みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

母の日には生ベーコンを

 

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 いっておくが語ることは大してない。気分のままに書き散らして、《そこ》になにかあるように見せる、おれからのプレゼントだ。いまは金がない。だから気が立ってる。無駄遣いをしたのは、きのうのおれ自身だ。だから胸くそがわるい。というわけでこいつを書いてる。きみがどうしてるのか、もはやおれにはわからない。
 おれの「ユリイカ」への投稿はほとんど期待できない。「現代詩手帖」へ乗り換えようかと考えている。もしかしたら詩そのものがむいてないのかも知れない。いまはじめて吉増剛造を読んでる。「黄金詩篇」だ。先週末はひどかった。24日もつづいた禁酒をやぶってしまい、アルコール漬け、からだを壊してしまった。そしてきのうも妙なところで金を使ってしまった。飯はあまり喰えてない。なにか簡単なものをつくって腹に入れるべきなのに。筋トレも中断してる。こんなことではいけない。それなのにまともなことが、まったくまともにできない。長篇を「群像」に送るのはあきらめた。やはり「裏庭日記」は頁数が多すぎる。新しい作品をはじめから書くなら「文學界」のほうが頁数が少なくていいだろう。写真はあきらめるしかない。清里への準備は金がかかりすぎる。いまはまだ耐えるしかない。あたらしい小説におれは「夢の汚物」という仮題をつけた。自身の夢に裏切られる青年の話だ。あるいは郵便局員の話だ。
 音楽についていえば、なんの進展もない。このまえチューナーを買ったが、おかしなことに♭チューニングができないと来た。そんな代物があるとは露にもおもってなかったし、そんなものに金を払ってしまったじぶんが情けなくて仕方ない。いまのアコースティックギターは弦高を調節できない。手頃な値段でちゃんとしたギターを買いたい。秋頃にはなんとか、ライブへでるまでになりたいものだ。町のなか、ギターを背負った老若男女を見ると羨ましくなってしまう。しかし、いまはただ読書と小説だ。最近はスタージョンの「輝く断片」とスタークの「悪党パーカー/逃亡の顔」を読み終えた。前者はSF。おれにとっては、はじめてに等しいジャンル小説だ。新鮮な気分で読むことができた。いまはフリップ・K・ディック「トータル・リコール」とモルモット吉田の「映画評論・入門!」を手に取ってる。いっぽうエルロイの「クライム・ウェイヴ」は中断してしまってる。読んでない本は多い。しかもその情況で本棚が足りないんだ。ところがまだ携帯もネットも復旧してないから仕事もできない。あと4千円ちょいで通信料の未払いは終わる。電話はソフトバンクプリペイドを遣うしかないだろう。さすがに12万を返済するのにいまのままでは年月がかかってしまう。またしてもおれは倉庫係になるか、郵便局で夜勤の仕分けをやるか、どっちかでしかない。おれみたいな愚かな男でもできる仕事といえばそれぐらいだから。
 今月は小説の最后の校正。最低でも3人の人間に読んで批評や訂正箇所なんかを御教授給う予定だ。来週にはたぶん最新の製本が届くことだろう。それを森忠明先生に送ってかれを介して数人に読んでもらい、商業作品としての価値を高めたい。2月7日から書き始めてずいぶんと手間がかかった。自伝小説を書くのなら年譜をつくってからにしてから、というのが今回の教訓といったところか、出来事、時事、主要なおもいで、存在意義にかかわる重要な考えや科白、それらをもっと書くまえに決めてたら、何百回も訂正する必要はなかったろう。しかしおれのなかの作家はそれを我慢できなかったんだ。
 おれの文章のわるいところは饒舌過ぎるということだ。読み手になってみたとき、おれの文章は密度が濃すぎて息苦しい。もっと余白を活かした文体への変化が必要だ。すかすかで改行の多い文章もわるいが、おれみたいに喋りまくって息切れしてるのも質がわるい。そこでどうなるか。すべてを忘れ、ゼロからやり直せということだ。サリスが「ドライヴ」でやったような文体、またはシェパードが「モーテル・クロニクルズ」でやったような、カーヴァーが「ぼくが電話をかけている場所」でやったような──なんていえば切りがない。ほんとうに必要なことだけの文体、最小限のエネルギーによって綴られた文章。それこそがおれの望みだ。


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 余分な間投詞の多さ、余分な接続詞の多さ、現在形にするか、過去形にする、過去完了形にするか。──《人生とは感嘆符にするか、疑問符するか、ためらうことだ》とフェルナンド・ペソアは書いてた。文章と文体、または彫琢される人生を求めておれは走っていく。おれには沈黙が必要だ。書くためにはまず黙らなければならない。あたらしい小説を2頁ほど書いた。あまりに主観がうるさい、あまりにアクションがない、からだを動かすように場面を動かしたい。動きがあって人物は生きる、思考や感情はあくまでアクションあってのものだ。痛みがあってひとは動くのではない、動くから痛みがある。ふたたび、おなじ筋で書き直しかない。

 

 発送口の片隅にビニールのカーテンがかかってる。かつて透明だったビニールは、脂と煤にまみれ、そのなかで青年はベンチに坐ってる。うつむいたり、天井をみあげたりで、落ち着きがない。
   キネサキホフランが勝ったらしいね。配当も凄いって。──隣の男がいった。カナメは先週、おなじ馬で三千円スッたところだった。喫煙所で油を売ってると、ろくなことを考えない。やつはハズレ馬券でドールハウスをつくると宣う。
   生憎、あの馬とは相性があわないらしい。
  おまえはどの馬ともあわんよ。
   それよりも午后の配達遅れんなよ。
 カナメは舌を突きだして水死人みたいに戯けた。なにもおもうことはない。休憩が終わって、かれは次の区画へカブを走らせた。みじかく長い人生のなかでできることはそう多くはない。馬はなにもかもを追い抜いてしまうし、胴元を潤すほかできることはないといっていい。好きだった女たちはみなカナメをきらって逃げてったし、友だちもいない。あとに残るのはせいぜいのところ、三〇歳まで五年だ。これこそ猶予といっていい。でも、なにができるか。そうともなにもできやしない。かつてあったような夢はなにひとつ叶わない。新興住宅地を四時間かけてまわったあと、団地に二時間。ほんとうならもっと早くできるはずだ。毎日のように上司にせっつかれてる。まぬけめ、とみずからにいった。一時間半は遅れてる。慌てて局にもどって転送の処理や、書留の処理をした。たかが時給千円でまじめにやる気もない。ロッカー室で着替えをし、そとへでる。莨火を点して、駐輪場へむかった。春の夜の寒さが沁みる。かれは吸い終った両切りをフェンスのむこうへ投げ、エンジンをかけた。家まで二〇分だ。その途上、酒屋でスコッチを買い、罐詰をふたつくすねた。きょうはオイルサーディンとオリーブ。なにもおもうところはない。アパートに帰って酒をつくり、汚れたベッドに坐った。サイドテーブルには読まれないままの本がある。たとえばシオラン「時間への失墜」、ファンテ「太ったウエイトレスからの口づけ」やなんか。二月、いまの仕事に就き、翌月生活保護は切れた。それでも入る金は一万しかちがいはない。寝る、起きる、喰う、仕事、そして酒、眠る。とてもかつてみたいに本を読むことも、なにかを書くことも、ギターを弾くのだってできない。もっとましな職を探すべきだ。それでも帰って来ると、疲れと焦りでいっぱいになった頭が酒を求める。カナメは根っからのアル中だった。父の、その父みたいに酔うと暴れた。かつてじぶんがされたように父を撲り、母を罵った。いくつもの飯場と病院を転々としたのち、みずから町へでて役所にでむいた。それから二年、断酒会や集団療法に加わった。内心、こんなちんけなものと吐き棄てた。はじめて持ったじぶんの室、だれも訪れないところ。

 

 

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 さておれは昼餉を喰いにでていこう。スーパーで夕餉の食材を買い、図書館にいく。──じゃあな。

 

 

輝く断片 (奇想コレクション)

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クライム・ウェイヴ (文春文庫)

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