3/11
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長篇小説はできた。けっきょくおれはコントロール・フリークなのだろう。ようやく気づいた。Vincent galloや伊丹十三とおなじだ。頁のすべてに拘った。表記、書体、レイアウト、改行、表紙などなどなど。こいつを出版社に送ってみるとしよう。だめだったら絵でも描くさ。ともかく売れるものを書かなければいけない。生活は苦しい、人生はいまのところ終わらない。鶏の胸肉を茹でる。きょうは曲も書いた。マスはまだである。
それらしい態度をとってじぶんが才人かのようにいうこともできるが、おれはただのなんでも屋だ。学んできたすべて、受け入れてきたすべてを小説にぶち込んだ。もちろん、零れてしまった挿話もある。そいつは短篇に書けばいい。なんでもかんでも入れるわけにもいかない。予算は限られてるからだ、いつもの通り。来週は電気代¥13,000を払わなきゃならない。債務整理もやらなきゃならない。人生にしくじった。それでも作品だけは出来あがっていく。父からの虐待も学校でのいじめも社会との不適合も、家族の歴史もすべてネタになる。おれはフルタイムのろくでなしだ。たっぷりと味わって欲しい。
おれはようやく憎しみから股を洗った。怒りも穏やかになった。愛と笑いの夜を過ごしてる。書けば書くほど視界が拓けていく。これほどに気持ちのいいものはないとすらおもえる。自尊心や自己愛がようやくわかって来た。母性はいまだ不在だが、べつに焦るほどのことでもない。この齢になってさまざまなことへ眼をむけられるようになった。じぶんの苦しみ、その一色で心を塗りつぶすこともない。ただ少し淋しくおもうときもある。連れあいもなく、週末の金欠をやり過ごすとき、おれはどうなってしまうんだって、とてもおもう。なにに怯えるかは相場がある。おれの場合は無名のままの死だ。おれの師である森忠明はさかんに「無名のエクスタシス」や、後世に残るかどうかを説くが、おれはちょっと俗っぽいだろうけど、金と女と好きなだけ作品をつくれる環境が欲しい。いや、これが本音だ。
いったい、だれのためにおれはやってるんだ?──じぶんを救うためだ。まわりまわってだれかが救われるのもいいかも知れないけど、おれにはおれが必要だ。あなたがたはどうしてこんな場末のブログを見てるんだ?──なにがおもしろい?──ここにいるのは電子の滴りでしかない。おれの詩も絵も散文も。やがて消えるかも知れないものに時間を費やすこと、そして他人の人生のなかにじぶんの人生を発見し、驚かされる、そんなときがあったらいいとおもってる。銀河の流れの、小さな粒子のなかで人間の意識がその出生以前も死后も在りつづけるとしたら?──あなたはいったいどう生きる?
おれはたしかに狂ってる。去年の末にもおかしくなって病院に入った。有馬高原病院。きれいなところだ。おまけに主治医の女の子がおれの好みにぴったし!──あゝ、ナカムラ先生!──でも、おれは無断退院して出禁になってしまった。たった二日でだ。やっちまった。もしかしたらかの女と仲良くなれたかも知れない。おれはいまだれとも会わない。ケースワーカーと精神科医と臨床心理士と障碍者支援センターの人間のほかは。だれもここには来ない。だれか、おれを見つけてくれ。
もっと表にでなければと考える。ライブにでて新曲をやるとか、朗読会とか。なんでもいい。できることをしたい。しかし生活はどんどん逼迫する。まあ、どうにでもなれだ。人生は不条理そのものだ。偶然を受け入れられないものは「引き寄せの法則」なんてものに頼る。あるいは現世利益のくそ宗教や、エセ科学、陰謀論、あるいは右や左へと進む。けつくらえってんだ、ばかやろう、おれたちは互いの神を滅ぼすためにやって来た愛の戦士なんだぜ!──よく見てみろよ、未来なんかない。あるのはいまだけだ、急げ、 マイ・ベイブ!
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3/11(註。この題はただの日付であって、それ以外のなにものでもない)。
犬がうそついたって?
だれもいないところまで
如雨露式の躯もって
水を蓄えにいこう
自身の名も忘れ
給水塔へ飛びのった
あの子求めたばっかりに
痴聖に逃げられて折れた
血統書なくした男女がいて
清掃夫に泣きごといった
枯れた花を抱いて
いっぱいのくそへ飛び込んだ
計画にずっと逃げられて
真実を猫が吐いたって
ぼくはここにいるからね
清掃夫が上着を投げた
囚人(めしうど)のように
軛をとられ 朝が来る
約束するよ
きみをいつか見つけると
ぼくがきみを見つけるさ
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配布用の作品見本輯「a loner's way」をつくった。モノクロ全15頁に短歌、詩、絵、写真を載せてる。大阪あたりで配るつもりだ。神戸?──あそこじゃ顔がわれてるよ。まだ発注してないけれど、ネットプリント版を先行でだす予定だ。愉しんでくれるとありがたい。あるいは中指を立てたっていい。なんとでもいうがいいぜ。おれのようなポンコツを気にかけてくれる悪男悪女たちに今夜は乾杯したい。早く、電話とネットを取り戻して、みじめにネツトカフヱーで過ごすのは終わりにしたい。みんな、おれに力(=金である)をくれ。あるいは「アボガドと生ハムのリングイーネ」の材料をくれ。まあ、でも冷蔵庫もない。去年、¥3500で売ってしまった。噫。
長年、粗悪な酒を呑んできたせいか、最近は左腕がふるえる。もう歳だ。シロック・ウォッカも、アイラ・オブ・ジュラも呑んだこともないというのにだ。神は醜い。たぶんひでえ醜女であろう。でなけりゃ、金満の少女性愛好家だ。生活保護から抜けだすため、精神科に通い、求人に応募してるというのに、電話は停められ、滞納金は膨れてる。ただ飯を喰ったり、シャワーを浴びるだけで金がなくなる。業務スーパーでオートミールと即席味噌汁、罐詰を買う。あるいは炊きだしにいく。おれはいまでも信じたい、おれは貧乏人じゃない、一時的に破産してるだけだと。こんなことなら'08年、「キムラユニティー」から来た直接雇用の誘いを断るんじゃなかった。まあ、あんときは棲む家もなく、公園暮らしだったが。噫。
いまは作品の在庫もなし。絵葉書も刷れない、詩集もなし。しかもそれらのジャンルは電子化には不向きだ。読者たちはじぶんだけの一冊を求めてる。味気のないキンドル版で満足なんかされないし、見向きもされないんだ。詩や藝術を権威から取り戻さねばなるまい。噫。
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きみたち、へたな詩人たちにいいたいのは、《技術がなければ方法を身につけるしかない》ということだ。方法詩なんてものはそのなまえの通りで、へたな詩人、いいわけの小狡いガキどもにはとっておきの方法だ。数字を並べるもよし、プログラム言語を書くもよし、記号やアルファベットで遊ぶもよし、冴えない大学生にぴったりだ。過剰な意味づけのなかで居直り、否定されたらふざけた態度で相手をからかい、挑発するともっといい。わかったか、諸君?
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おまえらの顔なんざ見たくもない、でも愛してるんだ。──ただいま22時と42分です。
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