みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

消費者

 

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 《気づくと、おれは腹を押さえながら傘を差して、元町は、裏通りのガード下まで歩いてた。雨が激しかった。血はそれほどでてない。いまならまだ助かるというのにそこらで酒を呑み、最期に残ってる薬を3つもキメる。たまらない陶酔感と、刺激臭、そしてじぶんの血の色彩が自在性を持ちはじめ、酩酊した頭に衝撃が走る。これまでも欲しがってた、ある種の感動、そして詩的な死。虹鱒のなかで泳ぐ夢を見る、つかのまの出来事たち。おれは一瞬、歩道にうずくまった。だれかが声をかける。だれかがおれのなまえを呼ぶ。でも、そいつの顔が認識できない。こんな感じなのか、失貌症ってのは。それとも、おれのなかで他人を拒絶するなにかが作動してるってことなのか。おれはわからないままに立ちあがって、タクシーを呼び止めた。行き先は神鋼病院の精神科ということにした。やっぱり死ぬのは怖かったし、それに3つもキメたあとのトリップは正直最悪だった。カナエの分泌物がおれのなかで暴れだす。熊内通り5丁めに来たときにはもう失血で、弱り切ってた。運転手に金を渡し、着いたら、その金から精算するようにいった。まるで輪切りにされたボーイングが地上を離陸するような快楽の響きがおれの唇から喉元にかけて走る。タクシーも走る。坂をくだって、ガードを潜り、左折して、病院のまえまできた。運転手は入り口で停め、制帽を脱いだ。それはまぎれもなくカナエだった。おれは観念して死ぬことにした。そしておれは眼を瞑って。》

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 という具合にみじかい断片をつづった。カナエはもう眠ってる。おれはタイプと紅茶で、不眠症の夜を乗り切ろうとしてた。小説らしい、小説にはとっくに厭きあきしてたし、じぶんにその才能がないのにも打ちのめされてた。だからといって、書くことを諦めることにはならなかった。できなかった。見失った目標、そして好機にしがみつき、どこまでも終わらないダンスをつづける。世界をめぐるダンスを。
 きょうでもうカナエとはおさらばだ。きのう、最期の愛液を蒸留ポットから取りだした。アルコールと、かの女の体液を混合し、蒸留させると液体麻薬が完成するんだ。おれはずっとそいつを売って生計を立ててきた。でも、ヒモぐらしには厭気が差し、一日じゅうずっとかの女を愛撫するのに疲れてしまってた。カナエへの愛情はまだ残ってる。あるいは愛情の骸や灰はまだ。でも、おれだって36で、かの女と出逢ってから7年にもなろうとしてる。かの女は26だ。もうたくさんだった。かの女はなんども間男をつくったし、金のために年寄りに抱かれもした。そのたびにおれの心は千々にちぎれたし、火傷をするみたいなおもいだった。でも、かの女はなんどでも蘇った。おれのもとに帰ってきた。それはけっきょくおれしか、かの女の体液から麻薬を精製することができなかったし、顧客のリストを持ってなんかなかったからだ。
 世界は冷たい。氷上に舌を垂らすような、舌が凍りつきそうな年月が過ぎた。サツのほうはなんとか撒いてきた。でも、そろそろあたらしい規制が設けられるかも知れない。警察のほうではまだ注意喚起の段階だが、おれはもう充分すぎるほど儲けてる。おれのブツには興奮作用や幻覚作用こそあれ、どんな薬物検査にもかからない。20時間もあれば身体から排出される。それでも顧客は増えつづけ、カナエはじぶんの取り分を巡って、あることないこといいふらすようになってしまった。あること、それはブツを希釈して第3者に捌かせて上前を刎ねること。ないこと、それはほかの女の体液からブツをつくってるってこと。なんども試みたものの、カナエ以外の体液で、あそこまでの効果を得ることはできなかった。カナエの愛液に可能性を見いだしたのは、酔っ払ったおれがワカメ酒をかの女に強いたとき、とんでもなく特別でヤッピーな感覚がおれを襲ったときだった。あるいは酒を呑みながらクンニしたとき、幻覚を見たときだ。おれは夜な夜な、かの女の体液を採取して、実験を繰り返した。それで生まれたんだKという麻薬が。てなわけでおれは薬物家業を長らくやってきた。でも、そいつも終わり、顧客リストも焼いて、器具も棄てて、おれはまともになってやる。
 「書いてるの?」
 かの女が起きてきた。パンティだけをひっかけて、眼を擦ってる。
 「いいや、考えてたんだ」
 「ほんとうになにも書いてないの?」
 「そうとも。――見るか?」
 「いいの。あなたが書いてないってゆってるから」
 そのままかの女はベッドまで歩く。きのうはかの女も自身の体液でハイになってやがった。何杯もショット・ガンを呑み、ばか笑いに興じてた。おれは書きものを保存して、PCを落とした。それからひとり、シロック・ウォッカをやりながら、鞄にリストや、精製についての覚え書き、そして希釈してない、まったくのオリジナル・ジュースを3つ入れた。これでよし。あとは夜明まえに出発するだけだ。

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 ひとはじぶんの虚無のなかに棲まうことはできない、じぶんの快楽のなかで生きることもできない、ひとはじぶんの諦観のなかで暮らすしかない。――そういった作家がいたっけな。おれはいま諦観のなかにあるのかはわからない。それでもカナエとの未来を諦めるということがいまたったひとつの希望ではあった。おれは酒を呑んで眠った。目覚ましはかけておいたはずだった。不定形の女がおれの室に忍び込み、大事なものをかっ攫ってゆく夢を見た。おれはそいつをおいかけてボール紙でできた車に乗る。コロラドからテキサスまで、行方不明の猫、アメリカを探す依頼。不動産屋の娘・レイナが裸のまま殺される。新聞の星占いを見たが、糞犬座のおれは黒猫座の女に夢中になるあまり、シメ鯖座にある土地の仲買人を撃ち殺してしまうらしい。当然ながらコーヒー・シガレットで。残年なことに今週末はジョンソン・フレドリック氏との面会は叶わないともあった。ラッキー・アイテムは漆器。ラッキー・カラーは本藍とある。なるほど、だからこそレインコートが必要なんだ。いつものように2週間でアラスカから神戸まで帰って来られた。鞄のなかを探った、リストも覚え書きもない。おれは発狂寸前だった。カナエがあれを握ったら、かの女はもうまともな人生にはもどれない。おれが立ちあがった一瞬、カナエの声がした。
 「書いたよねえ、あたしのこと」
 「どうして?」
 「逃げようたってむり!」
 気づくと、おれは腹を押さえながら傘を差して、元町は、裏通りのガード下まで歩いてた。雨が激しかった。血はそれほどでてない。いまならまだ助かるというのにそこらで酒を呑み、最期に残ってる薬を3つもキメる。たまらない陶酔感と、刺激臭、そしてじぶんの血の色彩が自在性を持ちはじめ、酩酊した頭に衝撃が走る。これまでも欲しがってた、ある種の感動、そして詩的な死。虹鱒のなかで泳ぐ夢を見る、つかのまの出来事たち。おれは一瞬、歩道にうずくまった。だれかが声をかける。だれかがおれのなまえを呼ぶ。でも、そいつの顔が認識できない。こんな感じなのか、失貌症ってのは。それとも、おれのなかで他人を拒絶するなにかが作動してるってことなのか。おれはわからないままに立ちあがって、タクシーを呼び止めた。行き先は神鋼病院の精神科ということにした。やっぱり死ぬのは怖かったし、それに3つもキメたあとのトリップは正直最悪だった。カナエの分泌物がおれのなかで暴れだす。熊内通り5丁めに来たときにはもう失血で、弱り切ってた。運転手に金を渡し、着いたら、その金から精算するようにいった。まるで輪切りにされたボーイングが地上を離陸するような快楽の響きがおれの唇から喉元にかけて走る。タクシーも走る。坂をくだって、ガードを潜り、左折して、病院のまえまできた。運転手は入り口で停め、制帽を脱いだ。それはまぎれもなくカナエだった。おれは観念して死ぬことにした。そしておれは眼を瞑って。
 お客さん!――運転手が叫ぶ。男の声で。やがて病院のなかへ運ばれ、手当を受け、おれはベッドのうえでおれを運んだ連中を見た。全員カナエだった。おれはそのなかのひとりを捕まえて、首を絞める。やがてカナエ全員がおれを拘禁室へと運び込み、鎮静剤を打って眠らした。超高速度カメラで撮ったみたいに日が沈み、夜が来て、また日が昇った。つよい灯りが終日おれを照らしてる。四方の壁から、ひとの声がする。うめき声、叫び声、ひとりごと。あらゆる虚無のなかでむっともさむざむしい、魂しいの荒れ野に踏み入れてしまったらしい。いったい、どうしたらいいんだ?
 看護人が水をもってきた。無数の短い毛がなかに入ってる。おれは黙って水を呑んだ。それから2週間で、おれは閉鎖病棟へ移された。足の感覚がおかしかった。さらに3ヶ月して、開放病棟に移された。ほかの患者たちがいった。「やっとまともに話せるひとに出逢った」と。いくつかのひとびとと仲良くなった。さらに2ヶ月しておれは退院した。もとのヤサにもどった。家賃を払い、公共料金を払った。ベッドのうえにもうカナエはいなかった。それから1ヶ月しておれは引っ越した。金はまだたんまりとある。もはや、かの女がおれを求めないということが少しだけ悲しい。でも、いまさらいえることはない。おれはこうやって小説もどきを書いて、少しばかり叙情することもできる。かの女ならきっと、おれがいなくともやってけるだろう。おれはそう信じてる。

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