みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

夜になると鯖は・・・(ツイキャス反省会)

f:id:mitzho84:20200428125214j:plain

 

   *

 今月もあと2日で終わる。それでも自粛要請はつづく。もはや自粛とはいえず、強制と相互監視のなかに巻き込まれてしまってる。あるところでは県外ナンバーの車を攻撃したりして、まったくぶさまな国に生まれたものだと痛感させられる。とりあえずは残り少ない食料で、ほそぼそとやっていくしかないのか。最近はずっと頭に綿でもつまってるような感じで、なにもかもに手をつけることができなかった。金が入れば少し変わるかも知れないが、いまのところ灰色だ。ほんとうないまごろ絵画教室にでも通って、デッサンを習ってるところだのに、おれは椅子に坐って時間の空費をやってる始末。来月からは独学で絵とギターと英語をやるつもりだ。できるのはそれだけ。まあ、なんていっていいのかもわからないが、貝のように口を噤んでしまうよりかはましな選択をしたいものである。――というふうに考えて、いまはけっきょくなにもしない。
 来月は短歌賞の締め切り。とりあえずは短歌研究のために書いて、それから余ったものを角川短歌に送る予定だ。どうせ、また末席だろうけど、やれることはやる。鬱屈とした毎日のなかでできる抵抗はそれだけ。時間はまだまだある。ただおれの歌は上の句と下の句のジョイントが緩い。前者と後者の繋がりが弱いのだ。それに気をつけてつくる。

   *

 きのうの夕方、ツイキャスをやった。久しぶりのこと、そしてもうやらないと決めてたことだった。おれはえらく滑舌がわるく、いらない恥を掻いてしまった。あんなことはやっぱりやるべきではない。だいたい6人くらいのひとが聴いた。感想は来ない。正直、喋ることなんかありゃしないんだ。生まれてから、もうじき36年。まったく苦節つづきのろくでもない人生だ。もう少し救いと癒やしが見たいがいまのところない。じぶんがなぜ詩文学という、いちばんインチキ臭いところに潜り込んでしまったのかをおもう。けっきょくは掛かる費用の支払いや、地道な努力ができなかったこと、そして詩文学が真贋の怪しい、かどわかしの効くジャンルだということだ。それが詩文学の引力である。そしてその引力を長い放浪生活が追い風になった。ことばは書き換え可能で、幾らでも訂正ができてしまう。しかし絵は、音楽はそうはいかない。いちどまちがえてしまえば、まったく初めからやり直さなきゃならない。その苦しみ、恥辱に耐えるには人格に問題があったし、生活にもあった。そしておれはけっきょく投げだしてしまった。

   *

 まったく囚われびとのような世界、じぶんを救ってくれえる天使のような女たちをもはやおもい焦がれたりはしない。幻想は枯れた。枯れ葉のような無為な1日。できることはせいぜいのところ、時間の空費。水を呑み、世事を読み、俗事に悩まされ、滾滾と湧きでる過古の幻影に苛まれるだけ。じぶんが存在してるという恐怖。だれひとりの救いにもなれないものを書き綴ることの疼き。浮かんでくるのはみなざれごとだ。だからといって虚無に浸ってられるほど、余裕はない。落ち着かない自身をなだめるためには、言葉だけでは足りない。ひとつでもいい、他人よりも勝ってるという証明が欲しくなる。そんなものはもちろんのこと、くその役にも立たないというのに。
 行為は意志に先行する。なにかをやろうとする手が、意志を呼び寄せる。ただ、いまは行為すら疎ましい。ところで、鼻毛に白髪が混じり始めた。恋愛すらできなまま肉体が老いていく。そんななかにあって、できることはあるのか。

   *

 外的刺激がなにもないと、なにもする気になれない。金がないとやる気が起こらない。詩?――それは拒否された。おれは懐いだす。小中学生だったときの惨めな光景を。そして室のなかに登場人物たちをならべて、かれらに現在のおれを見せる。かれら、かの女らはどうおもうだろう。おれは顎髭を生やし、だらしない午后の時間のなかで、やかましい音楽を聴き、水を呑んでる。文章とやらを綴ってる。光り?――なにかがおれの貌を照らす。きょうはシオランの「時間への失墜」を読み、映画「殺し屋1」を見るとしよう。そろそろ、なにか始めなくちゃならない。意志に追いつかれないように行為に手を汚しつづけること。それだけしか、望みはないといっていい。
 アルコールを断って5日め、手指、足の震え、ひきつりが気になる。来月こそ禁酒に努めたい。なにせ、ひとに指摘されるほど、手足が勝手に動くのだから。酒との出会いは人生でいちばんの悪夢だ。それさえなければ、もっとうまくやってたにちがいない。これじゃあ、酒造会社の奴隷だ。たまったもんじゃない。でも、もし酒がなかったら、いまでも北区の田舎にいたかも知れない。それもまた悪夢だ。というわけで、今月はふんづまりのどっちらけ。ともかくあたらしい季節のために心の支度をするとしよう。

   *