みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

小説を書くうえでの悩み(pt.2)

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6/24

 

 小説「犬を裁く日」。第一稿完成。まだ28枚しか書いていない。あと50枚はいる。これから風景と回想と独白を入れる。不条理小説としてイベントが足りないようにもおもう。あとバックストーリーをもとにしたものを入れる必要がある。たんに回想だけでなく本文にも読者の興味をそそるものがいる。展開も大雑把すぎる。細かい橋渡しが必要だ。あしたは眼鏡を買う、USBを買う。

 

6/29

 きょうも「文學界」新人賞のために書いている。伊丹十三「「大病人」日記」を読み、映画のストラクチャーを、三幕形式を、小説に流用するという企みは破綻してしまった。映画ならば、いくらでも雄弁な沈黙があって、状況を画面全体で魅せることができるが、小説にはそれができない。けっきょく枚数だって三幕では到底足りなくなる。あてにしていた種本、サマラキスの「きず」も数年ぶりに再読してみるとまったく用を足さない。ただきょう届いた藤原新也アメリカ日記」はすこぶる役に立ちそうだ。書き手の観察力が少ない行数で、鋭く書かれている。とりあえず通読してから考えたい。いまのところ、六幕構成+序章で60枚。応募にはあと10枚が必要。それでやっと最低枚数の70枚に届くというわけだ。苦しいものである。まずはあたりまえのことを、あたりまえに書く必要がある。

 

6/30

 最後の朝食、サラダチキンと卵とカット野菜、セロリ。あとはスープと燕麦しかない。サローヤン「パパ ユーア クレイジー」読了。大変愉しかった。図書館へ。小谷野敦の「芥川賞の偏差値」を読み、考えを変える。わたしは文学をやるべきではない、アンチ文学をやるべきなのだと。多くのひとびとが心地よいとするものを書いてはいけない。じぶんを愉しませるものを書くべきなのだ。またブコウスキー、ボーマン、ジョーンズを再読することだ。とにかく盗める引き出しを増やすことである。炊き出しはカレーとバナナと煎餅だった。帰ってスープをつくる。固形スープにセロリ、ピーマン、ホットソース、バジル、コリアンダー、パプリカ、オリーブ油、ドレッシング、燕麦、そしてクラッカーのかわりに煎餅を入れる。料理のセンスがあってつくづくよかったとおもう。わたしはかつて父のつくった、ぞっとするような野菜炒めをおもいだす。当然ながら勧められても断った。かれの愚かさったらないね。帰ってからずっと永山則夫の鑑定記録についてのルポを読んでいる。小説に手が届かんわい。
 来月、Tシャツのデザインをはじめる。クレジットを添えてだ。じぶんで着るため、あるいは配るため、ひとに送るため。これは伊丹十三の真似だ。

 

7/01

 未明、「永山則夫 封印された鑑定記録」読了。やはり死刑制度はまちがいであるとおもう。一旦眠った。時間は8時20分。もっと眠っていたいというのに最近はまったくだめだ。半分の状態で、本をひらく。速読の本、苫米地博士の英単語の本、「ピカソになりきった男」を読む。町田康「外道の潮騒」を再読しようとしたが断念。苫米地の「free経済学」はわたしには用がない。長篇、きのうおもいつた箇所を加筆する。これでほとんど完璧だ。「ピカソ──」を読んで絵が描きたくなる。でもいまは基礎ですらできそうにない。予定としては「ピカソ──」のあとにブコウスキーとグーディス、ボーマンを再読しながら、中篇の加筆について考えるつもりだ。夕暮れ、最後に残ったインスタントの味噌汁を啜り、飯はなくなった。あとは紅茶と緑茶と烏龍茶だけである。夜、「ピカソ──」読了。

 

7/02

 

 無駄な行動ばかりで残金1千円ちょっと。とりあえずガスと電気を払い、ネット屋へ。散文への反応を見る。大したことはない。ただ現代詩フォーラムのLisacoという女は愚鈍だ。為にする議論、目的化した議論、あるいは非難のための非難、いささかの合意形成も得ようとしないのであれば勝手にするがいい。消えちまえ。しかも岩城春雄を擁護している。わたしがどれだけ理不尽で執拗な攻撃を受けたことも知らないで、「死んでしまえ」といったわたしを非難する。なんの発展もない。議論の価値はない。ブンゴクではTというひとと、わずかに理解し合う。このぐらいでいい。絶賛もいらない、全否定もいらない、中庸がいい。食材を買って帰る。森先生より葉書。散文を好意的に書いてくれている。それに満足するのがいい。もう終わった。あたらしいメモ帖と安い万年筆を買う。アマゾンでジョーンズ「拳闘士の休息」を安く買う。ヤフオクで2千円のビンテージの革ベルトに入札。

 とにかく脳内にずっと雑草が生い茂っている状態だ。休めない。スイッチが入りっぱなしのまま、切れない。そわそわと考え、つぶやき、奇声を発する。いかれた虫のような生活がつづいている。わたしは不安だ。それに焦ってもいる。さらに孤立したなかで、自己完結した発想が、ひとりよがりのまま発露しようと背を伸ばし、殻をやぶりつづける。もう我慢ならない。あしたこそはカウンセリングを受けて、今後を考えること。少年時代の虐待による海馬の萎縮についていちど検査を受けたい。

 再度出かける。忘れたUSBを引き取る。ツタヤで返却。「ブラウン・バニー」はもう一回見たかった。ヴェンダースを借りようとおもったがやめた。あと千円しかない。崩してしまえばあっというまだ。それよりもあした、ひとりでわが誕生日を祝おう、呪おう。

 

7/03

   チアノーゼ色の菖蒲を剪りてわが誕生日なり 生るるは易し──塚本邦雄(「日本人霊歌」)

 

 ひさしぶりに8時間眠る。それでも物足りないくらい。為す術もなく34歳になった。中篇小説は一旦休み。短歌でもつくるか。朝、長篇にまたも手を入れる。旅役者の部分を加筆、終幕部から一行削除。これでやっと終わりか?

 現代詩フォーラム、おもった通り、Lisacoは感情的な議論の泥沼におれを引きずりこみたいらしい。論点すら整理されていない。だいたい《笑》なんか文末につけるやつがほんとうに笑っていた例しがない。青筋立ててヒステリーをあげるだけ、相手を非難するだけ。コメント欄は議論の場所ではない、非難の場でもない、やりとりをする場所でもない、スレッド掲示板でもない。だのに延々と捲し立てている。みっともないよなあ、憐れであるよなあ。なぜじぶんの意見を文章化しないのか。その能力がないからなのか。ブンゴクがおれに目配せをしているとさかんに主張しているが、そんなことはおれの知ったことじゃない。そんなことは運営と戦えばいいのであって、おれに拗ねたってしかたないだろう。まったくどこまでばかなのか。

 森忠明先生が仰っていたように《女を敵にまわすと生きていけない》というのは確かだ。だから今後、ああいった女が現れたら、平謝りをして済ますのが、いちばんだろう。すべてわっちがわるぅござんしたぁってなわけだ。なにが悲しくて、なにが愉しくて、絡むことしか能がない女の相手をしなければいけないんだ。おれはもうたくさんだ。閑人ではないし、ほかに考えること、やることがいっぱいなんだ。

 ひさしぶりにカウンセリング。いちど心理検査をするという辞をなんとかかんとか心理士から引き出す。次は17日17時。あしたは高校時代に好きだった子の誕生日。お元気ですか、キタムラさん。幸せでいて欲しい。

 映画はあきらめた。残った小銭で林檎黒酢とノンアルコール・ビールを買い、夕餉。鶏胸肉を蒸し、茹で卵とセロリ、大根サラダ、オリーブで一皿。夜風がいい。

 

7/04

 きょうは高校時代に好きだった子の誕生日。フリースクールから定時制へいったあの子。幸せになってて欲しい。

 CWはおれの「政治パンフレット」を笑っていた。ネット屋へ。ブログ記事の修正。現代詩フォーラム、Lisacoへ最后の返信(日記の一部より抜粋)。5chのスレッドにておれを非難する書き込みがひとつ。まったく手垢のついた非難、そして文末の《笑》。それで勝ったつもりか?──たしかにあんな場所にもう何年もかかわっているのは、病理といわれてもしかたないだろう。自己批判ができてないというのも確かだ。おれは詩そのものから手を引くしかない。さもなくば、とにかく当てずっぽうでも詩誌に送るべきだろう。特に「詩と思想」へだ。あそこなら認められることはむつかしくない。インターネット詩人どものなかで、じぶんを貶めてもしかたがない。だいたい詩人なんて人種は救いがたい。多くが不愉快かつ醜い。おれのそのひとりなのかとおもうとやりきれない。「文学極道」での7年のあいだ、できることはすべてやった。けれども有意義だったのはそのうち2年ぐらいだ。あとは腐れ縁でしかない。断ち切るしかない。いまは小説と短歌に打ち込むことだ。わざわざ、じぶんよりずっと稚拙な連中に合わせる必要はない。

 尼崎市役所へ。分籍届をだす。腐れ縁を断ち切るために。戸籍謄本を見る。おれは祖父母のなまえすら知らなかった。もちろん両親の出生地も。本籍地を現住所へ移した。親とも故郷である生野高原とも、もうオサラバだ。これでよし。帰りの電車のなかで買ったばかりの傘を忘れた。三宮に帰ってふたたびネット屋へ。藤原新也アメリカ」を買おうとおもうもやめる。bedheadのアルバムもやめる。サニーデイ・サービス「MUGEN」を再購入。ツタヤで4本の映画を借りる。「アメリカ、家族のいる風景」、「ランド・オブ・プラントリー」、「荒野のダッチワイフ」、「ロボコップ(リメイク版)」。オークションで落とした、ベルトの代金支払。丸山耳鼻科にいく時間がない。しかもあしたは木曜日と来た。急ぐわけではない。あとは食料。8時過ぎに帰って飯の支度。蒸鶏のサラダ、茹で卵、インスタント蜆汁。いつもより眠ったというのに、いつもよりも疲れ果て、眠い。23:14。さてみずからを慰めて眠ろう。

 

 

 

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