みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

チャールズ・ブコウスキー「パルプ」1994年

チャールズ・ブコウスキー「パルプ」新潮文庫(旧版)・ちくま文庫
Charles bukowski "pulp" 

1994

Pulp

Pulp

 
パルプ

パルプ

 
パルプ (ちくま文庫)

パルプ (ちくま文庫)

 

 


 チャールズ・ブコウスキーのなまえを知ったのは、神戸市図書館の分所だった。そのころは、うだつの上がらない派遣仕事をやって日を喰い潰しながら過ごしていた。最初に手にとったのは、「町でいちばんの美女」と「勝手に生きろ!」だった。短いセンテンスで語られる素直な文章に惹かれた。けれど本を読むには暮らしがわるかった。わたしは作者名をあたまに刻み、建物をでた。
 それからしばらく経って大阪は芦原橋へいくことになった。公園に寝泊まりしながら暮らすなか、ようやく見つかった仕事のあてだ。けれど飯場に来てみれば連日、雨。あるとき、「京都で茶摘みの仕事がある」といわれ、わたしは高槻の飯場に移った。そこでも仕事はなかった。わたしはくそ高い丘のうえから、毎日散歩にでた。その途中に図書館があった。なにもすることがなく退屈していた身にはうってつけの場所、そこでブコウスキーと再会した。本のなまえは「パルプ」。素っ気ない表紙に赤紫の文字。そいつを借りて飯場の室で読む。わたしは24歳だった。

 「パルプ」は'91年に書き始められ、'93年春、白血病の診断によって中断、'94年、死の直前に出版された、ブコウスキー最后の長篇小説だ。かつてパルプ雑誌で旺盛を極めた探偵小説というジャンルを、ブコウスキーは冷たく嗤いながらからかっていく。
 主人公はニック・ビレーン。ロスアンゼルスの自称スーパー探偵だ。太っちょで、酒と競馬に依存している。独逸の拳銃ルーガーP08を所持。いつもダービーハットをかむってる。女とはほとんど無縁。かれには三つの依頼がある。ひとつは赤い雀を探すこと、もうひとつは死んだはずの作家ルイ・フェルディナン=セリーヌを探すこと、女宇宙人ジーニー・ナイトロを始末すること。もちろん、こんなことはでたらめでしかない。いちいち書いてもきりがないから、やめとく。とにかくこの小説を読んでわたしは笑った。とくに酒場でのいざこざの場面がいい。科白といい、人物といい、なにもかもが。


 「メアリー・ルー!」大声がした。「そこのケツの穴、お前に嫌がらせしてるのか?」
 バーテンだった。ゲジゲジ眉毛のチビな奴だ。
 「大丈夫よ、アンディ。こんなケツの穴、あたし一人でさばけるわ
 「そうとも、メアリー・ルー」俺は言った。「いままでずっと、ケツの穴ならいっぱいさばいてきたもんな」


 この小説の凄みは「来るべき死」の予感を逃げずに書いているところだ。それもユーモアを込めて。弱さを隠さず、素直さのなかで死んでいくことによって、ビレーン及びブコウスキーはその人生を全うした。自殺体質を自称し、死を意識しつづけた詩人兼作家の極点がそこにはある。確かにある。
 ちなみに「ワインの染みがついたノートの断片」に収録された'90年の未収録作品「もう一人の自分」は、この長篇におけるいくつかの部分を先行してる。謎を追う主人公、超自然的な存在、奇妙な犯罪譚。

 

パルプ (新潮文庫)

パルプ (新潮文庫)

 

 

 だいぶあとになっておれは新潮文庫版を手に入れた。ゴッホ今泉のイラストがいい。そういえば高校生のころ、こいつを本屋で見つけて手にとった。実際に読むまでになんと時間がかかったことだろう。わたしはおもいだしてこれを書いてる。
 ところで高槻の仕事はまっく金にならなかった。寮費でマイナスになった挙句、わたしはトンコ。いったん三宮へいき、そのあとは1ヶ月舞台役所に見習いみたいなことやり、あとしばらく大阪と兵庫を行きつ戻りつしただけだった。きょうは文無し。だからしばらくあいだドカチンでもやって喰いつなごうってわけだ。