みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

ニューキャッスルの与太者たち──生きづらさの情報開示請求(1)

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   精神病者としての遍歴──まえがき

 あなたはこれまで何度、精神科病棟に入院しただろうか。おれは、8回だ。これはアルコール専門病院も含めての数である。じぶんのなにが問題なのか、その原因はなにか、それを治すにはどんな方法があるのか、どんな思考法があるのかをこれから数回に渡って書いていきたいとおもうい。じぶんでいうのはあれだけれど、かなり特殊な例だから、だれかの参考になるかは微妙なところでもある。
 だけれど、書く行為はなにもだれかのためだからというわけでもない。むしろ、じぶんがいまどの地点にいるのかを理解するための行為なのである。ここではアルコール、発達障碍、愛着障碍と創作の順に書いていこうとおもっている。これがだれかにとっての救いになればいいし、またひまつぶしの種や、嘲笑の種になろうが、おれには知ったことじゃないってわけだ。

   ○アルコールと、そのほかの嗜虐

 「もしかしたら、じぶんはアルコール中毒なのか?」とおもった。22歳ぐらいのとき、おれは家にいられず、野宿生活をしてた。おおよそ半年。1月~5月半ばにかけてのことだ。'06年のことだ。時折、父の不在を狙って実家に這入り、母の財布から小銭を抜いて暮らしていた。あるとき、名塩駅のスーパーで、トリスを呑んでいた。もちろん、懐は寒くなりばかり。あしたへの不安、ただ生きてるというだけの不安に襲われながら、ウィスキーを呑んでいた。そんなとき、《おれはアル中なんじゃないか》とおもった。こんな差し迫った情況のなかで、酒にしがみついてるのは、あきらかに逸脱行為だとおもった。それでも、そのときはただ呑むしか方法はなかった。
 金さえあれば、自部屋でも、塒でも、酒を呑んだ。やはりウィスキーだ。小壜が床を埋め尽くすほど呑んだ。金がないときには工業用アルコールの、上澄みに火をつけ、消してから呑んだりもした。これは梅崎春生の小説「幻化」にある場面の真似だった。主人公は芋からつくられた燃料用のアルコールを戦友たちと呑む。その際、火をつけて毒素を飛ばす、という描写があった。それでも、もしかすると眼が潰れるかも知れない。そうおもってふたくちほどでやめてしまった。

 野宿生活が終わっても酒は終わらなかった。おれは小学生から酒を呑んでいたし、特に高校にあがってからは痛飲の日々がつづいていた。金が入ると、とにかく酒に突っ込んだ。とにかく酒だけが唯一の逃げ場であったし、現実の外気から守ってくれるなにかだった。そのころ、呑む原因についてなにを考えていたか。高校時代は対人恐怖を理由にしていた。しかしそのころには呑むことに理由づけはしなかったとおもう。
 やがて'07年、おれは照明器具の倉庫で働いていた。仕事が終われば量販店に飛んで、安いバーボンを買っていた。毎晩いっぽん呑み干していたというわけだ。このときは飲酒の理由を仕事のストレスと見做していた。しかし、それを晴らすにしても酒量は多すぎた。その仕事をやめて数ヶ月後、おれははじめての膵炎をやらかした。そのあとの人生で、さらに7回、膵炎をやってる。たぶん、膵臓はもうどろどろに融けてしまっていて、もしまたやらかせば帰って来られないかも知れない。

 そのあともいろいろ病院をまわった。けれども本気で禁酒する気持ちにはなれなかった。そこに変化が訪れたのはいまから5年ぐらいまえだ。酒による逸脱行為が表面化してきてからだった。いろいろと奇行に走ったり、ひとびとを罵り、暴力を仕掛けたり、集団暴行に遭ったり、──恥ずかしくてあまりいえないが、とにかくそんなことがあった。それとストロング系の酎ハイに手をだすようになり、今度は連続飲酒状態を経験するようになったからだ。金があっというまになくなり、気づくと身体の具合もわるい。喰うものもない。──こんなことが毎月のように起きつづけてた。
 とりあえずは、かかりつけの精神科でノックビンをだしてもらった。しかし、この薬、即効性がない。けっきょく酒に逆戻りしたというわけだ。けれどもシアナマイドという薬には即効性があり、すぐに酒の呑めないからだにしてくれるのだ。でも、はじめのうちは服用後に酒を呑んでひどい眼にあったりした。眩暈と筋肉痛と嘔き気にまみれて身動きがとれなくなったことがしばしばあった。'17年からは嘔くまで呑むようなことがたびたびあった。なんとか薬に頼らないで酒を止める方法はないかと探っていた。
 そのころ、精神科のクリニックを変えた。カウンセリングを受けるようになった。心はいくらか楽になったものの、おれのなかでは酒をやめようとするじぶんと、うまくやり抜けて酒を呑みつづけようとするおれが同居していた。酒による小規模の金銭問題を何度かやっては、《やめてやる》と誓ったものだ。

 本格的に断酒をはじめたのは'19年の春からだった。当時はバイトでMacを買おうとしていた。酒をやめて、ウィルキンソンのタンサンで凌ぐ日々がつづいた。酒がないのはとても退屈だった。緊張がほぐれないし、なにをやっていても、時間の経過が遅すぎる。3ヶ月ほどしておれは酒にもどってしまった。酒を抜くということは退屈と、停滞と、重すぎる時間に耐えることだと、そのときはおもった。──もちろん、その退屈と停滞の原因はじぶん自身なのだが。

 


アニメ ザ・シンプソンズ ホーマーの断酒生活

 

 おれは本屋である本と出会った。小田嶋隆の「上を向いてアルコール」である。立ち読みでいくらかページを繰ったときは、あまり感じるものはなかった。
 次に町田康の「しらふで生きる」に出会った。ネット上でかれのインタビューを読みあさった。インタビューはどれも愉しかったのだが、実際の本はかれの語りのくせのつよさも手伝ってあまり愉しそうには見えなかった。「人生を無理に楽しもうとしない」という一節は残ったが。
 それでも前著を借りてきて読んだ。それでわかったことはアルコールを呑むことにはなんの理由もないということだった。酒で現実逃避はできないということだった。ここでいろいろと引用したい欲求に駈られるのだけれど、まだ浅い読み方しかしていないのでよしておく。
ただ読んでいて、おれの場合、時間があって、それを持てあまして、退屈でいるから呑む。あるいはその現実に耐えられなくて呑むということが見えてきた。
 いまは酒をやめているが、いつまでつづくかはわからない。正直、まだ呑んだことのないシロック・ウォッカや、アイラ・オブ・ジュラや、アブサントを呑んでみたいという気持ちも残ってる。ただいままでのように時間に耐えられないから呑む、ということはよしたい。あるいは一時の怒りにまかせて呑むようなことはしたくない。
 酒を呑まずになにをしていたか。ウィルキンソンの炭酸や、ジンジャーエールを呑んで時間を潰していた。これだって嗜虐でしかない。なんにもうまくない。けっきょく問題は残された時間の多さ、そしてそのあまりにも感じる遅さ、重さなんだ。そいつが酒やタンサンに走らせる。やることさえあればいくらでも愉しむことはできる。いまこうして書いてるように能動的に時間を過ごすことで、酒への欲求は収まって来るのだ。もちろん、いまはシアナマイドを摂取して、呑めなくしてもいる。だがいずれにせよ、なにもすることがない状態は危うい。

 

 つづく

 

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

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しらふで生きる 大酒飲みの決断

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