みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

サヨナラ、8月、また来て9月


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 正直、今月は碌なもんじゃなかった。7月中、断酒と節約が上手くいっていたせいか、歌誌が上手くできたせいか、その反動で飲酒に奔り、浪費に奔ってしまったのだ。当然、離脱症状もひどかったし、原因不明の体調不良にも悩まされた。耳だの、喉だの、具合がわるく、全身がヒリヒリと痛んだこともあった。それに逆流性食道炎もある。上手くいってれば、いってるほどリバウンドは厳しい。そして気づくと、口座には金がないと来る。おれはいったい、なにをやっているのだろうと徒労にまみれる。ギターレッスンは金を払っているのに一回休みにしてしまった。なんのために学ぶ機会をつくったのかもわからない。情熱と方針の欠如がおれの生活を蝕む。暑さが理性を奪ってゆく。
 そんななかにあっておれは方針を変えることにした。ほんとうだったら今年中にアルバムをつくる予定だったが、それをやめてライブをやる。新曲はつくりつづけるが、会場で販売するのは4年まえにだしたDEMOの再プレス盤だ。ライブではエレキを使う。いまのわがエレキは本体のみ。弦すらない。弦交換とオクターブ調整、そして周辺機材の再入手に金を遣う。少なくとも12月までには準備を整えたい。そしてアコースティックギターは直接工房にだして、サドル剥がれをリペアしたい。必要なのはアンプと、アクアパス(かつて所有していたMrk2がどこにもない)と、トレモロ(jim danlopが欲しいが海外オークションに一台しかない)だけだ。あとは次でいい。なぜライブをするのか? それは寂しいからだ。だれの反応もないなかで音楽をやってしようがないからだ。ネットで曲を披露してもダイレクトな反応は得られない。そしてだれとも出逢うこともないからだ。おれは出逢いたい。たとえ、おれの表現すべてが極少人のためのものだったとしても。詩人のシラーがいうように《多くの人間に好まれるのはよくない》というのが正解だったとしてもだ。
 とにかくじぶんの存在証明が欲しい。じぶんが生きていて、他者と共存できているという光景が欲しい。なにしろずっと、ひとりの生活だ。たとえ作業所にいようが、なにをしようが、おれはたったひとりで生きてしまった。この情況を好転させるには無理にでも、ひとまえで作品を披露するしかないだろうというのが、おれの結論だ。
 夏の暑さにいつまでも慣れないでいる。夏生まれだというのに夏はきらいだ。第2歌集は今年中にはでないだろう。また先延ばしだ。来月はカネコアヤノの公演がある。再来月には折坂悠太の公演がある。酒をやめればライブにだっていけるのだ。けれども今月は¥15,000ぐらい、酒に遣ってしまった。どうしようもない。創作はまるでだめだった。それでも毎日、ブログにアクセスがあって、それも歌誌の告知に集まっているのはなんとも心強い。歌誌は1冊売れた。詩集も1冊売れた。なにかいい兆しがあればいいのだが。
 今月は作業所にもいかなかった。31日には障碍支援センターの担当者と会うのでいかなきゃならない。ほんとうなら、きょうもいってこの文章を書いている。ところだったが、できなかった。眠ってしまったからだ。現在14時になる。いまから昼餉だ。今月は望みがない。でも、そいつもすぐに終わる。気に病んだところで無意味だ。むだな抵抗はやめて、流れに身をまかせよう。来月になったらギターの調整と弦張り、エフェクター&アンプの購入だ。そして10日には大阪でカネコアヤノの公演だ。ともかく人生を愉しみたい。少ない金でもゴージャスにやりたい。たったそれだけのことだ。もちろん、いつもつきまとうさみしさをなんとか解消したい。感性の合う女の子と知り合って、ねんごろになりたい。いまはたださみしい、さみしい、さみしい、さみしい。そのさみしさを突き破って歌うことができたら最高じゃないか?

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