みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

我修院達也監督作品オーディションについて

 我修院達也映画の件。2度も千円ほどの交通費を遣って大阪くんだりへいき、株式会社アスタークプロモーションでオーディション、後日最終審査を受けたにもかかわらず、最后の最后になって「出演するには24万払え」といわれて帰って来た。映画が商業作品でなく、エキストラの募集でもなく、無償の出演で「われわれもボランティアでやってるわけじゃない」という理由でだ。まったく詐話師としかいいようがない。そんな条件ははじめに提示するべきであって、書類審査が通ったあとでいうことではないだろう。最低限、明示すべきことなのだ。我修院だったらスポンサーだって集められだろう。けっきょく交通費ともろもろで3千円は遣ってしまった。懐がきびしいときにである。最低の撒餌。もしその条件を明示していればだれもオーディションには来なかったろう。

 

  *

 

株式会社アスタークプリモーション大阪本社さまへ

 

 昨日の最終審査にて疑念と怒りが残るのでメール送ります。
 なぜ最初の書類審査の時点で「出演に24万払わなければならない」ということをいわなかったのでしょうか? 最終審査の面談に30分ちかくたって、終わりに近づいてから出演することに費用がかかると告げるにいったいどのような意図があったのでしょうか? あまりにも卑怯に過ぎる。偽装表示ではないか。もしそれがはじめから提示されていれば無意味なオーディションに参加することはなかった。わたしは時間的にも体力的にも、精神的にも、また金銭的にも消耗しました。まったく詐話師としかいいようがない。あなたがたには倫理も道徳も徳義といったものも存在せず、あるいは無自覚で無恥な悪意を以って、わざわざ話を進めたとしかおもえません。あなたがたはわたしへの侮辱的行為を補填する気はないだろうし、直視することもないだろう。あなたがたが徳義を故意に持ち得ないというならば、機密事項など無視して、わたしのように騙されるひとびとを未然に防ぎ、抗議の声をあげるためにネットに記事を公表します。このくだりに我修院達也氏がどれほど認知しているのかはわかりませんが、氏の作品も今後いっさい見ることはないでしょう。かれもあなたがた詐話師と同罪と考えるからです。訴えるなら好きにしてくれればいいです。その代わり、わたしは法廷であなたがの倫理のなさについて暴き立てるでしょう。

 では失礼

  平成30年8月21日 中田満帆

 

  *

 
 帰りに駅までむかうと、けつがもろにはみ出たローライズの黒ズボンを穿き、白シャツを着た男がいた。Tバックが見える。男娼だろうか?──ともかく気持ちのわるいものを見てしまった。抗酒剤が効いているのに酒を呑んでしまった。あまりの苦しさで自宅まで帰る。薬を大量に呑んでシャワーも浴びずに寝る。

 

追記/

我修院事務所から返答があったので転載します。

 

ご連絡につきまして 

当社は大阪の(株)アスタークプロモーションから2018年7月に映画の監督ではなく監修のみの仕事を受けておりましたが、同年8月にその映画のオーディションについてのクレーム等の噂が入ってきたために即刻契約を解除致しました。依ってその映画の監修は行っておりません。レッスン料・映画参加費用等の事項につきましても一切の関知を致しておりません。また、上記契約解除以降は我修院達也の名前は一切使用許可を出しておりません。もし、未だに我修院達也の名前を無断で使用してオーディション等を行っているという事実が発覚致しましたら弁護士による調査・対処を致します。中田様には(株)アスタークプロモーションによるオーディション等の対応に大変不快な思いをさせてしまい、仲田様のお気持ちを察するについては業界の一端を担うものとして大変申し訳なく、また残念な気持ちで一杯でございます。

 

詩画集「世界の果ての駅舎」限定無料公開

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世界の果ての駅舎


 またも詩集を公開します。紙版が欲しい方は「製本直送」のオンデマンド印刷までお願いします。販売もしております。また喜捨をくださる方は、三井住友銀行・藤原台支店 普通 7489267 までお願います。御自身で印刷される方は、可能であればこの詩集を気に入りそうな方たちへ配布してみるものいいとおもいます。


跋文「何時くるかキイ・スミス」森 忠明

 三月末、筑摩書房から『1968 文学』なるアンソロジーが贈られてきた。四方田犬彦福間健二が篇著である。ひらいてみると私がセブンティーンの頃に作った長詩が二篇載っていた。中上健次永山則夫の詩にはさまれて。解説で四方田犬彦が「時代をすぐれて体現しているにもかかわらず、不当なまでに蔑ろにされたり、また一度も照明が当てられることもなく、忘却に付されてきた文学作品」だけを選んだ、と記しているのをみて、久しぶりに微苦笑の美を味わった。
 のっけから私事で、何を言いたいのかというと、中田満帆のこの詩集も五十年ぐらいは「不当なまでに蔑ろにされ」るだろうな、ということである。
 当時十代の私には拙詩と自分の価値などわからなかったし、半世紀後の今なお分からない。エジャクレーションに似た快感があったのをおぼえている。本来、暗数としての詩と天涯淪落の詩人に学者流評定は無粋の極みであるわけで、たとえ蔑ろにされたってどうともないのである。

 

 

 『世界の果ての駅舎』──正直、この詩集の真価も分からない。あとは好きか嫌いかしかないだろう。文質彬彬を理想とするガラパゴス系の私としては、「文」に傾きすぎた彼の詩よりも短歌のほうを高く買っている。あえて選べば「檻」という詩が好きだ。〈どうか信じて欲しい/ぼくというぼくが/新しい事実のための/かげだということを〉。
 生という人間動物園の檻から出て自由になるためには、「かげ」という名の解錠キイがどうしても必要であり、〈ぼく〉はその一要素だ、といういささかのヒロイズムがいい。でも〈ぼく〉は、そのキイの鍵穴の位置も、永劫に分からないものなのだ、ということも分かっているらしいことに泣けてくる。それゆえに悶えすぎる詩や悟りすぎる詩が多い詩集であり、やはり真の読者を得るには半世紀を過ごさねばならないように思われる。
 しかし「かげ」という無聲が、あらゆる有聲(文学)に勝ることを、かの白居易ならずとも音楽家であり画家でもある中田満帆は知っている。生あるうち、檻の鍵穴とはちがうホールやマウスを見つけだした彼は、独りジェイル・ブレイクに成功するかも知れない。そうしたら新たなキイ・スミスとして、詩か、それ以外の合鍵を気前よくばらまいてくれるはずだ。
 「檻猿いまだ死せず」──私は楽しみに待っている。

 

詩人・童話作家

 

世界の果ての駅舎──詩群2014-2016.pdf - Google ドライブ

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以下、販売先

www.seichoku.com

冬、未収録の詩作品を公開します。


 冬頃、未収録詩作品をPDFで無料配布します。現在、編集中です。表紙つくりました。絵は’03年の朗読ライブ「地団駄ライブ! 朗読ビート!」のものです。若干ですが紙本もつくります。本書を荒木田義人に捧げます。

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