みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

裏庭日記/孤独のわけまえ〈9〉

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   *

 映画館に着いた。声の主を求めてわたしは扉を叩いた。はじめにレッドネックがでた。わたしを招き入れて舞台まで歩く。スクリーンのまえにはY、裏にはfiveと、見たことのない顔があった。かれが社長ことスコフスキイだった。緑色の眼でわたしを見る。太りかけたからだをスーツで匿い、銀縁の眼鏡が光ってみえた。楽に話しを進めようとかれはいった。登場人物全員が焦ってた。出し抜かれまいとゲームを始める。ナイト、クイーン、ポーン、あるいは桂馬。机のしたで足を蹴り合う子供みたいに、意地のわるさが際立ってる。わたしはだれを殺すのか、だれから殺すのか、だれがいちばんロージーを苦しめたかを算段に入れた。そいつはスコフスキイと、ハンクだ。
   狙いはなんだ、現ナマか?
  そうだ、──でも贅沢はいわない。
 Yとfiveはわたしを睨みつけ、牽制する。社長はレッドネックを呼び、金を持ってくるようにいった。指3本を突きだした。わたしはナイフの柄をポケットのなかで握った。やがて現金が来て、社長が受け取った。素早く勘定を済ませ、わたしのほうに差しだす。立ちあがってテーブルを見下ろした。不意にうしろから撲り倒された。レッドネックだ。長いあいだ眠った。ひさしぶりに眠ったような気がする。夢のなかでテープレコーダーがまわってる。録音室らしい。でも歌手も技師もない。わたしはだれかのために青い馬を育ててる。首のみじかい、おかしな馬だ。やがてレコーダーがとまって、スピーカーから滝田の声がした。わたしはかれに助けを求める。
 テーブルのうえにわたしがいた。からだを縛られ、どうしようもない。足も手も首もだめだ。社長がわたしを見下ろしてた。自由になりたいか?──自由には金がかかるんだよ。きみは少しばかりついていた。でも、まちがった道を歩いてたんだよ。──わたしは黙って天井を見た。蜥蜴のマリアッチが描かれてる天井をだ。なぜこんなところにいる? ツアーはどうした? 音楽はどうしたんだ?
   きみがYやfiveを殺るのなら放してやろう。
   わたしに忠誠を誓うんだ。
 選択の余地はない。けっきょくわたしは1週間でふたりを殺すことになった。わたしはあたらしい銃とナイフを授かった。黒人には気をつけろともいわれた。わけは訊けなかった。それから町へでて、あたらしい宿に就いた。ラジオに耳を凝らした。Cursiveの"What I have done" が流れている。懐かしい歌だ。ひとりぼっちでアルバムを聴いていたときをおもいだす。
 わたしがYを殺ったのは火曜日の雨の日だった。午後6時、ダンスクラブのマスターとして働きにいくかれを尾行した。車はスコフスキイが手配した、ラッピング・トラック。炭酸ジュースの広告がでかでかと載ってる。やつが駐車場に車を停めた。車を降りた。店へ入る。姿は消える。わたしはトラックをやつの車のまえに停めた。でられないように。ラジオに耳を傾け、口笛を吹く。そしておれも姿を消す。夜になって霜が降りてきた。やつが駐車場にもどるまで、手前のレストラン・バーで食事をとった。ありきたりのステーキに、つけあわせの野菜と赤インゲン豆、そしてコーヒーを味わい、窓の隅から様子を伺った。やつは駐車場で慌ててた。携帯電話でどこかへかけている。おそらくそこの管理人だ。わたしはバーをでる。ポケットのナイフに祷った。やつを殺させてくれ。お願いだ。ロージーのためだ。
  どうかしましたか?
   車がだせないんだ。
 Yの顔が一瞬、静止した。声もない。
   なにしに来たんだ?
  車を取りに来たんですよ。
 ナイフでやつの腿を刺した。下から突きあげるようにして。感触はない。倒れかかったやつを蹴りあげ、脇腹から腰を抉った。やつは膝を折って崩れ落ち、頭を打って仰向けになった。雨が血を洗い、やつのからだから体温を奪っていく。死はもうじきだ。わたしはトラックに乗って走り去った。そのあいだずっとハミングしてた。ラジオから流れる、Joy Divisionに。《But I remember when we were young》──わたしはまた宿を変え、考えた。愛についてどれほど勇敢であっても、感情にふりまわされる愚かものであってはいけない。つぎはfive医師だ。かれをどうするか。おれはなぜこんな諍いにこだわり、ひとまで殺すのか。殺せるのか。ずっと心のなかにあった復讐心かも知れない。父への、母への、同級生たちへの。
 医者は隣の村に棲んでた。金曜の夜。寒さはずっとひどい。家はくすんだ黄色や灰色になって、植え込みの植物は伸び放題だ。荒んだ生活が見えた。しかし、車は真新しいアウディだ。道へ油を撒く。車の動線にたっぷりと注いだ。朝、車はおもいどおりに滑って、路肩に突っ込んだ。わたしはやつを助けるふりをしてドアをあけた。エア・バッグが作動し、やつは気を喪ってる。わたしはやつを棍棒で叩き殺した。返り血が顔や服を濡らした。いい気分じゃない。わたしはじぶんの車に乗った。またしてもラッピング・トラック。顔を洗い、服を着替え、タオルと一緒に荷台に隠した。もちろんのこと、警察だって黙っちゃなかった。いくら内通者がいようが死人が多すぎる。それにおれは失った仲間を待つひとりのよそものだ。叩けば埃がでる。おれはロージーのところへいった。あとひとり、スコフスキイさえ殺してしまえば終わりのはずだ。そう信じてかの女を抱いた。電話がかかってきた。ハンクからだ。
   この豚殺しめ!
  いきなりなどうしたんだ?
   おれは失せろといったはずだ。
   なぜまたおれの妹に手をだすんだ?  
  かの女を傷つけたひとりはおまえなんだぞ。
  いったいどの口がいってるんだ?
 わたしは怒って電話を切った。
  ここからでよう、ロージー
   だめよ、わたしは。
   もうなにもできやしないって。
 長いあいだ、窓を眺めた。どこにも警官の姿はない。だが確かにリストには入ってるだろう。やがて夜になって、ロージーは眠った。アルコールと睡眠薬をまぜてた。とめようとしたときには、もう口のなかだった。わたしはかの女を寝台まで運び、寝かしつけた。坐ってかの女を眺めた。おれはどうしても、かの女から離れたくなかった。ハンクの白いピックアップがモーテルの裏手に駐まり、かれが降りて来た。まっすぐこちらにむかって来る。そして寝台のロージーを見、わたしを見た。
   組織のやつらを怒らせたみたいだな。
  ああ、そうらしい。
   おまえは何人、殺すつもりなんだ?
  わからない、ただかの女を救えればいい。
   おまえなんかに救えるはずがないさ。
  薬はあんたが渡してるみたいだな?
 長い沈黙がずっとつづき、やがてハンクは階下へ降りていった。そしてそのまま朝までどっかに消えた。光り。翌朝、わたしはやつを問いつめた。やつはたやすく吐いた。ロージーのために薬を買ってること、ふたりは近親相姦まがいの仲であること、その暮らしをずっとつづけるために組織とつながってると。関係を解消する気はない、やつはそういった。わたしはやつを撲り飛ばしていった。
  そんなことはまちがってる、もうやめるんだ!
   いやだ!
  ぼくはロージーが好きだ!
 騒ぎを聞いてかの女が降りてきた。
 「なにをやってるの?」──わたしはなにもかもをぶちまけた。かの女は怒ってわたしの襟を掴んだ。──あなたにはなんの関わりのない話よ。さっさとでてって殺しでも繰り返せばいいわ。なんたってあなたがいちばんの鴨だもの。たかがひとりの友人がいなくなったからって大騒ぎして、情けないとは考えないの!──わたしを連れて去りたいなら、そんなことはもうほっとくべきよ!──ロージーが吠えた。
 わたしはなにもいえなくなって立ち尽くす。太陽がじりじりと高くなる。わたしはふたりを宥めすかし、ベッドに横になった。やがてロージーがわたしを慰めに来た。酔ったロージー、キメたロージー、憐れなロージー。わたしはかの女の愛撫に応えて、抱き合うと、シャツを脱いだ。もちろんズボンだって。

    *

 やさしい、
 しとやかな痴性に埋もれて、
 ぼくは暮したい

 夏の絵葉書
 禽獣を描いて閉じ込める

 まったく人間というのは善を圧倒し、
 悪を見ない
 それぞれがそれぞれの失寵を懼れ、
 軛を待つ
 水平線のむこうがわで
 神々よりも退屈した男が携帯テレビジョンで日本の話芸を観る

 平和があるかぎりにひとは敵を欲しがる
 われわれは手を洗うまえにきみを殺したい
 われわれが愛し合うためにも 
                         14/06/24

   *

 家にはいられない。またしても愛隣地区へいった。そしてセンター付属の病院で診察を受けた。精神科を受けたいというと入院できた。おれのあたまのなかには、世界の果てが、ここではないどこかがあった。ジャックスの「腹貸し女」を聴き、モンティ・パイソンを聴き、婦長から借りたジャニス・ジョプリンを聴く。外出禁止だった。毎日、ブラックコーヒーを呑み、詩や散文を書いた。あるとき、看護婦に本を買いにいってもらった。ブコウスキーの詩集「モノマネ鳥よ、おれの幸運を願え」だ。こいつは難ものだとおもった。どう読めば、愉しめるのかがわからない。不眠症の夜、おれは突然なにもかもがわかった。ブコウスキーの詩を愉しめるようになった。とくに「鼡」という詩がよかった。おれは新聞記事を読み、それを引用しながら「広告」という詩を書いた。つぎつぎに詩が生まれた。どれもひとびとや歴史や文化を憎悪してた。「喫煙所」、「天使」、「停留所」、「脅迫者」、「検品」、「前線」、「不眠」、「吉報」、「正午」、「悪意」──悪態をつき、世界を罵った。
 ひと月経ち、丹比荘病院の精神科へと移された。そこは男女共同だった。鳥取さんという女の子がよく話しかけてきた。長尾という老人とも親しくなった。おれは新訳のホイットマン万葉集を買って読んだ。絵を描き、詩を書いた。そこへ背広をきた憂鬱の大きな塊りが「わたしも絵を描きたい」、「わたしも詩を書きたい」といって近づいてきた。やつはどの患者からも毛嫌いされてた。おれは画材を貸してやった。顔も見たくはなかった。みんながいった、相手にするなと。おれは詩をまとめ、冊子をつくった。そいつを永易に送った。
 長尾老人の使いにいったり、外で酒を呑んだり、おれは満喫してた。高価い葉巻を買って喫煙所で味わった。森先生にも作品を送った。だがあるとき、飲酒がばれてしまった。引き出しに隠してたワインも見つかった。おれは牢獄へ入れられた。そしてそこをだされ、いつ外出が自由になるかと医者にいった。にやにやしながら医者はいった。──きみはずっと外出してていい、退院だ。看護師たちがでていけと促す。おれは慌てて長尾老人のところへいった。
 ここを追い出されるんです。お金を貸してくれませんか?
  きみにはまえにもあげたよ。
 この絵をあげます。これでどうか──じぶんの描いた静物画を渡した。
  わかったよ。きみに投資する。
  話もおもしろかったし。
 2千円を得て西成区役所へいった。保護科から精神福祉士を紹介された。アルコール症であるのを話し、入院への検討が始まった。けれども、けっきょく実家に連絡されてしまった。父がでて迎えにいくという。おれは切符代を渡された。12月の寒さのなか、駅に降り立つ。雪が降りそうだった。やがて父の車が見えた。乗り込んだ瞬間から面罵された。正月までに仕事を探す約束をさせられた。
 おれは夜勤の荷物流しになった。昼は、シャンプーの箱詰めをした。どちらもくだらないことだった。おれはサラ金で10万を借りた。上津台へいき、アウトレットモールで半額のダウンを買った。9千円。廊下で父に出会した。──そんなもん買う金あったら、全部よこせ。
  なにいってるんだ、仕事するにも金がいるよ。
   だったら早くでていけ!
  防寒着ぐらい仕事にはいるだろ?
   そんなものぜんぶワークマンで買えるわ!
  飯代やガソリン代はどうするんだ?
   さっさと金をだせ!
 こんなやつと話すのはむりだ!──おれはカブに跨って仕事にいった。たった2日で仕事を辞め、20万を借りた。愛隣地区のどや街、おれは安いホテルに泊まって求人をめくった。土方も飯場もうんざりだった。データ入力の求人があり、いってみた。出会い系サイトのさくらだった。女になりすましてメッセージをやりとりする。タイピングが遅いといわれ、採用されなかった。おなじように幾つかの入力作業にいってみた。おなじことだった。つぎはポルノビデオの男優、これもだめだった。貧相なからだと女性経験のなさを知られただけだ。次にゲイパブの面接へいった。身ぎれいな小男が案内した。狭い階段をあがり、室に招かれる。黒いベッドがならんでた。そして冊子がたくさん置いてある。表紙にはゲイのカップル、そしてエイズの文字。──おれは靴をもっておもてへでた。けっきょくなにもできなかった。金はなくなっていく。おれはルート配送の仕事をみつけ、滋賀へいった。面接を受け、寮に入った。でも仕事は、冷蔵庫の組み立て作業だった。バックパネルを4人がかりでつくる。現場主任らしい老夫がいった、──だれだ、こんなとろいやつを連れてきたのは!──こいつは反撃しないやつにしか、そんな口は叩けまい。
 おれはその日辞めた。流れ作業なんざできやしない。金を握って大阪へ帰った。次の朝だった。キセルして和歌山までいった。ソープランドの店員になるためにだ。社長はいきなりおれに1万をくれ、そいつで靴を買えといった。からだがもうくたくただ。酒でいかれてる。出勤初日、這うようにして店にいった。薄汚いビルディング。裸婦の彫像。赤茶色。──おもてでずっとそとに立って、客が来るのを待った。来なかった。夜になってようやく客だ。かれらの車をおれは配車した。車をぶつけないか、気が気でなかった。休憩時間、おれはネクタイを路上に棄てて愛隣地区に帰った。足が痛かった。突き刺すような痛みが内側からする。跛を引くみたいに歩く。おれはホテルをとって横になった。おれにはなにもできない。おれにはなにも書けない。そんなとき、永易が訪ねてきた。
   仕事、見つかりそうか?
  いいや、全然。
   なんか紹介できたらなあ。
 おれたちはそとにでて貧民窟を見学してまわった。おれは幾らか酒を呑み、またも金を減らした。足の痛みはひどくなるばかれいだった。腿のつけ根まで痛みはひろがり、歩くのがつらかった。永易はいいやつだが、おれはその陽気さについて行けなかった。いつしか股間までが痛くなり、眠ることもままならなくなった。おれはまた西成区役所へいった。そして新生会病院を紹介された。アルコール症の専門病院で、和泉中央にある。入院するまでホテル・ポパイに投宿することになった。料金はあと払いでだ。どや街の図書館で本を借りて読んだ。あの新今宮文庫は驚愕もので、ブコウスキーもあり、ノーマン・メイラー「タフガイは踊る」があるかとおもえば、コリン・ウィルソンの「暗黒の祭り」があり、さらにはドイツ文学の「犬」やロシアの労働文学全集もおかれてあった。入院当日、おれは駅でブルーベリー・ジュースを呑んだ。金はなくなった。終着駅からバスに乗り、病院にいった。まるでなにもないところに病院、そのさきには十字路があった。けれど天使も悪魔もいない。車のない通り、角地のコンビニエンス・ストアだけが明るい。
 受付にいくとおなじ姓の女の子がやって来た。おれはじぶんでアルコール中毒だといった。かの女はじぶんで認めるひとは珍しいといった。足の痛みのこともいった。治るのに時間がかかるらしい。はじめは閉鎖病棟に入れられる。いちばん奥の室。40ぐらいの男が声をかけてきた。窓を指す。
   あそこに3本の樹があるだろう?
   あそこで3人が首をつったんだ。 
 そういって、嗤いながら蒲団に潜り込んだ。小さな悪魔みたいだった。なんなんだ、ここは。おれははやくも後悔しはじめた。一般病棟に移され、外出が赦された。永易が見舞いに来た。庭に坐って話しをした。やつはジョイントらしいものを持ってる。ふたりでまわして吸った。なんにも感じなかった。あたまがくらくらしただけだ。あるとき、富山から来た青年が見舞いに来た。蟹谷くんといった。かつておれがつくった連作動画のファンだった。ふたりで駅までいき、牛丼を奢ってもらった。2ヶ月経って、おれはまたしても酒を呑んだ。3回も。牢獄に入れられた。娯楽室に「自由こそ治療だ!」という本があるのはなんの皮肉だろう。こんなものは医療とは呼べない。ただの暴力だ。和気院長なら鉄格子と婚姻できるかも知れないが、おれにはできない。隣の牢獄では老人がずっと叫んでた。
   看護婦さん、看護婦さん!
   ここは看護婦さんのおらん病院か!
 それから転院が決まった。浜寺病院だ。そこでは外出禁止だった。ひとと月我慢した。またしても蟹谷青年が来た。おれは横になったまんま話をした。かれは発達障碍を抱えてるといった。おれもそうも知れない。ずっとずっと感づいてたことだ。おれは恐らく学習障碍で、数字に疎いんだ。だからいつも計算に躓いてしまう。恥ずかしい眼に遭う。早くそれを明らかにしてもらうしかない。おれは「カーヴァーズ・ダズン」と「拳闘士の休息」を読みながら過す。あるいはブコウスキーの詩集「水に焼かれ、炎に溺れ 撰詩集1955-1973」の原著を眺めた。いつになったらおれは自由になれるのか、そしてだれといったい口づけをするのか。まだまったく、なにもわかっちゃいなかった。いまわかってるのは、おれはろくでもない男だということでしかない。作品はずっと書いてないし、もはやなんの霊感もイメージも見えなくなってる。さあ、長男よ、おまえ、どうする?──おまえ、どうなる?

   *

 愛隣地区の貧窮院、今池平和寮に入所した。もう5月だった。ふたりづつの室で、マスをかくこともできない。でも同居人は居宅保護が決まってすぐにでてった。週に1度は新生会まで受診にいかなくてはならなかった。車で1時間以上、受診までに1時間以上、帰るまでに3時間以上かかった。町のあちこちで喧嘩や諍いが起こり、不審者たちが跋扈してる。なんとも刺激的だ。月々のわずかな金でネットカフェにいき、詩を清書した。そして森先生へ送った。通りで自転車の男女がわめく。
   ついて来い!
    勝手にいけや
 そういった小競り合いはうんざりするほどある。かとおもえばひとりの男が数人から撲られ、倒れるのを見たこともあった。撲ったやつらは消え、そのあとになって警官たちが現れる。たぶん捕まりはしないだろう、そうおもっておれはシャッターを切る。あるときは年増女がおもむろに放置自転車のサドルを盗もうとする、郵便局からでた男が両脇を警官たちに捕まれて歩かされる、パトカーが来る、ふいに年増女が連行される、そんなこともあった。あるいはまえからやってきた年増女が、
   これどうしたらええ?
 そうわめきながらおれに近づく。手にはテレフォンカード、それも漫画「白鳥礼子でございます」の絵が描かれてある。急のことに返事につまった。「わからんのやったらええわ!」と女は絶叫し、去ろうとする。そのとき路上に男が倒れてて女はかれを「起してやれ!」とどうしたわけか、おれに命じ、おれがそうするとまるでじぶんの手柄みたいにわめき、そばに停まってあるカブから封筒をだしてなぜ男に渡す。カブを男のものだとおもったのだ。でもそれはどうみても配達員のものだし、男は見るからにそうじゃない。──こういった理不尽さと和解できなくばこの町では暮らせないのだろう。どこに発狂人がいるのかわかったもんじゃない。沖縄出身の呉屋という男がおれの担当になった。おれは毎日欲求不満を抱え、町を歩きまくり、夏のあいだじゅうずっと、おれは絵を描きまくった。携帯電話の料金を払うために。でも金にならなかった。おれは西大寺までいき、永易黎に会った。
   山頭火みたいな気分や。
 《うしろ姿のしぐれてゆくか》ってか。
   いや、それやなくてなぁ、でもおもだされへんねん。
   とにかくおれの仕事場にいこうや、
   おまえの絵、買ってくれるかも知れへんし。
 内装業者の事務所でおれは絵を描いてみせた。色鉛筆の静物画だ。かれらはおれを画材屋に連れていき、筆や絵の具を奢ってくれた。おれは3本の筆といくつかの岩彩を撰んだ。もっとしたたかに1万円分ぐらいせしめるべきだとあとあとおもった。おれは古本屋で昔の絵葉書と一緒に「野獣の性生活」という本を買い、やつに送った。
 ある夜、面会があった。永易が来てた。やつと夜の町を散歩した。やつの恋人にも会った。おれの送った絵葉書は古すぎて機械に挟まり、遅れてとどいたという。あいかわらず陽気で、愉しいやつだった。三角公園では夏になると、反戦団体が嬉しそうに戦争の危機を叫んでた。へたな歌、へたな太鼓、センスの欠片もない、ひどい代物。とにかく夏のあいだずっとそれがつづいた。職員とともに大阪障碍者労働センターへいった。目的は、発達障碍の検査だ。運動機能や、言語能力、絵を描いてイメージを診る検査やなんかをした。おれはやはり障碍があった。言語能力は一般よりも優れてるものの、数字に弱い。想像力が高い。運動・作業が鈍い。数ヶ月してから、精神障碍者手帳が交付された。毎日、腹をすかしてうろつきまわった。だいたい日本橋までだ。中古レコードを眺めて過ごした。難波までいけば古書センターと、タワーレコードがある。淳久堂はかなり遠かった。隠れてアルバイトをしながら暮らした。
 秋の暮れ、階下でカラオケがはじまった。歌ってやろうかと降りた。でもおれが入る隙はない。娯楽室に入ると若い男がいた。場ちがいで、派手で、ひたすら幼稚なキャップにパーカー、黒縁眼鏡の見慣れない顔だ。どうしたものか、かれはいきなりおれにいう。
   イギリスのひとですか?
  え?
   イギリスのひとですか?
 なにいってんだ、このくそがき。若いというのにこいつは頭が逝ってる、かわいそうに。これじゃあ末期、ナムサンだな。おれはそうおもったけど、よく聴けば「自立のひとですか?」といってるのがわかった。
  入所者だよ。
  ここじゃあ、ただひとりの20代だ。
   つまりあなたは入所者でただひとりの20代、ということですか?
 やっぱりこいつは末期だ。もう手の施しようもない。おれはそうおもいながらだんだん腹が立ってきた。話が理解できれば肯けばいいものをいちいち無意味な要約をして鸚鵡返しにする。なんてやつなんだ。
   ぼくはひまつぶしでDSやってるんです。──だれもそんなこと訊いてはいない。
   DSって知ってますか?──知ってるよ、ばかどもの電気式おしゃぶりだ。
   莨は吸いますか?──だれか教えてくれ、こいつ、アンケートでもやってやがるのか?
  吸うけど、いまは持ってない。
   それは持っていたら吸うということですか?
 おれは娯楽室からでていった。くそったれ。話が通じねえ。そして莨と燐寸を持ってもどった。やつの眼のまえで吸うも、やつはもうおれに関心がない。眼も合わせない。かわりにおれの燐寸を見た老人が「燐寸持ってくる!」とくそがきに告げ、急いででてった。そしてがきに燐寸を見せる。もちろんのこと、がきにとってはどうでもよかった。
 屋上の大きな水槽のせいで冬になっても蚊が涌いてる。夜ぴって殺しまくる。年の瀬、おれは古書センターにいた。セール品のラックに帯つきのブコウスキーとカーヴァーをみつけて買った。いい気分で寮に着いたとき、冷たいなにかが首をかすめた。父が立ってた。だまし討ちに遭った気分。役人も職員も事前に報せてくれなかった。もう一生会うことのないだろう人間をおれは睨みつけた。おれは父との話しを拒んだ。役人がいった、
  お父さんは、あなたことを心配してるし、
  あなたに絵を習わせてもいいといってるのよ。
 うそっぱちもいいところだ。そとづらのよさ、あの男にはそれしかない。カミュの辞を懐いだす。《たとえ絶望にすっかり、とりつかれていても、あたかも希望をいだいているかのように振る舞わねばならない。──さもなければ自殺あしなければならなくなる。苦悩になんの権利もない》だとさ。年があけた。おれは劇団「犯罪友の会」へいき、団員募集に駈け寄った。主宰と雨のなかを歩く。おれは詩を書いてるといった。かれは現代詩がきらいなようで小説はどうかといった。物語はずっと書いてない。おれのなかでずっと空まわりしつづけてた。劇団に着いて話を聴く。おれの顔を見ていった、
   きみはいじめを受けてきたんじゃないのかい?──おれは肯いた。
   やっぱりな、──きみみたいな子はみんな表情に乏しい。
   でも舞台をやっていればよくなるよ。
 それから劇団の活動を写真で見た。おれの好みじゃない。それにチケットノルマもある。最初のうちは求めないといった。それでもなんだか場ちがいのような気がしておれは辞退した。帰りしな主宰から、「小説を書きつづけなさい」といわれた。おれもそうしたかった。それから3月11日、地震だ。そのときおれは天下茶屋駅にある天牛堺書店で古本を見てた。ゆっくりとからだが揺れる。おれは病気にでもかかったのか?──やがて揺れは収まり、おれは歩く。片手に眼鏡、もう片手に罐の清酒。天井のはずれから光りが一瞬貫いた。痛い!──焼けるような痛み、右手に虫に刺されたようなあとが残った。なんだ、これは?──考えようもなく、役所の酒害教室へいった。帰り際、地階のテレビを見た。空撮される平原。テレビ画面には「WRONG MOON漂流中」とあった。水がゆっくりと覆いかぶさっていく。東北らしい。おれは右手をさすった。寮に帰るともうだめだった。手の腫れと寒気でどうにもならなかった。清酒に右手を着け、恢復を願った。翌日、レントゲン検査があった。おれは右手のことを医者にいった。相手にされなかった。痛みは1ヶ月つづき、腫れは収まらなかった。丸々と膨れ、そのあと数年治らなかった。おれは偽名を使って、ドカチンに入った。USJでガラ出し。耐えきれず、逃げだしてしまった。ヘルメットを脱ぎ、地上階の扉をあける。ユニバーサルシティ駅から新今宮へ帰った。1時間でトンコした。ひとつひとつの記憶が、棘になって刺さる。落ち着かず、眠れず、考えられずにいる。どうにもならないまま寝台のうえで過ごした。夜、シャーウッド・アンダーソンの短篇集を読み終えた。
 4月になっておれは両親と新生会病院のロビーにいた。おれに居宅生活訓練をさせるべく、医者の意見書が書かれた。障碍であることで積年の疑念がいくらか晴れた。両親は医者のまえでおれの藝術センスとやらを話題にした。図工でつくった作品のことを、おれは憶えてないもののことを熱心喋った。場ちがいな話だ。不愉快でしかたがない。どうしてこうも自身の理解と不理解をいつもとりちがえているんだろう。飛田新地の一角にそのアパートはある。おれは隠れて毎日酒を呑んだ。ノックビンは直後に酒を呑めば無効になるってことを知った。永易が遊びにきた。飛田をひと通り案内したあと、一緒に呑んだ。父にはやつがいったとおり、絵画教室の代金を払わせた。やつはやっぱり渋った。けっきょく2週間分だけだした。おれは金欲しさに詐欺の片棒を担いだ。通販の健康食品を女のなまえで受けとる。そいつは1回こっきりだったけど、2万と半分が入った。そいつで中古るのラップトップを買ったけど、不具合が多すぎて返品した。
 そのいっぽうで森忠明とは断絶した。かれの手紙にあった「バーチャルな印象」という評に激怒して、最悪といっていい罵倒文学を送りつけたからだった。朝から呑んで吐きちらかす、そのてまえにきてた。ゆうぐれどき、ほんのおもいつきでダイアルに手をかける。その声は冷め切ってた。
   で、──なに?
  作品を送ったのですが。
   ああ、届いてるよ 
  どうでしたか?
   どうでしたかじゃないよ。
   あんた、おれに破門してくれって書いてきたんだぜ?
   そんなやつがどうでしたか、なんてよくいえるな!
   あんなきたならしい詩なんか送ってきやがって!
   あんたはどうしてそう品がないんだ?
   詩なんか猫かぶりでいいんだ!
   あんたは酒に溺れてどんどん品がなくなってる。
   あんたそれが自分でもわかってるだろ?
   それをなんだ、三流雑誌に載って、
   へんな女からわけのわかんない評がついたくらいで調子に乗るなよ!
   あんたはみんなに迷惑をかけてるんだ、
   おやじさんにもおふくろさんにも姉さんにも妹たちにも施設のひとにも!
   あんたは本当に家へ詫び状を送ったのか?
   あんたうそつきだからな、あんたの書いたことなんてひとつも信じられない!
   あんたは姉や妹たちが嫁げなくなるようなものを書いて平気なのかよ、
   だったらいますぐに死んじまえよ!
 おれは品のないろくでなしでうそつきだとおもった。はじめからからねじくれてる。かつておれに品があったとはおもえない。ただ化けの皮が剥がれてきたんだ。飯場を転々としたり、空き家の車庫で寝たり、公園で暮らすようなことがなければ、もう少し品があるように装いつづけることができたかも知れない。でも遅かった。
   あんたがおれについてとやかくいうのは許すよ。
   それは許しますよ。
   だけどな、あんたが寺山修司についてくだらないこと書いてみろよ、
   おれはあんたのことを探しだして殺しにいくからな!
   おれはあんたをいったん破門するよ。
   あんたがもしも寺山修司について、
   あなたにしか書けないようなやつを本1冊分書いたら許すよ。
   できなかったらそれまでだ。
 おれは酒に酔ったまま寮にいった。夕食はカレーライスだ。酔いどれて、じぶんがどれだけ酔ってるのかもわからないままで。職員がおれを捕まえた。いちどでも呑んだら追放のはずなのに、おれはわかってなかった。
 けっきょくは実家に帰ることになった。あたらしい区の担当者はかたぶつの女で、薄汚いシャツに無表情を決め込んでた。さらにしばらく経ってもういちど森忠明に電話した。かれはいった、──あたらしい師を探してくれ、きみのことがわからなくなった。──おれにはもうゆき場がない。

 かつて夢遊病者だったことをおもいだす。知らないうちに家をでて裏庭に立ってたことがある。じぶんがなにをしてたかまったくわからない。呆然とする。帰って来ると、室のものは破壊され、郵便局の給与で買ったオーディオ・セットも、ギターもドラムもなかった。本と音楽だけがかろうじて無事だった。おれの室は物置になり、おれは隣の室で寝た。しばらくして祖父がやって来た。一緒にアルコール専門の診療所へいくという。そいつは元町にあった。車を走らせ、駐車場へ。地上を歩く。汚れきった防寒着を来たルンペンが路上に仆れてる。垢と煤と埃やなんかで汚れきったダウンにサンダルを穿いてる。
   おまえもいつかああなるわ。
 父が吐き棄てた。祖父は聞えないふりをして歩く。こういった人種とはつき合えない。診療所は暑い。待ち時間は長く、診断は早く、短かった。おれは完全なアルコール中毒だった。発汗と震えがひどかった。そのあと3人で喫茶店にいった。
   あんなとこ、むだやな。
    ああ、そうやな。
 通院はなしになった。かれらはおれがアルコール症だと信じなかった。家に帰って睡眠薬を呑み、眠った。翌朝から草刈りだ。しかしおれにはもう父に従う気はなかった。毎日なにもせず、家人に隠れて飯を喰った。丼に米と卵とマヨネーズをかけて。それからまた小説を書き始めた。ノートに酒場の情景を書く。とにかくアクションから物語を始めるべきだとおもった。若い男と女が主人公だ。題名は「旅路は美しく、旅人は善良だというのに」とした。これはベケットゴドーを待ちながら」からの借用だ。21歳、東京から帰ったおれがもし女と出会ってたらと考えて書く。ふるいラップトップで書き進めていった。貧窮院にいたころのバイト代が入った。テーマパークのCFエキストラだ。4千円。そいつでアメリカ産のウォトカを買い、牛乳で割る。うまい。父のいない夜、インターネットやりながら作品を書く。ほかにエッセイや詩論も書いた。季節は秋になっった。あるとき、祖父がやって来た。おれは酒を呑み、短篇を書いてた。かれはいう、
   おまえにはわるい血が半分入っとる。
   おまえもむかしはええ児やったやないか、イヨ?
   儂らが来て、その帰り際、泣いてまで「ついていく!」て、いうてたやないか。
   あんときのおまえはどこにいったんや?
   儂が死ぬまでにまともになってくれや。
 夜、家族が鍋を喰ってた。おれも腹が減って地階へ降りた。妹ふたりが食べてる。おれも、とおもって手を延ばした。いちばん下の妹が払い除けた。おれを睨んだ。おれは怒って撲りつけた。そしてテーブルをさかさまにした。母が来た。おれは台所の木椅子で、祖母の仏壇を打ち鳴らした。扉がはずれ、遺影が床に落ちた。おれはかの女に情があった。でもこんなものはただ物質で、生前のかの女とはなんら関係はない。母がやめてと叫ぶ。おれは木椅子をテレビにむかってなげた。おれは酒を呑みつづけた。母が妹をつれて病院へいった。帰ってきた父は荒れた室を見て怒り狂った。おれの棲む物置に入ると、本や音楽を足で蹴飛ばし、挙句に裏庭に投げ飛ばした。おれの密造酒をあたりにぶちまけた。おれはまったく無抵抗で蹴られつづけた。「おまえは女の子の顔に傷をつけたんやぞ!」──暴れる父も怒りさえ発散できればすぐに大人しくなった。動物園の猛獣と代わり映えしない。おれはいちばんめの妹の室に入ってベッドで寝た。かの女は荷物を置いたまま数年まえ、でてったきりだ。壁にはホリプロのオーディションにでたときの書類が貼ってあった。眠るもつかのま、父に追いだされ、おれはまたしても物置で小説を書き始めた。
べつの夜、午前3時。いきなり帰ってきた父にアメリカ産の安ウォトカを奪われた。無職のおれはやつを罵りながら、追いまわし、眼鏡ごとを左眼をぶん撲った。おれの拳でやつの眼鏡が割れ、拳は眼鏡の縁で切れ、血がシャーツに滴り、おれはまた親父を罵った。やつには因果応報ということを教えてやらなくちゃならない。
  返せ!
  酒を返せ!
  おれの人生を返せ!
  おまえが勝手に棄てたおれの絵を、おれの本を、おれのドラムを、おれのギターを!
   そんなもん、みんな棄ててやったわ!
 誇らしげに父がいった。凋れた草のような母たちが、姉と妹たちがやって来て、アル中のおれをぢっと眺めてる。おれはかの女らにも叫ぶ。おまえらはおれを助けなかったと。おれが親父になにをされようがやらされようが助けなかった。もういちど父を撲った。悲鳴をあげ、逃げる父にはかつての暴君ぶりは見えず、被害者づらをしてカウチに転げ落ちた。怒りと破壊だけが父子の共通項だった。やられたら倍にしてやりかえせ。父や祖父の血がおれのなかで熱くなる。豚殺しの末裔。おれは小説を書きつづけた。随筆やコラムも書いた。おもに貧民街の暮らしについてや、世界の縁から零れたものたちについて書いた。そして第2の短篇「光りに焼かれつづける、うち棄てられた冷蔵庫のブルーズ」を書き始めた。でもこの家からはもうできなければならない。10月を過ぎてたし、あたらしい場所が必要だった。おれは父の財布から金を抜くと、荷物をまとめ、家をでた。車をひとつヒッチハイクして。乗ってた老夫妻は父を知ってた。やつがダンス教室なるものに通ってることも。失笑を洩らした。
 いちど西成にいったが、引き返した。どやの無線LANが使えず、苦情すると追いだされた。当然返金もなしだ。三ノ宮で降り、夕方区役所にむかった。おれはてっきり追い放たれるとおもってた。でも、これまでのこと──仕事や病院、飯場、どや街、障碍について洗いざらい話したら、救護支援を案内された。カソリック教会が棲む場所が決まるまで金を貸してくれるらしい。山手の教会まで急いだ。5時には閉まってしまう。なんとか間に合って話した。カプセルホテルの予約とメシ代とを頂いた。ホテルは無料のコンピュータがあった。ネットも使い放題。ビールをやりながら、おれが文藝サイトに詩の寸評を書き始めた。まえまえから眼をつけてたところだ。「文学極道」という投稿掲示板に怒りを込めたコメントを書いた。どいつもこいつもアカデミックやろうだ。室が決まるまでにいろいろあった。急性胃腸炎を起したり、酒に酔って仆れたりした。そしてアルコール専門の神経科で詩を書いた。ちいさなメモに「さまよい」という長いものを書いた。手応えがあった。そいつを文藝サイトに投稿した。黒ヱという女から、《まったくひどい代物ですね。[初稿]とありますが、書き直す価値もありません》といわれた。おれはかの女に猥褻な科白を次々と投げ、サイトから追いだした。《黒いおまんこヱちゃんよ、おれとエミリ・ディキンソンごっこしようぜ!》などといった。
 19歳のとき、おれは朗読会のパンフレットづくりでかの女の詩を読んでた。そんなことはすっかり忘れてた。おなじように酒の勢いを借り、さまざまなものを罵り、傷つけてた。あっというまに鼻つまみものになった。《1発やらせろ!》とも書いた。おれはわるい意味で識られるようになった。強烈な敵ができれば、強烈な味方が現れるとおもって。でも、けっきょく大した敵も味方も現れることはなかった。
 12月15日、ようやく室が決まった。役所には父と母といちばん下の妹が来てた。だれもがしずかに怒りを湛えてた。おれはすっかり王様気分で、壁を突き抜けるように歩き、ケース・ワーカーに挨拶した。しかしだ、年末に金を使い切ってしまい、おれはスープだけで14日間を凌ぐこととなった。赤い座椅子に坐ってガニマール版のアルベール・カミュ評伝を読み通した。読み終えて、サルトルボーヴォワールほど卑怯なものはないとおもった。

   *

 年があけておれは鱈腹喰い、呑んだ。永易に電話をかけ、あたらしい住所を報せた。電話は父が買ったものだった。じぶんで買うつもりも、それをやろうは赦さなかった。それでもって料金はおれが払うはめになった。おれはじぶんの作品を売りにだそうとした。それまでの作品をスキャンし、絵葉書を刷り、ほうぼうで話しをした。扱ってくれと。
 夜だった。近所の新古書店「ブックス・カーリーズ」が取り扱ってくれることになった。おれは店のポスターなんかをサービスでつくった。たった数百円の売上だったが、じぶんには価値があるということをようやく実感できた。作品見本輯を共同出版する話も浮上した。けれども店は移転計画のために閉店してしまった。どこかへ移ると店長から聞いた。いつになるかはわからなかった。店長の中島さんはきさくで、おれがなにかを買うとき安くしてくれたりした。
 永易におれは情況を報せた。しばらくしてやつが仕事をくれるといった。たかり屋にしてはめずらしく、報酬も2万だ。内装工事の手元だ。おれはさっそく西大寺に乗り込んだ。1日めを終え、やつの恋人宅へいく。古民家を改装したアパートだ。ジンのボトルがやたらとある。3人並んで眠ることになった。寝室の本棚、そこにはチャンドラーや村上龍があった。おれが読んできた本ばっかりだ。おれのほうが気が合うんじゃないかと一瞬おもった。おれは眠った。朝、おれひとりだけだった。階下へいく。すると毛布をかぶったふたりが身を寄せ合ってた。どうやらおれは眠ってるあいだに嘔吐したらしい。
 車に乗って現場へいく。おれは前金で酒を呑んだ。もちろん隠れてだ。ウィスキーのミニチュア壜を何本も入れた。けっきょく仕事にはならなかった。やつから貰ったジャンベを持ってふたり電車に乗った。大阪方面だ。おれが路線をまちがえる、やつが咎める、おれは「くそ!」といってやつのいるホームへ急ぐ。帰ってくると、やつから私信だ。《酒やめるまでおれとミカに近寄るな》。
 翌年の夏になって、永易が電話してきた。おれの絵をオフィスに展示したいという。おれはかまわないといった。ただし展示料はもらう。するとやつは絵を売ろうといった。昔のよしみだ、こればっかりはしかたない。そうおもってうなずき、絵を送り、展示案やポスターを仕上げて、神戸から西大寺くんだりまでいってやった。やつはポスターを気に入らないといった。場所である、椿井市場が目立ってないといい、"bargain sale"という個展名や展示方法にも難癖をつけた。だったらぜんぶじぶんでやればいい。後日、ふたたび西大寺のオフィスに訪ねた。資料用の素描へ"The Outsider Art"と直かに書かれ、市場の各所に貼ってあった。これほどの侮辱はない。そいつはいままでみたこともない悪意だった。やつは笑ってる。おれはポスターを造りなおしてた。でも印刷の予算まではない。やつは興味を示さなかった。手持ちのラップトップで確かめようとすらしない。アウトサイダー・アート──それは手垢つきの過古だ。それはすでに体制のものだ。おれは真夏の市場でひとり汗をかき通しだった。飲みものも喰うものもなく、オフィス番をさせられた。椿井市場にはひと気がない。だれも通りはしない。こんなところで個展はむりだ。夕方になってやつが帰って来た。おれは展示する絵にもやつの文字が入ってるのに気づいた。
  どうしてくれるんだ?
   ああ、買い取ってやるわ。
   でも宣伝になったからええんちゃう?──宣伝になどなってなんかない。
 夜。おれたちはトラックで通行どめに遭った。工業用扇風機を運んでるときだ。やつにとってのいつもの道が塞がれてた。やつは警備員を面罵して──ここを通せとわめき散らした。歩きながら叫ぶ。──責任者呼べ!──おれはハンチングに隠しきれない恥ずかしさでいっぱいだ。やつがもどって来て警備員に呶鳴った──そんなんやから、そんな仕事しかできへんねん!
 警備員は小さく「このばかがッ」といった。するとやつは真っ赤になってかれに飛び込んでった。地面に叩きつけたれたかれが「警察呼んでくれ!」と悲鳴した。おれはやつを撲るべきだったかも知れない。とめるべきだったかも知れない。しかし、そいつはまるで屁をひってから肛門管をしめるようなもんだ。きっと「拳闘士の休息」っていうやつだ。トム・ジョーンズイリノイ生まれの作家である。やがてひとびとがあつまりはじめた。そのなかには非番の警官を自称するものもいた。それでもやつはひるまずにわめきつづけてた。やがて警官が横断歩道のむこうから歩いてきたとき、おれに運転しろといった。
  どうして?
   免許ないから、
   ばれたら困る。
 おれはエンジンをかけ、サイドブレーキを解き、警官がたどり着く寸前にロウ・ギアに入れて発進した。やつは角をいくつもまがらせ、追っ手がないのを確かめさせた。それから運転を変わった。痛風で左足が痛む。
 「こんなことが週に何回もある、でもあの警備員は仕事に責任感がなかった」──ピアスまみれの顔でアクセルを吹かした。そのとき口にはできない感情をおれは自身に感じとってた。ふたりで扇風機を事務所の壁につけようと苦戦しながら、やつはいった──おまえの学習障碍なんて甘えだ。おれはおもった、──杖や車椅子は滅ぼすべきというわけ?──取りつけた礼もない。ハーパーを呑んでからやつの室まで眠りにいった。そこには喰うものも、呑むものもなかった。やつはけっきょく身銭を切りたくないだけのやろうだった。本棚の目立つところに「超訳ニーチェの言葉」がある。そのばかげた本でいっぺんにすべてを諒解した。このくそったれは超人にでもなったつもりなんだ。そしてみんながそうなるべきなんだって信じてるんだって。そして友情はおれを必要としてないというのがわかった。
 翌朝、おれは体調を理由に帰った。夕暮れ、酒を呑む。twitterになにもかもを暴露した。憎悪にたやすく傾いてしまった。もっとちがうやり方があったにちがいない。でもおれにはやつとの見えない主従関係をぶち破ることしかできなかった。やつからの着信をとらず、代わりにショート・メッセージで応じた。
  おれは対等に話しがしたいんだ。
   生活保護者が対等なわけないやろ!
 やつの正体がわかった。ずっとおれのことを下位に見てたんだ。だから金があればたかるし、なければ用なしなんだ。そうだ、やつはじぶんに従うものを探してただけだ。翌朝、父が来た。永易から電話があったという。おれの書き込みをすべて消せと要求した。父は完全に永易の側に立って喋った。いったいおまえになにがわかるというのか?──後日、おれがやつの1件をたれこんだのを知って電話がかかって来た。──おまえは友だちを警察に売ったんやぞ!──なにをいっても無駄だった。
 やがて夜になって公園を若者たちが騒ぎまわってた。男たちと女たちの嬌声に耐えきれず、アパートを降りる。おれはわめいた。女たちがキモイなどとお得意の三文字言葉をいった。おれはそのなかのひとりに狙いを定め、パンチを繰りだしたがやつらの足はすばしっこく、ひとり残らずに逃げられてしまった。ようやくおれは気がついた。バンテージを忘れて、重量もすでに超えていることを。そして最悪のことにもはや若者ですらないということを。

   *

 ほかにも酔ってらんちき騒ぎをやらかした。あるとき、階下で少女がわめいてた。母親に喰ってかかってた。おれは「うるせえ!」と怒鳴り、階下へいった。少女にむかって「なにをそんなわめく必要があるんだ?」といった。母親がおれに謝った。真冬にエアコンが効かず、駄々をこねてたらしい。おれもかの女に謝った。後日、郵便受けで少女に出会した。おれは朝から弾き語りにでて帰りだった。ひどく惹かれた。黒髪のショート・カット。大きな眼。うつくしい。なにもかもがよかった。でも、すぐに母娘は引っ越してった。

   *

 群馬の女性が眼をかけてくれるようになった。澤あづさという筆名で、整体師だった。遺伝性の眼の障碍で、どんどん視野が狭くなってると聞かされた。こういったことはどういう態度で接すればいいのか、まだわからなかった。かの女はおれの小説をたかく買い、金を払いたいといった。ほんとうに金が送られてきた。5千円。おれには手製本の詩集を送るしかなかった。かの女はおれの人生の話をよく聴いてくれた。おれはかの女にすっかり甘えてた。でも送った第2詩集には反応がなかった。おれは失望し、それからはどういわれても心を入れて応えなくなった。かの女はあくまでおれの小説が好きなのだ。詩で培ったものを小説に活かそうとしたのは正解だったが、詩そのものは相も変わらず退屈な抒情詩で、心情に共鳴するか否かのものでしかった。
 おなじころ、医者をしてるという女とも知り合った。筆名は「無名」。へたな酷評で知られてた。かの女はおれを煽った。もっと暴れてください、もっと酷評してください。でも金はくれなかった。──あなたにお金をあげても酒を呑むだけです。──その通りだった。澤あづさと並行してかの女にもおれの人生を語った。かの女はじぶんよりも澤あづさが尊重されてるとおもって嫉妬した。あるとき、かの女のtwitterを見た。幼い娘の躾について辛辣に書いてた。どうやらその娘は発達障碍らしかった。じぶんの母を懐いだしてやりきれなくなった。おれはメールでなじった。かの女はうろたえ、去ってった。教えてくれた電話番号にかけたけど、でなかった。それっきりだ。傷つけたことはわかってる、でもどうしようもない。ほかにも何人かの女たちと話をした。遠くに棲む女たちと交信した。おれは酒と怒りに狂ってたし、ほとんどの場合、やさしくはなかった。ひとりだけ実際に会った女もいたけど、とてもおれの好みじゃないし、深夜にかかってくる電話にも辟易してた。かの女に会い、かの女にわざときらわれて、それきりだ。女たちはいったいどこへ消えていくのか。おれにはわかりようがない。どんな男だってそいつは知らないだろう。おれはかの女たちの餌食になるほかはない。おれがかの女たちを捕まえることなんかできやしない。おれは素面であろうと、酔っていようと、いけ好かないやつで、ろくでもないやつだ。かつて映画館でおれは声を女からかけられた。でもおれは臆病で、かの女からの誘いをむだにしてしまった。もっとおれなりのやり方があったのかも知れない。いいや、そんなものはないだろう。だれかと一緒になるなんて考えもつかない。おれを愛してくれ、おれに触ってくれ、──そうはおもっても声にはできない。やがて季節がかわって、呑みながら町を歩き、やがて遠いおもいでの彼方まで飛び、愛してた女たちを視た。かの女たちとのつながりなんかありはしない。それでも懐かしいおもいのなかで、かの女たちを抱きしめた。抱きしめつづけた。やがて涙がながれ、おれのなかのおもいがすべての路上を伝うまで、泣いた。おれにできることはなんだろう。もはや多くの人間にきらわれ、孤立のなかで可能性を失いつづける。ひとは時間に敗北するしかないということをいやでも意識させられる。どこにいるんだ、おれの恋人、おれの聖家族たち、おれの友人たち。おれはまたしても社会にもどっていくしかないのだろうか。みずからの無力さをこんなにも識りながら、どうやって戻ればいいのか。星が銀色に光り、おれは見あげる。かつてあったものに、喪われたものに心を展くためにだ。
 でもむだでしかない。わかってる。おれは帰ってノックビンを呑んだ。酒はしばらくやめたかった。でもこんな薬、すぐには効果がでない。おれはいまでも愛しかったものの幻しのなかで、おれは倒れた。それから眼を醒ましてジェイムズ・サリスの「黒いスズメバチ」を再読した。映画「オン・ザ・ロード」を観た。「ピカソになりきった男」を読んだ。さまざまな声がさまざまなところから聞えて来る。おれはいったいどうすればいいんだ?──おれはでたらめに電話をかけた。永易の母親がでた。やつはおれとのことがあったあと、自裁を図ったという。子供ができたのは知ってる。でも自裁は初耳だ。おれのせいだ、おれが追いつめたんだ。

   *

 しこたまに酔ったあるとき、おれは公園のそばを歩きながら卑語や猥語を叫んだ。おまんこしろ!──やりまくれ、やりつくせ!──そしてふたりの恋人たちを室にあげた。おれはギターを弾いてみたり、なんにか、ちょっとした会話らしいものをしようと苦戦した。そのうちに女の子のほうがおれの絵を褒めた。「豚のためのスケッチ」という水彩画で、そのころの代表作だ。かわいいといった。おれは気持ちが高ぶってかの女にあげるといった。そして希死念慮を吐露した。男は死ぬなんていうなとじぶんの連絡先を書いた。女の子は中国人だ。そのあといちどだけ電話をかけた。それっきり。

    *

 無人の村
 を撃て 
 殺しのハミング
 とともに

 だれもいなくなった台所で
 水と水とが対話する、
 14匹の鰐たちが
 ガードレールに沿って歩く

 おお、マリルー!
 いい加減に床屋だけはあけといてくれ
 鰯の髭を落としてやるためにな!
                           13/07/03

   *