みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

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 環状線に乗って、じっくりと街を眺めた。そのとき、なんとなく覘いたタイムラインに頭のない女の死体を写したものがあった。頭のほかはちゃんと服を着てて、それまで生きた人物だということがわかる。どっかの地方の事件を研究した、発禁本のページらしかった。投稿者のコメントで《閲覧注意》とあったけど、こういった警句は役に立った験しがほとんどなく、小さな画像から、現実のいちばん辛い断面を見せつけられてしまうんだ。迂闊だったのかも知れない。それに見たからといって生活に差し障りがあるわけでもない。夜中におもいだして眠れないとか、飯が喰えないとか、房事に困るというわけでも、もはやない。
 純真さは失われ、狡猾さがあとに坐った。こちらこちらに転がってる他者の死や夢を突いてまわるということはない。でも、できるかぎり、それは避けたほうがいいと経験がいってるだけのことだ。おれはじぶんを裁く気にも、他者を憎む気にもなれない。列車やバスの周回にまかせて懐いを馳せてしまうことがあるだけだ。意味なんかない。関係などというものも、もちろんない。おれはおれひとりで、この生活をやりくりして、たまに訪ねて来る他者にばかを見るだけの男だ。
 かつての作家仲間たちは、もはやみんなひと言もなしに出世するか、筆を折って行方知れずになっていった。仲間だと? かれらかの女らをまったく忘れてしまえる僥倖にはいまだ出逢ってもない。おれは黒帽子をかぶって地下鉄に乗ってた。若い女が指さしていった。――ほら、トンガリ帽子!――いったい、なにが愉快なのかがわからない。酔ってるあいだになにか、恥ずかしいことでもやっちまったのかも知れない。ほかにいろんなやつがおれになにかいい、あるいは嘲っては去った。そしてもはやそんなやつらも街から消えてしまったよ。

 いろんなやつらがいろんなことをいった。男色の老夫から舌を耳の穴に突っ込まれたこともあるし、医薬品の倉庫主任は「きみを正規雇用したい」と申しでてくれたりもした。都心の高架下でルンペンたちと、スピリタスで宴をしたことだってある。やくざにケツの穴を掘られそうになったり、留置場でホンモノのやくざと仲良くやってたこともある。子供のころはどうだったか? 小学校じゃあ、毎年いじめに遭ってた。いまおもうとばからしいものだったけど、おれはほんとうに傷つくことができた。こころというものがほんとうに胸のなかにあって、それが泣いてるのがわかったほどに。それでも経済が傾き、父の偏執狂と狂った家父長主義のなかに抛り込まれておれはこころも悲しみも失ってしまった。子供時代とは子供によって演じられる醜悪に戯画化され、誇張された大人たちの世界である。おれは父から授かった暴力性を家のなかで発揮し、やがて家の外でも発揮するようになった。おれはすべての女たちを軽蔑した。家のなかの階級にあって、どうは永遠の不可触民だったし、まるで神の道化師みたいにふるまう姉や妹たちを敵視し、かの女らもあけっぴろげにおれを侮蔑し、疎外のなかで黙殺しつづけた。おれはかの女らの犬を虐待し、うちなる猫たちに応えようとした。それでも、そんな戯れごとはなにかを伝えるにせよ、ものを書くのにせよ、ひとつも役に立ってはない。
 「出所したら連絡する」と27のやくざものはいった。
 おれが出所するとき、やつはまだ檻にいた。やつは出所したとたんに組から制裁が決まってて、そのころは暗い顔ばかりしてた。おれのほうは起訴猶予で、またも病院送りだった。担当の老刑事がいった。
 「家に帰ったら、おれに連絡くれ。話をしよう」――おれは電話なんかしなかった。
 さまざまなおもいが回帰するものの、その流れのなかから物語を捕まえることはできそうになかった。環状線がもとの駅までひと周りした。おれは降りて、おれの街へ帰ることにした。雨が振り始めた。おれには傘がない。切符を買って、列車に乗る。空いてるところに坐った。仕事以外になんの取り柄もないような男たちにかこまれて窓を眺めた。20分で神戸にもどって来たわけだ。

 語るべきことがどこにあるのか。社会的に失語症に墜ちたような気分がする。鼻の赤い犬が人間を従えて歩く。もはや、愛することにも鈍感で、ほとんどなにも感じなくなった。そもそも愛された記憶がおれにはない。ビルの4階の室で、秘書の手伝いを以て射精する男、むかいの養老院で、助けを呼ぶブザーを無視して、ベランダで莨を吸う男、女の愛を枕に肥え太る男、呼び声に応える女、応えない女、嘲笑う女、子供が虐待に遭ってても、一瞥しては素知らぬ顔で去ってしまう、化粧臭い女教師、子供が長時間、父親に折檻させれながらも、素知らぬ顔でさっていく冷たい母親たち。おれはだれのことも好きじゃなかった。ただそうとふるまってただけだ。愛せないものから愛を取りもどすための戦いがしたい。現実と空想の乖離が進むなかで、おれは疲れ果ててる。ほんとうは小説など書きたくないのかも知れない。どう足掻いたってじぶん以上のものなんかでやしないんだ。じぶんの複製品を創りあげ、それを切り刻み、近所にばらまく。できるのはそれだけのこと。遠くの丘を救急車が降りて来る。神が指を指す。火の手があがって、おれたち、ぜんぶなまえのない、なにかに変えてしまえばいい。じぶんですら愛せないもののための世界を、いまこそ出現せし給えよ。