みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

馬は美し、ひとは醜し

korekara-doh-suruno? / [2012]

 

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   ***

 

 このまえは自身の来歴やおもいについて料理のレピシを交えながら語ってみた。きょうはそのつづきを書くとしよう。どこにも求められてない文章を書くというわけだ。 それでもこいつは長篇小説のための訓練みたいなものだと考えている。使えるものはなんだって使うことさ。
 わたし自身はシオランの追従者ではないが、かれの人間ぎらいと自殺の肯定、多数派への共犯を拒絶するといったおもいには諸手を挙げてやる。さっさと退場したくてならない。
 先週は、安田朗という、中央大卒で「自由市民党」党首とひと悶着。きっかけは文章の校正依頼で、わたしの考える手法とかれのとではちがっていたということ。そしてかれが救いがたい莫迦であったことだ。在宅勤務で「出版及び電子書籍のための文藝作品編輯」と掲げたはずが、政治パンフレットの校閲をするはめになってしまった。
 「中卒! きちがい! 詐欺師! ラーメン屋にでもいって修行しろ! 関西の弁護士に訴える!」というありがたきメッセージを頂いたので、お返しに「学歴差別に精神障碍者差別、職業差別──いったいどんな弁護士に依頼する気だ?」と返信をさしあげた。さらに「中央大学惹句は行動する知性だそうだが、あんたはまるで行動する反知性だね」とも書き送った。たかが校閲をめぐってくその投げ合いなんざごめんだぜ、ベイビーってなわけだ。
 収入を求めて火あぶりに処されている。できれば、眼鏡のレンズを交換して──またしても視力がさがった──来月のあたまには映画「シベールの日曜日」をかの女と見に行くぜ。もちろん、かの女とは、おれの左手のことだ!

 

   ***

 

 「苦渋の三段論法」でシオランが書いてるように《三十代になったら、ひとはもはや世間の事件に興味をもつべきはない。天文学者が巷の噂話に興味をもつべきないように》と書いてある。然り。まさに正鵠を獲てる。どれほどの人間が好事家になることと教養人なることを履き違え、自身を苛んでいるかだ。
 だからはわたしはニュースなど読まない。人生の浪費に過ぎない。批評だってそうだ。わたしとしてはもう批評なんか懲り懲りだ。素人同士でがやがやと褒めたり、腐したり、それがなんになるっていうんだ? 一切やるなとはいわない、だがいつもやるものではないのは知ってる。わたしを見てみれば納得がいくだろう。対人感覚が麻痺し、世の光りへとでていくのが億劫になってしまっただけだ。批評なんか才能ないものに任せればいい。自作について能弁な書き手には警戒したほうがいい。自身がそうなってしまわないためにも、語りにはつづまりがいるんだ。
 ネットワーク上での表現に充足してしまう危険についてはさんざ自身で体験してきたので、いまさらそれをひとに伝える意味があるのかはわからない。ひとや世代によってはネット上での自己完結こそ至高なひともいるし、そんな場所でおれが発言する、助言するのは滑稽か否か。ともかくわたしにとってネットは余技、紙は本番だ。
 インターネットでは新しい投稿サイトができあがった。わたしは気に入らなかったが、ふたりの人物に恩義があって投稿するはめになった。久しぶりに新しく「ブロスの下着」という詩を書き、投げ入れた。澤あづさ氏は、本人のいうところ「酷評」をされていたが、なんのことはない。「昔はよかった」ということだ。一介の作家志望としては6年もまえの作品を絶賛されてもあまり感じるところがない。それにかの女が仰るほどに「小説としては問題がありすぎるほど詩的」とか「でたらめなくらい大胆に飛躍」していたとはおもえない。素直にじぶんの好きな世界を書いただけといまでもおもっている。過古に喜ばれた作品の焼き直しなんかできない。たとえ不評であれ、あたらしくいたい。


    ブロスの下着

 

  だれかおれを連れ去って欲しい
  たとえそのだれかが
  きみであっても
  それはとても素敵なことで
  長い孤立からきっと
  救ってくれる 

  人生に勝ちめなんかないのは知ってるとも
  まちがいがあまりに多く
  ただしいものがあまりに少なくとも
  語りかけてみたい
  すべてを

  女を知らないやつがこんなものを書いてるんだ
  嗤いたければそうするがいいさ 
  平日のマーケットで
  金色の星を浴み 
  ブラームスの二番を聴きながら
  ブロスの下着を撰びたい

  そしてアパートに帰って
  シュトラウスドン・キホーテをかけながら
  かの女がくそをしたあとの、
  便所の水のながれをずっと聴いてたい
  ずっと聴いてたいんだ
  それはきっと
  美しいにちがいない

 

 けっきょくわたしだって過古の賞賛が忘れられないのだ。改稿してコメント欄に投げた。反応はなかった。だれも見向きもしやしない。べつのサイトへ投稿では、「初稿で涙を流した」という女性から、不満のメッセージが来た。「初稿をもっと大事にしてください」といわれた。そうとも。いっぽうでは救いがたいコメントもあった。ひとを虚仮したいというおもいが伝わって来る。
 《もう10年くらい前、ハリウッドのユースホステルでフロントの仕事を任されていたことがあるんですが、春休みシーズンで日本人の女子大生がたくさん宿泊しておりました。ドミトリーのベッドが満員になり、普段は男女別のところを相部屋にすることになったのですが、夜半すぎある女の子が、やっぱり男との人と同室は無理です。トイレにもいけません。と陳情してきました。バスルームは各部屋の中にあるのですが、やはり日本女性として用を足している時の音が聞かれるのがはばかれるとか、たぶんそういう話だろうなと僕は受け取ったんですが。このあたりの気遣いというか、わたしにいわせれば行き過ぎたエチケットのようなもの。これはほとんど日本人特有なのではないだろうか。白人女性ならたぶん大胆に「クソ」もするし小便の音くらい聞こえたって問題ない。
 この作品は、「クソをしたあと」の流止まない水洗便所の音がいざなう、異郷。英語でいうとディスプレースメントですが、作者の「心ここにあらず」という現実から浮き上がってしまう感覚。それはきっと外国語文学のスタイルを消費したり写真集をめくったりすることだけでは決して癒やされない、根深いなにかである。そしてそれはたとえ作者に女ができ、性的快楽に浸る日々が訪れたときも消えることはないだろうと俺は断言できる》。


   ブロスの下着(改稿案)

  だれかおれを連れ去って欲しい
  たとえそのだれかが
  きみであっても
  いいよ
  紳士売り場ではブラームがかかってて
  そいつを聴きながら
  おれはブロスのパンツを撰ぶ
  手触りのいいそいつを
  だれもない平日のマーケットで
 
  あんたはだれ?──知らない女がいう
  あんたは救いを求めてるのっていう
  おれはなにも答えられずに
  ポケットからサーディンの罐を手渡した
  これこそがおれにとっての救い
  まちがいは多く
  ただしさはあまりに少ないけれど
  勝ちめのないのを知りながら
  それでも連れ去って欲しい
  たぶんそのだれかが
  きみであったら
  いいのに  

  やがてブロスを撰び終えておれはマーケットを去った
  さっきの女がアボガド・ワッパーを喰いながら
  ずっとバス・ターミナルに立ってた
  雨が降ってて
  なにもかもいやらしくて
  おれは話しかけてみた
 
  「きのう死んだ映画監督がかつていってたんだ、 
   花を愛でるのは少年であり、
   虫を殺すのは少女であるってね」

  喰いかけのワッパーをおれに渡して
  女は笑いかけてきた
  早くアパートに帰って
  シュトラウスドン・キホーテをかけながら
  かの女がくそをしたあとの、
  便所の水のながれをずっと聴いてたい
  ずっと聴いてたいんだ
  それはきっと
  愛おしく
  美しいにちがいない


 できあがった作品について他者になにをいわれたところで、それを書き換えるのはわるあがきでしかないということを知る。ふたりの女性による新作詩とその改稿案への反応ではっきりした。いい大人がたやすく自作を翻してはいけないということ。最后の判断は作家の責任でしかない。じぶんの愉しめるようにやるしかない。語法のいちぶを改めるとか、説明臭さを消して暗示的にするといった感じであって、根本までいじっては、もはやわたしの作品ではない。いえることはけっきょく、わたしは器用な書き手にはなれないということだ。観客のまえで、筋書きを考えたり、書き換えたりはできない。わたしはシェイクスピアでも、カポーティでも、T・Wでもないからだ。あくまで自身のなかにある基準を高めつつ、それに沿って書くだけなのだ。転んだって自業自得だ。澤氏の答えを待つまでもなく、あの改稿はわるい冗談でしかなかった。
 自身でも批評のほうもあとになってやってみたが、あまりに救いがたい作品ばかりですぐにやめちまった。突起人のひとりである天才詩人という通り名の作品「藝術としての詩-3」及び「THE COLD WAR」にもコメントを寄越した。空腹に耐えながら。あしたになれば金が入るぞとおもいながら書いた。かれの詩はあいかわらず冗漫で退屈だったが、当人がそれを認識するのは、あと80年はさきの話しだ。

 

     ◎天才詩人へ

 

 文章としての完成度や異郷を伝える紀行文としての佳さはあると感じる。けれど「傷つく能力」というものを、この作品からも、作者自身からもわたしには感じ取ることができない。抒情や感傷をいたずらに煽り、肯定するつもりは毛頭ないが、あまりも書き手も作品がうまく、器用な人生を送っているということだけが──わたしの僻みでもあるだろう──匂い発ち、再読に耐えるものではないというのがわたしの見解だ。凝縮のなさ、異常なほどの清潔さ。たとえば「パニック発作」はあなたになにを与えただろうか。現実原則が饒舌に語られるいっぽうで、空想現実との交差がまったく皆無なところに《「藝術としての詩」とは何か》という問いはただ浮遊しているだけで、はっきりいえば空虚で場違いだ。
 この作品を体験記ではなく詩文学足らしめるには、現実原則を突き抜け、空想現実と果てしなく行き来しなければならないだろうとおもう。そのために作者はまず「傷つく」能力を獲得しかないだろう。でなければ安全なるアマチュアによる、印象の弱い作者で終わりかねないだろうと考えている。

 それに対してかれはこう返した。

 

 至極もっともなコメントだという気がします。そのいっぽうで禁じ得ないのは、当の中田氏は「傷つく能力」を持っていると公言できるのだろうか、という素朴かつ、根源的な疑問。僻みのせいで読むに耐えない文章がこの世に存在するとするならば、それはあなたが何かを諦めてしまった証拠であり、詩文学うんぬん以前にそうした自分の僻みをぶち壊すのがさきだろうと。
 あなたのように頭がよく物事のエッセンスを取り出すのに長けた人間には何人か出会いましたが。みんな一様に何かを諦めている。純粋に「楽しい」「ゆめをあきらめない」という馬鹿げたくらい単純でポジティブなマインド。それがあなたにはない。これは私からあなたへのエールです。

 

     ◎天才詩人へ──ふたたび

 

 わたしは論理的とはいい難いし、あまり作品から離れた部分について書きたくはないのですが、気になったところがあるので手短に申し上げます。《当の中田氏は「傷つく能力」を持っていると公言できるのだろうか、という素朴かつ、根源的な疑問》とはなんでしょうか。《僻みのせいで読むに耐えない文章が──略》というのも曲解でしかない。わたしは作中や作者の態度について語るのは、失礼であるかも知れないので「──わたしの僻みでもあるだろう──」と添付したのであって、「僻みのせいで読むに耐えない」とは考えていません。それをそのまま飛躍して《自分の僻みをぶち壊すのがさきだろう》というのはミスリードではありませんかね。いかがでしょうか。
 〆にある《みんな一様に何かを諦めている。純粋に「楽しい」「ゆめをあきらめない」という馬鹿げたくらい単純でポジティブなマインド。それがあなたにはない》というのも、一種の逃避に感じる。わたしは作品について語ったけれど、生き方には興味もない。そういったことはラビにでも訊かれたほうがよろしいでしょう。わたしはこの作品が「楽しい」とおもいながら、書かれたようには読めないうえに、なにかを諦めてもいない。そういったことを難ずる手法が果たして正しいのか、それこそ《素朴かつ、根源的な疑問》です。わたしは今年個展をやるし、恋人もつくる、アルバムを録音できるし、映画も撮れるし、「白鳥の湖」だって踊れる。ただ多くのひとびとよりも時間がかかってしまっているというわだけだ。他者の存在や人生を値踏みするのが批評であるというのなら、わたしはもはやなにもいうまい。

 コメントの書き出しに『「傷つく能力」というものを、この作品からも、作者自身からもわたしには感じ取ることができない。』というフレーズを置くのは、批評態度として「弱い」と言いたかった。そもそも「傷つく」というのは主観的な問題で、その「傷」を物質として取り出して、メロンパンみたいに俺のは大きいとか小さいとか、他者に明示したり比較できるものではないでしょう。あなたの言い方には、ネット詩の常連にありがちな、「詩」は社会から疎外された人間特有の表現手段であり、「傷を負った」経験を生々しくつきつけねばならない・・というような意図が読み取れた。そうした作品群の価値をわたしは否定しませんし、感動を与えるものもなかにはある。ただしそうした路線を唯一の「詩」のあり方と措定する立ち位置から、作者は「傷を負っていない」という言葉で低く評価するのは、やや押し付けがましさを感じる、ということです。もちろん中田さんがそこまで頭が悪いとは思わない。ただ批評としての強度が足りない、と俺は思うのですよ。

 

    ◎ふたたびのふたたび

 

 わたしの場合、こういったスタイルを持った作品の系譜というものをまったく知らないから、そういった無知な読みになるのかも知れません。なぜ海外生活のなかで出来事を細微に書きつられながら、「藝術としての詩」というものにこだわりつづけるのだろうかとも考えてしまう。わたしは批評家ではないし、批評を上達させたいくはない。《批評の強度》なるものが、どういったものなのか、わたしにはわからない。

 かつて高校時代、「万人の共通コードは好悪の感情のみである。好きだ、嫌いだ以上に説得力を持った言葉を私は知らない。とにかくものを伝える以前に不要なコードが多すぎる(1988、岩見吉朗)」という考えを愛唱していたわたしには、この詩から感情表現や身体表現(あッ、主観だな!)が乏しいので、読んでいて語り手と共有できるものが見えて来ないなというわけです。最后に「痛み」についていえば、それはたとえばドストの書簡集で「借金や病気の話がいちばんおもしろい」といった程度であったり、この作品に見せ場がないという意図もある。わたしは読み物であるなら、愉しませてもらいたいとおもっています。生活や日常のなかにいながらにして、それをおちょくってしまうような飛躍やアクションは欲しいとおもう。ただ現時点では「異国の生活」以上のものは、門外漢のわたしには読めて来ないというだけだ。──これでオシマイ。餅は餅屋だ。批評もおなじく。もうなにもいうまい。詩論ならば書いて損はないかも知れないといったぐらいにしか、考えてない。わたしに書けるのはわたしの詩であって、他人の詩ではない。どんなひどい眼に遭おうが、みずからやっていくしかあるまい。だれも助けられない、それが表現や藝術ってものだろうに。勝手にしやがれだ。わたしもあんたたちも。
 とうに歌人も詩人も組織化し、来歴を権威で塗り込めなければ生きていかれない。わたしには滑稽に見える。プロもアマも大したちがいはない。あんたは最果タヒが好きなのかい? それとも織川文目?──だとおもったぜ。
 早熟という語、そのものに愛想が尽き、嫌悪しか湧かない。わたしは32歳になっている。芸術はもはや高等教育のなかで、答え合わせを待ってるだけではないか? 正しい問題と、正しい答えの存在するのを疑わない学生の世界。そして学生のまま年老いていくんだ。もちろん、これは中年の晦渋に過ぎない。
 もう有名になりたいという欲求がなくなった。かつてわたしを嗤った連中を見返してやろうと考えたけど、文学賞のために作品を書くということがまず馬鹿らしい。高見順のいうように作家が作家を撰ぶという愚行に共犯する気はもうない。同年の作家たち、年下の作家たちが、メジャーのなかで活躍し、名を馳せるいっぽう、わたしは永遠のマイナーで、自身が心から読みたい、読まれたいものをめざして作品を、本をつくっていくしか道はないようにおもう。

 

   ***

 

 日曜日も、この2ヶ月もけっきょく競馬はできなかった。わたしはひどく酔っていた。あちこちでウィスキーの水割りを呑んだ。浪費以外のなにものでもない。競馬クラブへ加入料が痛々しい。けっきょく仕事で獲た2万3千500円も、軍用コートの支払いや、衝動買いした古本──セリーヌの「死体派」やなんかでほとんどがなくなり、わたしはできあがったデモ音源を聴かせようと、三田市は相野くんだりまでいった。正気の沙汰ではなかった。わたしは焦りすぎていた。三田までの移動手段を考えていると、もう夜に近かった。
 「茹で蛙のレシピ」はまったく受けなかった。15年来の知人が、記事をシェアしてくれてはいたが明確な反応はなにもない。わたしは酔って電話をかけた。もと同級生で近所だった男にである。宝石や装飾品の修理、リメイクをしている。金持ちの息子で、美的センスのかけらもなく、ものを知らない有閑マダムども相手に商売している、侏儒のようなやろう。わたしは敬語で話しかけた。むこうはというと、畿内訛を穢く、横柄に使い、「おまえと話しすンは時間のムダや」といって切った。あまりにも予想通りで、ありきたりの答え。おそまつな出来事。オイル・サーディンでも持ってやつの店までいってやろうかともおもったが、やめにした。西宮は苦楽園とはいえ、時間と金のむだであるのにちがいはなかった。まあ、売れる文章になるのならべつだが。
 そうはいっても腹が立っていた。ほかのやつらも電話にはでなかった。前回にも書いたべつの、もと同級生にダイヤルした。かれにことのあらまし、過古の悩みや現在の怒りや失意について話した。ずいぶん長いやりとりだったが、文学や哲学を触れている相手との会話は軽快だった。かれはわたしにモームの「月と六ペンス」を勧めた。作品モデルになったゴーギャンは、その植民地主義などを理由にきらいだが、いちど読んでみようとおもった。かれもわたしが先日勧めたシオランに興味をもってくれていた。かれはわたしに好感を抱いてくれていたし、友人として認めてくれていた。正月、「またな」への返事については、ただただわたしが臆病だったというわけだ。かれとしては素直な本音だった。「ミツホが迷惑だったら最初からいってるよ」という。
 いつかふたたび会うと誓って、バスに乗った。さらに三田駅から相野まで。冬の道を歩く。高校の先輩がやっている喫茶店を見つけるまでに20分はかかった。馬糞の臭気をさまよい、暗い歩道で立ち小便をした。ローソンの隣りに店はあった。灯はなかった。2階と勝手口には燈火がある。けれど扉を叩こうが、来訪を大声で伝えようが、だれも現れなかった。わたしは持ってきた最初の詩集を郵便受けに突っ込み、悪態を尽きながら、相野駅まで引き返した。もっと早く来ていれば高校生のころ、好きだった女の現在を聞けたかも知れない。
 途中、線路際の小道に降り、歩いているうちに泣いてしまった。17歳のころの、古い歌をおもう。《あゝ、この静けさに堪えかねて嗚咽を漏らしているのはだれだ?》。それは、この負け犬だ。おもうに初恋のかの女は要領のよく、品も知性もへったくれもない男たちが好きなんだろう。かの女の友だちの一覧をおもいだして気づいた。ごろつきのようなやつらばかりじゃないか。
 最后に会ったとき、一緒に歩いてた男だってその類だ。弱いものや、劣っているものへの仕打ちの数多。暴力と嘲笑。かれらは「憶えていない」という、だがわたしは憶えている。宝石修理の小男だってそうだ。かの女の親戚だという小汚いやつも。
 どうしてあんな男たちになぜ嫉妬するのか。自身を軽蔑したことも、人生に疑いを持ったこともない。ましてや、書物や藝術なんか手にとったりもしない。環境のよさに胡座をかいて、弁舌のよさに陶酔しているだけだ。中身はからっぽで、はったりしかない。本物なんざひとりだっていやしない。かの女が鼎談した人物たちもそうだ。だれもかれも虚業を誇ってる、最低のやろうども。たしかに知名度は高い、だがそれがどうしたっていうんだ?
 《一見うんさくさいひとだけど発言は正しい》なんていうやつらがいる。医療や福祉に自己責任を叫んだ、長谷川豊にだって賛同者はいる、高城剛苫米地英人山本一郎をありがたがるひとびとだっている。わたしだってモーリー・ロバートソン高橋ヨシキはきらいではないし、やや頷くことだってありはする。それでもおもうのは《一見うんさくさいひとだけど、やっぱり発言だって胡散臭い》ということだ。
 わたしが勝手に美化していただけで、かの女にはなんの落ち度もないけれど、やはり純真なものを壊されてしまったという気分だ。醜いものを傷つけるのは正しく、じぶんたちを傷つけるのは絶対悪ってわけだ。くさった共同体幻想の成れの果てじゃないか。なにが《命を粗末にするひとはきらいです》だ。わたしがなにをやろうとも考えようとも、きらいはきらいなんだ。わたしが安ホテルでヘリウムによって自裁を遂げたところで、かの女たちはなんともおもわないだろう。19歳で自裁したという過古の同窓生の女性──おれは喋ったこともないかった──だってきみたちには助けを求めなかったわけだろう? 生へと背中を押すために《命を粗末に》というのならわかる。けれどきみのは、ちがった。冷たく突き放して嗜めてたいがため、穢れを払うためにだったようにおもえる。
 口先だけのおそまつな連中に怒りと悲しさと羞ずかしさが溢れそうだった。三田市から750円かけてわが町へと帰った。わたしはまだ無意味な劣等感、ひとびとがみなじぶんよりも優れているという幻想を棄てられないのか? いいや、そんなはずあるものか──。
 かつての映画「みな殺しの霊歌(1968)」で、主人公が作品の終わりでやって見せたみたいに「おまえらに美しいものを破壊する権利がどこにあるんだ!」と、いまだって叫びたい。

 

   ***

 

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