みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

階段

 

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 外階段の半分に腰かけて、人生を降りる口実ばかり考えていた。生まれてからずっと、考えてきた。居場所をつくること、見つけることに疲れ、もはやなにもかもがうんざりさせる。男にも女にも嘲られ、親にも姉妹にも理解されず、ただただじぶんの不出来を呪い、それを補うなにかを求めて、さまよってきた。
 去年は港湾労働をやっていた。女たちにばかにされながら、男たちに笑われながら、青果物を捌いた。あるとき、摩耶の営業所のやつがいった、――おまえ、いっつもそんなんか?――どういう意味かと聞き返さなかった。わたしはどうやってもひとより遅く、要領がわるいのだ。他者と同調できないことが社会生活を妨げる。今年は2月、ほかの会社から港湾にいった。でも3日めにはクビ。夏にはニトリの倉庫を3時間で逃げだした。暑さのなか、マスクをして家具を運ぶのはだめだった。そして11月、ハム工場をその日限りでクビになった。うまくいったのは交通量調査だけだった。なにしろ、長時間坐っているだけだからだ。動かすのは手と眼だけでいい。
 ヘボな詩人は、社会性の欠如と才能とを混同しがちだ。わたしもずっとそうだった。群衆の一部になれないことを才能の証明のように受けとっていた時期がある。いや、いまでもたまにそんな解釈で、じぶんを癒やそうとすることがある。あまりに孤絶していると、じぶんに特別なものがあるかのように誤解する。だが、わたしにあるのは短歌だけで、しかもそれは金や名声とはまったく無縁の世界である。できることはひとつしかない。つまりやめてしまうか、残るものをつくるかだ。頼りになるのは障碍者手帳だけ。来年は手取り25万の障碍求人を掴みたい。わざわざ働いて貧しい暮らしはしたくない。仕事はあるにはある。しかし、いったい、どんな障碍なら採用されるのかがわからない。まあ、ともかくやってみるしかない。たぶん、それが社会参画への最後のチャンスだ。履歴書を撃ち尽くして、それでもだめなら、隠者としての道をゆくしかない。
 「ひとは自分の創りだすもののなかでしか生きられない」とシオランは書いていた。いまいちど、それを検証するためにわたしは職安にいく。叶うならば、だれか見ていておくれ。鰥夫暮らしの淋しさを一変させるなにかがあるかどうかを。

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