みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

犬の名は月曜日

 

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前略 親愛なるS・E氏、そして愛犬のマンデーへ

 


 仕事を探してる。33にもなって。寮つきの工場はだめだった。どれも長期、みじかくとも6ヶ月。超過勤務とその手当を前提にした求人票を見るたびにやつらの経営陣はばかなんじゃないかとおもう。8時間も立ち仕事をしたあとにさらに3時間立ちっぱなしになりたいやつがいるのか。そんなことをやらせてて人間が人間のままでいられるのか。おれにはわからない。最初にいった大阪の面接では短期のがあったが断ってしまった。それ以降、どこも6ヶ月以上だ。バーテンをやめてやらというものツキがないようにもおもえてくる。だがたった6時間で疲れ切ってしまうような仕事ではどのみちやっていけない。だからといって日払い派遣にはもううんざりだ。千円未満でこき使われ、保険料や手数料、システム料といった名目で金をかすめ盗られる。若いうちの、ごくごくみじかいあいだなら赦されるかも知れないが、人生にとってはマイナスでしかない。薄汚い連中とおなじ空気を吸い、おなじようになっていくだけのこと。
 おれの人生のやっかいごと、その多く金で片がつくといっていい。多くの支払い、借金、歯並び、免許の再取得、環境の整備といったもの。ただもっとやっかいなことに金が正しく入り、正しく遣われたことなど皆無だった。多くはアルコールに消えてしまった。もういっぽうでは物欲に負けてしまった。そしていまはアルコールの全勝といったところか。投資をしようとおもいたったが、原資が乏しくて話にもならない。仮想通貨を買ったり、Valuといったものに突っ込んだり、OneTapBuyに入れてみたり。1万円にも充たない金であがいたところでどうにかなるものではない。では広告収入ではどうかとおもえば、ほとんどなにも手をつけてない。なにからはじめればいいかわからないからだ。そうやって手を拱いてるうちに人生はジリ貧にむかって進む。
 でもいまそんなことを考えてる場合じゃない。おれはこれまでずっと承認願望に悩まされつづけて来た。その起源は父からの打擲や家族内での孤立、姉妹との対立、学校でつづいたよろしくない出来事、社会にでてからの失敗やなんかだ。おれはずっとひとに認められたい、好かれたい、受け入れられたい、仲間に入れて欲しいという欲求にふりまわされてきた。書くことによってその欲求を客観視しようとしてた。けれどまったくできていなかった。それというのもこのところ、ろくな作品を産みだしてもいないくせに他者へ求めてしまってる。あるいは酒に溺れて暴露癖を露わにしてる。他人から金銭をせしめようとしてる。そして最后には自身が正しいかのように、純真ななにかのようにふるまってしまってる。これではだめになるだけだ。けっきょくおれは他者を信じられないのだろう。だから自身への評価の裏書きとして金品や協力を募ってるに過ぎない。そしてこころのうちでは多くのひとを見くびってる、あるいは極端に畏れてる。ようは甘えすがってる。
 まとまった作品をつくる気力をすっかり喪った。第2詩集をだした'14年以降、ずっとおれは予告篇ありきなってしまった。ひとつの作品に没入するということもなくなった。でまかせのアイデアを吹聴し、その場かぎりの文章を打ち込んでる。もちろんこいつだってその謗りを免れないだろう。それでも文章というものは必要なものが必要なだけ書かれていなければ読めたものじゃない。全文が書き手の自律のものになければ見れたものじゃない。表記法や装飾や冗長さは手段であって目的ではない。それなのにずっとおれは無駄口を叩いてしまってたし、目的と手段をとりちがえてしまってた。
 いいたいことはふたつだ。──他者の反応に病んでるうちは心療内科かセラピーにいくべきだ。作品はぜったいに書けない。わかるとか、伝わるとか、受け入れられるとか、褒められとか、そんなことが目的ならエッセイとか、オピニオンとか、アジビラでも書いていればいい。そしておれは文章上喋りすぎる。字面の効果とかいうものを気にしすぎてる。そんなことは意味がない。語るべき内容があるのなら、そんな効果に頼らずとも書ける。おれのわるいところはそれらしい雰囲気を醸すために余計なことをしてしまうところだ。もっともっと黙る必要がある。今年の3月、ひとにいわれた。 
 「売ろうとおもって、商品にしようとおもって書かない」、然り。
 「打たせて勝つこと」、然り。
 「戦わないで勝つ」、然り。
 「嘘でもいいから《なにもかもじぶんがわるかった》ということにして書く」、然り。
 「攻撃的な態度で有利なのは10代、20代まで」、然り。
 「功名心にかられた五流の連中を相手にしない」、然り。
 「相手を攻撃せずにうまく茶化す」、然り。
 「俳句のようにユーモアと余裕をもつこと」、然り。ただおれはいわれたことのほとんどを忘れてしまってた。そのうえそいつをどう作品に取り込んでいいのかも考えてなかった。書いてしまったことは消せない。反省するしかない。とはいっても33の鰥夫男がどうやって反省すればいいのか。その答えはまだでない。きょうから冬だという。またしても沈んでしまう。金も喰うものも尽きて、もらった枝豆を喰ってる。味なんかないようなもの。これはひとりぼっちで食べるものなんかではないということ。ひとと麦酒でも交わしながら、いくつか摘んでしまうものだ。あなたも知ってるようにおれには友人はない。かつて友人だった人間ならいるが、そいつもわずかだ。

 このまえの金曜日。電話をかけた。酔って電話をかけたんだ。Rの実家へ。Rの母親がでた。かの女は話をしてくれた。決しておれを責めたてはしなかった。やつとは夜学時代からだった。病院や救貧院へも訪ねて来てくれた。それが4年前、むこうの誘いで個展をやった。サイダイジという遠い町の夏。おれはいろんなことでやつに不満があった。そいつを一気に爆発させしまった。

 ある夜、いつもの道が通行止めになってた。やつはトラックを降り、わめきだした。道を通せ、責任者を呼べ!──警備員はかれの仕事をした。やつを制止し、引き留めた。やつは警備員を口汚く罵った。"だからそんなしょうもない仕事しかできへんねん!"─おれは助手席で青ざめた。なんだってやつはこんなことで?──どうかしたとしかおもえなかった。やつが車に戻る、捨てぜりふを吐く、警備員が小さな声でいい返す。やつは狂ったみたいにかれに飛びかかる。そして鈍い音がして、やがて静かになる。ひとびとが集まる。そのなかに非番の警官という男もいる。やつは怯まない。立ち向かう。やがて駅へとつづく横断歩道から警官がひとりで歩いてきた。ねむたそうな足どり。するとやつはおれにいう。

 「車を運転してくれ、いま捕まったらやばい、免許がない」けっきょくやつの逃がし屋をやった。やつはなんども車線変更を指示した。つけられてるかを気にしてた。やつの事務所に扇風機をつけると、やつのアパートに帰った。喰うものも、呑むものもなしで。「あんなことが週にニ、三回ある」誇らしげにいった。「でもあの警備員には仕事に対する責任感がなかった」その朝、おれは個展をやめて帰ることに決めた。やつの傲慢さ、薄っぺらさには耐えられなかった。わるいやつではないし、家柄もあるだろうが、おれには耐えられなかった。室に帰ってきておれはそこであったことや、それまで感じて来たものをすべてtiwtterに吐きだした。やがてやつから電話がかかって来た。おれはでなかった。ショートメッセージのみ返信した。おれは臆病だった。酔って怒ってまぬけなことをいってしまうのかが怖かったし、やつに怯えてしまうかも知れないのが怖かった。

 あくる朝、おれの父がやって来た。呼んだ憶えはない。これからやつのところにいって絵を回収しにいくという。あとはずっとおれのことを罵った。あらゆる過古と、あらゆる妄想を引用しておれを非難した。まずいかなるときにでもわるいのはおまえだということだった。それ以降たびたびおもいだしてはやつを攻撃して来た。たとえば「拳闘士の休息」という詩の初稿のなかで。

 

   そして三年経ったある日夜間高校時代のやつが電話してきた
   おれの絵をオフィスに展示したいといってきた
   おれは、──かまわないといった
   ただし展示料はとると
   するとやつは絵を売ろうといった
   おれはいやいや諒解した
   それでも絵をまとめて送り
   展示案やポスターを仕上げて
   神戸から西大寺くんだりまでいってやった
   やつはポスターを気に入らないといった
   場所である、椿井市場が目立ってないといい、
   "bargain sale"という個展名に難癖をつけた
   後日ふたたび西大寺のオフィスに訪ねると
   資料用の素描に"The Outsider Art"と直かに書かれ
   市場の各所に貼ってあった
   そいつはいままでみたこともない悪意だった
   おれはポスターを造りなおしてた
   やつは興味を示さなかった
   「アウトサイダー・アート」   
   それは手垢つきの過古だった
   それはすでに体制のものだった
   おれは真夏の市場でひとり汗をかき通しだった
   夜になっておれとやつは工業用扇風機を載せたトラックで通行どめに遭った
   やつは警備員を面罵して──ここを通せとわめき散らした
   責任者呼べ!──おれはハンチングに隠しきれない恥ずかしさでいっぱい
   やつが警備員に呶鳴った──そんなんだから、そんな仕事しかできねえんだよ!
   警備員は小さく「このばかがッ」といった
   するとやつは真っ赤になってかれに飛び込んでった
   地面に叩きつけたれたかれが「警察を呼んでくれ!」と悲鳴した
   おれはやつを撲るべきだったかも知れない
   しかしそいつはまるで屁をひってから
   肛門管をしめるようなもんだった
   きっと拳闘士の休息っていうやつだ
   トム・ジョーンズはイリノイ生まれの作家
   やがてひとびとがあつまりはじめて
   そのなかには非番の警官もいた
   それでもやつはひるまずにわめきつづけてた
   それでもやがて警官が横断歩道のむこうから歩いてきたとき
   おれに運転しろといった──なぜ?
   免許ないから、ばれたら困る
   おれはエンジンをかけ、サイドブレーキを解き、
   警官がたどり着く寸前にロウ・ギアに入れて発進した
   角をいくつもまがり、追っ手がないのを確かめさせてやつはいった
   こんなことが週に何回もある、でもあの警備員は仕事に責任感がなかった
   そのとき口にはできない感情をおれは自身に感じとってた
   ふたりで扇風機を事務所の壁につけようと疾苦しながら
   やつはいった──おまえの学習障碍なんて甘えだ
   おれはいった──杖や車椅子は滅ぼすべきというわけ?   
   ハーパーを呑んでからやつの室まで眠りにいった
   そこには喰うものも、呑むものもなかった
   本棚の目立つところに「超訳・ニーチェの言葉」があった
   そのばかげた本でいっぺんにすべてを諒解した
   このくそったれは超人にでもなったつもりなんだ 
   そしてみんながそうなるべきなんだって信じてるんだって
   そして友情はおれを必要としてないというのがわかって
   憎悪を爆発させることにたやすく傾いてしまった 

 

 読み返しててよくわかるのはおれが単純に他者を消費物と見做してるところだ。ほんとうに他者と頒かちあったことも信じたこともない。終始ずっと疑りをむけてて、いつもいつも綻びや欺瞞を見つけてしまうということだ。同時にそれはおれがおれの傷みについて恐ろしく無知で、手当をしようとして来なかった証しでもある。おれはもうとっくの昔に傷つき、毀れてる。そのことを考えようとしてない。救われたいとはおもう。どうなってもかまわないともおもう。いまさらどうすればというおもいもある。書くという行為によって自己認識の歪みを治せるかはわからない。可能性はあるだろう。ただそれだけ頼ってしまってはいけない。いまさらそう考える。

 母親がいうにやつは、自殺を図った。いまはべつの町で暮らしてる。恋人とは結婚し、子供がいる。しかし本人は仕事もせず、うつろな人生を送り、わが子を愛してるかどうか、それも母親はわからないといった。

 「うちの敷居を跨いだ子はみんなうちの子供なのよ。だからあなたも死ぬなんていわないで生きなさいよ」おれはやつに申し訳なかった。

 互いに電話を切り、くらがりに手を展ばした。冷たくなった窓のなかを台風が進む。ゆっくり進む。おれはでかけることにした。黒ズボンを穿いて、コートを着る。戸をあけると、むかいのアパートから女の子たちの声がする。東南アジアから来た職工たちだ。そこへ一瞥をくれ、地階に降りる。折れた傘が散らばってる。教会の裏手まで道をいくと、車が停まってる。青いフィアットだ。狭い車内でふたりの男が話し合ってる。密偵のようにも殺し屋のようにも見える。そのうち、ひとりがおれの視線に気づいて息を止める。犬の声がする。それからひとの気配。地下道からでてくる若い女だ。いつのまに犬がおれに駈け寄って来る。もしこの犬がおれを喰い殺してくれたならとおもいながら、けっきょくは通り過ぎ、終夜営業のスーパーで牛乳をいっぽんだけ盗んだ。

 いまでもおれはおもいだすよ、きみが好きだったこと、そしてマンデーに咬まれたことを。

 

   ではまた

   元気で 

   M・Nより

 

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