みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

一途な雄牛

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 ぼくにまだかの女へのおもいが残ってたとき、
 ぼくはじぶんのことを一途な雄牛みたいに見てた
 というのもはじめてぶちこめられた留置場で
 ヘミングウェイの短篇を読んでたら
 「一途な雄牛」っていう童話があったたからだ
 これはかれが幼い甥のために書いたものだという
 牛はいつも一途にじぶんの標的にむかって突っ走る
 惚れてしまったうつくしい牝馬にもむかってゆく
 でも、人間たちにとちゃあ、邪魔ものでしかない
 闘牛場へ送られ、それでも牛は一途に戦った
 マタドールに誘われ、ピカドールに刺され、
 それでも牛は一途に戦った
 血は地面をあたかもやぶけた絨毯に見させる
 観客はエールを呑み、ワインを呑み、
 血や肉と、怖れを知らない男たちに熱をあげる
 一途な雄牛は死んで、
 マタドールが、ピカドールが、
 頭をさげる、そしていう、
 「われわれもこの牛のようにありたいものだね」って
 ぼくは読み終えてからずっと、
 緑色の壁や、緑色の蒲団を眺めてた
 かの女への果てないおもい、
 かの女のためにしたためたすべての辞はあの牛みたいに、
 地平を突っ切り、そのまま一直線に迸ってるはずとおもい、
 やがて来る、裁きのときにそなえて、
 一千の手紙を書かせたものだとおもい、
 そして明滅する未決囚たちの眼のなかで、
 たったひとり携えたざれごとたちが、
 なんだか輝いてるみたいに見えて、
 とても気分が昂ぶってしまった
 ときおり涙さえ浮かぶ夜、
 それでもぼくはけっきょく一途な雄牛じゃなかったんだ
 与太者がひとり、女にきらわれ、他人を撲って、捕まっただけのこと
 やがて消灯になって、本は回収され、暗くなったところから、
 見えないかの女にむかってつぶやく
 さようならと。