みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

かつての、かつての、

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from a jack-off machine#05[end]

 

 あたらしいものが書けないとき、かつてのものを読み返す。どれもこれもひどい。たしかにぼくの書くものも、内面も、暮らしぶりも、過古よりはずっとよくなってる。おととしよりも去年、きのうよりもきょうというぐあいで、前進できるてるっておもうことも。それでもすべてがよくなってるわけじゃない。わるくなるだけのことだってある。そういったもろもろに対してぼくは無意識に防禦してしまい、まったくの明き盲なところがいまもある。なにもわかってないのをさもわかってるふうにしてしまうところがある。きょうはそれをもっとはっきりと捕えたい。
 たとえば「from a jack-off machine」という、かつての連作の散文を読み返す。第1回を書いたのは、3年まえの'14年3月で、当初はブコウスキーの「note's of a dirty old man」みたいなものを書きたかった。息の長い文を書くための訓練として書き始めた。実際書きあげられたものは下手なモノマネで、無意味に攻撃的、いきり立った、余裕のない駄法螺だった。最初から最后まで《おれは凄いんだ、おれはまちがってないんだ!》とわめき散らしてるだけのものだ。正直、葬り去ってしまいたい。けれどもぼくはいい加減、自身のやって来たことを直視したい、そうおもってる。ぼくは齢をとったし、からだも衰えてる。これ以上、おなじまちがいは冒したくはない。
 あのころは、そうとう気が立ってた。過古のことでずっと怒り、悲しみ、悔い、それをやっつけようと作品をつくってた。歌ものをいくつかつくって室でデモを録音した。ライブにも数回あがった。なんとかして名をあげたかった。名声が欲しかった。終わってしまった20代や、恵まれない自身の境遇に勝ちたかった。もちろんのこと、そんな目論見はぜんぶやぶけてしまった。なにをやっても、初恋のひとにも、かつての馴染みたちにも赦されないばかりか、生活の糧にもならないということをわかってしまった。
 ぼくはいびつな家庭に育った。しかも先天性の障碍──自閉症スペクトラムADHDアスペルガー症候群──のためにひどい無理解と誤解と齟齬のなかで生きてきた。もちろんそれらを悲劇化するつもりはない。診断されたのはここ数年だし、大したことじゃない。問題は後天的なことだ。いびつな家庭と学校教育のために二次障害を起し、アルコール依存症になり、それがいまもぼくを苦しめてる。対人関係の問題、境遇の問題はどんどん大きくなった。25歳からは健康問題がふくれあがって、身動きもとれなくなった。かつてのことを悔み、嫉み、だんだんとぼくは憎しみを募らせた。父も母も、姉妹も、祖父母も、教師も、幼馴染も、同級生も、すべてが敵だった。

 '11年、それまで閲覧するだけだったBという文藝サイトに書き込みをはじめた。住所不定のぼくは虚勢と罵倒と居直りの手練手翰を学んだ。いろんなひとびとを罵った。みずからの実名を曝してだ。そしてそれが板についてしまった。まちがった認識のなかで、次第に人生が壊れてった。
 '13年、ぼくは四度めの急性膵炎で入院した。そのとき、古本の恋愛小説をもってった。病床で過古の恋についておもいめぐらした。23のときの子には会えない。高校のときの子にも。──でも小中学校のときの子には会えるかもしれないとおもった。かの女は初恋だった。退院後、ぼくはフェイスブックでかの女を探した。でもけっきょくかの女とはうまくいかなかった。ぼくには他社の気持ちをおもいやるということができなかったからだ。無分別に希死念慮を語ったり、かの女の男友だち──かつてぼくを虐めていたひとたち──を攻撃したり、挙句に冷たくされて、幼稚な怒りを露わにしたりで、かの女は沈黙してしまった。ぼくはその沈黙に耐えきれず、過古のいじめを蒸し返して、多くのひとを責め、罵った。それを心あるひとに注意されれば、卑怯な弁舌で交わし、真正面から答えなかった。昼も夜も酒に浸り、悪態をついては、醒めて正気に戻るというありさまで、かの女や、いじめっ子たちのことを実名あげて罵っては書き込みを削除していた。
 ずっとぼくは弱いじぶん、うろたえるじぶんを覚られまいとやって来た。一般のことがなにも知らない、わからない、そんなじぶんを庇いつづけきた。なにもわからないじぶんを隠すことでいっぱいだった。怖かった。相手を見下して攻撃しつつも、そんなことで満たされないのを知っていた。

 ぼくはひとの機微がわからない。ふつうのひとびとの生き方がわからない。ひとの気持ちが読めない。じぶんがなぜこんなにも過古に拘るのかがわかってない。けっきょくはいま現在がうまくいってないからだ。ほんとうのことをいえば、ぼくには知性も教養もない。タフじゃない。やさしさないから生きていくに値しない。ただ無意味にじぶんを正当化しながら、怒りや不安、見当狂いな諧謔に刈られてひとを攻撃してるだけだった。なにもかも言葉遊びだ。
 ほんとうのぼくは弱い。ぼくはもう33歳だ。髪は薄くなったし、筋力は衰えた。来月には形成外科で検査だ。いまもまだ初恋のひとを夢見る。かの女に逢いたいとおもいこともある。でも、それはただの未練と執着だ。いまでもかの女の顔も声もおもいだせない。長年の飲酒癖で、細かい記憶は薄れている。もし早いうちになんてこともない、普通の会話ができていたら、いまこんなに苦しむこともなかったろう。

 《ひとを傷つけるひとはきらい!》──3年まえにかの女がいった。そうだ。ぼくはかの女を、かの女のまわりのひとびとを傷つけた。あのとき、「ぼくが傷つけた。ぼくは傷ついてない」と虚勢を張った。

 けれど、たとえ過古になにがあろうが、自身の境遇がどんなものであろうが、やっていいことと、わるいことがある。そしてぼくのやったことはまちがっていたし、ぼくの書いていたこともまちがっていた。考え方も手法もでたらめなまま、多くのひとに迷惑をかけてしまった。そしてぼくは自身の言動によって、いまもおもい悩むときがある。自業自得だ。たったこれだけのことに気づくのに4年もかかってしまったのだ。けっきょくは社会性の欠如ってだけだ。
 とりあず、でていこう。──もっと忙しくなろう。留まっていては、持て余していては碌なことになりはしない。わるい考えに足を捕られてしまうだけだった。それもごくごくあたりまえのこと。あたりまのことに気づいただけだった。

 じゃあ、また。