みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

系図


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 水匂う両手のなかの海さえも漣打ってやがて涸れゆく


 まだきみを怒らせてゐるぼくだから夏鈴のひとつ土に葬る


 もはや兄ですら弟ですらないぼくが父母ない街ひとつを愛す


 生きるかぎりに於いてもはや交わさぬ契りを棄てる


 いまはもうだめにしてくれ丸太積むトラック一台縁石を蹴り


 伝説の由来は姉の花鋏 月の光りに充ちてうらめし


 光りすら失う真午くらがりに赤ん坊なる人形ひとつ


 森深く罪なるものを抱えつつ望むは兎跳びする少女の群れ


 だれしもがぼくの分身いくつかの戸棚に過去を押し込みながら


 わがうちの野薔薇の棘を数えたる記録係の夜の褥よ


 歌篇編む意思もあらずや献身を水に求める秋雨前線


 ひとがみなわれをかすめて去ってゆく ゆきさきは葡萄畑か


 肉親の肉を断つぞとおもいたつ茎いっぽんを手折るごとくに


 ささやかな願いもあらじ つじつまが合わないままの系図を閉じる


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九月になったのに


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 来るたびにきみを眩しむ秋の陽の干割れた壁をひとり匿う


 祖母死せり灸の痕を撫でながらわが指のさみしさおもう


 わらべらの声掻き消され一瞬の夏休みすらいまはむなしく


 駅舎にてまぎれて叫ぶ男ありわれと重なる九月来たりて


 上映せり夏の黄昏まざまざと復讐さるるわれの残像


 真昼どき夢の頭上を飛ぶ姉のまぎれなくある二度の婚姻


 いちまいの夏衣を脱げり初秋にてみなが脱皮を遂げるごとくに


 〈季節よ 城よ〉ランボーの詩句をつぶやく燕麦を煮る


 手のひらに雲をかざして立ちすくむ映画のなかにだれもいなくば


 窓に立つレインコートよ秋霖の夜をさまようわれの模造か


 たったひとつの夜を阻まれうろたえるわれは膣内射精障碍なり


 信号が変わる瞬間 ふりかえるだれもいないという妄想あって


 かまきりの死骸を見つけふとおもう死にふさわしき土地などあらず


 散水機涙のように水垂らす心あらずもゆれる視界は

 

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9月の海はクラゲの海


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 もはや、9月である。最近、ほとんど本を読んでない。7月に買ったライオネル・ホワイト気狂いピエロ」も数ページ捲っただけだ。というわけで今月は森山大道のフォトエッセイ、「遠野物語」しか買わなかった。本棚はいっぱいいっぱいだし、少しでも未読を減らしたい。積ん読はもううんざりだった。きのうは金が入って公共料金の支払いと、買いものに奔った。エレキギターを調整したし、ひさしぶりに弦も張った。弦は、ERNIE BALL 2221 REGULAR SLINKYだ。ほんとうはERNIE BALL 2251 CLASSIC R&R REGULAR SLINKYがよかったが、島村楽器にはなかった。それでも、なかなか弾きやすい。指で弾くにはちょうどいい。電気系統がイカレてる可能性もあるが、そのときは直接工房に持っていこう。¥6,000未満で買った、傷物のギターだが思い入れもある。'14年に最初のデモで使ったギターだ。エフェクターの入手はけっきょく安いトレモロを買うだけにとどまった。¥2,825で売られてるFAJIAのトレモロだ。妥協の産物といっていいだろうが、物は使いようだ。なにもエフェクトすべて、吉村秀樹の真似をしてもしょうがない。ダンロップトレモロはいつかまた、生活が安定してからだ。アンプはVOXの15wにした。メルカリで買った。このアンプを過去に2度も買ってる。AC/DCステーションはCAJにした。こいつも以前に持ってたものだ。アクアパスのMK2は国内で販売してるのはけっきょくぜんぶが詐欺サイトだった。海外オークションにもMK3しか売ってない。つくづくおもうのはおれが好いとおもって購入するものはどれも、1度手放せば2度と手に入らないものばかりだということだ。お目が高いのである。あとは替えの弦や、ケーブル類を買った。ギターレッスンは今月1回だけにした。来月は休むかも知れない。アコースティックギターの修理代が要る。それからCD–R『kaze-bungaku 5 demo tracks』の再プレスにむけてジャケットと歌詞カードの見積もりをとった。前回の倍の60部で¥5,500ということだ。12月にはライブができるようになればいい。デモを売りながら巡業したい。新曲はつくりつづけるが、アルバムは来年にする。音楽についてはこれだけだ。
 文藝については今月もあまり身に入らないみたいだ。短歌をこれ以上、量産する気持ちになれないし、だからといってほかの表現形式に熱を入れるにはあまりにも空洞が巨き過ぎる。作業所も先月は31日だけ、障碍支援センターの担当者を交えて三者面談があったので赴いたのだが、小説を書こうとして失敗してしまってた。ひとの大勢いるなかで、まとまった文章を書く自信がないと来る。イラストを描くなり、動画編輯するなり、べつのものに眼をむけたほうがいいのかも知れない。
 きょうは朝から「ハイティーン歌集」のフライヤーを三宮の掲示板2カ所に貼ってから、食品の買いだし。業務スーパーに2度いった。ダイエーに1度いった。今月分の食糧はだいたいのところ押さえた。あとは残った金を遣わないようにするだけだ。10日には大阪城野外音楽堂でカネコアヤノの公演がある。そこで発散して、あとは真面目に通所したい。余裕があれば月終わりのジャン・ポール・ベルモンドの特集上映に喰い込むだけだ。「ラ・スクムーン」、「勝負〈カタ〉をつけろ」、「冬の猿」、「華麗なる大泥棒」あたりが観たい。最小限の金で、どこまで愉しくやれるかが問題だ。


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サヨナラ、8月、また来て9月


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 正直、今月は碌なもんじゃなかった。7月中、断酒と節約が上手くいっていたせいか、歌誌が上手くできたせいか、その反動で飲酒に奔り、浪費に奔ってしまったのだ。当然、離脱症状もひどかったし、原因不明の体調不良にも悩まされた。耳だの、喉だの、具合がわるく、全身がヒリヒリと痛んだこともあった。それに逆流性食道炎もある。上手くいってれば、いってるほどリバウンドは厳しい。そして気づくと、口座には金がないと来る。おれはいったい、なにをやっているのだろうと徒労にまみれる。ギターレッスンは金を払っているのに一回休みにしてしまった。なんのために学ぶ機会をつくったのかもわからない。情熱と方針の欠如がおれの生活を蝕む。暑さが理性を奪ってゆく。
 そんななかにあっておれは方針を変えることにした。ほんとうだったら今年中にアルバムをつくる予定だったが、それをやめてライブをやる。新曲はつくりつづけるが、会場で販売するのは4年まえにだしたDEMOの再プレス盤だ。ライブではエレキを使う。いまのわがエレキは本体のみ。弦すらない。弦交換とオクターブ調整、そして周辺機材の再入手に金を遣う。少なくとも12月までには準備を整えたい。そしてアコースティックギターは直接工房にだして、サドル剥がれをリペアしたい。必要なのはアンプと、アクアパス(かつて所有していたMrk2がどこにもない)と、トレモロ(jim danlopが欲しいが海外オークションに一台しかない)だけだ。あとは次でいい。なぜライブをするのか? それは寂しいからだ。だれの反応もないなかで音楽をやってしようがないからだ。ネットで曲を披露してもダイレクトな反応は得られない。そしてだれとも出逢うこともないからだ。おれは出逢いたい。たとえ、おれの表現すべてが極少人のためのものだったとしても。詩人のシラーがいうように《多くの人間に好まれるのはよくない》というのが正解だったとしてもだ。
 とにかくじぶんの存在証明が欲しい。じぶんが生きていて、他者と共存できているという光景が欲しい。なにしろずっと、ひとりの生活だ。たとえ作業所にいようが、なにをしようが、おれはたったひとりで生きてしまった。この情況を好転させるには無理にでも、ひとまえで作品を披露するしかないだろうというのが、おれの結論だ。
 夏の暑さにいつまでも慣れないでいる。夏生まれだというのに夏はきらいだ。第2歌集は今年中にはでないだろう。また先延ばしだ。来月はカネコアヤノの公演がある。再来月には折坂悠太の公演がある。酒をやめればライブにだっていけるのだ。けれども今月は¥15,000ぐらい、酒に遣ってしまった。どうしようもない。創作はまるでだめだった。それでも毎日、ブログにアクセスがあって、それも歌誌の告知に集まっているのはなんとも心強い。歌誌は1冊売れた。詩集も1冊売れた。なにかいい兆しがあればいいのだが。
 今月は作業所にもいかなかった。31日には障碍支援センターの担当者と会うのでいかなきゃならない。ほんとうなら、きょうもいってこの文章を書いている。ところだったが、できなかった。眠ってしまったからだ。現在14時になる。いまから昼餉だ。今月は望みがない。でも、そいつもすぐに終わる。気に病んだところで無意味だ。むだな抵抗はやめて、流れに身をまかせよう。来月になったらギターの調整と弦張り、エフェクター&アンプの購入だ。そして10日には大阪でカネコアヤノの公演だ。ともかく人生を愉しみたい。少ない金でもゴージャスにやりたい。たったそれだけのことだ。もちろん、いつもつきまとうさみしさをなんとか解消したい。感性の合う女の子と知り合って、ねんごろになりたい。いまはたださみしい、さみしい、さみしい、さみしい。そのさみしさを突き破って歌うことができたら最高じゃないか?

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まちがい

 

 過去を走り去った自動車が、やがて現在へと至る道
 それを眺めながら、ぼくは冬を待つ
 ぼくはかつて寂しかったようにいまも寂しい
 こんなにもあふれそうなおもいのなかで、
 きみのいない街を始終徘徊してるのさ
 これまでの災禍、そして怒り
 なにもかもが一切、見えなくなるまでずっと
 たとえば火の論証がぼくの存在を照らしてくれるのなら文句はない
 たとえば水の弁証がぼくの善悪を論じ尽くしてくれるのなら満足だよ
 でも実際、なにがぼくの存在を照らすというのか?
 なにがぼくの善悪を論じてくれるというのか?
 もしかしたら、とんでもないまちがいを犯したのかも知れない
 小さな売店でホットドッグを買い喰いしたとき、
 落とした小銭入れが女の子の足に当たって、
 地面をバウンドしたら、かの女は驚いて、
 コーヒーを零してしまった
 ぼくは謝りながらも、
 かの女の靴の、エナメル質の魅力ばかり考えていた