みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

好きになること、きらわれること(絵本のための試み)


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 十月のさみしい窓辺の席で、ぼくは授業中だのに空想にふけってた。浜崎先生のいうことはもうなにもわからなかった。学習ってやつに取り残されてぼくにはなにを考えればいいのかがわからない。もう六年生になってしまった。いいわけはできない。ぼくは学校がきらいだった。たのしくやってるみんなのことも、ほんとうは好きじゃなかった。ただひとり村上友佳子をのぞいては。 
 去年の秋のことだ。終礼の会で、岩瀬敬吾が壇上にあがった。そしてこんなことをいった。――「最近、女の子たちに避けられてる、きらわれてるような気がします。もし、なにかぼくに問題があったらいって欲しい」って。老人みたいに、かなしいほどに皺だけの顔で語る岩瀬を見て、ぼくはぞっとしてしまった。ぼくだってきらわれてるし、さけられてもいた。それでもあんな目立つところに立って、訴えるなら、黙ってたほうがいいって、ずっといいっておもったからだ。ぼくは勉強もできないし、いつもちょっかいをだされる、そして好きだった子にはつぎつぎにきらわれる。ぼくだったら、あんな泣きごとはいわない。どうしてあいつはあんなにも追いつめられたんだろう? あまりにもみんな気まぐれに、だれかを傷つけてしまうからか。ぼくはそんな気まぐれにこれからもふりまわされつづけるのか。

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 おなじように去年だった。阪神競馬場のちかく引っ越したはずだった、宇都まどかがこの学校にもどってきた。かの女のことは、三年のときに好きだった。かの女の転校を知って、かの女を好きだってことを同級生の女に洩らしたら、翌年、当然のように告げ口されてしまった。かの女たちはぼくのいる教室のワーク・スペースっていう作業場所をはなれたところで見つめながら、立ってた。まどかがいった。
 「あいつ、きらいやわ」
 ぼくは聞えないふりをするので、精一杯だった。なんとかこころが動揺しないように、しないようにと眼をそむけた。そしてなにも感じないふりを決め込んだ。でも、ぼくのこころはほんとうに傷ついてたんだ。五年生になってローマ字の授業が始まった。朝になるとみんな、プリントをとりに廊下にでる。そのとき、まどかの冷たい眼が、ぼくを刺してやまなかった。痛い、でも逃げられない。そのことでしばらくは悩んでた。でも、けっきょくそれも昔話のようにいまで感じられる。ぼくの道化ぶりを喜んで、リクエストしてくれてたまどかと、いまのまどかはまるで別人みたいだった。きらいなやつに好きになられるってのはだれだっていやものなんだろう。ぼくはまだぼくを好きだっていうひとと出会ったことがないから、その心模様をいくら手探ったところで、なにもでてこなかった。
 友佳子はぼくと、廊下をへだてて隣の席に坐ってる。いまの席を手に入れるためにぼくはズルをした。くじ引きを二度も引いたんだ。かの女の近くになれて一瞬、喜んだものの、かの女は教室のうしろで、親友の小野と一緒になって、ぼくを怪訝なまなざしで見てた。ぼくはうしろめたさで眼をそむけ、あたらしい席に坐った。いまでは友佳子なんか席をずらして、ぼくとの距離をとってる。ぼくはいったい、なにをやらかしたんだろうか。かの女のことはぜったいの秘密だったし、だれにも洩らしたりはしてない。きっとぼくの態度が無意識にかの女にいやなおもいをさせてるんだ。そうおもってぼくはかの女のことを、こころのなかで封印して、その日、その日を送ってた。

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 そんなころだった、寺尾麗奈と竹内紗代がぼくにちょっかいしはじめたのは。ぼくがそばを通るたび、かの女たちはぼくがバケモノみたいに悲鳴をあげて避けていく。つらいことだった。寺尾のことは少しばかり好きだったから、なおさらだ。でも、ぼくがうかつに「かの女が好きだ」なんて近所のおばさんに話したりしなけりゃ、いまみたいなことは起きなかったはずだ。ぼくはぼくの愚鈍さを呪った。運のわるさを呪った。なんども、かの女たちへの仕返しをしようとおもった。けっきょく果たせないままの日々が過ぎる。できることはなにもなかった。ぼくは絵を描く、それだけ楽しみだったし、逃げ場だった。絵なら、だれにも負けなかった。最近はたびたび学校を休む。そのたびに竹内が連絡帳を持って来る。どうして、もっと近所に棲んでるはずの太地や、徹が来ないのかとおもった。かの女が来るたびに母はおれを呼び、かの女をなにか特別な存在みたいに迎えた。ぼくにはそれがたまらない屈辱だった。

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 友佳子のことを、いつから好きになったんだろう。ぼくはかの女のなまえも知らなかったし、かの女が去年転校してきたことも知らなかった。なまえの読みすらもわからなかった。寺尾や、宇都のことがあったし、「ミツホの好きなひとをばらすぞ」っていういやがらせを受けたこともあったしで、もうひとを好きになるまいとぼくは誓ってた。だのに、かの女が教室にいるだけで、なんだか胸がそわそわして来たんだ。ある夜、ぼくはかの女のことをずっと考えてた。好きだって気持ちを認めようか、否定しようか、迷いながら過ごした。ぼくを戒めるみたいに、あの泣きそうな、岩瀬の顔が浮かぶ。いやいや、認めたらおれだっていま以上に惨めになっちまうぞ!
 でも、けっきょくは「好きだ」と考えた。じぶんのなかが一瞬燃えるように熱くなって、ぼくはいつまで経っても、眠れなくなった。そうとも、ぼくは友佳子が好きなんだ。このぶざまなぼくをかの女がたったひとり赦してくれたら、どんなにいいだろう!

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 修学旅行は広島だった。ぼくのグループはまさにミソッカスのあつまりだ。ぼくにちょっかいをかけてた、小寺早希と久保えりな、そして前野っていうちびなやつ。みんなきらいだった。ぼくは使い捨てカメラを買った。友佳子が写ってくれたらいいとおもった。広島の町で、戦いの傷なんかに眼もくれず、グループからもはずれて、かの女との遭遇を願っていたら、みごとに迷子になってしまった。じぶんの帰る場所がわからない。もしや、祟られたのかも知れない。そうおもって原爆ドームのあるらしい方角にむかって手を合わせてみた。もちろん、こんなことは意味がない。
 それでもなんとかして夕方には宿に着いた。ぼくは紅葉まんじゅうを買って、公園で食べた。土産なんて買わなかった。翌日は宮島にいった。そして帰る。バスのなかで斜め向かいの友佳子が一日めとおなじ服を着てた。空色のシャツに赤いリボンを結んで、紺色のスカートを穿いてる。眼を閉じて、うたた寝してる。夕日がかの女の顔を照らして、なにもかもがきれいだった。

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 田中良和は三年時の転校以来ずっと、ぼくの悩みの種のひとつだった。よくいじめられたし、いつも不良ぶってて、危なそうなやつだったからだ。あるとき、ぼくがひとり絵を描いてると、かれはうしろから革ベルトを鞭にして、ぼくの背中をひっぱたいた。痛みで一瞬頭が真っ白になる。鉄の定規を握って、やり返そうと立ちあがったとき、あまりの痛みで涙が溢れた。教室のみんながぼくを囲んで、がやがやと喋りだした。
   ミツホが泣くのはめずらしい。
 だれかがいった。どうしてそんなにも冷静でいられるのかがわからない。田中は勝ち誇った顔で立ってた。やがて浜崎先生がやってきた。かれは無表情を決め込み、そしていった。
   ミツホ、さっさと席につけ!
   みっともない!

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 卒業が迫るなか、イベントの話題でみんなが盛りあがってた。出しものをどうしよう、こうしようとみんなが話すのをぼくは黙って聞いてた。女子たちは「男子が女装して、女子が男装しよう」といいだした。男子たちが反発するなかで、ぼくはおもった、ぼくが女になったら友佳子の友だちになれるだろうかなんて。でも、けっきょくその話はなくなって男女別々に出しものを決めることになった。ある日の休み時間、友佳子がぼくに声をかけた。ぼくは口をぱくぱくさせながら、ほとんど話せない。
   これ、書いてくれる?
 自己紹介のカードだった。ぼくは舞いあがってかの女が注目するだろうともうことを書き連ねた。でも、ぼくはうっかり、そのカードを浜崎先生のまえで落としてしまった。先生が拾いあげ、ぼくが書いた言葉に怒る。そしてカードをだれからもらったのかを問いつめる。ぼくは白状してしまう。友佳子が先生になにごとか、いい含められるのをただ見つめるしかなかった。かの女は二度と来なかった。

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 ぼくは上田兼子という子がきらいだ。隣同士だったときは毎日ケンカしてたし、かの女はだれにでも口がわるい。あたらしい年になって、教室に入ると、かの女を囲んだ群れが騒がしかった。上田が泣いてた。
   ねえ、なにがあったの?
 ちかくのやつに訊いた。
   中学、落ちたんだって。
 それが泣くほどのことなのか、ぼくにはわからなかった。ぼくにとってはよりよい学校なんかがあるなんて考えもしない。わるい学校と、もっとわるい学校とがあるだけで、世界は完結してるとおもってるからだ。やがて授業が終わってぼくは帰った。道がどこまでもつづく。森のなかへ、山のなかへ、つづく。そういえば1年生のころだった。毎日、一緒に帰ってくれる六年生のお姉さんがいた。かの女と愉しく話したこと、そして中学進学とともに別れを告げられた夜の道でのことを懐いだして、深く感傷したっけ。

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 タイムカプセルのために作文を書いてた。書けることはない。しかたがなく田中良和に受けたいじめのことを書いた。田中のやつはニヤニヤしながら、作文とぼくを見る。
   本名じゃなくて、Aくんにしろよな。
 ぼくは従った。書きあげた。浜崎先生に見せた。かれは怒った。――「こんなもの、入れられるわけないじゃないか!」。それっきりだった。
 雨のなか、タイムカプセルを埋めた。ぼくには入れるモノなんかなかった。雨が降りかかる、昏い地平のなかで青いポリバケツがビニールに包まれて埋められるさまをぼんやりと眺めた。雨は激しくなって、ぼくはさっさと教室へ引き揚げてしまった。だれもいない教室のなかで、上田だけが忘れもののように坐ってる。ぼくはぞっとした。ふたりして眼を合わせる。なにもいわないままで、数秒間が経った。ぼくは眼をそらし、じぶんの席に坐って、絵を描きはじめた。

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 卒業式。ぼくはひとり、広島で買った小さなカメラを手に、うろうろしてた。どうにかしてかの女を盗りたかった。でも、どうにもできない。岡本っていう、友佳子のことが好きだってやつが、かの女と一緒に写真を撮ってもらってる。口惜しかった。薄曇りの空のなかで、小鳥が砕けるみたいな音がした。友佳子だった。
   わたし、ミツホのこと、きらいだから。
 それだけいうと、かの女は友だちの群れのなかに紛れていった。ぼくにできることはなにもなかった。かの女はすべてを見抜いていたんだ。少年のようなみじかい髪をなびかせ、ちがう世界へと去ってしまった友佳子を責めることはできない。ぼくはたったひとり家路に就いた。母も父も来てないからだ。すれちがう、色とりどりのひと、色とりどりの世界たち、みんな、さようなら。ひとを好きになること、そしてきらわれことにぼくはふりまわされ、そしてひとり歩きだすことだけが、生きる意味みたいに感じるんだ。

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