止まぬなり


 愛語などあらじとおもう 浜茄子の種撒くひとを蔑すひととき


 ゆうじんもなくてひとりの昼餉するものみなやがて滅ぶと願い


 馬の眼が濡れる厩舎の草を踏む幼きわれの昔日のなか


 もはや詩がわれを救わぬことに鳴く回転灯の光りはやまず


 子羊のような贄欲す朝ならばわれを吊るせと叫ぶ兄たち


 踏み切りに光りが滅ぶ列車来て遮られてしまうすべてが


 まぼろしになれば他人の夢のごとわれを偽る理由はあらず


 ふさわしき家庭もあらぬ男とは切断されし枝の断面


 ことばたらず頭をさげる一瞬のかの女の貌にかげが落ち来る


   *

 
ゆれる潮


   *

 
 刈りがたしおもいもありぬ秋来る颱風過ぎてすがしい原つぱ


 みずいろの兎が跳ねる 妬心とはまだ見ぬきみにたじろぐ時間


 神さまがくれたクレヨンなどといいぼくを欺く女学生たち


 波たゆるいつかの秋がぎらぎらと迫り来るなり男の内部


 姿鏡あり浮かべてわれは宙を蹴る くれない坂の始まる場所で


 道もなき芒原にて星を見る 消滅を待つ一族として


 救いなどあらず流砂のかなしみをあつめて羨しともだちの指


 午後線のびつくり水が暴れだす手鍋のなかのぼくの革命


 おもわくもなくて秋草眺めやる地域猫すら不在の時間


 坂といえ降る足さえ確かさを失いながら消えゆくなか


 夜の河 みなが眠りに就くなかを流れて悼む夏の終わりぞ


 水汲みの汲み桶われるひざかりの木立ちのなかで爆発ののち


 ささがきの笹のみどりがきみを射る そんな妄想ばかりするおれは 


 ゆれる潮 国家略奪計画を夢想するわれの指に冷たい


   *


息が止む


   *


 わがための夢にはあらじ秋口の河を流れる妬心の一語


 男歌かぞえる指に陽が刺さるゆうぐれどきのあこがれのなか


 けだしひとはうつろいながらうろ叩くやがて来たりぬ夢の涯てまで


 つかのまの休息ありて汗ぬぐう拳闘士らのまなざしやさし


 帰るべき場所などあらず秋雨に文鳥一羽逃げてゆくなり


 まばたきが星の鋭き夜に冴えやがてひとつの物語となり


 雛壇の亡霊 われのかげを射る もしや姉の企みか


 いい娘だね いい娘だね また逢うための呪文を唱える

 
 蚊柱の存りし場所にてぶたくさの花粉が踊る 月曜の朝


 菜の花の跡を腐れた葉が誘う だれかがぼくを見つけるまえに


 水がいま湧いていますよ 験すならおのれの神を呼びかけるべし


 陽だまりのなかで一瞬息が止む 秋の曲など耳に刺さつて


 ぬばたまの夜はしずかな街にすらネフラシアを幻視するかな


 ゆうぞらへかえすことばもなかりかな一羽の鳥を放ちたるなら
 

   *


化石の時代


   *


 愛されてゐしやとおもう牧羊の眼のひとついま裏返る


 流されて種子の絶滅見送れば秋の色さえ透き通るかな


 足許を漂う季節いつかまた看板ひとつ降ろされてゐる


 暗がりの道で迷子にならぬようきみの手を引く幽霊の声


 時にまたひとり裁かれながら立つ図書館まえの駅の群衆


 チョコレートバー淋しく齧る午后の陽よいまだなにも了解せず


 秋の水光れるなかを走り来て憂いを語る少年もゐる


 ジューサーのなかの果肉が踊りだす夜勤終わりの朝の食卓


 声ならばここにあるぞといいかえす夜の隧道終わりが見えず


 ああ、いつも≪季節よ 城よ ≫と口にする秋のさむさがなんだかやさしい


 ひとびとの顔うらがえる陽のなかでいまだだれかを欲る一瞬よ


   *


愛を欲す


   *


 ときを飛ぶくるまとんぼの複眼が秋をくらます真昼の光り


 水色のゆうぐればかりひとりのみクリームソーダを飲み終わりたり

 
 いくつかの木片ひろう焼べる火を持たぬわが身の寂しさゆえに

 
 陽だまりに冬日が落ちる真四角の空を抱いて飛ぶ天使たち

 
 静寂も燃ゆる真昼よわが胸の言葉のすべて交換されたし
 

 落下する時のはざまよ抒情とはだれも知らない町のざわめき 


 ひともとの柿が倒れて示したる道なぞあればひとり歩めり


 愛を欲す 水が乾いた痕をいま死亡記事すら沈々として


 冬しぐれ 水茄子ひとつ切り終えてつまむわが指愛など知らぬ

 
 茫茫と芒の上をたなびいて花を知らないひとになりたし

 

   *


供物狩り
   

   *


 咎人のわれが触れよとするまたたきに鳥の一羽が去つてしまつた


 なみだぐむ玉葱姫よかなしみは心のなかにいつもあるべし


 幼さがほまれとなりぬ少年は今宵カレーの王子さま


 わが腿の火傷の痕よいままさに発光せし夜半の厨


 ゲートにて凭るるわれよ黒人の肩にゆれたる水壜を見る


 意志のないふりをつづけて文鳥の一羽が檻を飛びだしてゆく


 自由欲しからば死ね──という声がする贋共和国


 ひとがみな愛されながら去つてゆく方程式がきようも解けない


 人妻の脚よわずかに痙攣する列車のなかの薄い暗がり


 きみがいう命の一語 渇きたるおれのおもいに迫るものなく


 昏睡の牡蠣も煮えたり鍋ゆれる下半身など忘る忌


 存在も暮れてひとつになりにける鳥影過ぎるときのはざまに
 

   *  


世界の終わり


   *


 汝らに道などあらじ素裸で荊のなかに閉じ込めるべし


 痛苦すら物語なり 芽吹きたる木の芽をひとつきみにあげよう


 ひと知れずキリンの首が長くなる現象学のなかの光景


 水鉄砲に実弾仕込む朝またぎきみの寝室めがけて進む


 雲分かつ光りのなかを雲雀飛ぶ 心の澱を灌ぐごとくに


 鶫のようなひとがいましてぼくの手に羽根をひとひら落とす日常


 暗がりに一羽のからす降り立ちぬ嘴の一瞬光りたる午后


 星ひとり酒場を歩く夜がまだここには来ない時刻なれども 


 詠むことの昏さのなかで一握の抜け髪ひろう世界の終わり


 薄荷飴嘗めつつめくる歳時記に水子の一語書き加えたり


 砂漠にて鯨が泳ぐ子らが飛ぶすべて真昼のウォトカの夢よ


 たそがれのもっとも明るい場所にゐて幼年時代の悪夢をおもう


 ひとがみなわれを忘れて歩みゆく一瞬のやさしい渚


 墨守する国語のひとつ字訓とは河の流れに逆らわぬこと


 わが死後を神が笑えばそれよし鮭の産地をひとり眺むる


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