冬頃、未収録詩作品をPDFで無料配布します。現在、編集中です。表紙つくりました。絵は’03年の朗読ライブ「地団駄ライブ! 朗読ビート!」のものです。若干ですが紙本もつくります。本書を荒木田義人に捧げます。
冬頃、未収録詩作品をPDFで無料配布します。現在、編集中です。表紙つくりました。絵は’03年の朗読ライブ「地団駄ライブ! 朗読ビート!」のものです。若干ですが紙本もつくります。本書を荒木田義人に捧げます。
あたらしい作品を販売することになりました。受注生産です。絵についきましては希望者にカタログを送ります。
それは天気のせいさ──サニーデイ・サービス「サマー・ソルジャー」
*
生命の理やぶりそれほおどにきみと会いたき夏のはじまり
水たまり飛び越しながら光りつつ最后のひとつに加えられたし
ソーダ水の残りの滴ぱちぱちとしてコップのなかの犀目を醒ます
はつなつの兵士のひとり走り去る丘にいっぽんのれもんの木
叢の昏れるトーチカ銃痕の数ほどにあらんや若き友の死
ひとを恋うる歌もてひとりふりかえる天慶の為せる愛を書きたり
またしても雲掴もうとするようにわたしのなかの天蛙鳴く
ひとり発つひとの在り処や青電の暑さのなかにみな息をしおり
なにもかも霜月になればいいのだと夏の鐵路のいっぽんに泣く
*
あなたまだ流線型をしてるよと市電のホームに女佇む
ひとのなき青森県の三沢にてふと雨さえも言語足り得んや
暮れる旗わが神ならずまま暮れるやがて秋なる尻屋崎にて
神々のビートよぼくを忘れ給い、扼するみたくぼくを抱き給え
ひとひらの葉書に見せて擬態する七月の地をぼくに預けて
灰かぶり姫の幸せ語りつつ蝋引きのタンブラーに安酒の父
みどりごの不幸な結末を語りたがりぬ若きわが伯母
ここにいて心地よければ祝福となすがよろしいと夏の祖父母は
手相見の相場のごとくちりじりに別れゆくかなぼくの家族も
申楽のかたちを借りてきみの語る大きな夏の崩落のとき
*
ゴールキーパーの汗とともに失せたりぬ国境沿いのジューク・ボックス
たくさんの夏蝶いまも眼帯としてわれのうちなる生き物を為す
夜のときモーテルひとり泊まり来てコップのなかの鯨を屠る
たったひとり天仰をする警官のかげばかりなり標本製作
唇のもっとも乾くころを見て少女の花に唾滴れり
逃げるように駈け抜けて猶夏蝶のまぼろしとあれ脱走兵なぞ
生き残るサマーソルジャーはつなつの天体図鑑に葬られたき
あてどなきぼくという名の弁明を物干し竿に仰ぎ見たれり
なにものも欲せず夏を一過する貨物列車に身を委ねたき
夏を過ぐるいっぴきの猫歩くとき死の爛爛を咥えるべきかな
花狂いするものみな射れよといっぱいの水に潜れるひともありけり
*空想はイメージです。
とうとうわたくしも34歳と相成りました。最近はずっと小説にとっくんでます。けれども反文学を志しながらわたしのなかには映像ばかり。以前に映画監督ジム・ジャームッシュの《英文学を専攻していたが、書くものがどんどん映像的になっていった。そして映画科の願書を取りに行った》という一節をおもいだし、わたしもいまの作品が片づけばシナリオ書きに転向しようかとおもっています。小説はなにかと不経済な方法で、書き上げるまで時間も魂しいも使い切ってしまいます。その点、シナリオはつねにどこかで募集があっていい。寺山修司式にラジオに売り込むという手もある。
中篇「犬を裁け」改稿のためにはもっと広い視点がいる。種本をカミュの「異邦人」に変更。冒頭にあたらしい序章を入れる。小説のための要素を再考すること。「群像」新人賞用に「ソクラテスというポン引き(あるいは「女衒としてのソクラテス」)」というのを考えている。その美しさから女衒に狙われる歌手志望の女と通称ソクラテスと呼ばれる老ポン引きの話し。女がショービズで勝ち上がるなか、ソクラテスは哲学を懐き、明晰になっていくも零落の一途。しかし、これはシナリオ向きかも知れない。ラストは海辺、過古の醜聞を暴かれた女歌手と、老人が手をとって波へ消えていく。でも死ねない。死は解決ではないから。
長篇はなんども加筆と削除のくり返し。今月中が締め切り。未練はあるが予算とレイアウトの都合上238頁を厳守しながら改稿するのは疲れる。ネットで出遭った女との会見とか、書き足りない挿話はあるものの、どれもがぶつ切れで橋渡しのやりようがない。頁が足りない。ここはあきらめてまずは採用されることだ。
あと、もうじき電話を復活できそうです。遅くとも来月初めにはなんとかなるかも知れません。空腹と蝿に耐えながらきょうは読書の日です。ドーキンス「神という妄想」という無神論の本を読んでます。
では失敬
進化とは何か:ドーキンス博士の特別講義 (ハヤカワ文庫NF)
《よりかからないでください》──これは、'88年「PATI-PATI」誌上に載ったエレファントカシマシ「THE ELEPHANT KASHIMASHI Ⅱ」の広告コピーである。深読みすれば、これはきっと「おまえらを励まし支えるような気楽な歌ではない」ということだろう。わたしがかれらを知ったのは'97年、「今宵の月のように」からである。わたしは13歳だった。かれらの素直な声と演奏は、当時のシーンの装飾過多な世界から遠く、そして心地よいものだった。はじめてのライブは'03年の"BATTLE ON KOBE"で、これは元スライダースの村越とのジョイントだった。わたしが熱心に聴いた作品は、エピック期の「浮世の夢」、「生活」、「奴隷天国」、ポニーキャニオン期の「明日に向かって走れ─月夜の歌─」、「愛と夢」、東芝EMI期の「俺の道」、「扉」、「町を見下ろす丘」である。ユニヴァーサル期のものは正直いまだに買っていない。強気なメッセージは空回りし、商業ロックのなれの果てといった趣がするからだ。それでも公平に見れば、初期にはいくつかはいい曲もあった。けれどデビュー30週年を迎えて猶、現在活動しているかれらの新作アルバム、「Wake Up」は試聴してあまりの酷さに辞もなかった。
個人的な恨み辛みでもなく、もはやメジャーレーベルですら作品をつくりあげるということに興味も金もなくなったというのが、第一印象だ。狭小住宅がその半径2.5mを歌っているようなていたらく。ユニヴァーサルではなく、スピードスターあたりなら、もっと優れた作品を残せたかも知れない。もはや、かつてあったアルバムのトータル・コンセプトなどというものはなくなり、シングル曲とそれを埋めるだけの新曲あるだけだ。持ち味はなんだ、ジャケット・デザインか?──いいや、あんなものよりもすぐれたデザインならおれでもできる。サウンドか──いいや。編曲か──いいや。内容のない空疎なアルバムだ。ユニヴァーサルのオーヴァープロデュースが盛んに槍玉に挙げられるが、それを含めてもバンドとしての現状維持でしかない情況や、あきらかな予算のなさ、オマケ付きCDの連発、歌詞の劣化(内容の狭さ、語彙の貧弱さ、対象性の曖昧さ、繰り返される無責任な励ましと自己慰撫)、音づくりの平均化は眼を覆いたいほどだ。そして音楽雑誌は宮本ひとりの心模様を伝えるだけで、決して批評はしない。褒めそやかすだけだ。ただの広報紙でしかない。かつて岩見吉朗というひとが洋楽誌の「Rockin'on」で、エレファントカシマシの批評を書いていた。あの一連を読んだときの亢奮と驚きはいまでも忘れがたい。批評が機能し、それが野次馬ではなく、書き手自身とのつながりを明確していた。けれどもかれは「生活」を批判したのち、一切エレファントカシマシには触れていない。いまは漫画原作者であり、大学講師である。それにしてもあの「RAINBOW」の腑抜けた顔の写真が、高橋恭司の撮影であると知ったときも驚きを禁じ得なかった。かれがあんなにもつまらない写真を撮ってそれをデザイナーがさらにつまらなくする。いったい、なんなんだ?──わたしだってもっとましなものがフリーソフトで充分つくれる。
エレファントカシマシ ~ 自宅にて (sound only)
去年、刊行された「Rockin'on Japan」のエレカシ本もわたしは不満であった。宮本の発言のみを切り取った書物には当時の空気が感じられない。読者投稿もコラムやレビューすらもなく、特に識りたかった東芝期の同時代性を窺い知ることもできない。なぜあんなものをつくったのか。けっきょくはファンアイテムのひとつでしかないうえに、一部の音楽雑誌はもうすでに精神性や心模様といったものでしか音楽を語れないほどに地に落ちたということなのだ。渋谷陽一も山崎洋一郎もMUJICAの連中も、音楽を云々する資格なんかない。ミュージシャンと馴れ合いがやりたいというのなら客に見えないところでやってくれ。山崎洋一郎の功績なんざ「奴隷天国」を腐しつつ「東京の空」への橋渡しをつくったぐらいだ。あとはずっと駄法螺をやっているだけで、音楽が不在ななかでただ相手を褒め、甘やかすだけである。
わたしの希望としてはユニヴァーサルが潰れるか、バンドがふたたび解雇され、今度こそインディーズにいくか、もっと制作環境のいい会社に移ることである。せいぜいその程度だ。曲の面でも詞の面でも百凡に陥っていることについていえることはなにもない。わたしはわたしの音楽をやるしかないのだから。
《ここまで言っても誰も怒らないんだろうなあ》──「奴隷天国」の広告コピーより。