みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

オイルサーディンによって書かれた詩論


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 文藝は淋しさばかり書架の秋

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 窓からそとを見る。どうしてあんなところに大型トラックが停まっているのかとおもう。これぞ詩だ。いまさらいうべきことなんかない。わたしが詩というものを書いてきてもはや15年になる。年数はどうだっていい。どうして詩などという、おそらくこの世でもっともあやふやでいかがわしいものなんぞに身を窶してきたのか。まったくもっておぞましいばかりだ。あいもかわらず、「ユリイカ」や「現代詩手帖」には採用されない。かつていちどだけ「詩と思想」に載ったことはあるが、どうにも時数の規定に合う詩が書けない。もはやスタイルはできあがってしまい、あとはそれをぶち毀すほか、できることはないと来る。わたしには行き場がないんだ。いまは石牟礼道子の全詩集を読んでいる。かの女の散文は手に余りすぎるから。
 そもそも日本には詩などというものは存在しない、まねごとに過ぎない、小谷野敦はそう宣っていた。だったらわたしの15年はなんだったのか。ひたすら散文から逃げ、主張することを避け、憐憫に浸っていただけだというのか。わたしはもう若くもない。でも死ぬだろう齢にはずいぶんと遠い。というわけでいまさら社会活動とやらで作業所で半端仕事なんぞやっている。なによりもじぶんの魂しいにふさわしい生き方をしたいものだ。それがどうしたことやら、虚名と物質にまみれ、なにも考えられない。なにも行動できない。見えないピケがあちらこちらを囲っているありさま。考えるまえに、行動するまでに立ちはだかっているものが多すぎる。それはあるひとにとっては階級であるかも知れない、あるひとにとっては障碍かも知れない、またあるひとにとって単純に容姿の問題かも知れない。
 詩の世界は小さな馴れあいの世界だ。刺激的なものなんかなにもない。今年はいろいろ投稿した。特に短歌の新人賞には力を入れた。なんども推敲を重ね、森忠明から駄目だしを喰らいつつけ、それでも結晶のようになった歌篇はたった二首しか入らなかった。たぶん、けっきょくは結社やらなにやらでも入らないといけない世界なんだ。いつだったか留置場で、おれは新聞を読んでいた。城戸朱理が詩集の批評を書いていた。ふたつは思潮社、ひとつは書肆山田である。さもありなん。お仲間同士でけつの嘗め合いかい?──そいつは気分がいいのかい?──ちくしょう、そんな仕組みのなかでできることなんかなにもない。そしてわたしは神戸の町で孤立しきっている。自身の存在がさむざむしい。町を歩き、女たちを見る。1日に数度はおそろしいほどの理想の女がいる。神戸には美人が多い。多すぎるんだ。わたしだって恋や愛に溺れてみたい。こうして醜い文章を書く醜い男だとしてもだ。表現なんか、好きでやっているわけじゃない。ただそれのほかに選択肢がなかっただけだ。かりに表現がなければ、ひとを殺していたかも知れない。もし表現と引き替えに恋や愛が手に入るなら、わたしは進んで明け渡す。こんな迷妄のなかでものをつづり、本をつくるのはあまりにも淋しい営みだ。
 だからといって詩壇の歯車にはなれないという理由から、ネット詩の道化役になるつもりもない。ネット詩は終わったといってかまわない。B-REVIEWが引導を渡してくれた。かれらの愚かさには感謝しかない。主宰人のたわけた循環論法を見るがいい。あんなものに係わるならば死ぬほうがたやすい。わたしはもう他人の書いたものにうだうだ批判やら助言やら書くのに厭いてしまったんだ。ほとんどの人間は主要な近代詩(啄木、藤村、中也、賢治)すら読んでない、ことばの響きというものに疎く、冗長で凝縮を知らず、視覚的美質をまったく養っていない。はっきいって書かれている内容以前の問題だ。これではブクが「スタイル」という詩でいったように《大勢の人間のなかでたったひとりでいること》はできないだろう。スタイルを確かなものにするということは決して自然には身につかない。わたしが怠惰だっただけなのかも知れないが、けっきょくネット詩からもわたしは孤立するしかない。もしこの地上にわたしのようなひとがいたら声を掛け合おうじゃないか。どうせことばなんか救われない身の、魂しいの発露に過ぎないんだから。これからしばらくは文藝そのものから遠ざかっていくだろう。絵を描きたいし、音楽もやりたい、写真も当然。長篇小説も中篇小説もいいところまで書けた。あとはつくった本をしかるべきところへ送りだすだけだ。
 先月、この15年の未収録作品を1冊にまとめた。300頁を超えるものになった。表紙は'03年、行われた詩の朗読会「地団駄ライブ! 朗読ビート!」のパンフレットからの借用だ。絵はもちろんわたしが描いたものだ。わたしはこの詩集を主催人=荒木田義人に捧げることにした。この数年で過古のほとんどの作品が喪われてしまったが、嘆くよりも喜ぶべきことである。詩はわたしにとって不運として存りつづけるのだから。あるいは災厄としてわたしが存るのだから。もちろんのこと、表現によって時代や社会を体現したいという欲望もある。けれどもいまのわたしにはせいぜいじぶんのことで手いっぱいで、ほかのひとびとのことなんか及びもつかない暮らしをしている。優れた作品にはその時代精神がいくらかでも反映されている。わたしだってそこに加わりたいが、そとの世界にまなざしをむけるにはひとり遊びが長すぎた。あまりにも長くひとりきりでいたために他者というものが、まったく詩のなかにも存在しないんだ。一人称の世界。わたしはけっきょくケネス・レックスロスのいうところの《見棄てられた田舎者》でしかない。愚劣な競争に疲れ切った痩せ馬だ。
 これを好んで読んでいる人間がどれほどいるのか、またどれほど興味を持って読んでいるのかはわからないが、もしなにかしら共鳴するものがあったら、そこからなにかしら派生させたいとわたしはおもっている。もちろん感傷だと非難されることは眼に見えている。無粋なロマン主義ともおもわれかも知れない。それでもわたしはこう書かずにはいられない。だれか、どこかに生きてるものはいないのか!──わたしからすれば多くのものが生きながら死んでいる。最果タヒのなにがいい、穂村弘のなにがいい。どれもこれもくだらない。詩壇のシステムの生みだした歯車の権化ではないか。わたしは少なくともかれらかの女らから見いだせるのはフリーズなフレーズでしかない。かくもいまいましい現代死人たちが築きあげたものをいったいどうやってぶち毀すのか。いまのわたしにはおもい計ることもできない。言語の海をいくら泳いでも陸地は見えない。それを肯定するのか、否定するのかもわからない。わたしにはけっきょくはぐれものがふさわしいのかも知れない。わたしの書いたものをいいとするひとびとはいったいなにをわたしに見いだしたのだろうかともう。なにをやらかし、なにをまちがったのか。わたしは多くのひとを裏切ってきたし、期待を砕いてきた。いまさら、どうしようもないことに悩む。わたしはいったいなにをすればいい、いったいなにを読めばいい?──注釈だらけのキャントーズ?──カーロス・ウィリアム?──カミングス?──それとも西行?──はたまた現代思想?──支離滅裂なポストモダンの難解派?──右派のオピニオン誌?──左派のオピニオン誌?──苫米地英人の著作?
 けっきょくのところ、好きにやるしかないということだ。他人を追いかけてもしかたがない。わたしについて蝗のいっぴきが宣っていた、曰く「かれに深みを感じない。かれの書くものよりおれの作品のほうが読むのに必要な知識がある。かれはオタクな快楽主義でポストモダン的だ。おれにはかまわないが、つまらない」。蝗にはなまえはない。必要ないからだ。蝗がいったいどういった読書と来歴を経てきたのか、かれは極々まれに断片をつぶやくのみで、まったく見えない。わたしはかつて金庫破りのヤンが気ちがいピエロを避けたようにかれのことをずっと避けている。ひどい悪臭がするからだ。それもナルシズムの臭気がだ。かれはじぶんの知に溺れてる、あるいはじぶんの知を溺愛している。そして口さがない。かれの作品についておもうことはほとんどないといっていい。うまい暗喩を使って、かれは時代を体現したがっている、それだけのことだ。わるいのはかれの啓蒙的な言動で、現れては他人の無知を面罵して、じぶんこそと知者とふるまう。そしてじぶんこそ至上という態度で終始しているんだ。まったく見られたものじゃない。まるでソクラテスが批判したソフィストではないか。わたしは無知であり、これからも無知でありつづけるだろう。ひとに説教してまわるような、嘔いた唾をふたたび嘔くなんてことも、わたしはしたくない。かつていくらかやったかも知れないが。
 まあ、今度は日本詩人会にでも投稿したほうがいいじゃないかという気もする。どこもかしこもくだらない寄り合いだという事実を前提にしてものを見るなら、個人的営為に終わったほうがいいという気もする。いずれせよ、わたしには学ぶべきことが多すぎるほどあった。たぶん、わたしは病んでいるのだろう。すべてを手に入れたいとおもっている。興味をそそるものすべてをこの手のなかに収めたいと願ってもいる、ぞっとする欲望だ。最低のホラー・ショーはけっきょくわたしの自作自演によって上演されることだろう。けつに虫の涌いたばかどもが、きょうも痴れごとをやっている。そしてわたしは切れ痔だ。蝗のことはもういい、それは拒否された。願わくば最期の幕間にうつくしい娘と喃語を交わしたい。そして手を繋いだまま死にたい。だれかわたしを連れてってくれ、世界をめぐるダンスのために、あるいは世界の果ての動物園のために。
 むかいの養老院ではデイケアの手配車があいかわらず、やかましくアイドリングしている。そして職員たちは通勤して来る。駐車場にはいつもマットブラックでEクラスのメルセデスが停まっている。わたしの人生は幸福でまったくうそがない、という偽りをいうほどには魂しいにゆとりがある。きょうもB型作業所だ。午前8時58分。10時にはセンタープラザ西館へいく。たぶんまた商品画像の新規登録作業だろう。ドラッグストアの商品だ。わたしはおもう。少なくともわたしが読みたいものは作者の存在を感じられるものだと。有限をまるで無限のように魅せつける作家たちのことをおもう。かれらかの女らの挑戦のうえにわたしは歩くだけだ。まだ死ぬまでに待ち時間がある。そのあいだに酒でないものをやりつづけるしかない。太陽は元気いっぱい、たわごとにあふれた町を照らしている。わたしはけっきょく自身にうち勝つしかやりようはない。金の問題、酒の問題、理性のいたずら、考えはつきないがまずは目のまえを照らすことでなんとか、しっかり歩けるようになるはずだ。どんんなやっかいごとが待っているか、見てみようじゃないか?
 わたしはずっとあなたを待っていた。ゴドーを待つみたいに。それこそ永遠のような時間にやられ、深い悲しみや怒りにかられ、あるいはそれまで書いてきたものがそっくり消滅してしまっても。わたしは余計な作為なしにやりたい。素直に、たたそれだけだ。多くのものごとがあまりにも早く過ぎ去っていく。書く行為によってあなたはなにを得たのか、失ったのか。わたしはいくらか文章の技術を得た。そして人生を失った。あなたは愉しんで書くのか、苦しんで書くのか。かつてフィリップ・マーロウはいった、「苦労に才能の代理は務まらない」と。われわれは鏡を見ながら書くべきなんだろう、きっと。そうすれば滑稽なものを真剣に書く滑稽な人物が見えて来るはずだ。みずからを笑い、みずからをからかえ。それが才能だ。
 あなたから送られるいまだ存在しない手紙をわたしは毎晩読み耽る。それこそわたしの待っているものだからだ。わたしのなかでヘンリー・ミラーが微笑む。──《ともかくこれからともになにかが始まろうというのだ》と。陽はもう高い。朝餉にファルファッレと玉葱のトマトスープを喰い、わたしはでかける。もしわたしにできることがあるなら、どうか伝えて欲しい。じゃあ、また会おう。

 

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)