「告げる」平成15年生活体験文集「水脈」より/3年 中田満帆
エフトゥシェンコは「早すぎる自叙伝」のなかで、「詩人の自叙伝、それは彼の詩作品を言う。残りは註釈に過ぎない」と書いた、──らしい。”じぶんは詩人”と名乗るつもりはまったくないが、それに倣ってここでは註釈をなるべく避け、自分の下手な詩を挙げることで高校生活をふり返ろうとおもう。──そのまえにまずは中学生活まで遡る。
15歳、中学3生。そのころ、ぼくは極度の昼夜逆転と極度のめんどくさがりで学校にはまったくいってなかった。学力は学力は元来よりわるく、朝は寝ているか、学校へいくふりをして山中をうろつきまわって時間を潰していた。
○青空を花粉に赤い眼で見つむ寝転びわれは遠くおもう
○なんべんもたどり着けない考えに耽りて枯れ葉の音なんべんも聴く
有馬高校への進学を決めたのは担任の勧めであった。自己決定でなく、ただただ惰性のままに肯いただけだった。16歳、最初の1年。集団生活はまるで威圧的におもえた。ほとんど緊張して過ごしていた。
○自責することの甘美を知りながらわれを責めつつ風のなかゆく
○たったいま未来が裂けて線路ゆくものらは悱々として世界を絶たん
17歳、学校へ来て2年め。人数も減ったせいか、次第にじぶんの欠点が隠すこともできなくなっていた。孤立感のっなか、特に体育と数学ではみな失笑を買っていた。そして学校がいやになり、欠席は増え、憂鬱を紛らわすために酒を呑み、莨を喫みはじめた。けっきょくぼくは劣等感に勝てず、留年することになった。
○雨降れるひとひは室のくらがりにガラスのコップのみが美し
○先人たる赤の他人の一行に道標となる辞を探す
18歳、落第して1年目。改めてじぶんの欠点に悩み、人並みになろうとするもけっきょっくうやむやになる。この年、はじめて長期のアルバイトに勤めた。
○「わが国」と呼んでしまえぬ空しさを継いでいくのか物質的幸福を抱き
○月光を遮りながら過ぐバスは猫の四肢にも気づかぬほどに酔うてゐる
19歳、この年になってぼくは詩歌をはじめた。ほぼ同時に対外的な活動(朗読会や詩誌)への活動を始めた。今年の6月にも「地団駄ライブ! 朗読ビート!」を行う予定だ。
○成人になれば耳鼻科通院終えて遂に走らん死者のレースを
○肥桶を置き去り向かう無人駅われは自由をジャズに観て
けっきょくぼくは大検すらも投げだして詩歌に入った。それまで右往左往していたが、やっとじぶんが真に打ち込めるものを見つけた。当然、今年卒業はできず、世間からすればみっともないだろう、5年めを過ごす。でもぼくは後悔しない。いまはとても安定している。じぶんなりにやっていくしかない、じぶんなりにやっていくつもりだ。
○別れにも涙流れぬ悲しさをわれは尿して路上に託す
○することもやることもすべてこの住所を棄て走りだすため
最期にぼくの好きな歌を一首紹介します。
一粒の向日葵の種蒔きしのみに荒野をわれの処女地と呼びき──寺山修司
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「雑記」平成16年度生活体験文集「水脈」/4年 中田満帆
(冬 さむいのが、戸外いっぱいに広がって、出れば、頭のてっぺんから、爪先までもが、傷む冬である。こんな季節は、寝転がってなにもしないのがいいのだが、生憎ストーヴも、すきまの多いわが自部屋にはまるで効かない。──その寒い室で、このくだらない文を書いている)。
ぽくにとってうそを吐くことは、ものを云うことと同義である。口をひらけば、ひとをごまかすための、じぶんをよくみせるためのうそが、すらすらと流れだすのだ。うそが暴かれれば、そのうえにあたらしいうそを吐く。なぜか反省しようとか、懺悔しようとかという気はさらさらにない。むしろ、このまま「三つ子の魂百まで」と諺を開き直りに生きていこうと、死んでいこうとさえおもうのだ。
去る年、「高校生フォーラム」という、幼稚と云ってまずまちがいないだろう、集まりのまえで云ったことも、すべてうそである。まず自身の保身と建前を考え、述べ立てたまでだ。たとえば「大学へ」と云ったのも、けっきょくは学歴への劣等感から来た杜撰な上昇志向と、猶予期間のおねだりでしかなかったのだ。
ぼくはこれからも落ちつづけて生きる。それがじぶんにとって相応しいだろう。ルンペンにでも、人間以下にでも、○○にでも、××にでも堕落しつづけるだろう。この際落ちるところまで落ちてやろうとおもうのだ。もちろん、これだってうそだ。
いくらしゃべったって、なにをわからせることができよう?
言葉なんて、逃げて、ふっ飛ぶだけのことだ。
アルチュール・ランボー「幸福」(金子光晴訳)