みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

陳腐なる、救いようのないものについて

 
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 たとえばわたしが24のとき、はじめての膵炎で入院していたときだ。病室のテレビで堀北真希のドラマ「イノセント・ラブ」の第1話をたまたま見た。田舎から不幸な理由があって堀北は上京し、ハウスキーパーの仕事に就くも、同僚の宮崎美子(だっけ?)にかの女自身の盗みの濡れ衣を着せられ、さらにかの女の出自のために馘首になる。いかにも不幸、ただそれだけを演出するための挿話。そこへかの女の救い主になるだろう男が現れる。そこでチャンネルを変えてしまった。脚本家がばかで、演出がくそだからこそできる、技だ。堀北真希は現当時人気があったものの、わたしが憶えているかぎり、代表作と呼べるものがない。流れ作業によってつくられたドラマばかりだ。コマーシャルではいい仕事もあったようにおもうが、それだけだ。もっとひどいのは「アタシんちの男子」で、これはもう芝居ですらない。夕方の再放送を見、厭きれてしまった。広告にあったルンペン姿のかの女も茶番でしかない。なんというか、飼い殺しにされた女というイメージが堀北真希にはある。

 

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 たとえば映画ですらないという映画もある。「富嶽百景─遙かなる山脈─」とか、「問題のないわたしたち」とか。前者はまったく理解できない。なぜ太宰治を使ってあんなものをつくるのか、単純に映画監督の肩書が欲しいだけとしかおもえない。塚本高史はぶつぶつ独りごとで原作まんまの科白を喋り、現代劇としてつくるつもりがほんとうにあるのか、わからなかった。後者はただのアイドル・ビデオで、校内暴力などの問題に切り込む気がまったくない。途中で挿入される少女たちの旅行の場面や、そこでかかるへたな歌。まったく話になっていない。人物や出来事がスライドするだけで、一貫したつながりを持たない。主人公によるいじめや、主人公へのいじめ、女教師へのいじめ、家族関係──そのどれもがらやすく現れ、たやすく解決してしまうのだ。こんなもの撮るのは資源のむだでしかない。

 

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 たとえばわたしが31のとき、精神病院で映画の上映会があった。作品は「阪急電車 片道15分の奇跡」──ひどい題名だ。厚顔無恥のなせる業だ。映像も人物造形も安っぽい。エキストラがみなおなじ背広を着て、おなじ歩き方をする場面すらある。子供をつかって同情心を煽ったり、老女の人生や語りによってひとを啓蒙しようとするところもある。だがこの映画はなにかと問われれば、ひとこと「成りやがりものや、下層のひとびとを敵視し、それを上層階級の人間が戒める」ということだ。だからこそ、きれいなだけの人物や、醜く、あるいは暴力的だけの人間が登場する。ある一面しか持たない人物だけが、この映画にでられるということだ。いちばんわかりやすいのはラスト、宮本信子演じる老女が見得を切る。浪費癖で騒がしい有閑の中年女たちへだ。宮本がいきなり、一方的に、それもはしたない大声で発した《日本人論》が理解できず、「怖ァ」などといいながら立ち去っていく。中盤にはかの女たちに無理をしてつき合う主婦も当時する。しかし肝心なことが描かれていない。それは中年女たちがなぜ浪費に走るかだ。そういったものはストレスが主たる原因だ。家族間の不和、経済的不安、そのほかなんとでもおもいつくはずが、この映画の脚本家はそれらの造形をいっさい抹殺してしまった。ロケやなんかにいくら金がかかったのか、わたしは知らない。しかし脚本の時点で塵ですらないのだ。戸田恵梨香の場面も理解できない。なぜ恋人がDVに走ったのかがわからない、なぜ上野樹里らとの場面で「道場へいくか」と謎の男が恫喝するのかもわからない。それらの人物同士の関係がどこにも示されてないからだ。このホンを書いたやろうはじぶんがなにを書かんとしているのかが決定的にわかっていない。だからどの場面も唐突で、説明的(しかし説明になっていない)、人物と人物との交差がまるで劇的にはなってないのだ。もしこの映画を伊丹十三が撮っていたらと、わたしは見終わったあとでおもった。

 

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 日本のニュース番組も救いがたい。まともなものがない。夜はましだが、朝、昼、夕方はひどい。色彩感覚のわるいたわけがセットをつくり、出演者の衣装を決めている。テロップ、ワイプ、吹き替え(外国語には必ず入る、それも大袈裟なものが)、印象操作、結論の誘導、コメンテーターの的外れ、論点外れのコメント、無意味で無価値なよしもと芸人、それでもっていまだにモリカケやトランプあたりをぐるぐる延々と旋回しているのだ。夜のニュースも最近はよくない。いまテレビを持たない生活を7年送ってるが、たまに出会すことがある。ビートたけしのやつや、宮根誠司のやつ、安藤優子のやつは見ているやつも、つくってやつも、でているやつも、愚かだ。デマやプロパガンダはあたりまえ、因果関係と相関関係の混同もあたりまえ、芸能事務所に忖度(正しくは斟酌です)、相撲協会に忖度(正しくは斟酌である)、反社会勢力にも忖度(正しくは斟酌で御座候)、それでもって現政権を叩いている。なんのギャグだ?──そもそもこいつはギャグなのか?

 

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 もしかしたら日本人の美意識は「ええじゃないか」で止まっているかも知れない。抑制ができない。派手であればいい。日本全体がスーパ-玉出になればいい、そう多くのひとびとは、おもってるのかも知れない。でも、わたしはそういったものに我慢ならない。だからテレビは買う金があったとしても買わない。新聞も見ない。ばかげたオピニオン誌はひまつぶしに立ち読み、それでおしまいだ。
 ガラリと話かわって、日本の実写作品は押しなべて奥行きがなく、平面的だ。ひょっとすると出演者のギャラのために照明が犠牲になってるのかも知れない。さらに最近は派手な原作漫画ばかりに手をだす。それも安手のCGにコスプレ大会のようなありさまだ。見たいとおもう邦画がなかなかない。「サニー/32」は見逃してしまった。そこへ来て先日、押見修造原作「志乃ちゃんは自分の名前がいえない」の予告を見た。原作も好きだが、とにかく絵づくりがいい。明るさも暗さもばっちりだ。

 

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南沙良&蒔田彩珠主演『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』予告編

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志乃ちゃんは自分の名前が言えない