みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

裏庭日記/孤独のわけまえ〈6〉

f:id:mitzho84:20190804142105j:plain

孤独のわけまえ

   *

 どこにもいけない。槇原は英知大学を奨め、情報処理の山田から奨められたのは京都建築大学校だった。父とふたりポンコツに乗って京都までいった。ひとのいない森のなかにそいつはあった。父は建築士をさせたがってた。けれどもおれは数字に弱い。体験授業でバリアフリーを撰んだ。インテリア・デザイナーのほうがよかったかも知れない。3年すれば、だれにでも製図ができると教員はいった。おれにはできそうになかった。むしろ隣にある伝統工芸の学校で壺でもつくっていたかった。教室をまわり、しまいに寮を見学した。小奇麗な室だった。ここなら安心して創作ができそうだった。父の監視もない。ここにいこう。おれはまたポンコツに乗って帰路についた。
   この距離なら原付きで通えるな。
 やっとこの男から離れられるはずだのに。けっきょく、なにもいえなかった。ろくでもない筋書き。灰色のなにか。大学受験はいまさらなにもできない。おれは酒場にいって荒木田さんに話しをした。
   サンダヴィンチって知ってる?
  いいえ、知りません。
   三田でやってる美術学校やねんけど、そことか、ミツホに合いそうやとおもうで。
   いっぺん資料請求してみぃな。
 やっぱりおれは美術をやるべきだ。ズブロッカを呑み、ゴロワーズを喫んだ。なんとしてでもあの家からぬけだしてやる、そうおもって家路に就く。eastern youth を聴きながら、カブに跨った。その夜、資料を取り寄せた。サンダヴィンチも含めて美術やデザイン、音楽もだ。まともな世界がだめだということをわかってた。だれにも受け入れてくれないのも。けれども父がいった。「金のむだだ、ものになるかわからない」って。
 たったそれだけで終わった。吝嗇家の父は冒険はしない。しかたなく英知大学を受けた。落ちた。3万かかった。なにひとつ勉強はしなかった。仕事を探さねばなるまい。そういったことはやりたくなかった。やればやればじぶんの底が見えるだけで、ちっとも幸せになんかならないことは想像できた。春だ。卒業だ。おれはまともな服もなく、薄汚れたシャツで迎えた。帰ってきて父が来ていたのを知った。
   どうしてもっとまともな格好をしないんだ!
 服を買う金がないからだ。おれには仕事を探すつもりも、自身がまっとうであるとうそをつく気もない。それでも父はしつこく仕事を探せといった。とりあえず、おれは三田で職を探した。永易が働いてたクリスタルの面接が募集してた。歯並びのひどい小男とコーヒーを呑んだ。落ちた。あたりまえだった。失業者は溢れて世界の縁から零れそうだった。ややあって工員の職をみつけた。面接は職安でやった。まさかそんなところに人足寄せがいるとはおもわなかった。アクティスの津地というでぶが担当者だ。作業服から腹が迫りだしてた。仕事は朝から、自動車部品のシリコンを、その飛沫を拭き取るだけ。残業は3時間もあった。上役は金髪のでぶ眼鏡、顎髭つき。なにもかもに憤然として、おまえの態度が気に入らねえといった。おれはあたまをさげ、それらしい態度を演じた。やつは満足して破顔した。豚野郎、くたばれ──とおもった。
 工場で人間のままでいるにはどうしたらいいものか、おれにはわからなかった。だれが教えてくれるのかもわからなかった。翌日の昼休み、上履きのまんまおれは脱走した。カブに跨って永遠におさらばしたということだ。立ったままの仕事は合わなかった。おれは給与を取りに津地に会いにいった。タイヤがバーストしたために約束の時間は過ぎてた。
   おれをなめるんじゃねえと津地は仰った。
   おれは中卒でいちからやってきたんや、いまは家族もいる!
 だからどうしたんだでぶ公さま。あんな仕事をやらせやがって。
  すみません。
  どうしてもできなかったんです。
   きみはほんとうにやりたい仕事はないんか?
 なにも浮かばなかったから、短歌をやりたいと答えておいた。
   それは師匠とかについて、景色とかを眺めながらするんやろう?──仕事といえるのか?
  いまのぼくにはそれぐらいしかおもい浮かびません。すみません。
   まあ、ええやろう。また仕事を紹介するから、そんときは電話をくれ。
 電話なぞするものか。おれは酒を買った。6千と半分があった。あれだけの立ち仕事をしたのにこれっぽっちしか入らない。世界は儚い。貧しいひとびとにおれが加わるときが来た。愛しいものはどこにもいない。村上も北甫も幸せにやってるだろう。どっかのやろうどもと。今宿まことでマスを掻いてるときだ。電話が鳴った。クリスタルからだった。もういちど面接したいという。三ノ宮でだ。補欠要員になれたんだ。ペーパーテストを経て合格が決まった。でも気分はちっともよくなかった。溶接、測量、塗装、どれもみんな親父がおれにやらせたいものでしかない。いつになったらおれは絵を学べるのか、バンドを組めるのか、文学をやれるのか、女の子とつきあえるのか。なにも見えない。持ち時間はもうない。工場のなかで老いていくしかない。合格を母に伝えた。じぶんを苛んできたあらゆるものを呪った。父、母、姉、妹、たちのわるい同級生、たちのわるい女ども、くそでばかな教師ども、ひとの機微を知ろうとしない、すべての世界のひとびとを。おれはそこの研修所で1週間ちかくいた。毎晩呑み歩いた。どの店も人間味があった。新入社員はみな年下だった。女の子も数人いて、山本という娘が気になった。ロッカー室の狭い廊下で、おれは今東光の「悪太郎」を読んでた。
   ぶ厚い本!
 そういってかの女は笑った。かわいい。見習いはアーク溶接、電気溶接、グラインダー、それから測量になった。数字を扱うようになって、おれはまちがいばかりしでかすようになった。じぶんにはできない。日報にうしろむきなことばかり書きつづった。じぶんは不要な人間だとか、消えるべきだとか。いつも座学で机を蹴っ飛ばす教官もそれには堪えたらしい。朝鮮人の講師とともにおれを懐柔にかかった。かれらの声にうんざりだ。もうやめよう、そうおもうと早かった。おれは家に帰り、そして会社に電話した。
  東京にいって作家の弟子になります!
   やめたほうがいい、いまの会社がどれだけいいか、きみはわからってないんだよ。
  いいえ、ぼくは詩人になります!
   きびしいぞ。
  それでもかまいません!
 泣きながらいった。母が聞いてた。朝になっておれは父から7万を借りた。やつは喜んだ。これから会社の寮に入るといい、荷物をまとめた。そして駅へいき、梅田で降りた。夜行バスなんてはじめてだった。

 新宿の朝。大きな鴉たちが地上に降り立つ。おれは小壜のウィスキーを買ってやりながら西武あたりを歩いた。やがて地下へ。山手線のホームに立ってド・ルーベの音楽を聴いた。ベルモンドの映画「オー!」が入ってる。ひとびとがひっきりなしに来る。列車もまたそうだ。場が静かになるまで待てなかった。おれは神田を目差して乗った。
 あたりまえながら、どの古本屋も閉まってる。喫茶店で売却するつもりの本を読んだ。「ドキュメンタリー家出」、「地平線のパロール」、「暴力としての言語──詩論まで時速100キロ」、「さあさあお立ち会い──天井棧敷紙上公演」、芳賀書店版「書を捨てよ町へ出よう」やなんか。旅草の足しにするつもりだった。おれは詩人になるんだ。去年のはじめまりから、おれは森忠明という詩人と文通してた。作品を送り、助言を受けてた。きょうはかれに会いにいく。本を売ってから立川を目指した。夜。森氏の家をみつけた。呼び鈴がない。しかたなく大声で呼んだ。返事はない。ちかくの居酒屋「たつの」で休んだ。冷酒を頼む。女将がとてもやさしかった。おれが神戸から来たのを知ると勘定はいいといった。おれは立川ホテルに室をとった。7階の室。森家のポストに「立川ホテルにいます」とだけ書いて託を入れた。やがてフロントから電話が来た。
   友達というひとが来ています。
 階下へいくと、とても大きなからだの男がいた。かれが詩人、森忠明だった。180以上はゆうにあった。ふたりで「たつの」に挨拶にいった。女将と旦那が畏まってあたまを下げた。そしてかれの家にあがった。日本酒を呑みながら話す。
   つまりこれから弟子としてやっていくということだね。
 おれにもやっと居場所ができた。生きる縁が見つかった。翌日からいろんなところをまわった。高島屋の寿司屋や、谷川俊太郎の自宅、寺山修司が10代のころ入院してた川野病院やなんか。その裏手には墓場があった。《秋風や人さし指はたれの墓》──詩人のことばはちからに溢れてた。でもおれは棲むところを探せなかった。都下の物件をひとつ見ただけだ。風呂なしので月3万の物件に20万の入居費用がかかる。話にならなかった。金もなくなっていくなか、焦りだけが大きくなってる。そんなとき、渋谷の園田英樹を紹介された。かれは演出家で、アニメの脚本も書いてた。桜でいっぱいの公園で対面した。
   神戸から来たって聞いたから、きみが少年Aかとおもったよ。──森忠明は関東医療少年院でかれと対面してた。
  まさかそんな。
 おれの戸惑いを関せず、桜の咲き誇ったあたりいちめんへとかれは導いた。
   よく見てごらん、ここにはきみを知ってるひとなんかいないだろう。
 かれのアパートメントに泊めてもらい、芝居の稽古を見学した。オリンピック記念青少年育成センター。踊りやら即興芝居やらをやった。お寒い代物だ。学生の馴れ合いと見分けがつかない。そいつが終わればバーミヤン若い女の子たちを侍らかし、いい気分で飯を喰う。羨ましくもおもったが、こんなものはおれの目指すところじゃなかった。かの女たちはいった、森先生に似て面長だと。都心で室を探すべきだと。金丸さんというきれいな女のひとが、おれを舞台に参加させようとしてくれた。詩の朗読でだ。かたちだけのオーディションの日、おれは偶然見つけた林檎ビールを呑んだ。食堂へ入ってきた園田はいった。「酒呑んでやるつもりか?」──うっかりしてた。こんなときに酒を呑んでしまう。けっきょくオーディションには落とされた。環状線に乗って立川を目指した。かれから電話があった。おれはでなかった。森先生に起ったことをいった。
   園田のわるいところはさ、──森先生が語った。
   馴れ合いばっかりでわるいところをいわないことさ。
   もうずいぶんまえになるけど、芝居が終わってやつは懇親会なんかやるわけ。
   駄目だししねえんだよ。
   おれはすぐに懇親会やめさせてさ、ひとりひとりだめだししたよ。
   あいつ、泣きそうになっててさぁ。
 おれは実家へ電話を入れた。父はかんかんだった。おれは東京に棲むんだ!──なにをいってもだめだった。母はいった。せっかく就職で喜ばしたのになんということをしたんだと。ふたたび立川ホテルに泊まった。急な高熱と腹痛でたまらなかった。朝、医者にいった。急性胃腸炎だった。おれは金を使い果たした。
 それでも「たつの」にいくとただで酒が呑めた。女将さんは店屋物まで注文してくれた。カツ丼を持って来た老父は森先生の姉君を憶えてた。かの女について語った。すごく礼儀正しい子だったらしい。旦那さんはおれを「このひとは文学ばかなんだ。投資するよ」といって2万くれた。でもおれはむだづかいをした。中国人マッサージで足の長い美人と過ごした。森先生の秘書、高橋恵子に荷物を預かってもらう手はずだったけど、いけなかった。かの女や、園田氏はおれを破門すべきだとつよく主張したらしい。当然。
 けっきょく残った本も売ることにした。旅行鞄をロッカーにおき、リュックサックを担いで、新宿から神保町まで歩く。陽が落ちたころ、法政大学のまえを通った。学生たちが愉しそうだった。なのにおれは21歳で、どこにも居所がない。頼るものも、守ってくれるものもない。なんていうざまだ。歩けるまで歩き、公園で寝た。そして信濃町を通り、カソリック教会で水をもらった。着いたときには夜だった。そして翌日は土曜日。どこの本屋も軒を閉めてた。なんとか売れるところを探し、それでも、たった2千円にしかならなかった。負け戦をずっとやってるみたいなもんだ。暑くなった街区をいきつもどりつして、おれは母に電話した。金を無心した。1万円をせしめ、バーでビールを呑み、ゴロワーズを喫んだ。大阪行きのバスを待ってるあいだに金はなくなった。旅行鞄も盗まれてしまった。また無心した。おれはゴールデン街をぶらついた。スメナ・エイトを抱えながら行きつ戻りつしてたら、女のひとが声をかけてきた。
   あなた、なにしてるの?
  写真を撮ってるんです。
   どっから来たの?
  神戸です、家出したんですよ。
   まあ、そうなの?
   一杯呑ませてあげるわ。
 街の案内板によればそこは新宿初のゲイ・ボーイの店らしい。でもかの女はとても男には見えない。ふたりで静かに話す。
   あなたはなにになるたいの?
  詩人です。
   あら、わたしの知り合いにも詩集をだしたひとがいるのよ。
 かの女はウィスキーのハーフロックをだし、閉店後にもういちど来るようにいった。おれはそのあと、バラックみたいなスナックで女将と話した。かの女は帰って地元に働くべきだといった。でもウーロンハイ1杯で5千円もぼられてしまった。帰りの金がない。おれはふたたびゴールデン街のあの店へいった。ふたたびハーフロック。あたらしいことはなにもない。
   唇の厚いひとって、情にも篤いのよ。
 かの女はいう。おれはまたしても1万円、母からせびった。夜は路上で本を読む。そのとき、地面の新聞に眼がいった。「高田渡死去」。生きてるうちに見たかった。どうすることもできない。高架下で眠る。朝、激しい怒鳴り声がした。老人がおれに蹴りを入れる。──おらあ!──ここから失せろ、このやろう!──おれは起きあがってやつを蹴り返した。
  おれはバスを待ってるだけなんだよ、なんで蹴るんだ!
   おい、おれはヤクザだぞ、おまえなんか殺せるんだ!──おれは頭に来て警察を呼んだ。しばらくすると老人は拾いものらしい雑誌を二束三文で売ってる。やつの場所のためにどうしてこんな眼に遭わなくちゃならねえんだ。おれはバスに乗った。どうすればひとりで生活ができるのか、わからなかった。悔しいおもいで車窓を見つめ、遠ざかる町を少し憾んだ。

   *

 フルーツ・フラワーパークでの話が流れたあと、神明工場が米の投入役を求めてた。脱穀機に重い米を流し込む。採用された。ミラーの「梯子の下の微笑」を持ってった。ふたりの若い男が退職をひかえて嬉しそうだった。仕事は単純だった。いやなやつがひとりいるらしい。そいつはリフトを運転してた。リフトが運んだ米袋を開封し、脱穀機へながした。父が勝手におれの鞄をあけた。ミラーを見て激怒した。職場に本などもっていくな!──というのが新しい訓示だった。理由を聞いても答えない。従わないことでおれは、その謎を解こうとした。しばらく経って、やつは気に入らないことに怒ってるだけなんだと合点した。福知山の脱線事故のあとだった、「たつの」の女将から電話があった。おれが巻き込まれたのか、心配してくれてた。あの事故で亡くなったひとで知ってるのは、小学生のときに通った床屋の女将だけだ。
 仕事は粉塵による鼻炎がひどく、2週間でやめた。米の粉が吹きあがって来る。マスクをすればよかったんだ。でもそんなやつはいない。三田の駅前で電話をかけた。やめますといい、途中で切ってしまった。それでも金は入って来た。おれはもういちど東京へむかった。とりあえず路上に坐った。老いたルンペンがよってきた。
   よお、あんた、どっから来たんだ?
  神戸からです。
   なにしてる?
  いまはなにも。仕事を探してます。
   おれはきょう金が入るんだよ。そのまえに飲みもの、奢ってくんねえか。あとで返すから。
 痩せたからだに半袖を着てて、金はなさそうだった。それでも、おれは老人を信じて飲みものを買った。見返りのためじゃない。かれは亢奮ぎみに「おまえに11万やるよ!」といった。11万は来なかったが、かれがよくしてくれた。もとはやくざで、移民2世、妻が死んでから路上に入ったといった。菓子パンやスピリタスをわけてくれた。2日たっておれはいった。
  なにか仕事はありませんか?
   ホストなんてどうだ?
   あんた、いい顔してるしなあ。
   あるいはシンナーでも売るかだな。
   しかし最近じゃあ警察がうるせえからなあ。
  飯場とかないですか?
  倉庫とか?
   そういうのならいっぱいあるよ。
 翌朝、地下道でかれは手配師にひきあわせた。話はすぐ決まった。小さな路線をひきつぎして飯場、加藤組へ来た。そこは八王子の住宅地のなかにあってトタンで覆われてた。まずは食堂に招かれ、ひさしぶりに飯を喰う。つぎに湯に浴みだ。「東京流れ者」を口にしていると、湯加減はどうかと声がする。
  問題なしです。
 室は大部屋で数十人との共同だった。莨に黄ばんだ壁をながめてると、男らが帰ってきた。かるく挨拶をすます。あとはなんにもできることがない。10時の消灯までうごけずにいた。ノートを広げて発想を待つ。観察されてるようなさわりがあった。たしかにだ。ここのまえにも所沢の中村組という飯場にいた。室が決まるまでコンテナハウスのなかに入れられた。室は、3人組の相部屋で、室の入り口にはアニメキャラクタの等身大パネルがあった。初日、中目黒のアパートメントに行かされた。基礎工事の手元作業。コンクリートの打設のため、鉄骨をブラシで洗った。地上へは仮設階段がある。昇り降りするたびに揺れ、怖かった。昼食、おれは弁当を忘れてしまってた。それを察したのか、老人が菓子パンをくれた。夜、仕事から帰って来ると、室の長らしいのが凄んだ。──おまえ、挨拶もできねえのかよ!──ぶっ飛ばされたいのか!──こんなところにはいられない。あたまのいかれたおたくやろうなんざごめんだった。おれはさっさとでた。
 やつに出会ったのは、翌々日だった。やつはワゴンの窓際でけだるそうにしてた。現場は大日本印刷・事務所ビル。黒い鉄骨をむきだしにした陰茎のようにみえる。からだがまるでうごかなかった。足場を組むのを手伝ったり、ガラだしをやってるあいま、倒れそうになる。不安定な仮設階段はめもくらむ揺れをくれた。
   そこのおまえ、足場を組め!──おまえ、おれより喰ってるんだろうが!──もっと動け!
 ひょろ長の男が罵声を浴みせるのを黙って聴いてた。こいつを叩きのめして、スコップの味見をさせてやりたい。休憩のとき、おれは氷をタオルに包み、頭にあててた。雨季をまえにして夏は来てる。地下の詰め所に降り、じぶんの飯場の卓を探す。そこにはあのちびっこがいた。
 「大丈夫か、あんた?」──じぶんでもわかるほど顔が青くなってた。坐って相手をみた。160センチ、あるかないかのちびだった。でもこいつだって要領よくやってるんだろう。涼しい顔をしてる。どんなことでも抜かりなしといった様子だった。おれは自身を憐れみ、ただ腰を降ろした。
   歳は?
  今年で21だよ。
   おれとおなじじゃないか!
  やつは笑って莨をさしだした。いっぽんとって喫む。つまらねえ代物だ。酒を呑みたかった。やつは村下渉と名乗った。
 「おれはじつはやくざなんだよ」とやつはいった。14歳からかずかずの非行を重ねて来たとか、もとは金髪だったとか、年上の女と実家で暮らしてるとか、医者にハルシオンを要求して拒否されたとか、そんな与太を喋った。じぶんには別に仕事があって、そこは高給で楽ちんだ、おまえも来ないかといった。声。
  なんでこんなところにいるんだ?
   しくじりをやらかしてよ、組長の命令で来たんだ。どうだい、こっちをでたらいい仕事がある。──のらないか?──おれは警戒して遮った。いや、おれもでたら用事があるんだ。わるかったな。──こんなやろうとは離れるべきだとおもった。それでもだんだん。ふたりで話すようになった。晩酌のビールをやつとわけあい、やつが仕事についておれをフォローしてくれることもあった。しかし飯場にも労働にもあきあきしてた。とてもおれのからだに合わない。詰め所でぼやいた。
  もうやめるよ。
   やめてどうする?
  地元に帰って工場にでももどるよ。
   もどれないだろ。
  さあな。
   おれの仕事についてこいよ。来週の金曜日に満期なんだ。
  どんな仕事だ?
   それはいえない。でもあんたのことが心配なんだよ。
 ある晩、どぎつい仕事を終え、公園にいった。やつがおれを待ってた。──とりあえず、組長に話しをつけてきた。月20万はかたいぜといった。──それでどうすればいい?──まずは組長のまえで手品をしてもらう。──仕事の内容は?
   電話をかけるだけでいい。多重債務者にだ。
   それでおれたちが肩代わりして利子を儲ける。
   あんたなら、ひと月はなにもしなくてもいい。
 いい出会いに恵まれてる。うれしくおもった。やつの満期で飯場からずらかることにして室へもどった。盆休みになった。8月12日、金曜日。やつは満期。おれは酒壜を鞄にしまいこみ、やつのあとを追った。やつは遅いといった。手元には盆休みの5千円あった。まずはバスに乗って駅をめざした。やつがさえずる。聴くに耐えなかった。
  おれはまえにいちどバスの運転手をしめてやったよ。
  おれが1万しかもってねえっていったらよ、
  そいつ、そんなじゃ支払いにならねえと抜かしやがった。
  おれはバスからやろうをひっぱりだして、
  停留所の看板でぼこってやったよ!──あれは傑作だったなあ。
  土下座もおまけだ。
 そんなことがやつにできようとはおもえなかった。おれはやつから見えないように酒を口にした。──おれたちは環状線に乗りこんだ。雨脚はつよくなり、やつは落ちつかず、いらだちをもろだしにしてた。そして目的とはちがう飯田橋駅で降りてしまった。おれたちはパチンコ屋にいくことになった。雨が降りだした。帰ろうかとおもった。どこへ? やつがいうに金を作るという。おれが店内をうろちょろしてるとやつがおれの肩を小突いた。──おい、来る気ないだろ!──いや、あるよ。──手品の道具がいる。ビニール紐とばかちょんカメラを買って来い!──やつが千円札を1まいきり渡した。追い立てられるようにおもてへでた。商店街をみつけ、紐とカメラを用意した。やつが喰わせものとはわかってた。それでも20万のきらめきは、なかなか消えてくれなかった。パチンコ屋のまえで2時間待ていたらやつがあらわれた。黙ったままだ。換金の列にはくわわり、なにがしかを受けとった。いずれおれはこのことを書くんだ。やつをしっかり見る必要がある。でも、おれのほうも焦ってた。ようやくにしてやつの地元にきた。上野だった。
   ここじゃあ、おれもそれなりの顔だ。敬語で話せよな。
  ああ。
   ああ、じゃねえよ。わかりましただ。
  わかりましたよ。
 観月荘の4階に室をとった。古い宿だ。寝台がふたつ、姿鏡が1枚、冷房、テレビ、便所、廊下にはビールの自販機。室に入ろうとしたとき、やつは「バイバイ」と手をふった。
  どうすんの?
 やるよ。
  なんでおまえのホテル代まで払わなきゃならねえんだよ!──どうすんだよ。──やり場を喪って、シャワーを浴びた。──その態度じゃ、うちの組長も切れんべ。金が欲しいだけなんだろう?──うちの会社、入ったからには、それなりの働きをしてもらわねえといけねえんだよ。おめえから金貰いたいぐれえなんだよ。おまえ、甜めてるだろう、こっちはやくざなんだよ。おまえなんてすぐに殺せるんだからな。すぐ、ふてくされるしよ。──耐えかねて、やめるとおれはいった。
  それじゃあ、おれの面子はどうなんの?──ホテル代は払います。──兄貴や彫り師は呼んであんの。払わなかったらどうすんだよ。怒られるのはおれなんだぜ。室の頭金も払ってんの。払えよ。身分証なんかなくたって探せるんだぜ、てめえの家族に取り立てるぞ!──やつは激昂して捲し立てた。うんざりだ、おれはおまえを信じてたんだ。しばらくしてやつも大人しくなった。たがいにビールを流し込む。やつが話した。組長が今夜これないという。かわりにここで手品をやって写真にとるといった。
   おまえまず、裸になるんだ。
   裸で手品をやるんだよ。
 戸惑っておれが脱ぐ。やつがおれをビニール紐でしばりつける。しかしそれだけだった。あとは要領を得ず、紐はけっきょく切られてしまった。おれの全裸をやつが写真に収める。いったい、こいつはなんなんだ? 問いかけのしようもない。おまえ、そこでせんずりしろ!──おい、手品はどうしたんだ?──裏切らせないためだ。
 テレビが光りを放つ。ポルノだ。いつまでも勃たなかった。いやものを浮かべて勃たないようにした。父の顔や、クラスでいちばんの醜女をおもい浮かべた。やつは痺れを切らし、おれのうしろに立った。やつはズボンを降ろして態勢をつくった。
   おれが入れてやる。
   痛くはない。
  それだけはやめてくれ!──あわやぶちこまれそうになった。やつはしぶしぶ、じぶんの寝台へもどった。おれを睨む。坊主頭で、やせぎすで、しかし態度と声だけはでかい。いっぱしのちんぴらやくざにふさわしい声色じゃないか。おれは怒声を浴びてるしかなかった。けつを奪われかけて寝台のうえで正座した。
   まぢめにやれよ!
  すみません。
   まぢめに働く気もないんだろう!──(その通り!)
   楽して金が欲しいっておもってるだろ?──(その通り!)
   もう仕事の話しはなしだ!
 聞きながらおれはじぶんがなぜこんなことになったのかをおもいめぐらした。たしかにおれは楽がしたかった。大金を得たかった。まぢめでもない。でも、おれはじぶんの居場所が欲しかった。
   だからっておまえ、逃げるんじゃねえぞ、おれには調べがつく!
   逃げればおまえの家族だってただじゃおかねえからな。
   おれが紹介するから、おまえそこで働け。
   それとも金持ちババアのヒモにしてやろうか?──(喜んで!)
  金はいいです。とにかく帰してください。
   このホテル代だっておれが払ってるんだぜ、そうはいくかよ。
 やつはおれの鞄からノートを引き抜き、なにやら店やひとのなまえを書きだした。ひどい悪筆かとおもえば、きちがいみたいにきれいな楷書だ。地階の電話で、飲食店だかの番号を調べた。104に何度もダイアルし、そいつを書きとめた。見つからない店のほうが多かった。わずかな答えをたずさえて戻った。──おれの先輩がやってる店がある。おまえ、そこいけよ。ボーイの仕事だ。一生懸命働いて母親に仕送りでもしてやれ。そうしたら前に仲が悪いっていってた親父ともよくなるだろうしな。休むときはちゃんと連絡してこういうんだ、明日はがんばりますのでお願いしますってな。そうすりゃ認めてくれる。──さっきまでけつの穴にぶちこもうとした相手にいう科白か?──おまえには夢とかないのかよ?──詩人だ。──なんだそれ、小説とどうちがうんだ?──なにも思いつかなかった。──まあ、おれも駅前で酔って買ったことがあるけどな。いいちゃいいし、よくわからん。──ただただ時間が過ぎるのを待つ。──明日は早いんだ、もう寝ろ。
 やつは灯りを消した。肛門が痛みだした。やつは眠ってる。おれはまたしても急性胃腸炎にやられた。便所で嘔吐し、いきんでもいきんでも腹はおさまらず、夜通し便所にいた。肛門がただれるように温く、それはきっと紫をしていたにちがいない。逃げだすこともならず、紫色、それだけがあった。朝、ホテルをでる。具合はまだわるい。やつもまだ不機嫌そうだ。──これ、おまえが処分しろ。おれの裸を撮ったカメラだった。やつはやくざでもちんぴらでもなく、ただのおかまやろうかも知れない。──その鞄、ロッカーに入れろよ。
   まるで家出してきましたっていってるようにみえる。
  でも。──おれはためらった。
   でもじゃねえよ。
   ロッカーの金あるか?
 金はない。くそ。やつは朝餉を喰いに蕎麦屋に入った。おれは自由になったというわけだ。でもやつの裏切りは淋しかった。とりあえず駅の商店や古本屋を見てまわった。飯島耕一の「アメリカ」という救いようもなく、つまらない詩集があった。そのあと、もしものときをおもって交番へいった。とんでもないでぶの警官がいた。不機嫌な顔して立ってた。女房や子供に豚呼ばわりされたせいかも知れない。おれは話した。けつの穴と手淫のほかを。──それであなた、裸の写真を撮られたんだね?──なんの抵抗もしなかったのか?──仕事が手に入るならと。──カメラは?──返してもらいました。──ちょっと署のほうで、もういちど話してくれるかな?
 ふたりしてちかくの警察署へいった。若い刑事は軽装で、半袖のボタンシャツにジーパンだった。おれは取り調べのせまい室に入れられた。かれは20代らしかった。おれはもういちど説明した。飯場でのこと、やつの素性、仕事のことやなんか。犯された女のような気分だった。恥ずかしく、そしてけつの穴がむずむずする。警官は諭すようにいった。田舎に帰って仕事を探せ。でぶと一緒におもてへでた。
   高校はどこ?
  有馬高校です。
   名門じゃないか。──定時制であることはいわなかった。おれは高架下のルンペンたちに会いにいった。かれらは眠ってた。おれに気づかないふりをしてた。立川で森先生と会い、3千円を借りた。立川基地の跡を歩き、かれはおれの俳句についていった。──《帰らぬといえぬわが身の母捨記》、これ季語ないけど秋だよな。──おれは終夜営業のレストランで夜を明かした。金なんかすぐになくなった。母から金を無心しながら2日、3日を路上で過ごしたあと、夜行バスに乗った。窓をながめ、去っていく町をみる。そのまま夏は終わりかけてた。おれは、またしても失敗した。どうにもできなかった。夢、そして救い。なにかもかもが安普請の書割みたいにくずれていった。舞台くずし。陽炎座、あるいは。これからまた家での生活が待ってる。そして父も。光り。昏がり。《栄光への欲望はきみを捨て去るだろうか。それがきみを捨て去れば、それとともに、かつてきみを駆り立て、きみをして製作するように、自己実現するように、自分自身の外にでるように強いていたあのもろもろの責苦も姿を消し去るだろう。それらが消え失せれば、きみはじぶんの存在に満足し》──満足するわけがない。シオランはつづける。《自分の限界のなかに戻り、そして覇権と法外なものへの意志は克服され》ない。《廃絶されてしまうだろう。蛇の支配から逃れたきみは、もはや昔の誘惑のいかなる痕跡も、きみをほかの被造物から分かっていた烙印の痕跡もとどめはしまい》、いいや痕跡は残りつづけるだろう。それほど栄光の引力は強く、おれを呼ぶ。くそ。《それでもきみが人間であることは確かなのか。せいぜい意識を持った植物なのだ》──おれが植物なら、あんたはなんなんだ?──おれは蕪か、それとも馬鈴薯か、それとも豚草なのか。バスはやがて西日本に入った。滋賀のサービスエリアで尿(いばり)しながら、古い書についておもいめぐらす。夜、光り、そしてやはり夜。

   *

 緑色の王国
 きみとファックしたいがためにぼくの死が準備される
 だってきみはこの世にはいないんだもの
 最后のインターチェンジ
 サービスエリアで使いを待ってるあいだ、
 ずっときみのことを考えてる
 
 使者は緑色のマントを来て
 はるばるテキサスから生田川まで
 ほら、高速の出口でさ迷ってる
 あの亡霊がそうだ

 ぼくがきっときみをファックするころ、
 あたらしい王国がダック・アウトにされちまう
 じゃあ、みんなレインコートを着な
 そいつでパーティにでかけようぜ

                       13/04/05


   *

 帰ってからというもの、おれは小説を書こうとしてた。じぶんの体験したすべてを書こうと藻掻いた。父はそいつをやめさせようと、おれのノートを検閲した。なにが書いてあるか。じぶんが侮辱されてないかと探った。いちばんめの妹は、おれの詩をきれいごとと罵った。家族みんなが教養を持たず、他者の領域を侵すことしかできなかった。しかも質のわるいことに、それを正しいとしてる。おれはだれにも本心を見せず、抗った。夜の公園でヘッセは「荒野のおおかみ」を読み、ウィルソンの「アウト・サイダー」を読んだ。なにを書いてもものにはならなかった。題名や着想だけが浮かんでは消えた。11月の朝、おれは油罐に炭を入れ、火をつけた。そして横たわった。室に煙が充ちただけで死ねなかった。今度は殺虫剤を呑み込んだ。けっきょく何時間も嘔吐し、頭痛のなかで起き上がった。死ぬのはむりだった。1週間ほど頭が痛かった。
 もう詩を手放したいとおもった。そしてはじめから音楽を学びたい。ことばなんていうちいさなものにはかまってられなかった。詩は不毛でありつづけた。おれをひとから遠ざけ、人生から遠ざけた。こんなことやるべきじゃなかった。ヤマト運輸の求人を見つけて面接にいった。なまえを書くだけでよかった。おれは冷蔵倉庫で働くことになった。寒いなか、カブの鍵を失くした。おれは兵庫ベースまで歩くことになった。3日歩いて、それっきりだ。こんな僻地で歩いていけるわけがなかった。おれはひきだしをひらいて原稿用紙を取りだす。村下渉のことを小説に書いた。「おかまややろう」という短いのができあがった。おれはそいつを森先生へ送った。かれはいった、
   棄てろとはいわない、いまはしまっておけ。
   いま書くことじゃない。
 それじゃあ、いったいいまのおれになにが書けるというんだ?──まったくわからなかった。

 年があけ、まだ3ヶ日もあけてはなかった。いきなり父はおれの室に入って、給与明細をだせとわめいた。おれは働いてなかった。そんなものがあるはずもない。寝台や背中を蹴りあげ、暴君さながらに吠える父は醜かった。賞味期限の切れたパテみたいだ。おれはあてもなくカブに跨って倉庫街をまわった。うそでもいい、かたちだけでも明細をだしてくれるところはないか。あるはずもない。古買い屋や古本屋で時間をつぶし、ニッカ・ウィスキーを呑んだ。夜は早く、陸はしずかに暮れてる。ふと中学校にいってみた。夜。校門を登ってなかに侵入すると、消化器を見つけてあたりに噴射した。涙で眼のまえがいっぱいになる。
 それから酒を片手に丘を登った。小学校が見えた。そこからすぐ西へ折れれば友衣子の家がある。品があってきれいだった。世界でいちばんの大切な秘密、かの女を好きだということ。かの女を好きだったころの、その淋しさのすべてが溢れた。おれはなんのために生きて来たのか。どうしてこうも劣っていて、いまも何者にもなれずにいるか。友人?──恋人?──家族?──そんなものはどこにもない。くそ。つながれた、囚われものの自由しかない。くそったれ。みんなでおれをばかにしてなにが愉しんだ?──暗がりのなかでアクセルをかけ、一気に家まで帰った。親父なんか、殺されたって文句はいえまい。誕生は災厄でしかなかった。だれからも愛されない、やさしさのない世界なんかけつくらえ。道。泣きながら走り、家にもどった
 なにごとかを父は叫ぶ。もはや人語ではなかった。おれはそのおもづらを右の拳で撲り飛ばした。そして転がってた鉄の棒を持ち、暴君に挑んでった。──親を撲ったな、おまえ親を撲ったな! どうなるかわかってるんやろうな!──棒を奪われ、おれは靴のまま家のなかに入った。父のコンピュータを床に叩きつけた。そして食卓を蹴りあげる。女どもは白痴みたいに立ってるだけだ。おれはもういっぽん、「無頼」をあけて呑んだ。父がそいつを奪い取ろうとする。酒が零れてしまった。ちくしょう。このくそやろうめ。
  なにをする!
   酒呑んで暴れる、おれの親父にそっくりだ!
   親撲ったらどうなるか、よく憶えておけ!
 けっきょく父が怖かった。おれは蒲団を持ちだすと、森のなかへ入った。段ボールを柩みたいにかたちづくって、なかに蒲団を敷く。しかし雨が降ってきた。慌てて自治会館で雨宿りした。明けてから家にもどった。母だけがいる、──お姉ちゃんですら出て行け!──いわれてるのに。ちゃんとしな、あかんで。そう一方的にいわれて、どうにかなるやつがあるのか、おれには疑わしい。少なくとも姉は金と機会を与えられ、神戸大学じゃないか。おれには人格否定と暴力しかない。おれがつくった室のなかで、おれのつけた暖房を浴びてる。求人をひたすら捲った。救い主を求めて毎日めくった。おれが義務を果たすまで権利はないということだ。落ちこぼれには相応の罰を味わってもらう。憲法にある《勤労の義務》を果たしてない。でも《基本的人権》や《職業選択の自由》、《最低の文化的生活》はどこにいったのか? 《生存権》は?──2時に三田ボウルへいった。故買屋でパワァコミックス版「ルパン三世」全巻と映画「殺しの烙印」を売っ払った。
 夜のスーパーで時間を潰す。まえから薄々気づいてたけれど、アルコール中毒かも知れない。なにかあるたびに呑んでしまう。いまだってウィスキーを呑んでる。金がなくなっていく。どうしたらいいんだろう。あしたには面接があった。大阪だ。蔵書の処分も兼ねてた。不安だった。どこにいってもだめな気がした。おれは拗ねてた。物心ついたころからだ。ひとにかまってもらおうと必死だった。カブで帰り、公園に停めた。塒を求めて森を歩いた。雪が降り始めた。しかたなく自治会館の庇の下で横たわった。浅い眠りのなか、7時まえに起きた。室に本をとりにいった。でも面接先の控えを台所へ忘れてしまった。そとへでると雪が降り積もってた。カブは坂でスリップ。足を傷めた。使いものにならない。丘のうえまで押し、林道へ隠した。歩きだすも雪で転んだ。なんども、なんどもだ。バスに乗って駅に着いたときには午前10時をまわってた。あきらめて阪急ルートに決める。女の子がふたり話してるのを盗み聞いた。知り合いの男について陰口をやってた。
   原付きしか持ってない。
   派遣なんかやってる。
   就職をちゃんと考えてない。
 耳が痛かった。畜生。11時にやっと大阪。本の売れそうな店を探す。ひとつの店に入るも、店長が5時にならないと来ないといわれた。12時、おれは歩道橋をぶらついてた。女がやって来て、アンケートだといった。ファッションについての。おれは製薬工場の社員といううそでもって答えた。でも実際に面接を受けてる。雪の日だった。眼鏡を失ってその話は抵当流れとなってた。やがて日暮れ、本を売りにいった。けっきょく「映画評論シナリオ」も寺山修司も藤森安和もギンズバーグパゾリーニもあわせて千円だった。200円でコーヒーを呑んだ。100円でチキンバーガーを喰った。面接先もわからないまま、それらしいとおもう街区を歩き、夜の列車で帰った。森の塒でじっと夜をあかした。おれはひとと話しがしたかった。少しでも語りたかった。おれに友人はない。自己を再認識し、相互理解を得ることもない。人生をちゃんとしたところへ移したい。手っ取り早く話し合い手を得るには仕事が必要だった。どうにもならなかった。わたしは作曲法を片手に曲をつくりはじめた。あるとき、祖父がおれの室に入ってきた。酒壜まみれの室を見ていった。
   呑むなとはいわんが、ちぃとは控え。
   それに働いてから呑め。
   働きもせんで呑むもんやらへんがな。
 1月19日、映画「探偵事務所23」の続編を見た。カブはおじゃんだ。父に見つかって後輪に細工がされてある。エンジンをかけても走れない。──疲れた。なにもかもがどうにもならなくなってきた。父のやる報復処置は、おれからやる気を奪い取った。不毛のなかの不毛。また雨が降りだしたとき、おれは空き家へ忍びこんだ。車庫だけはあいてて、自由だった。さっそく宿が決まり、蒲団やら本を運び入れた。金は母の財布から抜いた。小銭ならなにもいわない。1週間にいちどチキンガーガーをまとめて買う。夜になってミラーを読み、蝋燭の火で、日記を書いた。ものごとはわるくなるばっかりだった。当然。
 朝、家にもどった。母だけがいる、──またもお姉ちゃんですら出て行けいわれてるのに、だ。どっかにおれの聖家族がいるにちがいない。おれのための暖かな家庭があるにちがいない。そうおもって押し入れのなかで祷った。もちろんそんなものはなかった。母の金を1万くすね、父が帰るまえにおれは塒へもどった。蝋燭に火をつけ、腹這いになって本を読む。「北回帰線」だ。おれは半年までそこにいた。椎名麟三を読み、主要作品を読み終えた。雪も寒さもなくなって夏になってた。そんなときに家の主が家族とともに来た。シャッターがひらく。老人と娘と孫。弁解をして室のものを片づけた。
   あんた、何班なんだ?
  3班の中田です。
 ものはひどくたまってた。ウィスキーのポケット壜を山に棄てた。本とノート以外のものはほとんど棄てた。つぎの塒を探した。廃屋のガレージに決めた。そこなら30年放置されてるし、なかにはごみが棄てられ、寝転んでいれば表から見えない。でもすぐに父に見つかった。おれはガレージから引きずりだされた。
  ここはおれの家だ!
   おまえの家じゃない!
   まず家の掃除をしろ、飯ぐらい喰わせてやる!
 くたばりやがれとおもった。こんな美しくない世界なんかいつ滅んでもかまわない。
   おまえはどうするつもりや?
 まえにじいさんがいったように寺に入るよ。おれは根負けしていった。もう疲れ切ってた。だれでもいい、どこでもかまわない。おれの存在を認めてくれる、やさしさのあるところへいきたかった。祖父がさまざまな寺へおれを連れてった。信仰を学びたいとおれはいった。どっかの山奥の寺がおれを受け入れた。車の免許を取りなさいと住職がいった。おれは2ヶ月近くかけて免許をとった。ちゃらちゃらした若者でいっぱいだった。おれに勝手な渾名をつけて呼ぶものもいた。あいからわず、最悪なやつが寄って来る。最后に指導員から「おまえは免許を取っても1年は運転するな」といわれた。たしかに憶えはわるかった。寺に入っても飲酒と文学が問題になった。おれはジョゼ・ジョヴァンニギャビン・ライアルやドナルド・E・ウエストレイク、リチャード・スタークに夢中だった。犯罪小説を企て、ノートいっぱいに草稿を書いた。そして隠れてはウィスキーを呑み、森のなかで惰眠を貪った。住職の娘がとびきりの美人だった。大学院生で、性格は辛辣だった。1度だけ腹の立つことがあった。住職の弟子が来て、おれに蒲団を畳めといった。おれはでたらめに畳んだ。
   ちゃんと畳め!
 男が叫んだ。くそ。その鍛えあげられたからだは土方のほうが向いてる。
   おまえ、お母ちゃんから教わらなかったか、畳み方ぐらい?
  いいえ。
   憐れな女だな。
 そう吐き棄てた。畜生。たしかにおれはそういった所作をまったく教えられずに生きてきた。母について擁護できない。けれどもそのいい草はなんだ?──おまえのなにがすぐれてるというんだ。三田で腥坊主やってるだけじゃねえか。くそったれ。1ヶ月しておれは寺を辞めた。どうしても作家になりたかった。父と祖父がやって来た。
  ぼくは作家になりたいんです。
   そうか、──と住職は頷いた。
   水上勉という作家が晴れた日は耕し、雨の日は本を読むといった生活をしていた。
   かれはいま幾つだったかな?
  少しまえに死にました。
 坊主が顔を顰めた。蝗でも呑みこんだみたいな顔だ。おれは父の車でうちに帰った。尋問がはじまった。父がこれからどうすると訊く。おれは、日雇い派遣にいくといった。祖父は、それから何年も寺へ詫び状を書きつづけた。どちらも、まだ生きてるのか、知らない。もちろんのこと。

   *
 高度何メートルかで魂しいを見下ろす
      ひとのかたちをしたものや
      さそりのかたちをしたもの
        猫のかたちをしたもの
    かたちを失った多くのひとびと
   こいつは公共空間の夢に過ぎない

 さようなら日本、さようならアメリ
      また逢うことのないように
    ぼくはぼくの魂しいを呑みこむ

         きみが失ったものを
        ぼくが見つけることは
         できるかもしれない
       でもぼくが失ったものを
    きみが見つけることはできない

                              12/07/08