*
さすらえば鰥夫の身こそ倖せとおもい果てたる真夜の駅舎よ
晩夏訪れてたったいま淹れる珈琲の湯気に消ゆるすべての死者は
暮れる丘奇蹟の粒もなきがまま天然の美を湛える河や
濡れそぼつ聖母のごとき裸婦像やわれを見初めて連れてゆかんか
草木の燃えあぐる夏いくつものおもいでたちをいずこへ葬る?
かつてわがものたりし患いのすべての因果、父に求むる
たえまなき少女絶唱おくびょうな霊(たま)のおもざし街燈に見ゆ
ふたたびを求めていつか完きの存在というものになりたきかな
炎上する聖家族の梁や棟、ぼくの愛するものは消えゆく
いつか会えるだろうとおもいながら齢を重ねて消える幻し
*
おそろかなる不運によって幸運を授けられたるわれの人生
ひとの世の角を曲がれば深甚と迎え入るるはかの女の幻影
うつし世にあまねくありぬ銃眼のすべてに曝すわれの詩篇を
かげろうの歌ひとり聴くひねもすにたれかを欲すこともなきまま
水翳にぼくは顔を埋めながら果たしてどんな道を求める?
ひとびとは過ぎず時間のみ過ぎてぼくはふたたび眼をそらすかな
いくつかの面影われを連れ去って幾多の夢の残り火を見せ
呼び声は遠く幽かなところにて両の手をいまひらきをるもの
たわむれを暮らしの燈しとして生きかつてのことを忘れようとす
和解することもできずに肉親とゼロへと還る支度をなせり
*
時というときのはざまで揺れているモーテルの灯よぼくにたなびけ
深夜見る海の暗さよ黒い波繁船のなかにみな閉じ込められよ
うつろなるときの雫よ無神論者として生きるぼくを嗤え
あらゆる神は妄想に過ぎぬといい貶めらるるものに手を差し伸べて
垂直の人間足り得、わずかなる信を授けらるる僥倖を待つ
あたらしき浮き世に生きてひとびとのうつろをただただ遊び生きたり
かつてまだ青年だったときおもい、ひとつの星に寄せるまなざし
でもぼくはきみのようにはなれまいと零す永久凍土の詩篇
かのひとの長き不在よまざまざと暴かれてゆくぼくの惨めさ
うまくやりおおせればいいと口遊み、かれはいまだに佇んでゐる
8月の遠き御空に落ちていくすべてのもののための駅舎よ
*