みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

贋アメリカ小説

 

   *

 

 「ニュー・カラーの写真家が好きです。旅の匂いがしてるんです」──社交辞令でわたしはいった。たしかに写真もそのジャンルも好きだ。でも、だれにもいいたくはなかった。あの老人のために自尊心を切って渡したようなものだった。「パラダイス・ギグ」での個展と演奏はあまりいいものじゃなかった。聴き手の求めるものがはっきりとしなかったのもある。しかしそれよりも病んでしまうのはかれらが、かの女らが、ずっとアクションを求めてるということだった。あいにくわたしはパフォーマーじゃない。電気椅子はどこにもなかった。踊るためのフロアに大版写真と楽器をひろげ、わたしたちは演奏したんだ。ひとをびっくりさせたいとか、悲鳴をあげさせたいとか、そんなものは手放した。
 いまは夜。会場の撤収はおわり。なにもすることがないなんてうそだ。歌詞を書き、コラムのアウトラインを仕上げる。もちろんこの小説もそうだ。物語は放擲された。でもひとびとは愛し合う、憎しみ合う、あるいは孤立する。長距離運転の滝田がハミングしてる。フィル・セルフェイのカセットにむかって。かれはドラムの国に棲んでる。無国籍だが血筋は正しい。正真正銘ブルテリア(人型)。
 「おれらのパラダイスはどこだ?」
 滝田はパブに行きたがってた。それでは金がかさむ。でもかれは我慢なんかしない。「おれらのパラダイスはどこだ?」。わるいがいわせてもらった。「よそ者にパラダイスはない!」。地上を雲が流れる。冬の地平をずっとおれたちは走る。わたしはこんなところまでやってきたというのに、日本での1夜が忘れられないでいた。詩人で写真家の友人が、ずっとカフェイン錠を呑んでいた。エナジードリンクとともに。それで死ぬんだっていって。でもかれにそんなことができるようにはおもえなかった。わたしが廊下にでると、かれの嘔吐が聞えた。旅の支度が迫っていた。ノートをいちまいちぎってペンを走らせた。もしかしたらかれにイメージを与えられるかも知れない。そうすれば死なずに済むだろう。
 《裏庭日記、もしくは孤独のわけまえ》──おもいついた、たったそれだけを書いてドアに挟んだ。滝田が待っていて、スティックをふっていた。そして笑う。
  徒足(むだあし)だったな。あいつは死なねえよ。
 たしかにそうかもしれない。でもわたしにできるのはあれだけだった。かれがなんとかして作品をつくってくれるのをただただおもいながら、アメリカの夜を走ってる。

 

   *

 

 深夜の給油のあいだじゅう、滝田はバッテリやらエンジンオイル、配管の具合まで、すべてを見た。あきらかに苛立っていたし、スピーカーの音響にも怒っていて、なんどもスイッチを押した。配線も見た。
  もういいだろう。店主が降りてる。
滝田はおかしな声で草を買いたいといった。
   おーおー、おれも落ちぶれたもんだな。
ないのかよ。
   いーやー、あの小屋にある。
いってくるよ。
   どっかで休んだらどうだ?
  もうじき休むことになるよ、いやでも。
 やつのブルージーンはとてもよかった。ヴィンテージものだろう。わたしの趣味ではないが。排煙を嗅ぎ、おれたちはパラダイスにむかう。滝田はほくほく顔で車に乗って、店主にチップをはずんだ。まあ、いいだろう。わたしにはどうだっていい。
 パラダイスなんていうものはないとわたしは滝田にいった。ちんけなバーでピンボールをやるだけだって。やつは聞かなかった。ハンドルを握って夜の果てまで走るだけ。けっきょくはふたりとも疲れ切ってタコマの安宿に停まった。モーテルの灯が悲しかった。そしてちかくの酒場で呑んだ。CCをジンジャーでわった。アイラ・オブ・ジュラをロックで呑んだ。女はいない。カウガールはどこにもいない。おまえのギターはな、と滝田が口を切った。油漬けにでもして3年寝かせろよ。──それからどうするんだ? おまえのタムでジャムをつくるのか?
   おい、中国人ども。
 店主がいった。──おれたちは中国人じゃない。
   いざこざを起すな。それからポットはてめえの室でやれ、ここじゃあ解禁されてねえんでな。
 わたしたちは黙ってそれぞれのを呑んだ。音楽はなし。地元の年寄りがあたりでわたしたちを眺めていた。どうってことはない。そろそろひけようとおもった。わたしだけでもいいから。ところがだ、滝田がひとりの男と撲り合いになって、そのままガラスごと外にだしてしまった。いったい、なにがジェーンに起こったのか?──しかたなくわたしが運転になった。滝田はジュラのボトルを持って来てた。なんていいやつなんだ。おまけにポットまである。わたしたちは立派な犯罪者だ。適当なクリークの近くに車を置き、歩いてモーテルに来た。特大サイズでビニールのポニーが迎えてくれた。それまでにわたしたちは10キロも歩いていた。若い女が降りてきた。薄茶色のみじかい髪に、昏い緑色の眼をしている。
   泊まりたいの?
  もちろんだ。
   草の匂いがしてる。
  ほんのお土産だよ。
   ありがとう、安くしておくね。
  ありがとう。──MISS──?
ロージー・フロスト。詩人とおなじ綴よ。
  詩を書くの?
   兄が、──もうやめちゃったけど。
わたしはさっきの事件が大事になるかどうか、札を切った。占いは得意じゃない。でもやらなきゃいけなかった。でもけっきょくわたしはジュラを呑み、ポットを吸った。なにもかもが大したことじゃなかってわかった。いいポット、いいフロスト。かの女のような娘と寝てみたかった。でもわたしはもうへろへろだ。滝田にまかせてさっさと寝ちまった。
 翌朝、滝田の姿はなかった。カウンターにメモがあってロージーとでかけるとあった。きょうの夜には「ホワッツ・メモリーズ」での催しがあるというのに。どうしろってんだ。待つしかなかった。窓から見える、さむざむしい土地を車が入ってきた。黒いシボレーだ。もしかするにもしかしたらだ。降りてきた男はおれをまともに見ず、いった。──ロージーが出てったみたいだな、勝手に。
  おれはなにも知らん。おれの相棒と一緒にどっかにいってしまったんだ。
   おまえ日本人だな、トヨタの工場はひどかった。
  おれもそう聞いてる。ひどいってな。
   おれはロージーの伯父だ。──この国は好きか?
わたしは答えなかった。好きな土地はある、ひとがいる。ただそれを説くには物事が急過ぎる。
  ロージーこそいったいなにものなんだ?
   かわいそうな娘だ。
 それ以上はいえないみたいだった。男は滝田の特徴をおれから訊きだし、さっさと村の寄り合いへ電話をかけた。そしていなくなった。それから1時間、2時間、3時間、4時間。冬の陽は暮れていく。わたしはそとへでてあたりを歩き回った。とまれ!──聞えたときにはもう頭をやられて冷たいところへ仆れてた。気がついたとき、民家の一室に閉じ込められていた。氷嚢がひとつ溶けかかって寝台にあった。殺す気はないらしい。どうしたものか、天井をみつめ、横になった。やがて扉がひらき、若くない女がケトルとグラスを運んできた。互いになにもいわないまま、受け取って白湯を呑んだ。女は椅子に坐った。階下からやがて男がきた。まだ若い男だ。
   おれのことを知ってるだろう?──いいや。
   ハンク、ロージーの兄だ。
  詩を書いてたんだって?──やめろ、死にたいのか!──きみはひとが殺せる気でいるだけだ。母親のまえでなにができるってんだ?──かれらはよく似ていた。──仲間はどこにいった?
  それはわからない。いつ帰ってくるかもだ。
  あした、おれたちはライブがあって、はやく現地にいかなくちゃいけない。あいつなしで舞台には立てない。
どうしていいか、わからない。
   ロージーはまえにおれのやったことで傷つけられたんだ。ひどいものだった。かの女にはなんの落ち度もないのにだ。それからかの女はこの町をでるといって、いろんな男をだましてきた。身体が無事なのが不思議なぐらいに。いっぽうでロージーを襲ったやつらは豚箱をでてからずっとロージーを逆恨みしてる。──手を貸して欲しい。
 おれをじっとみるハンクはまちがったやつには見えなかった。ただ向こう見ずで、落ち着きがなかった。突っ込むのはあぶない。そうはいっても滝田のこともある。おれは訊いた。きみはいったいなにをしたんだ?──2年まえ、村の顔役といっていい男に車を奪われたんだ。一味の棲む家に忍び込んで探した。下っ端をひとり撲った。そのときやつの女が入ってきて、おれはかの女とわるくない仲になった。そしてふたりで帰って来たんだ。──小さな物語だ。車の憾み、顔役の沽券、そして女。
  でも、そいつがほんとうなら、いくべきところはやはり司法ではないか。  
   こんな田舎でなんになるっていうんだ?
 どこにだってもんな揉めごとはある。それはわかる。しかしいまは、まだ滝田がやられたわけでもないとわたしはおもい、車のナンバーを書いてハンクへ渡した。麦藁色の壁に遊覧船を描いた油絵がある。そいつをみつめ、しばらくして立ちあがった。
   ここははじめてか?
  ああ、この国で、どさまわりもはじめてだ。ハンクが笑った。気づけば夕餉のときだ。豆料理と子鹿のステーキがでた。どっちもうまかった。熱い珈琲で流し込み、ひと息つく。そのときだった。戸外を車がスピードをあげてむかってきた。わたしとハンクは物陰からそとを諜った。そこには古く、緑色のダッジがあった。まちがいなかった。けれども乗っていたのはロージーひとりだった。
  滝田はどうしたんだ?
   かれね、吸ってるうちにどっかにいったのよ。
  どっかに?
   わたしもやってたからわかんないわ。
 「そのうち、どっかで見つかるさ」とハンクがいった。わたしにはそうはおもえなかった。いまさら大麻ごときでおかしくなるやつじゃない。どこでやるか、どこでやらないかの区別くらいはちゃんとついてるやつなんだ。
  どこまでいった?
   湖のほうまで。
  案内してくれ。──おれたちは湖へ走った。片道2時間もかかる。なんでそんなところへいったのが、どちらがいいだしたのか。ロージーはなにも憶えてないといい切った。わたしがたどり着いたとき、地面に血のあとをみつけた。追ってはみたが、あっけなく消えた。連れ去られたんだ。冷たいかぜが湖水をゆらし、わたしの胸に入り込む。ロージーとハンクは冷静だった。「このあたりには熊がいる」。だがそれと地面の血痕は噛み合わない。ひとの手が必要になる。車だってもう1台いるだろう。だがおかしなことにタイヤ痕はダッジのそれしかない。じゃあ、ロージーが?──どうして?
   いいかげんにしてくれないか?
 ハンクが痺れを切らした。わたしはあきらめて宿に帰った。夜、たったひとりで「ホワッツ・メモリーズ」にいった。3時間もかかった。ひとりでギターを弾き、ドローイングをやった。客は不在の男について訊いた。消えたなんていえない。病気だといってごまかした。終わって3時間、わたしはふたたび村へ帰った。ロージーは、ロビーのカウチに坐ってポットをやってる。わたしに気づき、笑った。わたしはなにもいわずに宿泊料を払い、じぶんの室へと階をあがっていった。夜の淵に立って、テレビをつける。ニュースに合わせ、なにも考えずに見てた。だれかがドアをノックする。掃除夫だった。わたしはチップをやって鍵を締めた。しばらくだれとも会いたくはない。翌朝、朝食を喰いにでかけた。ちいさな軽食屋をみつけて入った。ひと気がない。でもおれはテーブルについた。
   おまえさんは客なのか?
 老年の黒人がキッチンの裏から現れた。
   テーブルにいるから客なんだろうな、棍棒も持ってないし。
 かれには片耳がなかった。刃物でそっくりやられたみたいで、かろうじて耳たぶの切れっ端みたいなのがついてるだけだ。わたしの脳裏に浮かんだものは、かつて見た写真だった。私刑に遭い、吊るされた黒人たちの。女も子供もなく、血にまみれ、生きたまま焼かれ。
  サンドイッチとコーヒーを。
   おまえさんは旅行者らしいな。どこに泊まってる?
  ロージー・フロストのモーテルですよ。
 かれは動作のいっさいをとめて、わたしを見た。そしてカウンターに肘をつき、冷たい眼で戒めた。──やめろ、あそこからでるんだ、そうでないとおまえさんの生死はわからんぞ。

 

   *

 

 湖水を陽が照らす。わたしはもういちどこの村に来た。生きてるのか、死んでるのかもわからない男のためにできることがあるのか。もういちど確かめに来た。まずはフロスト伯父に会った。かれは猟銃会の古顔で、銃砲店をやっていた。客が来るような気配はない。わたしはそれとなくかれの生業を確かめた。ビル・フロストは予備保安官であり、金の多くはそこからだった。ロージーの事件のとき、やくざもののひとりを見つけだし、しばりあげたのもかれだという。ロージーはいまどんな暮らしをしてるのか、仕事は宿だけなのか、危なくはないのか。それらの問いにすべて答えなかった。つぎはハンクに当たることにして連絡先を訊く。
   おれたちを疑っているのか?
   警官の仕事を奪わないでくれよな?
 たしかにわたしのやれることではなかった。届けはもうだしてしまっている。しかし、7日が経っていた。わたしは車をだしてハンクの家にむかった。村の図書館で働いてるということだ。昼だというのにやけに暗いところだ。廊下のカウチには死体のような老人どもが脚を伸ばして眠っていた。どうやらここも村の寄り合いでしかないようだ。ハンクが台車を押して歩くのが見えた。
  ブローティガンはあるか?
   生憎、ビートやそのへんはおいてないんだ。
それは残念。
   ふるい公衆道徳が赦さないんだ。──ぼくの室にならあるが。
  いや、いいんだ。
 ところで、とわたしはいった。あんたの伯父さんは保安官、ロージーについては黙秘している。滝田についちゃどうかわからないが、組織との癒着だって考えられる。あんたがたがロージーを守るために生贄を捧げたってね。──ふざけるんじゃない!──ハンクは台車を放りだしてわたしに掴みかかった。逆恨みもいい加減にしろといわれた。そうかも知れない。図書館を追われ、わたしは酒場にいった。冷えたビールと、スコッチがあればいい。小さな村だ。店主はわたしを知っていた。
   あんたか、仲間が消えたってのは。
  だれに聞いた?
   もちろんビルだ。
  おれが知りたいのはロージーの素性だ。
   よそものが訊いていいことじゃない。
  ビル伯父もそういったよ。だがそんなやり口じゃ、まるで隠しごとあるって宣伝してるようなもんだ。
   なあ、よそもの。おれたちの流儀をわかってくれ。みんなどっかに傷はある。それに女の子だ。赦してやっていいだろう。
責めるつもりはない。ただなにがあったのかを知りたい。
   勝手にしな、
   黄色いの。
 ラフロイグに口をつけ、ビールで舌を冷やした。どうしてこんなところにやってきたのか。道を撰んだのは滝田だった。だけどかれ自身が消えた。店にいるのはわたしだけだった。そろそろもどろうと立ちあがったとき、男が入ってきた。ひとりだ。若い。保安官助手らしかった。青い制服で、顎をしゃくった。「来てもらいたいんだ」。わたしたちはおもてへでてかれの車に乗った。エンジンは切ったまま。
   ここで消えてくれればなにもいわない。
  そうでなければ逮捕か?
   そうはいってない、国外退去ってとこだろう。
  わるいが友人を探してるんだ。
   もう死んでるかも知れない。血痕に大麻、そしてロージーだ。もしかしたら組織に連れられて熊の餌だ。ろくな死体さえ残らない。  わたしは、いずれこの国を発つ。──できることはぜんぶやらなくちゃ気が済まない。──組織はどこにある?
   狂ったか?
 かれは黙ってわたしの眼をみつめた。そして少しだけ口をゆがめ、歯を見せた。笑ったつもりのようだった。さて、わたしのほうも笑わなくてはいけなかった。歯をみせてやった。
   いいだろう、遠くから拝むだけだ。
 村の中心地から幾分南東へそれたあたりにちっぽけなモーテルが、売春宿があった。おそらく裏賭博に遣われてるだろう小屋もあった。色褪せた看板たち。そのなかに大きな映画館があった。そこがやつらの巣だった。
 '81年に「血に飢えた断末魔」を上映してから、あいつらはここを根城に生きてるらしい。女を喰ったり、土地を転がしたり、違法労働者の派遣もそうだ。そして役人とはいい仲らしかった。
  ロージーはここで襲われたのか?
   そうだ。──でもじぶんからだった。
   兄を助けるだめだった。
 ふたりともことばを失くし、ただ坐ってた。無線のノイズのなかで田舎らしい事件の報せが聞えた。かっぱらい、飲酒運転、夫婦同士のいさかい、子供同士のいさかい、役人の失踪やなんか。やがてかれが車をだした。黙ったまま市街へ。あたらしい建築たち。そのひとつを指した。泊まるならあそこがいいだろう。──ばかな気は起こすなよ。あと一週間、猶予をやる。わたしは黙ったままホテルに入った。荷物を渡し、掃除夫にチップを与え、室にあがった。角部屋で大きな張り出し窓がある。ポーターにもチップをはずんだ。そして食事について考えてたとき、電話がなった。ハンクからだ。保安官助手から聞いたという。この町でうろつかないでくれといった。疲れきった声だった。わたしは喰い下がった。──あの映画館でなにがあったんだ?──電話は切れてしまった。
 わたしは町をうろついた。その果てのバーへいった。まるで街区から隔離されたようになにもところにひっそりとあった。店に入ってすぐわたしは少したじろいだ。どこを見ても黒人しかいない。かれら専用のバーだった。しかしいまさらそとへでて長い道を歩く気にもなれず、カウンターに着いた。異物を視るかれらの眼。わたしはビールを頼んだ。つよい酒に頼っていいものか、まだわからないからだ。バーテンは、おれは気にしないという態度でビールをだした。そういえばこの町で黒人を見たのは、あの軽食屋以来だった。おれが2本めに入ったとき、若い男が声をかけて来た。
   どっから来たんだ?
  日本だ──旅烏って身の上さ。
   なにをしてる?──絵を描いたり、ギターを弾いたりしてるよ。──おれが聞いてる話とはちがうな、そういってかれは凄んだ。
 「あんたはロージーのところから来たんだろ?──もちろん問題があって」──だれから聞いたんだ?──削げ耳のギルからだ、このまえいったろ、あそこの軽食屋に。──きみらの情報網は凄いな。──話を逸らすんじゃねえ、あんたのためにいってるんだぜ、消えた仲間なんか忘れちまえ、さっさと帰りな。──わたしは黙ってうなずいた。酒代をおいて、立ち上がった。若い男も立ち上がった。わたしの耳に囁く。──もしも、あんたが組織を狙ってるんなら手を貸すぜ、どうだい?──生憎、そんなつもりはないよ。わたしにはとてもできないさ。──早く帰れよ。──その声を背で受け、ホテルまでの道程を辿った。いったい、ここはどこなんだ?

 

   *

 

 ロージーが入ってきたとき、わたしは滝田の写真を見ていた。ロージーはわたしのそばでなにもいわず、寄り添って窓に靠れた。わたしはかの女からのことばを待ち、滝田とのことを考えた。やつがはじめてわたしの個展にやってきてドローイングを見たこと、わたしがやつのライブにいったこと、ふたりで音楽をはじめたこと。「おまえもおれも自由の代償を払ってるんだ」というやつのことば。
   兄から聞いたわ、あなたは最低よ。
  その通りだ。
   わたしのからだを見る?──傷口に触ってみる?
  そんなことじゃないんだ。ハンクの話しをしてくれ。
   兄のなにを?
  かれはずっとこの村にいたのか?
 「司書になるまえは州立大にいたわ。詩を書いてたのよ。大学の詩人会にも入ってた。有望な詩人だった。でも郷土史を書こうと記事を調べてたとき、祖父と組織のつながりを知ったわ。ずいぶん落ち込んでた。それでも書こうとしてた。夏休みに帰ってきたとき、詩人会から告発状が届いた。──供託金をかれが盗んだとあった。でもアリバイがあった。それを証明しようとしたとき、電話があった」。
  どんな電話だ?
   もうやめましよう、こんな話し。
   淋しいのならわたしがいる、どんなことでもしてあげる。
 いったいどんな──もうロージーにはなにも見えてなかった。ヘロインでもやったのか、眠たそうな眼でわたしを捉え、押し倒した。寝台のスプリングが鳴り、12匹の菟のみたいにうごきだした。わたしにはどうすることもできない。ロージーはまともな女じゃない。きっとだれかに薬と命令を受けてる。そのからだは真っ白で、冷たかった。わたしはかの女のからだを引き剥がし、カウチに運んだ。
  おれは淋しくなんかないよ。ハンクについて訊いてるんだ。
   いったいなにさまのつもり?
   そんなに知りたきゃ本人に聞けばいいことよ。
  いいや、かれは話さないだろう?
   わたしを連れだしてくれる?
  ぜんぶがわかったら。
   ならいいわ。──電話があったの。きみの記事を買い取るって。それでハンクは待ってた男に記事と資料を渡したの。
   詩人会は金のことをまちがいだと謝った。だけど、そのあと高級車がハンクへ贈られて来た。ハンクは返しにいった。
  あの映画館へか?
   そうよ。
 階下から足音が聞える。窓の下には銀色のルノーがあった。おかしなことにならないうちに、わたしはすべてを聞きだすつもりでいた。だが遅かった。ロージーの握った拳銃がこちらをむいている。小ぶりな自動式だ。らりってるぶん余計にあぶなかった。ちくしょう。
  わたしを殺すのか?
   いいえ、愉しんでもらうの。
   日本人ってけっこうおもしろいんだから!
わたしがかの女の手をとったとき、男がふたり入ってきた。ひとりはメキシコ人、もうひとりはレッドネックと呼ばれる貧乏白人だった。チェックのシャツにデニム、そしてブーツ。レッドネックが口火を切った。──ロージー、おまえは喋りすぎだ。ふたりとも映画を観る必要がありそうだな?──わたしたちはルノーに乗せられ、映画館へきた。上映作品のリクエストまではできないみたいだ。入り口ではビル伯父が待ち構えてた。──いったいどういうつもりなんだ?
 貧乏白人にわたしはいった。やつは答えず、車を駐車場へまわすと、降りてドアをあけた。ふたりとも降りろ。──わたしはビルを見た。ライフル銃を持ち、かたくなな面持ちで立ってる。衛兵みたいだった。わたしたちはなかへ通された。座席を越え、舞台にあがる。スクリーンの裏手に事務所があった。あるいは拷問部屋かも知れない。
   教えてやろう、ここだけの話だ。
 レッドネックが喋りだした。首にナイフの痕がある。──あのとき、ハンクはここへ車を返しに来た。社長からすれば当然面子をつぶされたってところだ。ものを察した三下がハンクを吊るし上げようとした。とちりやがった。反対に腕を折られた。ハンクは恐怖からか、ほかのやつらにも立ちむかった。そのとき社長の女が入ってきた。見物のつもりだったらしい。だが撲られたやろうに巻き込まれ、舞台から落ちたんだ。頭を打ち、重度の癲癇と診断された。ものや金で済む話じゃなくなった。社長はビルに電話をした。いい提案を期待してだ。そのやりとりをたまたま聞いてたロージーはたったひとりでここに来たんだ。かの女は薬を仕込まれて7日間、ここで過ごした。解放されたときには毀れてしまってたよ。薬と男なしじゃあ、生きられない娘になってた。
  ロージーがくすくすと笑った。そこにいる全員を嘲るみたいに嗤ってた。

 

   *

 

 滝田への線はどっかにいっちまった。やつはロージーと寝たのか。ホテルにもどってロージーに訊いた。──ええ、もちろん。大人なふりして初なひとだった。あなたのほうはどうなの?──おれのことはかまわないでくれ。わたしは苛立ってた。ロージーを救えないこの村の大馬鹿どもや、映画館のやくざたち、そして兄だというのに妹を守れなかったハンク、甥や姪をほったらかしに組織とつながるビルにもだ。怒りではちきれそうなわたしを眺めてロージーは子供をあやす母のように髪を撫でてくれた。わたしたちは窓にもたれて泣いる。雨がふってる。北のなかの北へわたしはむかいたかった。──あなたの話しを聴かせて? わたしは、──おれは話した。
 冷え切った家庭に育った。父と母は半目しあって、とてもじゃないが愛も情もなかった。日本の経済がわるくなっていくなかで、大人も子供も不満を募らせてった。あたまのわるい、勉強もスポーツもできないおれは道化を演じることでなんとか逃げてた。それでもわるいやつらが寄ってたかって家庭や学校の憂さをおれの存在で晴らそうとした。だれにも助けてもえなかった。父はいった、おまえができそこないだからと。そして折檻した。母はいった、がまんなさいと。おれの家は貧しかった。ほかの子のようにいい服も着られず、ビデオゲームもなく、ただハンマーや手斧だけがあった。おれは絵を描きつづけた。どんなにばかにされてもやめなかった。
 やがておれは恋をした。12歳だった。かの女へのおもいをたったひとりの友達にいった。かれはおれを裏切ってかの女に告げ口したよ。それからはさらなる地獄がつづいた。生きながら焼かれるように学校へいった。いくしかなかった。かの女の眼はかつてのようにやさしくはなかった。おぞましい容姿、だれもがおれから立ち去り、おれの存在から色を失わせた。大人になっておれは母を苛み、父を撲った。かつてされたことにあらゆるかたちで仕返しを遂げた。けっきょくだれも愛してくれない。それでも滝田だけはおれの相棒だった。やつのいない世界で暮らしてゆく自信なんかない。
 ロージーが寝台へ導いてくれた。おれは、わたしはかの女の胸のなかではじめて愛に気づいた。そしてかの女をまっとうなといころへ連れていくんだと誓いをした。わたしはもうだれにも負けない。負けてはならないんだ。──ロージー、この町をでよう。

 

   *

 

 目醒めるとレッドネックが立っていた。もうひとり知らない白人も。金というより銅色の髪をして、明るいテーラード・ジャケットだ。かれらに連れられて映画館のなかで話があった。かれらはそれぞれちがった電話で、ロージーに薬を売ってるYことイェーガーに連絡をとった。毀れた映写機からとつぜん、映画が流れた。「ポイント・ブランク」だ。ウォーカーが撃たれ、物語りが始まるところだ。知らない男が入ってきて、スーツケースをあけた。一見して紳士風のその男は細身のからだをねじるようにして椅子に坐った。
   元締めは、わたしだ。fiveと呼ばれている。
 「fiveはいい医者だよ」とYがいった。黒い髪をうしろになでつけてる。ボクサーくずれといった感じ。──fiveがいった。「わたしは組織が欲しい。わたしの命令で殺しをやれば硬いだろう。この田舎だ。掃除はたやすいもんだ、日本人。──ひとひとり最高300までだ」。
 おれはロージーを助けたいだけだ。
 殺しはしたくない。
   そうはいかない、きみはもう立派な内通者だ。──話は決まったね、Y。──もちろんだ、five。──わたしの手に回転式と、自動式とが握られた。わたしには殺すつもりはなかった。だが、あきらかにあやしいのはYであって、ほかじゃない。ロージーの薬はと、わたしはいった。──見せ金は?──ロージーの薬は?
   ばかをいうなよ。
   わたしはまっとうな医者なんだ。
   アンプルだってきれいなものさ。
 おれはなにもいえず、かれの指示を聞いた。この映画館に関わる人間を消していった。ひとりひとりと。どいつもこいつもなぬけだった。平気なつらで地下鉄にいたり、競馬場で両足を伸ばしたり、死体になるか、Yの餌食になるかは、ほんとうにかれらの自由だった。このあたらしい生活にロージーは馴染んだ。じぶんのきらいなやつがぜんぶ殺されるって昂ぶった。たしかに1週間もすれば、らりらりのロージーを知る、淫売野郎がいっきに消えた。おれは報酬を片手にロージーを抱いた。眠りそうになった。Yに狙われてる気がしてカウチから落ち、ラジオをつけた。モダン・ジャズ専門局で不安を掻き消した。おれはかれを殺さないといけないのか。
 眼がさめるとからだがうごかなかった。ロージーが笑ってる。わたしに薬をやらせたらしい。床に縛りつけたれたみたいだ。わたしはカフカの虫を連想した。ロージーが林檎をもってる。やめるんだ! やめろ!──声がでないのに叫ぼうとした。ロージーは仲間になって欲しいみたいだ。わたしのからだにぴったりとからだをくっつけて、酩酊のなかで一緒になった。気分がよくなってきた。10時間も経って薬は切れ始めた。シャワーを浴び、炭酸水をあけた。ロージーが口づけをし、わたしはわるい気分じゃなかった。電話だ。次の仕事がやって来た。
   ビルを殺れ。
 わたしは戸惑った。ロージーに話をした。──ええ、ビル伯父さんを殺してよ。──なにがあったんだ。──あいつらと一緒にわたしを嬲りものにした。──確かなのか?──わたしを疑るの?──おれにはわからない。──Yが手はずを整えるはずだった。しかし映画館へいったとき、そのビルしかいなかった。
   きみはまだいるのかね?
  Yがあなたを殺せといってます。
   きみは正気とはいえないな。薬で洗脳されてるんだ。わたしはだれの敵でもない。ただの予備役で、銃砲店の主だ。──そういったせつな、かれはわたしの首に両の手を突っ込んで来た。首をロックして、扉へ叩き込んだ。どうすることもできない。わたしははかれの足を蹴ってあいだをつくる。そして空砲を撃った。
   きみがおれを殺す理由は?
  Yしかそれを知らない。
   なぜだ?
 わたしはきっと連続する殺人であたまがおかしくなってるんだ。Yを呼ぶべく電話をとった。──いったいどういうつもりあがって、ビルを殺さなきゃならない。やつはロージーを監視してる。この町からでられないようにだ。
  あなたがやったらどうだ?
   そんなにその老いぼいれが大事か?
  そうじゃない。おれの目的とはちがうんだ。
   目的なんか必要ではない。──待ってろ、おれが殺してやる。
おれはビルにいった。逃げるならいまのうちだと。おれは保安官だ。やつらには負けん。だがおれがやったことは赦されないだろう。ロージーに眼をつけたのはおれだ。かの女に電話してハンクが危険だといったのもおれだ。いまさら逃げてどうなるんだ。──ビルは映画館へ失せた。わたしはホテルに帰った。ロージーは、グラスをやりながらわたしを待ってた。わたしもグラスをやり、ふたりで一緒になってしまった。これでいい。これでいいんだとじぶんにいった。いまごろビルは処刑されてるだろう。知ったことじゃない。でもおれは殺人には飽き飽きだった。ロージーを連れだして逃げたい。でも村はやつらでいっぱいだ。five、Y、もしかして全員殺さねばならないのか。またも電話があった。なまえの知らない声のあと、また知らない声がした。
   きみが殺し屋の日本人か?
  ああ、そうだろうな。
   きょうはビルが死んだ。
  あれはおれじゃない。Yとfiveが殺った。
   連中が?──どうして?
  かれらに聞いてやってくれ。
 日本人、かれらを殺す気はあるか?──でないとこの映画館がもたない。のっとられる。
  fiveはそのつもりだ。──とりあえず主要人物をぜんぶ映画館にあつめてくれ。──一度話しをしよう。おれはホテルの地階に降りてビールを買いにいった。帰ってきてエレベータを待っているときだ。だれかがちかよってきた。ロビーの年老いた黒人だった。わたしの肩に片手を乗せ、苦い笑みをみせた。またか、とわたしはおもい、身を躱す心づもりをした。かれはいった。
 「あんたがどういうつもりかは知らない、知りたくもない」──あいつらは、──組織といえばいいのか、──もとはといえばおれたちを私刑し、奪いとってきたやつらだ。その果てが組織だ。役人やら警官を抱き込んでる。──あの映画館だってもとは、おれのダチ公がやってたんだ。──いいかい、日本人。おまえが組織につくんなら、碌な死に方はしないだろう。やつらを潰したいなら、いつでも相談してくれ──じゃあ、愉しい旅をせいぜいやっておくれ。
 一方的に喋って出ていった。かれの顔の片面には、ふるい火傷の痕があった。いったい、どうすればいい。助けを乞うのはたやすい。でも、それがだめだったら。失敗に終わったら。ロージーもわたしも生きてはないだろう。黒人たちだって無事では済まない。おれはエレベータに乗り、そいつが成層圏に達するまで待つ。生憎、最上階は8階だった。なにも考えたくはない。ビールをあけ、ひとり呑んだ。


   *

 

 映画館に着いた。声の主を求めてわたしは扉を叩いた。はじめにレッドネックがでた。わたしを招き入れて舞台まで歩く。スクリーンのまえにはY、裏にはfiveと、見たことのない顔があった。かれが社長ことスコフスキイだった。緑色の眼でわたしを見る。太りかけたからだをスーツで匿い、銀縁の眼鏡が光ってみえた。楽に話しを進めようとかれはいった。登場人物全員が焦ってた。出し抜かれまいとゲームを始める。ナイト、クイーン、ポーン、あるいは桂馬。机のしたで足を蹴り合う子供みたいに、意地のわるさが際立ってる。わたしはだれを殺すのか、だれから殺すのか、だれがいちばんロージーを苦しめたかを算段に入れた。そいつはスコフスキイと、ハンクだ。
   狙いはなんだ、現ナマか?
  そうだ、──でも贅沢はいわない。
 Yとfiveはわたしを睨みつけ、牽制する。社長はレッドネックを呼び、金を持ってくるようにいった。指3本を突きだした。わたしはナイフの柄をポケットのなかで握った。やがて現金が来て、社長が受け取った。素早く勘定を済ませ、わたしのほうに差しだす。立ちあがってテーブルを見下ろした。不意にうしろからレッドネックがわたしを撲り倒し、長いあいだ眠った。ひさしぶりに眠ったような気がする。夢のなかでテープレコーダーがまわってる。録音室らしい。でも歌手も技師もない。わたしはだれかのために青い馬を育ててる。首のみじかい、おかしな馬だ。やがてレコーダーがとまって、スピーカーから滝田の声がした。わたしはかれに助けを求めた。
 テーブルのうえにわたしがいた。からだを縛られ、どうしようもない。足も手も首もだめだ。社長がわたしを見下ろしてた。自由になりたいか?──自由には金がかかるんだよ。きみは少しばかりついていた。でも、まちがった道を歩いてたんだ。──わたしは黙って天井を見た。蜥蜴のマリアッチが描かれてる天井をだ。なぜこんなところにいる? ツアーはどうした? 音楽はどうしたんだ?
   きみがYやfiveを殺るのなら放してやろう。
   わたしに忠誠を誓うんだ。
 選択の余地はない。けっきょくわたしは1週間でふたりを殺すことになった。わたしはあたらしい銃とナイフを授かった。黒人には気をつけろともいわれた。わけは訊けなかった。それから町へでて、あたらしい宿に就いた。ラジオに耳を凝らした。Cursiveの"What I have done" が流れている。懐かしい歌だ。ひとりぼっちでアルバムを聴いていたときをおもいだす。
 おれがYを殺ったのは火曜日の雨の日だった。午後6時、ダンスクラブのマスターとして働きにいくかれを尾行した。車はスコフスキイが手配した、ラッピング・トラック。炭酸ジュースの広告がでかでかと載ってる。やつが駐車場に車を停めた。車を降りた。店へ入る。姿は消える。わたしはトラックをやつの車のまえに停めた。でられないように。ラジオに耳を傾け、口笛を吹く。そしておれも姿を消す。夜になって霜が降りてきた。やつが駐車場にもどるまで、手前のレストラン・バーで食事をとった。ありきたりのステーキに、つけあわせの野菜と赤インゲン豆、そしてコーヒーを味わい、窓の隅から様子を伺った。やつは駐車場で慌ててた。携帯電話でどっかにかけている。おそらくそこの管理人だ。わたしはバーをでる。ポケットのナイフに祷った。やつを殺させてくれ。お願いだ。ロージーのためだ。
  どうかしましたか?
   車がだせないんだ。
 Yの顔が一瞬、静止した。声もない。
   なにしに来たんだ?
  車を取りに来たんですよ。
 ナイフでやつの腿を刺した。下から突きあげるようにして。感触はない。倒れかかったやつを蹴りあげ、脇腹から腰を抉った。やつは膝を折って崩れ落ち、頭を打って仰向けになった。雨が血を洗い、やつのからだから体温を奪っていった。死はもうじきだ。わたしはトラックに乗って走り去った。そのあいだずっとハミングしてた。ラジオから流れる、Joy Divisionに。《But I remember when we were young》──わたしはまた宿を変え、考えた。愛についてどれほど勇敢であっても、感情にふりまわされる愚かものであってはいけない。つぎはfive医師だ。かれをどうするか。おれはなぜこんな諍いにこだわり、ひとまで殺すのか。殺せるのか。ずっと心のなかにあった復讐心かも知れない。父への、母への、同級生たちへの。
 医者は隣の村に棲んでた。金曜の夜。寒さはずっとひどい。白亜の城と昔ならいわれただろう家は、くすんだ黄色や灰色になり、植え込みの花は枯れてた。荒んだ生活が見えた。しかし車は真新しいアウディだった。道へ油を撒く。車の動線にたっぷりと注いだ。朝、車はおもいどおりに滑って、路肩に突っ込んだ。わたしはやつを助けるふりをしてドアをあけた。エア・バッグが作動し、やつは気を喪ってる。わたしはやつを混紡で叩き殺した。返り血が顔や服を濡らした。いい気分じゃない。わたしはじぶんの車に乗った。またしてもラッピング・トラック。顔を洗い、服を着替え、タオルと一緒に荷台に隠した。もちろんのこと、警察だって黙っちゃなかった。いくら内通者がいようが死人が多すぎる。それにおれは失った仲間を待つひとりのよそものだ。叩けば埃がでる。おれはロージーのところへいった。あとひとり、スコフスキイさえ殺してしまえば終わりのはずだ。そう信じてかの女を抱いた。電話がかかってきた。ハンクからだ。
   この豚殺しめ!
  いきなりなどうしたんだ?
   おれは失せろといったはずだ。
   なぜまたおれの妹に手をだすんだ?  
  かの女を傷つけたひとりはおまえなんだぞ。
  いったいどの口がいってるんだ?
 わたしは怒って電話を切った。
  ここからでよう、ロージー。
   だめよ、わたしは。もうなにもできやしないって。
 長いあいだ、窓を眺めた。どこにも警官の姿はない。だが確かにリストには入ってるだろう。やがて夜になって、ロージーは眠った。アルコールと睡眠薬をまぜてた。とめようとしたときには、もう口のなかだった。わたしはかの女を寝台まで運び、寝かしつけた。坐ってかの女を眺めた。おれはどうしても、かの女から離れたくなかった。ハンクの白いピックアップがモーテルの裏手に駐まり、かれが降りて来た。まっすぐこちらにむかって来る。そして寝台のロージーを見、わたしを見た。
 「組織のやつらを怒らせたみたいだな」──ああ、そうらしい。──おまえは何人、殺すつもりなんだ?──わからない、ただかの女を救えればいい。──おまえなんかに救えるはずがないさ。──薬はあんたが渡してるみたいだな?──長い沈黙がずっとつづき、やがてハンクは階下へ降りていった。そしてそのまま朝までどっかに消えた。光り。

 

   *

 

 金曜日の夜。わたしは保安官助手に連れられて警察署に来た。滝田らしき死体があがったらしい。射殺体だった。凍てついた湖岸に守られ、きれいなものだった。まちがいなく滝田だった。わたしはしばらく黙って立ってた。さまざまな手続きが待ってた。でも動けなかった。しかたなく一晩だけ、待ってもらった。わたしはいったいなんのためにたくさんの血を流してきたのか。そいつは虚無以外のないものでもないようだ。ロージーと一緒に酒を呑んだ。安いバーボンだ。工業水の味がした。多くの死者、それもじぶんが殺ったやつらの死に様が、わたしの眼を覆い隠した。滝田を殺ったのはロージーだ。でも、かの女を責めたところでしかたがない。過古のわるいおもいでがそうさせたのかも知れない。それ以上の追求はできないだろう。わたしはもっとましな酒を求めて宿をでた。酒場をいくつかまわって、ロージーのもとへ帰る。手にはカティ・サーク・ストームがあった。べつにこれだっていいものじゃない。でもヘヴン・ヒルよりかはずっとましなはずだ。外套を脱ぎ、カウンターに投げ、ラウンジで待つ、かの女のために、2杯の酒をつくった。おれはコロナ・スマトラに火をつけ、大きな鰐みたいなソファに坐る。ロージーは媚びるような眼差しをしてわたしを見た。
  映画、観ないか?
   どうしたの、急に?
 なんでもいい、とにかく観よう。わたしは遠くの車からプレイヤーを降ろしてテーブルに置いた。電源を繋いで、ソフトを入れる。ふるい日本映画だ。題名は「野獣の青春」。暴力以外のなにものでもない映画だった。
   へんな映画ね。
  そうだ、おかしな映画さ。
 わたしたちが映画を観終わったあとで、電話がかかって来た。社長からだった。土曜日の夜、劇場に来て欲しいということだった。ロージーも一緒にだ。たぶんわたしたちは殺されるだろう。もうYもfiveもいない。まったくの用済みだ。
  社長はおれたちを殺すだろうね。
   かもね。
 わたしたちは抱き合った。唇を奪い合い、手を握って寝台に横たわった。かの女がじっとわたしを見る。わたしもかの女を見る。翌朝、ハンクのピックアップに油を積んだ。腕時計を使って簡単な発火装置をつくり、夜を待つ。どれも映画や小説で憶えたことだった。すべてを神が拵えたとしたら、やつもわたしも地獄行きだ。わたしは死体安置所ですべての手続きをした。もういちどだけ滝田の顔をみた。大麻をやってる最中だったんだろう、気持ちよさそうな顔してる。胸にあいた穴が釣り合わないほどに。大使館に連絡した。わたしはまったく無知だった。こういったとき、どうすればいいか、かれの家族を探して報せるにはどうしたらいいか、遺体の帰国をどうしたらいいか、まったくだった。保安官に半分まかせ、わたしはかれの遺品をまとめた。旅行記を書いたメモ、手紙の草稿、ライブ会場の連絡帳、カメラやなんか。
 夜が来た。おれはひとを殺したんだ。報いを受けるべきかも知れない。丸腰のまま、映画館までロージーといった。いざとなれば発火装置がある。レッドネックとメキシコ人が扉のまえに立ってる。わたしたちの挙動をすべて見張ってる。スクリーン裏ではスコフスキイ社長が待っている。どうしたらいいのだろう。ためらいながら社長のまえに立つ。
   ひとを殺した感想はどうだ?
  報いを受けるしかないというところです。
   ほう、えらい心がけだ。──わたしにはもう帰る家も国もありません。友人も死んでました。もはやなにも残ってはないのです。
 スコフスキイはわたしのことばが真意からのものか、図ってた。銀縁のなかで両目が左右に動く。わたしとロージーを見較べて、思案してる。長いあいだ、それがつづいた。わたしは気がおかしくなりそうだった。ここで殺されるのか、はたまた別の場所か。そのとき、おもてで大きな音がした。映画館の扉から炎と煙が入って来る。やってしまった。レッドネックとメキシコ人が消化器を持って出入り口に走る。やつらは火だるまになってそのまま見えなくなる。スコフスキイは裏口にむかって突っ走る。そして銃を抜き、まえをむいたまま、わたしたちへむかってを撃つ。おもての扉が焼け落ちる。ピックアップが爆発し、火は受付を乗り越え、客席にまで迫る。わたしはロージーの手を引いて裏口まで走る。スコフスキイが裏口に鍵をかけてた。ふいにロージーが銃を抜き、鍵穴を数発で打ち抜き、扉を開ける。ちょうどスコフスキイがじぶんの車に乗り込むとこだ。マット・ブラックのメルセデスへ。やつがふりむく。その顔はしろい。ロージーがやつの顔を撃ち抜く。穴のあいた顔はマグリットの絵みたいだ。ふりむきざまにかの女はわたしをも撃つ。わたしは仆れ、わたし自身の銃痕に吸い込まれていく。

 しばらして、わたしは立ち上がる。そして歩いてロージーの宿までいく。かの女はハンクと笑ってる。なにを話してるのかは、どうやっても聞えない。おれはあきらめてじぶんの車まで歩く。そして乗り込む。少しばかり凍てついてはいたが、エンジンはかかる。しばらく空ぶかしをして温めたあと、わたしは本来の予定に立ち返り、「ザ・ヴィレッジ」までいくことにした。あさっての昼までにたどりつければいい。村を走る。いろんな人間がみじかいあいだに死んでしまってる。ビルもYもfiveも、三下どもも、滝田も、そしてもちろん、わたしも。中心街を抜け、ハイウェイに入った。路肩にはヒッチ・ハイカーもいる。この寒いのにだ。ばかなやつらだ。そうおもったとき、ひとりの男に眼を奪われる。滝田だ。胸の血が生々しい。乾き切っていない。わたしは車をとめて、手をふる。やつは嬉しそうに走って来る。やつのブーツがいい音を発てる。──どうしてこんなところにいるんだ?
   実は、おれにもわからないんだ、
   でも、
おまえさんが来るってことはなんとなくわかったよ。
  話は走りながらしようぜ、
  つぎは「ザ・ビレッジ」だ!
   よしきた!
 わたしたちは久しぶりに話した。大いに笑った。そして旅はまだつづいてる。わたしたちにはギターとドラムがあるみたいに、あの女には麻薬と男があるということだ。上空に輝く冬の月。菊正宗を呑みたくなった。どっかにあるだろうか。わたしはだれも悼んでなんかいない。ただひとりの仲間を愛するだけだ。わたしの胸もまだ乾き切っていない。血は、それそのものが道であり、標べだ。どこから来て、どこへ帰っていくかなんて大したことじゃない。流れや標べに愚直に従い、たまには裏を掻いてやること。
 たった、それだけのものなのだ。

 

   *