みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

july pt.2 《今月の歌篇》

 

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   *


 うごくことさえできずにきみが立っているのを観察する植物


 でもそれがなんだったかがおもいだせない夏草のかげ


 くだらないひとだねっていわれるかも知れない大人になりきれないぼくは


 花かすみ病かすみのなかでいま身をひらかれるひまわりの種


 きっとここがいやなんだろうとおもい斧をあげるひみつきちかな


 傷みさえいいわけにするきみの卑怯もう少しだったら解きはなたれたのに


 そんなことはできないよ、まるで魔法の絨毯を洗うようなことなんて


 きみがきみひとりでいるほうがみんな倖せだろうっていいたいんだ


 だってそうだろう草舟がゆくところまで歩くなんてのはいやだね


 なによりもあざやかなのは半ズボンがきらいだった少年時代

 

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   *


 たがいにすれちがいつづけいつしか老いてゆくんだ縁日のなかで


 ぼくがもっと大人だったらよかったのにすべてがわるいおもいでになった


 夜の河、夏の河しずかに流れる水死人みたいなかつてのかたおもい


 ながいあいだきみが好きだったいまではなにもよくわからないでいる


 ひとちきり砂のうえを歩く海は夜の光りのなかで鈍く流れる


 空気の凋んだボールみたいな抗いがきみのなかにて転がっている


 緑色みたいな声だ、草壁にボールを投げる、たったふたりで


 廚にて桃が腐れてゆく真昼べとついた手で故事を筆写す


 どうやってきみが帰って来るのかを古語辞典のなかに見つける


 きのうがまたきょうのふりをして歩いて来るなんだよおまえ地平線にでも帰れ

 

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   *


 剃刀の光りのなかの黒猫の仕草が昏いところに芽吹く


 常しえにきみのおもざし揺れるときふとあたらしい犯意を見いだす


 蝶死せるいっぽん道の彼方にてだれが殺したとつぶやく安寧


 同調するぼくと煩悶するぼくのあいだ透きとおる茎みたいな刃


 きれぎれになって落ちたる古傘の破片がひとる窓を過ぎ去る


 でもそれがまちがいだなんていわない午前一時の脱走劇


 はなればなれでおかしくなりそうだぜんぶが過古になるという解を求める


 前科者ロックンローラー人夫だし検品係あしたの愁い


 草のつゆはつなつの朝零れたる一瞬のかよわい諍い


 夏の境界線を歩け、歩け、やりまくれないのなら歩け

 

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   *   


 水のむこうにはあの子がいるという仮定ばかりの夏が始まった


 水中めがねなくしちゃったよぼくはもう男の子にはなれないかもね


 リングイネ茹でる午后の陽かたむいて生田川へとぶつかるあいま

 
 熱い茎どうしていいのかわからないからとりあえず架空のひとたちをおもう


 そればかり繰り返してもはやあともどりにできない魚かげのゆくところ


 もうどこいくこともない蟷螂が首をかしげるまでは


 かぜいっぴき素直になれるまでぼくはぼくを諒解しないだろう
 

 まだ緑昏いままかな流木のひとつを友に歩くあけどき


 なみだという一語の対義求めつつひざかりに子供靴ひとつあって


 いまだ友だちもいないままかはるかなるところまでの鉄をいま踏む

 

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   *    


 july──火のような灰のようなものとともに祝え誕生日など


 花、水、木ともに去りゆくひとびとのあとに時雨れて消えるくやしさ

 
 それがそれを蚕食しております、でもぼくは順番ではないのです


 かなづちのきみが両足ばたつかせ泳ごうとする再会のとき


 ぼくの足はふるえてるどうしたものか貝殻が怖い


 なにをするでもなく読書灯の灯りを消して朝を待っている


 抱きしめるだれもいなくてそぞろゆく慰めるということのおもさ


 きみがまだだれかだったころをおもうなまえのない深緑のジャンパー


 だれのかげもかたらない青白い光りのなかでひとりぼっちをわうだけ


 なんだよこの淋しさはまるでかばねのようじゃないかきみはまだ生きてるの?

 

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   *    


 最愛という辞の意味、愛悪という辞の意味なんか忘れて泳ぐ月の光りは


 どうしてきみがいないんだってなんども反芻した 牛のように反芻したんだ


 たとえば誤解されたままきみが蔑すだろう ずっとぼくのことなんか


 生きていることがいつも恥ずかしい きみがたとえそばにいても


 やれるものならやればいい きみがどうしてもぼくをしめたいのなら


 できることはもうないなんてぼくはいいたい でもそうじゃない


 雨が、雨が降りたいんだっていうなら 降らせろよ!


 故もなく訪ねて来たるわれひとり、ひとりのときの月曜日かな


 ひとりまぶたのなかに消えるきみ、きみさえいなかったから路次はそれだけすずしいか


 まぶちには水をいささかたくましい男でありたいとおもうかぜよ、まちよ


   *   


 はじまりは河床のぬかるみ いつもいつもぼくのなかにあるそれらしきもの


 窓のなかでためらいながらいるとかげまだ手心の正体も知らないでいるのか


 ここにあるだけの夢、このまえに消えた夢、さっき掻き消したばかりの夢の断片


 黙ったままでいてあげるから いてあげるからきみがいるっていう論証をくれ


 星が泣いてる ただそれだけのことでもうなにもかも棄ててしまいたいんだぜんぶ


 きみに聴いて欲しい ぼくがどうしてひとりなのかを いま


 なぜ夏の声を聴くのかわからない ひとびとがいま過ぎるなかでも


 七月は朝餉のときにひるがえるきみのふりした布のひとひら


 ぼくの耳を土に添えていつか幾許のうずきを聴きたいとおもうつかのま


 でもこうしたほうがいいんだっておもうことのためらい

 

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   *  
 

 期して挑むことのさみしさ、こんなはずじゃなかった舟がいまゆれた


 濡れたダウンジャケットのおもさ 透明のかぜにながされてしまうのか


 どこかへといえないことの明るさを慰めとともにさ迷うおもい


 鐘が鳴るみたいにギターがなるダイナコンプのひびきのなかで


 しょうがいないねとつぶやく夏は凍てついた壁のようには応えてくれず


 きみがまだ幼いときをおもいぼく窓に散る嚔のようだ


 どうしたものか、ぼくばかりここにいる蓮の葉の回転するあいだも


 きみを待つようなふりをする深緑のパーカーが好き


 どれだけのこと、これだけのこと、きみと話したっていうことは


 伝説のなかに戯れてつかのまの急行列車に飛ぶ亡霊の使徒


   *

 

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コラール

 

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 ぼくがいいたいのはそういうことじゃないくって、
 たとえば蛍火が夏のラインをかすめていったあとの、
 そのガードをいまいちど確かめたいんだっていったあのとき
 夏草がえらく繁った港町の稜線、
 車が遠ざかる一瞬、
 光りが光りでなくなる一瞬、
 つまりはそういったもろもろを見、
 確かめたいんだって
 
 ぼくの位置のふたしかさ
 きみの未来のふたしかさ
 見えるものすべてのふたしかさ
 そんなものが中空に飛来している
 なあ、どっかへ遊びいこうよ
 でも、きみはちがうという
 ぼくがいたいのはそういうことじゃなくって、
 夏がはじまったとたんになにもかも落ち着かなくなって、
 あらゆるところで翅をふるわせるみたいに存在してるってことなんだ
 
 ぼくはそれらをたしかめる
 きみはたぶんそんなことはかまやしない
 緑色の熾きが澱のように重なるとき、
 ぼくはたったひとりきみのために
 トースターの電源を入れる
 そして朝餉のなかの、
 ふたしかさのなかで、
 たぶんきみが幸福であればいいなんてことをかぼやいたりするんじゃないかな?

 

レゾナンス

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 そのわけを聞かせて欲しいんだってぼくはいった
 それでもかれはなにも答えなかった
 いったいなにが始まるのか、
 終わるのかもわからないままで、
 階段の踏み板を踏む
 鉄が軋む
 どっかで花火みたいに警報が鳴る
 それがなんなのかもわからないままに
 ぼくはふりかえり、
 かれはふりむかない
 きみならどうして、こんなことになってしまったのかがわかる
 でもぼくはいまのところきみにいったりはしない
 どうか黙っててぼくのそばにいて欲しい
 星霜が降る、
 屋根を貫くみたいに降る、
 ぼくはなんにもできなくなってだれかを呼ぶ
 その声は曖昧だ
 どこに一歩踏みだせばいい?
 もし田舎の一本道で迷ったらどうすればいいのか
 きみならどうする、
 蘇ることの、
 煩わしさ、
 騒ぎのなかで手を延ばしても、
 だれもなにもなかったとき、
 ぼくはまだギターを触ってるのか
 ぼくはまだトリルをやってるのか
 ああ、たやすいことだ、すべて、
 きみがここにいないようにして、
 ぼくがかれを殺してしまうんだ
 うたかたの世界で、
 ふたりきりでできるのはそれだけ
 #Yeah!
 #Yeah!!
 #Yeah!!!
 掴まるところがない場合は、じぶんの魂しいに手をやって、
 祈るか、叫ぶか、奪うかして、
 寝るなり、焼くなりする、
 そしてもうきみのことなんか、
 ぼくも忘れて、
 互いに忘れて、
 どうぞ悲鳴のなかでタッピングしてしまえ!

縁日の世界《今月の歌篇 pt.1》

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   *


 july, july, july,──世界の果てにいきたいんだ世界のすべての七月のなかで


 もうじき晴れるという報せ来て河床に素足を入れる、ほらこれがきみの羊水


 夏色の麦いっぱいの平原を飛べる蝶はるかまだ知らないところで落ちる 


 虹あがるボーキサイトのかなたにてきみがあらわれるという幻


 それがぼくにとり倖せだってことをきみに告げるかまだわからない


 ゆうこの誕生日にかの女の夢を見る帰れないところに来たという根拠


 夢で在ればいいのに雨のむこうがわにきみらしきひと見えず


 瞬きのあいだにすべて消えてしまうはかなさという雨の正体

 
 誕生日が来たという実感もなし論証不在の7月3日


 まだわからないのかあれがただの俄雨じゃないってことが


   *


 そしてまたきみの幻影に歩調あわせいつのまにやら消えてゆくこと


 飛び立つところ見つからず老いてしまうかぼくのレインコート


 ところできみが着ていたというのはこの時雨のことだとうか


 すべては見せかけだろうか崩落する宵待草反転する花と美人画


 きみへの道すがら死んでしまったものたちを弔いたいけど茶器がない


 おれがただ銀河の西へいったくらいで腹を立ててる母のまぼろし


 なくなればいい ぼくが描いたものみな、陽色のなかで燃えつくされて


 月の夜のゴンドラゆれるまだわずか魂しいらしいものを見つけて


 あれからというもの、ぼくがきみを妨げてるみたいな気がしてる深夜


 たとえば草のように花のようにゆれてみたい傘ならきみが持てばいいから 


   *


 ここに存るということのはかなさばかり遠くにはかげりつつあるゆうこの笑顔


 かげろういまだ見ずぼくのうちを燃えあがる梁が痛いんだどうしたらいい


 するとどうだろう?──きみのなかにいるぼくがすっかりいないくなる水槽


 かげを打つしんがりぼくのまぼろしがいなくなってる真昼の解読


 みどりごのうちなるみどり充ちたれてやがて暮れゆく生田川公園


 みそひともじのきみへのおもいすら棄てるきみはぼくを忘れてるという仮説


 ぼくのなかのきみがいなくなるなら悦んで種を蒔く七月の果てに蒔く


 時が終わるということにただなにもできず手巻き時計の淋しさばかりあって


 やがてまた会えるだろうとおもってたぼくの浅はかさを笑って欲しい


 時が鐘を鳴らす教会の尖塔に鳥がとまり雲はるか港を流れる


   *


 いつのまにやらきみを好きだったといういいわけじみたぼくの論説


 星を引き摺りおろすみたいにしてきみのいない教室をおもいえがく夜


 なにも得るものがないまま帰ることもできずに原野の黝い敗北


 時として寄るべき旅するぼくの墓標みたいなかげまたひとつ


 それはぼくのせいぢゃないんだ黒髪みたいな雨が降るのは


 それがまたかたおもいと呼べるならいつまでもぼくはその道を歩く


 午睡するぼくの時間のかたわれをきみに捧げるあけどきのほどろ


 星憾むささやかなときひとり「ぼく」を葬り「わたし」に返る


 だれもまたいずこに帰るからす飛びまた幾千の星霜となるだろう


 からっぽの世界のなかに沈みゆく磔刑として裁かれるぼく


   *


 夏草の繁る道あり白雨ごと手を濡らすもの・ぼくは愛する


 見えるだろう。時のしずくにいま映るきみがいるという世界の分岐


 草かげにうずくまるのみ若さという通行許可を喪ったいま


 縁日の世界のなかでたちどまるもうだれもないという証明


 舟ゆらすはないちもんめ国を売るおもいでばかり流しそめたく


 櫂もなしひとりながれを見つめてはぼくがだれだということもわからず


 荒れ野にて花万華鏡ゆさぶってきみが現れないかとする実験


 ひざかりに点々とする血のしずくだれにも繋がれないということ


 指にミズあかりをくゆらせてようやく雨季の訪れを識る


 いま映像が消えてしまった、フィルムはもう光りのなかをでてしまって


   * 
 

 なんのためになんのためにぼくが存る虫が歩くきみが消える


 そうだとはいえほとんどの子供が死者を持てないだなんて


 july, ──かりにきみが会えたからってどうなんだろう声のつづまり憶えるだけか


 どうして!──どうしてそんなことまで発見しなきゃならないなんてだれの選択だ! 
 

 だれかがぼくを撰んでくれたらいいのにとおもう夏化粧


 そうだったらいいのにそうだったらぼくが誕生するはずもなかった青バナナ


 思慮もなく侍女崩落のところに残すなんの憾みすらなくてただ


 うつくしき化身や邪神のみにわが験しざられる熾きは在らざれ


 うつろなるかの女のまなこ乳色の天の川にてひらかれるのみ


 放たれる仮のぼくのみ蛍火のしっかり熱い部分にまぎれ


 
   * 


 まだ切ないという辞に照らしてみればきみはぼくを憐れんでいるのか


 帯電しやすきかまきりなどの混ざった指さきの汁を嘗める


 ばかな心ばかりがここにあってどうしてきみ忘れられるか


 土ばかり球根ばかり地に存ってまだおれならどうするのかもわからない夕暮


 もはやしんみりしてられず大きな葉っぱふりまわしたる


 伝令聴くだれもいなくなった広場にてかげろうのかげ薄く煮え立つ


 見かけないひとがゆうこのところやって来るそんな夢見るはつなつの沖 

 
 みどりいろなす枇杷の実のすべてが欲しい反逆ののち


 まだ春の名残があって草光るまだおれも生きてるんだという強がりよ


 いついまでもこうするつもり天籟のひびきのなかの運動靴鳴る


   *  


 ぼくはぼくでいられないあやめの花涸れるところまで歩くだけ


 憐れにも水ひかるとき手のひらをかざしておもう・七月はいま


 きみにまだ好きだといってなかったことの寿ぎはどこにある?


 遠ざかるおもいのなかにさまざまの色をなすのみあじさいの死


 もどることできずにいる、公園の真夜中の惑星にはもう、だめ


 詩のうつろ、足のうらで感じる、すべてがさもしいとつのる声


 帰宅するわが家もなくてひとりずつ引き裂かれて豚の皿になる


 蠅の飛ぶ王なき室の片隅の昏き地平の旅をつづけているなかを 

 
 花の名はおもいちがいの果てですか、そうもよいとかれはいう


 七月の夜に啼くまま猫のいるアウト・フォーカス見なかったよ


   *  

 

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ヴィクトリア様式の古便所

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 シャシンについて序章

   *

 おれがまず手にとった父のカメラだった。それから小学6年生の修学旅行でトイ・カメラを買った。110フィルムを使用するやつだ。こいつで卒業記念に写真を撮りまくった。でも現像してみれば、ちゃんと写ってるものは数枚しかなく、大抵は露出不足か、対象の1メートル上を写してしまったものばかりだった。
 中学に入ったころ、おれは1枚の写真に興味を持った。それはエレファントカシマシの「明日に向かって走れ─月夜の歌─」のジャケットだった。写真は佐内正史。アウトフォーカスの夜景がなんともよかった。翌年、映画「ラブ&ポップ」を観にいった。主人公はいつもカメラをぶらさげ、シャッターをしつこいくらいに切る。映画の写真集を買い、戸崎美和を知った。さらに翌年、くるりの「さよならストレンジャー」がでた。写真は佐内正史。いちばん初めに好きになった写真家だ。心底、いい写真だとおもった。でも、そのころおれはまだカメラを持つ気にはならなかった。さらに翌年から音楽雑誌を買うようになって、写真を見る機会も増えた。だれが撮った写真かを確かめるようになった。でも、わたしが最初のカメラを買ったのは18歳になってからだ。スメナ8をネットで買った。多重露光や、バルブ撮影を憶えた。
 そのころ、寺山修司作品に触れるようになり、森山大道に興味が移った。「にっぽん劇場写真帖」の迫力、ど現実さに圧倒された。それからはしばらくカラーをやめてモノクロで撮るようになった。なんとしてもかれの写真に近づきたくて、カメラを持った。しかし'05年の上京でカメラが毀れてしまった。生活もままならず、おれは写真を諦めた。それでもイアン・ジェフリーの「写真の読み方」や「現代写真論」などを読む、写真について考えを巡らしていた。6年経って、'11年の冬。骨董屋で千円のカメラを買った。ミノルタhi-matic。電池は廃番になっていたが、通電を自作して乗り切った。おれはまた写真を撮りつづけた。それらは第2詩集「38wの紙片」に結実した。レンズに疵をつけたアクリル板を貼り、光りが分散するように仕込んだ。

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 もういつのことかはわからないが、ネットで高橋恭司のインタビューを読んだ。かれは生前のブコウスキーとも会ってるという。興味を持って「津津と…―異本ザ マッド ブルーム オブ ライフ」を買った。けれども、そこにブクの写真はなかった。けっきょく小宮山書房で¥3000の用美社版をたまたま見つけて買った。大版カメラで撮られた写真はどれも素晴らしかった。必要なものが必要なだけ、フレームに収まっている。対象に垂直、水平で、なんの気取りもない写真。そこにひどく惚れた。じぶんも大版のカメラが欲しいとおもった。でもそれは断念した。真似をしたってしょうがない。
 去年のある夜、おれはネットオークションで、スメナ・シンボルを見つけた。いまはずっとそれを使ってる。

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──という文章を書いてみたんだが、どうにも浅彫り。写真について辞で語れるほど、わたしは成熟していないということが見て取れる。というわけでこいつは没だ。

 ところで、このブログのサイドバーには「amazon list」というものがある。知ってるか? わたしに活力を与えたい、あるいは堕落して欲しいひとはそこからなにかを送って欲しい。あるいはわたしの口座に投げ銭でも入れてくれるのもいいだろう(作品が気に入ったらお願いだ)。きょうはひさしぶりに港湾労働。食い扶持を見つけるのは容易くない。来月からはもうちょっと楽な仕事を見つけたい。どうか慈悲を、慈悲を、慈悲を、まったくうそのない、とりかえしのつかない人生、そいつを机に叩きつけながら、わたしはこれからも書く。もちろん、こんなことを書いていれば確実にきらわれるだろうけど。

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