みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

バナナな日

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 ニュースレター廃止に寄せて


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 おれの書くものをどれだけの人間が好んで読むのかはわからない。おれのなにがもっとも受け入れられるのかも、あいかわらず、よくわかってない。ニュースレターはやめてしまった。登録者は14人だけど、開封率がわるい。たった3つほどでしかない。ベンチマーク・メールのアカウントは削除できないから、メーリングリストを削除した。ブログとの兼ね合い、twtterとの兼ね合いもあるし、それにもはや余剰な辞を嘔いてる時間がない。とにかく働く必要がある、早く眠る必要がある。おれはもはや気長に文章を綴ってる場合じゃなくなったんだ。だからやめた。だれも読みはしないものを易々と書き撲ってるわけにはいかない。金にも救いにもならないことはなんであれ、やめるんだ。私情の垂れ流しはよろしくない。書くべきは作品であって、それ以外じゃないというわけだ。いままで読んでくれたひとにはただありがとうだ。

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 きょうはずっとバナナの検品・箱流しだった。朝、コンテナの仕事だといわれ、港まできたというのに、始業直前になって「5階へいってくれ」といわれる。5階とは別棟にあるバナナを検品する場所だ。またバナナだ。まったくバナナな日だ。いつか「バナナな日」という短篇を書こう。まあ、というわけでふつか連続してバナナだった。そして女たちがおれに質問する。かの女たちはひょっとしたらアンケートでもやってるのか、日本秘密警察の内通者かも知れない。きのうだって、居住地、出身地、出身中学、出身高校、家賃、室の広さ、だれと棲んでるのか、恋人はいたのか、前職、次の仕事はなににするのか、帰ってなにをするのか、──などという。どうだっていいじゃないか。興味を持たれるのがいやだというわけでもない、ただ単発で、なににも発展しない、そしてセクハラまがいのやり口に辟易する。かの女たちには知性がないのだろう。でなければおれがかの女たちを恐怖しているのかも知れない。あるいはその両方かも知れない。
 きょうは好きな球団は?──好きな芸能人は?──芸能人ではだれに似てるっている?──云々かんぬん。わたしはしばしば怒りそうになりながら、あるいは西村賢太ふうに怒っている自身を想像しながら過ごした。耐えた。まったくひとを品定めするような戯言をいいやがって、なんて低俗な女なんだ。ぼくはそれを韲えて我慢してやってるというのにそれに気づきもしない愚鈍なくそ女どもめ!──もちろん、こんなことはいわなかった。そして気づいた、会話とは回答と質問をくり返すことであるということが。苦節34年にしてようやく答えだけをだせばよいものではないと気づく。千両、千両。
 帰りがけ、作業着のポケットに中古で買ったイエマの腕時計を忘れたことに気づく。三宮で電話を掛けるも繋がらず。あしたの朝、電話をするつもりだが、だめだったら安い時計を買うしかない。帰ってまたサラダとカルパスとシメサバを喰った。それから欲しいものをネットで探し、洋書1冊を買い、けつが痛くなるまで坐ってる。こうして文章を綴っているのは、あしたが休みだからだ。それ以外に理由はない。

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 それにしても、もはやネット詩は終わった。もちろん、それはおれにとって興味を抱けるネット詩のことだ。もう10年そこらにあった活気はない。投稿者は減り、死臭が漂ってる。夢は失せ、馬はくそをひりだす。禄にものを読まないひとびとが互いの腋を嘗め合ってるみたいだ。現代詩はおろか近代の叙情詩だって知らない連中が薄甘い、歌謡曲をやらかしてる。ばかげたことだ。詩を書いてられるような余情な生活などなくなったんだ。金のために、暮らしのためにみな老いていく。情況はよろしくない。試みや文体を持った連中はどこかへ去ってしまった。そして禄に読んだこともない連中が好き勝手にやってやがる!──だからといってそこに、ネット詩なんかにしがみつくのは憐れだ。たとえば、"いかいか"こと"01 Ceremony.wma"の「死体の批評、そして現実と夢」 を読んでみる。なにも変わらない人間がそこにいる。かれはずっと呪詛を垂れてる、おなじことをプレイバックしてる。気に喰わないものに噛みついてる。まあ、それがセリーヌシオランばりに透徹してりゃおもしろいかも知れないけど、実際つまらない。──もしある場所で、じぶんと同等か、それ以上の人間に出会えなければ場所を変えるべきだ。さもなくば認識を変えるしかない。ネット詩が救いようもないけつの穴ならば、そこからでていくしかない。おれはとっくにわりきってる。ネットに投稿するということも、だれかの書いたものを読むということもだ。もしかしたらかれはかれなりのセラピーでも築くつもりなのかも知れない。おれはそんなおぞましいことを考えるほどお気楽じゃない。ただいったいいつまでつづけるんだといいたくなる。いったいいつまで土を掘り返すのかと。詩で人生を狂わせるなんてまったくの冗談だろ?
 おれにとって詩はけっきょく物語が書けないための埋め合わせでしかなかったようにおもえる。熱は冷めてしまった。ただあるときふと書きたくなる。でも、できあがるのは短歌という1行詩てなわけだ。わが師・森忠明はこう書いてる。曰く《小説も写真もいいが、あくまでも「大歌人」ミツホが原点だぜ》と。おれは現在詩からとっくに放逐されちまってる。ほんの時折、いいのもあるが、ほとんどはごみだ。そしていまではごみをつくることも少ない。他人についていうなら、たわけた筆名ででたらめなものを書き綴ってるやつらなんか、下水を流れていってしまったほうがいい。そしてブコウスキーを借りていえば、詩人よりも配管工のほうがありがたい存在だということに限る。──おれは手のうちを明かしたぞ、おまえはどうする?

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 ところで十三ファンダンゴがなくなるそうだ。キングブラザーズがライブをやるらしい。15年ぶりにあそこでハイネケンでも呑みながらライブを眺めたいものだ。

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KING BROTHERS 消えうせろ


男は行く/KING BROTHERS


KING BROTHERS - マッハ倶楽部

 

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