みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

裏庭日記/孤独のわけまえ〈5〉

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   *

 いちど落ちてしまったら、そいつを受け入れるしかない。学校はあたらしく3年制を導入し、下級生のほとんどそれだった。おれは天神の丘をのぼる。ミニ・バイクが追い越す。うしろには北甫が乗ってる。おれが廊下までたどり着くと、かの女がおれに笑いかける。──ナカタくん、おはよう、さっき歩いてたね。どうしようもなく恥ずかしい。でもそいつを隠してあくまでポーカーフェイスに徹した。それしかできない。やがて父のしつこい命令で原付の免許をとった。それまでの2年、家から駅を、麓から丘を1時間と半分かけて通ってた。免許を取ってわずか半月、事故を起した。176号を西宮北から三田へむかって走ってるとき、おれはべつのことを考えてた。眼は路上の中古車ディーラーやカップルに注がれ、左折のために減速した、白い冷蔵庫(ワンボツクスカー)へと追突した。あたまを窓に打ちつけて倒れ、カップルが警察を呼ぶ。冷蔵庫から女が降りて来る。驚いても怒ってもない。みじかい検分のあと、連絡先を交換して学校へいった。父は激しく怒った。ぶつかったことにも、速度をだしすぎたことにも。ちょっとまえには「多少の速度超過はいい」といったくせに。夜、長い叱責のあいだ、気分がわるくなった。ひどい嘔き気が襲った。診療所へいくはめになった。
 そのあとも数回、事故をやらかした。近所のせまい丁字路でセダンとぶつかって、その屋根を転げ落ちたり──無傷だった、山道のカーブでかぜに煽られて倒れたり──多くの血を流し、カブを再起不能にした。これらすべてのとき、まったくべつのことを考えてた。でも運転に慣れればこっちのものだった。週末、いつも図書館へいった。あるいはひと気のないところで陸を引いて眠った。早朝、父から逃れるために。それでも時折、先回りした父によって苦役へとかりだされた。いつだったか、村瀬がおれをあざ笑った。おれはやつの職場と知らずに面接にいった。やつが不意に現れた。
   こいつ、もと同級生ですねん。
   こいつ、落第したんですわ。
 にたにたと嬉しそうな笑みを浮かべてた。このやろうは赦せない。けれどもおれにできたのはフェンスに放尿することだけだ。けっきょく仕事のほうも新三田にいって欲しいといわれ、断った。あまりに遠すぎる。それから半年后の11月、永易の誘いで三田郵便局の配達夫になって過ごした。莨を吸い、焼酎を呑んだ。最初の給与支払いのとき、宮原を見つけた。明細をもらう列にやつもいたんだ。おれたちは眼を合わせた。たったそれだけだ。おれは最悪の局員で、配達は遅く、まちがいも多い。ロッカーの鍵を失くしたせいで頻繁に水を私服にかけられた。退勤したのに、時間内にさぼってると密告されたこともあった。卑怯者が多すぎた。おれは辞めた。ネットに詩を投稿し、なんとか人生を変えようと藻掻いた。
 あいもかわらず、数学の授業では失態を繰り返した。たかが90分の6がわからない。当てられて狼狽する。赤面する。ノートでは84+6が92になってる。うっかりそのようなことを書いたからだ。6ではわれないと考えた。御膳に詰問される。以前におれの計算の遅さを相談し、しばらくほっておいてもらうように頼んだはずだったけど、だめだった。執拗に答えを求められ、パニックになる。しまいにおれは「じぶんは遅いから、ほかのやつにやらせればいい」などと情けなくもいった。それでも御膳はなおも追いつめて約分を求める。全世界がおれを見てる。汗が滴る。15が答えだった。あとでノートを見て、さらに羞ぢた。
 落第したあと、さらに落第した北野拓朗が年下のわるがきどもに虐められてた。おれはなるべくやつらから守った。でもかれは来なくなった。むりもなかった。おれは18になり、まだ詞を書いてた。曲はまったくできなかった。16のとき、多重録音や環境音によってつくった、ミュージック・コンクレートがただひとつの作品だった。ギターはまるで巧くならない。おれは歌詞としても、詩としても通用するものが書きたかった。書いたものを匿名掲示板や作詞サイトへ投げつづけた。いくつか同年代のやつらと知り合った。おれは19になった。いつだったかはわからない、けれど、はじめて詩を書いた。「ぼくの雑記帖」。みじかい詩だ。それから次第に詩の世界へと深く入ってった。そして歌詞はやめた。音楽への夢も遠ざかる。ドラムを手に入れるもヘッドを買い替える金もない。売ってくださいと岡村っていうクラスメイトにしつこくいわれた。いまおもえば売ってしまうんだった。いっぽう、おれが学校を辞めるという噂がどういったわけかでた。西内がおれをえらく心配して「辞めるなよ」といった。なぜかれがそこまでしたのか、まったくわからない。生活体験発表で由子が壇上に立った。でもおれはそいつを見逃してしまった。心底悔やんだ。そのあとかの女と丘をのぼりながらいった。
  作文、読ませて欲しいな。
   だめ。
  聴きたかったよ、北甫さんの朗読。
   だめやって、ぜったいに読ませへん。
 そうかの女はかぶりをふって笑う。あいかわらずかわいい。その春、映画「書を捨てよ町へ出よう」をはじめて観た。中学生のころ、国語便覧に載ってたかれの顔が脳裡に残ってる。おれは寺山修司に惹かれ、かれの作品を読む。ほかの詩人じゃ、草野心平田村隆一ギンズバーグ、それから藤森安和が好きだった。映画について調べるなか、劇中歌「母捨記」には原詩があり、作者の森忠明を知った。かれの高校時代の作品らしい。詩集はでてるか?──でてる。原詩は、その詩集に収まってるのもわかった。夏になって本屋に問い合わせた。けっきょく出版社に在庫はなかった。作者に直接、電話してくれということだ。値のするものだったし、すぐには電話しなかった。そのまま日々は過ぎ、やがて脳裏から薄れてった。

   *

 匿名掲示板に大阪での朗読会が告知されてた。おれはさっそく参加を申し出、パンフレットとポスターのデザインも引き受けた。大学生と社会人にまじって、はじめて舞台に立った。場所はフェスティバル・ゲートの「ココルーム」。すぐそこはどや街。まずは片平誠の詩集から1篇、それから「ぼくの雑記帖」を読んだ。緊張でかすれた声は小さく、早口になってしまう。なんとか立て直そうとする。客はみな真顔だ。なにを考えてるのか、わからない。当然。──負けた気分だった。終わって一息入れる。共演者のひとりが、自作の詩がよかったといってくれた。その朗読会には文藝投稿サイトで知り合った、荒木田義人も来てる。おれはかれのまえで日本酒を呷った。かれは笑った。
   呑めるんやぁ。
 ふだんは化学教師をしてるというかれは、朗読会の主宰人とおれとでなにかしようといった。3人のうち、ふたりは三田市に棲んでるのがわかった。会が終わって打ち上げをした。酒を呑んだあと、カラオケを朝までやった。そして喫茶店へ。もうくたびれてた。みんな元気だった。おれは早退した。冬。荒木田さんに呼ばれ、おれは酒場にいった。三田のジャズバー「♪」。内装はひどいものだ。どっかで印刷したらしい、ブロックノイズまるだしの画像がいたるところに貼られ、壁は木目の合成樹脂パネル。おれはバーのまえでなんどもためらってから入った。そんなところに入るのはまったくのはじめて。幾度か、話し合いした。神戸での朗読会に参加することになった。朗読ではなく、パンフレットのデザインと、演奏にかぶせる音楽のために。安いソフトと音声加工の無料ソフトを使い、4つの曲を書いた。音楽の基礎もなってなかった。それでもいいものが偶然できて、かれに渡した。ディジュリドゥ奏者、ピアノ奏者、ギター奏者が加わることになった。ほかの出演にもそれぞれ音楽がつき、琵琶法師や、ロックバンドや、打ち込みの人間が参加。大阪での主宰人、古溝真一郎、楠木菊花、そのほか2人。場所は三宮センター街靴屋トピックの角を曲がってすぐの、地下だ。なにもかもかが終わったあと、みんな酒を呑み、ピアノ奏者の白石さんの家に招かれた。ワインを呑む。──気分がわるい。──便所にいってぜんぶ吐いた。ひどい悪酔い。けっきょくうごけなくなって泊めてもらった。あしたは誓文祭だ。ピアニストとその妻、その息子。おれのことがたびたび話にでる。パンフレットのことや、音楽のこと。かれらも'60年代の文化が好きらしい。昼になってようやくからだを起した。鉛の塊。きれいな奥さんと子供、そしておれとで町へでた。車で。ダッシュボードには内田百閒の文庫があった。
  ぼくも好きなんですよ。
  とくに「東京日記」が。
 でもエッセイはあまりおもいしろくありませんね。
   エッセイもおもしろいよ。
 かの女と銭湯に生き、軽食もとった。でもスープを呑むのが精一杯だ。夕方になって三田に着く。本通りにある喫茶店で、荒木田さんと合流した。白石さんも、祭りに出演してるという。おれはじぶんの不明を詫び、甘酒を買って電車に乗り込んだ。それから月にいちど、酒場で朗読した。荒木田さんはいつも吉竹というギター弾きと一緒にマイクに立つ。おれにも仲間がいたらなあとおもった。でも、けっきょくはじぶんでなにもかもしなければならなかった。詩も音楽も演出もぜんぶ自身でやるしかなかった。ひとと一緒になってなにかを成したことなんか1度だってない。おれはいつも、どこでもひとりだった。
 ある晩、三田ボウルの地階の故買屋で、おれはベン・フォールズ・ファイヴのアルバムを見てた。中古にしてはえらく高価い。ほとんど定価だ。そのとき、かの女が声をかけてきた。
   なにしてんの?
 由子だった。年長の男と一緒だ。わるくいえば男たらしともいえた。男がどうすれば喜ぶかを知ってる。でも、おれには大事な存在におもえた。ずいぶん長く話せた。
   仕事なら紹介してあげるよ、
   いつでもいって。
 おれはなるべく平静に見えるよう話した。内心はびくついてた。あこがれの子だ。しばらくしてある夜、中澤という年長の女をふくめ、みんなで飯を喰いにいった。焼肉屋だ。5人でいった。おれ、永易、白石、中澤、綴木。おれはチェーンの緩んだカブに乗り、あとは中澤さんの車に乗った。永易は、おれが失禁したのをかの女に暴く。中澤さんはまさかという顔をした。永易がつづけた。
   おまえから借りたレコードなあ、あれ全然理解できん!──「解体的交感」のことだ。
  おれにもできん!
   おまえの趣味、マニアックすぎるねん!
 そのあとも永易の提案でおれたちは天神公園で呑むことになった。酒を買い、みんなで集まった。おれは焼酎を買ってった。さんざ呑んだあと、おれは向井たちと音楽の話をしてた。向井はおなじ齢で2度も落第してた。やつはメロコア好きで、おれはきらいだった。あまりにガキ臭い。やつはXのドラムを賞賛した。おれはけなした。あんなものは派手なだけだと。酒の力でなんでもいえた。帰りにひどく酔った、上林とかいう女がいった、──ナカタくん、柳川さんのこと好きなんやろ?──上林はかの女の親友だった。齢はおれとおなじだ。永易や白石たちもおれが柳川という子が好きだとおもってた。かの女はおれの配達区内に棲み、落第してから、はじめて声をかけた女の子だった。でもそれだって白石に「消しゴム借りてくれ」といわれたからだ。──柳川さん、消しゴム貸してくれない?──でも生憎、興味がない。おれは上林に否定した。かの女は曖昧に肯く。おれは気まずくなって矛先を変えた。永易が気に入ってる、生野さんについてだ。かの女はもうずっと学校に来なくなってた。
  どうしてるんだろう、あの子。
   まあ、修学旅行のことで悩んでるらしいし。
 とにかく、おれたちはよく呑んだ。ほかにも焼き鳥屋にいった。その帰りに向井を乗せて家に帰った。やつはおれの室を永易のに似てるという。ふたりで夜通し、音楽について話した。セックス・ピストルズのライブ盤を聴いた。それからやつが壁にへたな詩を書く。朝になって名塩駅まで送る。名塩にはやつの女友だちがいるという。
 ナンパしようぜとおれはいって、やつが笑った。──女つかまえて、おれだけ帰るんかい!──やつが卒業できたかどうか、おれは知らない。やつにはポルノ・ビデオを貸したままだ。川島和津実堤さやか。おれは室に帰って夕方まで眠った。他人を室に入れるのは中学校1年以来だった。

   *

 修学旅行は熱海と千葉と東京だ。旅行のまえ、由子がおれにねだる。かの女にせがまれてとにかく嬉しかった。小躍りしたいくらいに。
   ナカタくん、
   ぬいぐるみ買ってきてよ。
 行き先にはディズニーランドもあった。新大阪の駅、おれはババンガの「旅人でない人が居るのでしょうか」を聴きながら、ほかの連中を待った。やがてぞろぞろと通路をむかって来る。新幹線ははじめてだった。名古屋で途中下車、おれはタワーレコードで時間を潰した。それから熱海で1泊、あたりを写真に収める。次に千葉で1泊、最期に東京で自由行動だ。おれはディズニーランドなんかきらいだった。食事券を渡され、あたりをうろつく。昼餉にいったものの、まともな料理はなく、午に白身魚のフライと米を頼んだ。そいつを喰って胸焼けし、屋内の湖を臨む喫茶店でアイス・ドリンクを呑むと、時間をかけて土産物を撰んだ。姉と妹たち、そして由子。かの女には眠り顔の、熊のぬいぐるみを買った。値段が張ったけど、とても似合いにおもえたからだ。それが終わると、さっさとホテルへ退けた。パレードにはいかなかった。テレビでは「にほんごで遊ぼ」っていうおかしな番組がやってる。やがて同級生たちが帰ってきた。おれは地階にいって酒と握り飯を買った。
   ナカタさん、見つからんようにしてくださいよ。
 岡村というドラマー志望のやつが窘めるようにいう。けれどもかれらだって隠れて莨をやってた。灰皿がないから洗面台の水で火を消してる。おたがいさまというわけだ。罐ビールをあけ、小林旭を聴く。あしたは東京だ。そうおもうと胸のなかが昂ぶった。翌日、おれはひとり神保町へいき、小宮山書房で「書を捨てよ町へ出よう」の地方巡業のパンフレットを買った。8千円だ。帰ってきて由子にぬいぐるみを渡した。包みをあける。
   わあ、眠ってる!
 かの女が喜んでくれ、うれしかった。いずれ去っていくかの女をおもい、なにもいえないのを呪った。おれはあいかわらず淋しい男だ。週末に示し合わせて会う相手すらいない。携帯電話も持ってない。宙ブラリというバンドを見るために十三ファンダンゴへ2度いった。eastern youthfOUL の共演を観にいちどいった。半券にサインをもらい、ハイネケンを呑む。いい気分だ。でも淋しさにかわりはない。いったいどうやったらおれはおれの仲間を見つけられるんだろう。そうおもいながらバンドメンバーたちとビールを啜り、あたりを眺めた。ほとんどやつが友人や恋人を連れて来てる。おれにはなにもない。
 やがて永易、白石、そしておれは授業を中抜けし、酒や焼き鳥をやって停学になった。おれは不本意だった。抗えないまま連れられ、1万も毟られ、ばれてしまったからだ。やつらは金があるとおれにたかった。じぶんではいっさいださない。おれは体のいい子分でしかなかった。白石なんかおれから金を借りて返しもしないじゃないか。こんなことがあっては堪らない。どうしておれには本物の友人ができないのか。透にしろ、宮原にしろ、どいつもこいつも贋者ばかりだ。でなければガリガリ亡者でしかない。せめて放課後まで待てくれないのか、やつらは。──父はきびしくおれを責め立てた。やつの沽券をとことんまで傷つけたらしい。そんなことはどうでもよかった。
 けっきょく校長へ椅子を投げ、永易は永久停学となり、白石は単位をとって繰り上げ卒業が決まった。おれはなにもしなかった。ただ反省文で文章技能を高めただけだ。いつもは慇懃な教頭がえらく感心してて、ざまあみやがれ、と呟く。おれは教室にもどって本をひらく。梶井基次郎、あるいは織田作之助を。まわりの若々しい顔たちがどうにもこうにも苦手だ。そいつを気取られないよう、本のなかへ深く潜る。

   *

 もうじき由子とは会えなくなってしまう。おれにはどうすることもできない。かの女の進路を知ることすら。1月4日、ようやく森忠明に電話した。夕方に起き、そのまま勢いでダイアルした。──もしもし、中田と申しますが。
   はい。──低くてぶ厚い声だった。
  詩集を買いたいんですが。
   おお、いいですねえ。
   きみ、幾つですか?
  19です。
  ぼくも詩を書いてます。
  「現代詩フォーラム」っていうサイトに投稿してます。
   残念だけどメカは扱えないんです。
 そのあとサイン入りの詩集が送られてきた。ついで「立川エクテビアン」という冊子が送られてきた。なかのエッセイ「立川誰故草」でおれのことが触れられてた。それも実名でだ。封筒には《貴作読ませてください》とあった。おれはできたばかりの詩もあわせてすべてを送った。そうしてしばらく、作品を送りつづけた。ある日、短歌を送ったときだった。それも「田園に死す」を真似たまずいものだ。おれはそのなかで父殺しをやってた。電話がかかってきた。とったのは父だ。とてもきまりがわるい。かれはおれの短歌を褒めちぎった。短歌なんて国語の授業でやっただけだ。詩集をだすのに50万いるという。金額に怖じ気づいてなにもいえなかった。
 春。卒業生を送る会があった。槇原先生がおれを掴まえていった。──ナカタ、なにかやってくれよ。おまえは詩を読んでるんやろう?──ええ、できますよ。──べつにわるい気はしなかった。もしかすれば宣伝に繋がるかも知れない。もしかすれば由子がなにかいってくれるかも知れない。そうおもって廊下を歩く。──しばらくして山田先生と出会した。かれはいう。
   おまえなあ、あいつらはただでおまえを使う気やで。
   ちょっとは考えて返事せえよ。
   おまえ、ちょっとな、あたまつかって稼げ。
 夜、ふたりでモス・バーガーまでいった。槇原はたったそれだけの金しかださなかった。おれはチーズバーグを喰い、ソーダを呑んだ。
   おいナカタ、どないするつもりでやねん。
  詩を読んでやりますよ。
   ぜんぶ儂が用意してやるからな。
  わかりました。
 送る会、おれは滝廉太郎の「憾」を使った。そこに先生からいわれた「魔王」を乗せる。陳腐だったが撰択肢はない。曲を2回リピートさせ、ノイズを加えた。おれの朗読はよかった。でも最后の《腕のわが子はもう死んでいた》という詩句に校長や、下級生が疑問をもった。校長は「感情が篭ってない」といった。もっと震える声で読めといった。詩が3人称で書かれてある以上、作品の外側の声は感情的であるべきでないというのが、おれの解釈だ。下級生はただのばかものだった。詩のわからないやつらは悲惨だった。けれども、わかるやつはもっと悲惨だ。おれは喋った。ジャズバー「♪」でのことも宣伝した。だれかが笑う。おれが席につく。吉本さんだけが振り返って笑顔を見せた。由子も綴木もなにもいわなかった。どうしようもなく淋しかった。いたたまれなくなって帰途、ジャズバーで酒を呑む。そしてもういちど音楽に合わせて「魔王」を読んだ。寺山の「田園に死す」を読んだ。幕。それからひと月、かれらかの女らは卒業式に立った。おれは惨めで、つらかった。できることはない。だれもみんな、なにもいってくれない。式のあとの立食会、まるきり、存在してないみたいにおれはいた。だれも構うものはない。菓子をつまんだ。首藤という年下の男がおれにギターの弾き方についていった。
   中田さん、F押さえられますか?
  ああ、できるよ。
   こうですか?
 からっぽの手でコードのかたちを取る。セーハで6弦を押さえてる。──いいや、こうだ。──おれは親指で6弦を押さえるかたちをとった。かれは感心して顔でどっかへいった。御前があからさまにおれを無視してる。まるきり、眠気と怠惰のなか、進級した。教室には3人しかいない。拓朗はもう来なかった。幕。

   *

 4月、あたらしくできた店、焼肉屋「わかまつ」との話が決まった。正直にいえばそのまえにもラーメンやの接客に受かってた。でも、客を烈しく怒らせてやめてしまった。「わかまつ」じゃあ、おれは雑用係だ。仕事はほとんどなかった。余分なボールベアリング。きのうの片づけや支度や調理補助、肉の味つけと盛りつけ。給与はえらく低かった。なんにも使えない金。酒を呑むしかない金。客も少なかった。中学時代の女子が3人いる。ある夜、おれはへまをやらかした。米を炊き忘れたんだ。ほかのやつがレトルト米を買いにいく。気まずい。それきりおれは夜からはずされ、昼の3時間だけになった。三上寛詩学校にいくために何度か休んだ。やつらはばかにして、おれの詩を見せろといった。おれは持ってった。だれも読まなかった。古溝真一郎は東京へいった。
 朗読ライブの2度め、おれは「雪のてっぽう」という自作と「母捨記」を読んだ。リハでは藤森安和の「十五歳の異常者」もやったけど、怖気づいてできなかった。3度め、場所はジャズ喫茶 JAM JAM。おれの出番はなかった。店長の娘がとびきりで朗読もよかった。かの女は演劇をやってるらしい。おれはとえば、オープン・マイクで1篇のみ、あとは受付と会計だ。ふてくされながら家に帰った。ひどい冷遇ぶりだとおもい、酒場にもあまりいかなくなった。ある夜。「ルパン三世」のビデオを借りてきた。機械にセットする。音だけ、画面がノイズだらけだ。おれが試行錯誤してると、父が帰ってきた。
   親父が死んだ、いまから岡山へいくぞ。
 鶴の一声だった。あるいは鵺の。おれには抗いようもなかった。こんな夜の8時に、岡山へいく。それは気狂い以外のなにものでもない。女たちは愉しくテレビを見てる。なんと美しい家族だ、けつくらえ!──父と夜のハイウェイをいった。車は少なかった。やがてサービスエリアが見えた。女どもが退屈そうだった。男はおれしかいない。かの女らをどうやって幸せにできるか、そいつをおもいながら、店内をまわってコーヒーのLをひとつ頼んだ。呑むのは父だ。夜のハイウェイを山奥へといき、さみしい田舎にきた。柩とともに1夜を迎えるのが習わしだった。午まで眠った。祖父の死体は暑さからか、大口をひらき、薄目をあけていた。醜かった。惨めな死にざま。だれもがそうなるんだ。おれはロートレアモンニーチェを読み、眼のまえで女の子の絵がでかでかと載ったライト・ノヴェルを読むでぶの従兄を軽蔑してた。しかし、それだっていまにすればどんぐりの背較べ。どちらにしたって誉められたものじゃない。
   息子さん、よく本を読むのね、うちのも読書が好きで。
 伯母がいってあとから来た母が返す。
  ええ、じぶんでも書いてるんです。──しかし母がおれの書いたものに興味をもったことなど1度としてなかった。やがて出棺のときがきた。祖父の製材所はもうなくなってて、かれの後妻は人形みたいにうごかず、なにも話さない。表情もなく、パイプ椅子に同化してる。おれは犯罪ものの科白だけを書いてた。祖父は昔し祖母を追いだした。わたしが9つのときにかの女は死んだ。葬式で泣いたのはあれがはじめてでおしまい。腹違いの若い伯父がきれいな妻と、そろいの服を着たふたりの娘とともにいた。われわれのなかでいちばん清潔で幸福そうにみえた。昔しかれにもらったプラモデルをおもいだし、それからまたうつくしいかれの妻をみた。髪がみじかい。昼餉を喰った。ビールを呑んだ。父は知らない女に、おれが留年したことや、妹が不登校になったことを自慢するみたいに話した。恥知らずのくそったれ。おれは怒ってビールをさらに呑んだ。父は愚痴をいった。あの後妻(おんな)がなにもかも勝手に処分してしまったと。製材所も養豚場も屋敷もぜんぶなくったと。店の1軒もない通りを歩き、やがて燃え尽きる祖父の終の烟をコンクリートの長椅子から眺めた。ひとりだけ煙突のみえるそとにいたんだ。烟が午のなかに失せていくにまかせて、犯罪小説をわたしは考えながら蓮の花托をみた。無数の眼がおれをみてた。恰幅のある男がいった。──そいつを天麩羅にするとうまい。
  でも気味がわるい植物ですね。
 夜になってまたもハイウェイを走った。父と母たちは悶着をやりあい、べつの道をいった。おれだって父とは一緒にいたくなかった。途上、コンビニエンス・ストアに寄った。コーヒーを買ってでていこうとしたとき、店員の女たちがいっせいに笑いだした。おれはいった──つまりあんたらはぼくがおかしいんだ!──またも車に乗って、父の憤怒に身をまかせた。やつのおもりをするのはもうあきあきだ。母と姉妹がどうなったのかは知らない。どうしておれだけが父と一緒でなけりゃいけないんだ、──おれは夜の1部になりたかった。夜の鮭とともに去りたかった。

   *

 相野でマラソン大会のボランティアにかりだされた。なにもすることなんかない。おれは隠れてウィスキーを呑む。遅れてきた走者たちはぶざまだった。給水所の水をガバガバ呑み、紙コップを投げ棄てる。あるいは水を嘔きちらし、呻く。なんともおぞましかった。帰りの駅で、おれはひとり莨を吸った。ゴロワーズの両切りだ。向井がいった、やるやん!──堀井というからだのでっかい、お調子者の後輩と列車に乗った。おなじく後輩のかわいい子が立ってた。おれはかの女と堀井をくっつけようとおもい、かの女に席を譲ってやれとけしかけた。けっきょくかれらは立ち話をするだけで終わった。かの女は黒髪のおさげで、眼鏡をかけてた。やがて眼鏡もおさげもやめて、髪をみじかくして染めた。おれは帰ってから「われら走者」というビート詩を書いた。
 焼肉屋はやめてしまった。寝坊してそのまま電話で辞めるって告げた。どうせ金にはならない。学校にいく。たった3人の教室。みんな卒業してしまった。岸本という小さいのがいった。
   みんなで学校に休まず来ないと、
   だれかが休むとやる気を喪う。
 どうだっていい。おれは詩の催しのために何回か休んだ。三上寛詩学校や、ジャズバーでの朗読におれは時間を使った。4年の在校生が3人とあっては学校も授業なんてどうでもよくなった。中学レベル、もしくは小学レベルの問題をだした。あたらしい数学教師はおれが「ツァラトゥストラ」を読んでることにやたら感心してた。おれはあいかわらず数字がだめだった。「算数入門」という本を知り、そいつを読んだほうがいいのか、かれに相談した。どうやらあまり効験はないらしかった。あるとき、先に卒業した、西谷が保健室にいた。かの女はおれのことを年上だとおもってたらしい。
   おない歳やったんや。
 落ち着きや、静かさのせいか、12で20を演じたり、15で18をやったり、16で19におもわれることもあった。やがて年も暮れて生活体験発表、作文披露のお鉢がまわってきた。おれはエフトゥシェンコ「早すぎる自叙伝」からの引用と、じぶんの短歌、そして好きなふたつの短歌を載せて人生について語った。「かれはニーチェを読んでる」と数学教師がほかの教師にいうのが聞えた。どうだっていい。おれがなにを読もうが、それが地位向上につながるわけでもない。校長をばかみたいに感動させてしまった。おれは3番手に撰ばれ、「高校生フォーラム」へでることになった。
 20を過ぎて高校生なんて羞ぢでしかない。会場じゃあ子供たちがガヤガヤやってた。舞台ではいかにもじぶんを見せたくてたまらない連中がいる。大袈裟に他人ごとを語る。大西麻里奈という娘がとびきりのかわいかった。惜しむらしくはかの女の作文には当事者意識がなく、ひたすら他人事だった。世界の貧困も、戦争の脅威も、かの女自身との共犯関係を語ることなく、ただ叫ばれるだけだった。貧困が!──戦争が!──あらゆる対立が!──そんなことをいったってしかたがない。かの女はけっきょく野次馬だ。物見遊山をやらかしてる。自身の生から産まれないものに価値はない。つぎは演劇部の女が小芝居とじぶん語りをやらかした。途中でなんども科白がつまってしまってた。おれはじぶんの出番が来ると、さっさと読んで舞台を去った。自作の短歌を作文から削除した。大学にいくといった。受賞したのはみな女の子たちだった。とんだ茶番だ。女ったらしのロリコンやろうどもが審査を呑みこんでるらしい。おれは怒って作文をやぶり棄てた。友人の自裁を核に語った青年がいた。かれだけだ、自身を素直に書いたのは。ロビーにでると、かつての書道教師が寄ってきた。おれの作文を褒めちぎり、燕の巣を奢るような口ぶりで罐コーヒーをくれた。
   いい作文だった、大学絶対いけよ。
 おれはそとへでた。そして帰り際、中華料理屋でビールと餃子を頼んだ。ビールは来なかった。おれは自販機でビールを買い、できるだけ遅く教室に帰った。担任の槇原は怪しんだが、どうにかごまかした。おれは敗北感でいっぱいだった。もはやどうすることもできなかった。詩ではだれにも勝てない。おれは絵を描くべきなのか。それとも音楽か。ジャズバーでの朗読はなくなり、詩の活動はなくなった。いちど「誌のボクシング」にもいってみた。姫路くんだりまでだ。「好きなもの」というビート詩をカンペなしで読んだ。主催人は「どうして定時制についての詩を書かないのか」と壇上から訊いた。おれにとってそれは特別でもなんでもない、日常でしかないから書かない。けれども「書いたことはある」とだけ答えた。主催人は「まずそれを書くべきだ」と宣った。おれは撰考から落ちた。あんなものは詩と無関係な、朗読芸しかない。うちに帰ると父が「受かったなら、ちょっとは支援しようとおもったのにな」といった。ふざけやがって。そんなはずはなかった。やがて高校生フォーラムの冊子が届いた。大西さんの写真も載ってる。父は勝手に読んで、勝手に怒った。
   ここには書いてないことがある。
   うそを書いてるのとおなじだ!
 つまるところ、働きがわるいことや、成績のわるいことも書かなきゃならないらしかった。でもそんなことだれが聴きたがるのか?──おれにはわからない。おれはニーチェを読み、冬の夜を過ごした。はやくこの家からでなければならない。──くさっちまうまえに、くさっちまうまえに、くさっちまうまえに!──小学校じゃあ、タイムカプセルをあける年だった。おれはなんにも入れてない。それでも友衣子やみんなに会いたいと期待した。1年待った。郵便や報せがないか、探しまくった。けっきょくなにもなかった。おれはクラスの勘定にさえ洩れてる。でもそれを直視するのは怖い。成人式にもいかなかった。神戸のにいくか、西宮のにいくか、三田のにいくか、わからなかった。それに貸衣装を着る気分にすらなれなかった。くわえて毎年テレビでやってる、「新成人の暴走」にも飽き飽きだった。
 その日は、けっきょく朝6時から手斧を持って薪を割った。靄のなかで父とともに。なにもかも終わってから衛星放送の日活アクション映画をたったひとりで観る。アクションスターのなかで、だれよりも宍戸錠が好きだった。いまごろ、かつての同級生たちは笑いあい、それぞれのつがいを見つけてるところだろう。おれにはなにもなかった。なにもできなかった。おれにはほんとうの友だちがいない。だれもおれに声をかけてはくれない。だれもおれのことをおもってはいない。その淋しさに眼をそむけ、テレビ画面にむかう。赤木圭一郎宍戸錠の映画「拳銃無頼帖 明日なき男」がやってる。男たちのガン・ファイトを眺めながら、頭のなかじゃあ、ずっとかの女のことを考えてる。

   *

 20歳になった。おれは禱った。7月3日。おれが、おれのままで幸せになれることを。友衣子がおれのアパートへ訪ねてくれるのを想像した。朝が来た。甚平姿でカブに跨がり、名塩桜台まで降りた。いちばんちかいコンビニエンスで、フィリピン産のウォトカを買った。やっと齢を気にせずに酒が買えた。帰ってそいつを牛乳で割り、ネットでピンサロを探した。三ノ宮に手頃なやつがあった。"Red room"──まさかストリンドベルリから採ったのか。ルイという嬢に眼をつけた。昂ぶったまま予約を入れた。夜、おれはサンキタ通りから路次をあがった。店のまえ、薹の立った男が嬉々しく出迎え、招き入れる。ルイ嬢はまだ来てなかった。おれは待った。店員がべつの女を宛がうと申しでた。断った。どうしてもかの女がよかった。みじかい髪は友衣子や由子をおもわせたし、太めだがひとの良い顔立ちにそそるものもある。やっと嬢が来たとき、おれはかの女の笑顔に救われるみたいな気分だった。一緒に裸になってシャワーを浴びた。つよく勃起した。
   わざわざ、わたしを待っててくれてありがとう。
 おれは気後れしながら横になり、口づけをし、ちからなく抱き合った。
  おれ、きょう誕生日なんです、20歳の。
   おめでとう。
 たったひとり、かの女だけが祝ってくれた。そして飴を渡してくれた。でも、けっきょくいけなかった。帰りの電車のなか、少し勇気がでたような、未知のなにかに飛び込んでいけるような気分になった。飴を甜め、神戸から尼崎、そこから西宮名塩までやり過ごした。ルイさんの顔をおもい浮かべながら。それでもけっきょく芽生え始めた勇気は、そのまま失せてなくなり、またしても退屈と怯えが溢れだした。もはやおもいを寄せる対象はいなくなった。どうでもいい連中があちらこちらで勝手に交尾してる。おれは由子をおもった。友衣子をおもった。どうやっても会えない存在についておもいをめぐらした。いったいどうすれば、かの女たちに近づけるのか。考えるだけ無駄だとはわかってはいても、それをおもわずにはいられない。このままどう生きてもおれの人生は碌なものにはならないと、詩や音楽がほんとうに救ってくれることなんかないということにも気づいてた。どれもがつかのまのやすらぎだ。できることはなにもなかった。ただ時間が過ぎる。可能性が目減りしていくままだ。狂おしいくらい、大人になったかの女にどうしても会いたかった。1年待った。けれどもどこからも誘いはなかった。おれはなまえをかき消され、だれもないところへ追い放たれた。怒りと淋しさのなかで、ただ立ってるしかなかった。おれにはやっぱり友だちがいない。近所の連中だって報せてはくれなかった。おれはずっと待ち焦がれてた。友衣子に会えることを。でもどうしようもなかった。あいつらは人非人だ。おれのことを生きたまま焼き滅ぼしてしまうんだ。ちくしょう、おれには敗北しか待ってやしない。おもてへでて、夜の道をただ歩いた。どこにもおれを求めてくれるものはない。ただ寂寞が広がって、なにも聞えない。明日はまた父の仕事だ。隣の庭に貯水槽をつくらなきゃならない。さっさと眠って図書館へいくだけだ。翌朝、おれは逃げそびれてしまった。父に捕まって穴掘りだ。ひとの自由を奪うほどのことにはおもえなかった。土、また土。おれは昼餉の途中で逃げた。故物屋や、図書館をまわってただただ時間を潰した。帰って父の怒りに曝されようとも、もはや気にすることはない。どうせやつはおれよりさきにくたばるんだ、おれは愉しむだけだ。

   *

 だったらどうでもいいぜ、
 勝手にするがいい
 おまえのようなやつを淫売というんだぜ
 おまえが砂の城を建てようが
 銀河の果てに安全地帯をつくろうが
 知ったこっちゃねえんだよ
 その薄汚い粘膜をおれの車につけるんじゃねえ!
 たしかにおれはおまえの兄を殺した
 妹を売りにだした
 それもこれもおまえの2点透視が崩れ、
 町をめちゃくちゃにしてしまったからだ
 どうする?
 おまえの下半身は養分を欲しがってるぜ
 でもおれはガス・スタンドじゃない
 勝手に燃えあがってみんな燃やしてしまえ
 おれはおまえを愛してる
 たったそれだけのことでおれの消滅なんて話しがあるか!


                                 18/01/02