みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

冷蔵庫のバックパネル


 列車を降りてしばらく、かれはあたりを見渡してその味気のなさを噛みしめる。なんだってこんなところにとおもい、さらにはここしかないという気にもなった。やがて事務所兼寮にたどり着いて、ドアをあけた。机のむこうの中年の小男が立ちあがって、かれに握手を求めた。かれは握手がきらいだった。ややあって手をだして、力のないゆるゆるのそれを交わした。
 「どうです?――滋賀は」
 「まえにも仕事を探しに来たことがあります――それで、求人についてなんですが」
 「ええ、募集中ですよ。部品運送の仕事ですね。――運転は得意ですか?」
 「得意ってほどでもないんですが」
 「じゃあ、この書類に記入してください」
 かれは書類を見た。氏名から現住所、そして直近の職歴の欄があった。――直近の仕事?――とりあえず、一般土工と書いて小男に手渡した。相手は機嫌良く受け取って、判子をついた。
 「それでね、あしたは午前7時にここへ集合してください。担当者が車で工場まで送ります」
 「わかりました。――ところでこのあたりにスーパーは?」
 「向かいのバス停で4番のバスに乗れば、イオン・モールにいけますよ」
 残りわずかな金で、かれは酒を買うことにした。愚かしい飲酒癖から、かれは立ち直れずにいた。小男の案内で寮に入った。2階へあがって、室を見る。四畳半のなかにカラーボックス、テレビ、蒲団があった。小ぎれいな室だ。男が引き揚げる。かれはひとり荷解きをした。といっても大したものはない。文庫本と、ノートとペンだけだった。時間は16時半。かれはバスに乗った。ショッピング・モールのまえでバスが停まった。入ってすぐに本屋を見てまわった。たいして読書欲があるわけでもないのに、いっぱいの本棚を眺めるだけで、かれは満足だった。ベケットの単行本を手にとって、じぶんの理解の及ばない世界に憬れを持ったりした。でも、そんなこともすぐに醒めて、階下で酒を買った。チューハイのロング罐をふたつ呑み乾し、最期に薬味酒を撰んだ。胃のなかが温かくなる。そとはもう暮れ落ちて、夜のなかにある。かれはバスに乗って寮へもどった。そしてつまらないテレビを眺め、眠くなるまで待つ。23時を過ぎて床に就いた。
 朝になって、階下に降りた。事務所にいくと、かれのほかにふたりの男がいた。みんな新入りだった。きのうとはちがう男が制服を来て、立っていた。
 「これから工場にいく。そこで着替えをして点呼。10時に10分休憩、昼に1時間の休憩、15時に10分の休憩、5時から1時間の残業だ。日払い希望者は終業後におれのところに来てくれ。既定で、1日5千円までが上限だ」
 なんだか、おかしいとかれはおもった。車に乗って、工場に着き、着替えて点呼を取る。そして流れ作業に入ることになった。運送の仕事はどうなったのか?――考える閑もなく、次から次へ。冷蔵庫のバックパネルが運ばれて来て、そこに部品をくっつける。いったいどうして?――そうおもいながら、流れ作業に耐えた。この世でいちばん退屈で苦痛な仕事だった。かれは以前にも自動車部品の工場で、根をあげて脱走したのをおもいだした。あるいは食品工業のレーンできつい夜を過ごしたことも。――そこへ老年の男が近づいてきて、かれを見ていった。
 「だれだよ、こんな出来損ないを連れて来たのは」
 かれはおもった。こいつは口答えしないやつを撰んでいってやがると。午までなんとか耐えた。食事だ。昼食はバイキング形式になっていて、好きなものを撰べた。若い男が近づいてきた。
 「皿ってどこに片づけたらいいんですか?」
 「いえ、知りません」
 かれは喰いながら、いったいなにがどうしたのかをおもった。担当者に尋ねたかったけれど、我慢した。とにかくきょうの分の給料は確保しておこうとじぶんをなだめすかし、次の業務に就いた。またしても、大量のバックパネルが流れて来る。部品をつけ、隣のやつに渡す。やつが最期の仕上げをして、パネルはカゴ車に載せられて倉庫へと運ばれる。考えるゆとりもない。矢継ぎ早にパネルは来る。5分ごとにおもった、これは詐欺だ、やめてやると。やがて最期の1時間になった。半時間、パネルを流したあと、完成品の冷蔵庫を片づける作業にかかった。冷蔵庫を並べ終わると、終わりだ。更衣室で制服を脱ぎ、事務所で担当者から5千円を受け取って、寮に帰る。そしてかれは事務所に入った。きのうの小男が机のうえで、スポーツ新聞を読んでいた。かれに気づくと、頭をあげた。
 「あの、仕事の内容が求人とちがうんですが」
 「え?」
 「部品の配送のはずが、製造のほうの仕事だったんですが」
 小男は一瞬、虚を突かれた顔したが、さっと表情を変えて平然といった。
 「きみは運転は得意じゃないって、きのういったろう。だから配置を変えたんだ」
 「べつに運転に問題があるわけじゃないですよ」
 「そうはいっても決まったことだから」
 「いまから配置を変えてもらえませんか?」
 「それはできないとおもうね」
 「じゃあ、辞めます。きょうの分、精算してください」
 1日、くたくたになるまで働いて、8千。かれはポケットにそいつをねじ込むと、荷物を持ってバスに乗った。そして列車に乗り、またしても手配師たちのいる、愛隣地区を目指した。どうしてこうも、うまくいかないのかとかれは訝り、そしてまたしても望みのない世界へと帰っていくしかないのだ。