みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

わが短篇集についてのノート


 ここ数年間ずっと温めてきた短篇集をようやくだせることになった。もちろんのこと、オンデマンドでだが。データを喪った作品をあたらしく書いたほかは、「新バーテンダーズ・マニュアル」、「みずから書き、みずから滅びるってこと。」、「マイクロフォーン・アイスクリーム」のみが新作である。大半は'11年から'15年あたりに書いたものを推敲したかたちだ。ネットで知りあった、城正幸──かれはどうしたわけか、ネット上での筆名をおれにも教えてくれない、だから当然かれの人となりを知っていても作品は知らない。──があとがきを書いてくれた。おれはこの本を澤あづさ氏に捧げることにした。かの女はわたしの小説のはじめての読者で、はじめて対価を払ってくれたひとだからだ。わたしを勇気づけ、励ましてくれたかの女できるのは、これくらいのことだ。

 

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「旅路は美しく、旅人は善良だというのに──そのほかの短篇」

      収録作


 旅路は美しく、旅人は善良だというのに *11
 れもんの若い木々にかこまれ *49
 愛についてのみじかく、そして淡いなにか *67
 ディック・フランシスを読んだことがない *74
 家出娘 *87
 ひと殺し *89  
 からっぽの札入れとからっぽのお喋り *100
 インターネットと詩人 *106
 小説のあいまに *111
 おもしろおかしく生きて死にたい *118
 新バーテンダーズ・マニュアル *140
 みずから書き、みずから滅びるってこと。*145
 月曜日に灼かれながら *175
 マイクロフォーン・アイスクリーム *252
 女を買うのに2万たりない、全額だ *258
 女ぎらい *285
 光りに焼かれつづける、うち棄てられた冷蔵庫のブルーズ *289
 
 著者略歴 *315
  あとがきとしてあってはならないこと *316

 

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あとがきとしてあってはならないこと/城正幸


 中田満帆に会ったことはない。姿を見たこともない。ただ彼の声を聴いただけだ。作品といっていいのか、彼の書くものはどれも遠い異国の出来事みたいで、いまひとつピンとこない。かとおもえば生々しい詩があったりしてドキリとすることもある。よくわからない。ただいえるのはこの短篇集によって彼は語り手としての能力を不謹慎に愉しんでいることがだいぶ伺える。かつていじめや、虐待にもあっていたという彼は、おそらく母親の愛情不足から道化を身につけ、そして他者からの攻撃によって、あるいはブラックユーモアの影響から、毒のある笑い、みずからを嗤う表現を身につけたのだろう。それがいちばん色濃いのは「ディック・フランシスを読んだことがない」であろう。ここではゲイによって性的被害を受ける自分をどうしたものか、明るく演じている。これが実体験なのかと、私は彼に訊いた。返事は素っ気なかった、「なんの虚飾もなくほんとう」であるらしい。おなじく「新バーテンダーズ・マニュアル」も、作品の質として劣るものの、彼の経験が生かされているという。根っからの神戸気質が醸す腥さを私は感じ取ってしまうが、それでも彼の作品にはなにか惹かれるものがある。おそらく彼の作品のなかで引用されたり、リミックスされた言辞や方法が私の好みに合致するからであろう。チャールズ・ブコウスキーを初めてとして、彼はさまざまな作品から引き出しを満たしている。たとえば「マイクロフォーン・アイスクリーム」はあきらかにエルヴェ・ギベールの方法を引用している。《おかまやろう》などという、今日では性差別でしかない語を使う男が、いったいどうして同性愛者であり、エイズで逝去したギベールを読むのか。多分彼のなかに二重、三重の大切な男性像というものがあって、それは一重に英雄であり、二重に粋人であり、三重に少年性なのだろう。私はそう思う。
 彼はこの七年のあいだ、ずっと神戸市中央区に暮らしている。本人は時々、厭いてしまうらしく、手紙に連綿と街の喧騒のなかで暮らすことの憂いと淋しさを吐露している。「森のなかで隠れて暮らしたいとおもうときがある、でもそんなこと、叶わない。それもわかってる。ただときどきサイレンや灯りのないところで眠りたいとおもうよ」。なるほど、しかし彼は故郷の生野高原に帰りたいわけではないのだ。あくまで新しい土地に行きたいという願いがあるということも同時に告白している。ただ心配なのは決してまだ過去と和解できていないということだ。「みずから書き、みずから滅びるってこと。」で彼は執拗に昔馴染みや初恋に苦しめられている。前出の「マイクロフォーン・アイスクリーム」も同様に、過去によって雁字搦めにされた人間を充分に読み取れる。彼のそういった葛藤は一体いつ解消されるのか。文学的成功か、あるいは社会への参画か、はたまたもっと根源的な他者との繋がりか。それはわからない。ただいえるのはこの本は散文家としての彼の第1歩であり、序章であるということだ。'11年にかかれたという、表題作はきっと、数世代あとには彷徨える青年たちの密かなアンセムになっているかも知れない。そんな気がする。
 先日のこと、先行して彼の長篇「裏庭日記/孤独のわけまえ」を読ませてもらった。これは自伝的長篇ではあるが、犯罪小説と詩が交互に現れるという特殊な性格を持っていた。彼がいうには体験を語る苦しさ、読む苦しさを中和するため、あるいはその反動でアメリカでの犯罪を描いたという。ふたりの日本人ミュージシャンがアメリカの田舎町で犯罪組織と女に翻弄されつづけるというのがそのあらすじだ。自伝部分では前半に三歳から二〇歳まで、後半に夜間高校を卒業してさまざまな場所を彷徨い、やがて今年の二月を迎えるまで書かれている。彼はいった、「種本はサム・シェパードだ。わたしは『モーテル・クロニクルズ』が好きなんだ」とメールに書いていた。だが実際はちがうのではとおもう。たとえばセリーヌの「夜の果ての旅」やブコウスキー「勝手に生きろ!」、リチャード・スタークの「悪党パーカー」シリーズを想起させるところが多分にある。彼はそれらをすべて飲み込んだうえで書いていたのだろう。
 正直云って私はこの本の正しい読者ではない。彼の文章は穢らわしく、歪だ。頭か爪先まで悪文のかぎりを尽くしたといってもいいだろう。どうしようもなく、胸糞が悪いし、蹴り飛ばしたくなる。こんなもので満足しているようでは、どうしようもない。それこそ救われない。中田満帆が古い短篇を寄せ集めてなぜいまこれをだすのか。さっきも書いたようにこれはあくまで序章だ。私は次に期待したい。──というわけで、そろそろ退場させて戴こうじゃないか。

 

                '18年9月24日、芝浦公園にて (詩人/文藝批評家)

 

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